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27 次の仕事




 あの戦いから、10日ほどが経った頃だろうか。

 避難していた人間のほとんどが帰宅し、ジル・エリヴィスの街はいつも以上の賑わいで満ちていた。

 第一城壁近辺で敵軍を蹴散らすことができたために、第二城壁より内側は全くの無傷であったことも、賑わいを大きくさせる要素のひとつなのだろう。

 壊れた城壁や、それに囲まれた第一城壁区域の修繕や復興も始まり、今では第一城壁区域の住人もほとんどが家に帰ることができたのだとか。


 俺は今どうしているかというと、仕事中だ。

 隣接する都市であるアラインサンドリアからやってきた使者二人とエルキナの会議を行っている。

 エルキナや使者たちは椅子に座り向かい合っているが、俺はエルキナの護衛であるので彼女の後ろに立っていた。


「――というわけで、私がそちらに出向くということでよろしいですか?」


「はい。そうして頂けると、エダグス様もお喜びになられるでしょう」


「では、近いうちにそちらに出向く、と伝えておいてください。……他に話し合うべき要件はありますか?」


「いえ、我々の目的はエダグス様とエルキナ様の会談を実現させることのみであります」


「そうですか。では、会議もお開きとしましょう」


 椅子に座っていたエルキナが立ち上がり、部屋の外へと歩く。

 俺は彼女の背を守るように、油断なく護衛する。

 使者たちも椅子から立ち上がり、エルキナに向けて恭しく礼をした。


 部屋から退出し、エルキナが自身の執務室へ戻る最中に、ぽつりと呟く。


「アラインサンドリアのエダグス、ですか……」


「どうかしたのか?」


「いえ、ちょっと因縁のある相手でして……はぁ」


 彼女は元気がなさそうにため息を吐く。

 面倒くさそうに、何かに悩んでいるかのように、眉根に皺を寄せた。


 これは、彼女の護衛として状況を把握しなければならないだろう。

 警戒すべき相手の情報や、危険人物の把握にも繋がる。

 そう思い、彼女に尋ねる。


「因縁、というのはどういうものなんだ?」


「……確かに、シグトさんも知っておいた方が良いかもしれないですね」


 そう前置きして、エルキナは何も知らない俺に対して丁寧に説明してくれた。

 説明と呼ぶには愚痴が多すぎた気もするが、細かいことは気にしないでおこう。


 海運都市アラインサンドリア。

 そう呼ばれる通り、海に面しているその都市は海上貿易の中継地点として栄えている。

 それがゆえに、他国や他領地の物品も集まりやすく、様々な文化が入り混じった街である。

 アラインサンドリアに行けば近隣諸国で作られるすべてのものが手に入る、とも言われている。

 都市の規模も、ジル・エリヴィスとほぼ同等。

 こちらが武力の街と言うならば、アラインサンドリアは商業の街ということになる。


 そして、ここで一番の問題となってくるのは。

 その街を代々治める貴族家が、エルキナの家――アドレーン家と非常に相性が悪いという。

 特に、現当主エダグス・フォン・カレヴィエルはその傾向が強く、過去の様々な交渉において強気で傲慢とも呼べる態度を貫き続けている。


 今回の会談の誘いも、断れば面子を潰したと文句を言われると予想できる。

 アドレーン家に対して過度に強気なエダグスのことなので、誘いを断ったとなれば何を起こすのか分からない。

 軍隊を派遣したり、貿易ルートの閉鎖をしたりということも絶対無いとは言えないのだとか。


 その他、エダグスがいかに傲慢か、いかに嫌いな人物なのかを、愚痴を言うかの如く俺にこぼしていた。


 曰く、幼いころにエダグスと遭遇したとき、性的な目で眺められ、「今から将来が楽しみだ」と言われたのだとか。

 曰く、尊敬する父親に、無実の罪を押し付け口汚く罵っていたとか。

 曰く、相手の気持ちの如何(いかん)を問わずに大勢の女性を妾にし、あまつさえ飽きたら放置するありさまなのだとか。


 とにかく、エダグスという輩がまともな人間でないことが分かった。

 エルキナの幼い時の記憶や噂によるものが殆どであり、信憑性には首をかしげるが、しかし、エダグスという貴族の性格という面では、大きく外れているものでもないだろう。

 それだけでも、大きな収穫だ。


「それで、そんな嫌いなエダグスと会談をする羽目になったというわけか」


「そうなんですよ。しかも、私、交渉が苦手なんですよね……。いつもなら、セバヌスに任せているんですけど……」


「今回は駄目なのか?」


「はい……。まだ、バラディアからの降伏の知らせも届いておりませんし……。万が一に備えて、セバヌスはこちらに残しておかないといけないんですよ……。何かあった時に、一番頼りになるのはセバヌスですからね……」


「それは大変そうだな」


「そうですね……。もう、シグトさんに交渉を全部丸投げしちゃいたいですよ……」


「俺か?」


「はい。シグトさん、なんだか交渉とか上手そうですし。任されてはもらえないですかね?」


 悪戯っぽい、冗談のような口調でエルキナは言う。

 しかし、その口調に反して、彼女の目は笑っていない。

 真剣な眼差しで、俺を見据えている。

 これは、本気か。


「いいのか? 俺が裏切る可能性だってあるんだぞ?」


 まだ俺は、エルキナに仕え始めてそれほど時間が経っていない。

 だというのに、そんな俺を、アドレーン家の存続にも関わるかもしれない会談で交渉役に抜擢するとは、少々無警戒が過ぎるのではないだろうか。

 当然、俺は裏切るつもりはないが、これが俺ではなく他の誰かであればそういう可能性だって出てくる。


「それで裏切られたら、私の人を見る目が悪かったというだけです。あとは、私がシグトさんを信じたいから、っていうのもあるのかもしれないですね」


 冗談めかして彼女は笑う。

 けれど、その笑顔の裏に何かが隠れているような気がしていた。


「それでは、今日はお疲れさまでした」


 エルキナはそう言って、執務室の中に入っていく。

 つまり、今日の俺の仕事はこれで終わりということを意味している。

 エルキナがドアを閉めるのを見送った後、この場から踵を返して俺に与えられた部屋へと歩く。


 それにしても、交渉か。

 確かにエルキナの見立て通り、俺はそれなりに交渉ができるつもりでいる。

 だがそれはあくまで、弱者の兵法としての交渉だ。

 貧民街で生きていくために、最悪の状況を回避するためだけの、悪徳商人相手に特化したもの。


 もちろんだが、俺はエルキナ以外の貴族相手に交渉を持ちかけたことも、持ち掛けられたこともない。

 だから貴族との交渉がどんな感じになるのかは知らないに等しい。

 よって、俺が交渉の場に立った時に何が起こるのかは、俺自身もよく分かっていない。


 それはきっとエルキナも理解しているだろう。

 なぜなら、普通の人間は貴族と交渉することなど無いから。

 しかし、それを理解していてなお俺に交渉を頼むということは、それ以上にエルキナの交渉が上手でないということに他ならない。


 思い出してみれば、俺が護衛になる時の話し合いでも、無意識に本音を漏らしてしまっていたような気がする。

 周囲からすればそんな少女に交渉を任せたいとは思わないし、自身も自覚があるのだろう。

 だから、俺に頼んできたのだと。


 とりあえず、ロノアあたりに貴族の交渉について聞いておくのが良いかもしれない。

 メイドとは思えないほどに聡明な彼女ならば、何か知っているかもしれない。


 そのように思考を巡らせていると、自室までたどり着いた。

 ドアを開ければ、いつも通りティリナが待っていて出迎えてくれるだろう。

 そして、ロノアが壁際で控えているに違いない。


 そう思ってドアをノックし、そのまま開ける。

 部屋に入り、ティリナの姿を探す。


 しかし、部屋の中にいたのはロノアだけだった。


 とはいえ、ティリナだって一つや二つ用事があってもおかしくないだろう。

 偶然、今日は時間が合わなかった。

 ティリナにも、何かやることがあった。

 それならば、ロノアが何か知っていてもおかしくないと思い、尋ねる。


「ロノア。ティリナがどこに行ったかは知ってるか?」


「いえ、存じ上げておりません。昼食以降、部屋には戻ってきていないものと思われます」


「そうか。ならば、昼食時に誰かから用事を言い渡された、と考えた方が良さそうだな」


 それほど遅くならないうちに、彼女は戻ってくるだろう。

 そう考えて、俺は一旦ティリナのことを頭から追い出して、ロノアに貴族の交渉の仕方について知っていることはないかと尋ねることにした。




……しかし、夕食の時間になっても、夜が更けても、ティリナが帰ってくることはなかった。


 彼女に何かがあったのではないか? 自然とそのように思えてしまう。

 城の中には特に危険はないはずだが――今日は、アラインサンドリアから二人の使者が来ていた。

 エルキナにあれだけ嫌われていた奴の手下だ。何か悪巧みをしていてもおかしくない。


 普段、ティリナは俺の寝る時間になると、俺の中に入っていき、(依り代)の中で眠る。

 なぜならば、彼女は姿を現すために精霊力を使うため、ずっと姿を現していることはできないからだ。

 これは俺の推測だが、丸一日姿を現していると彼女の精霊力が尽きてしまうと考えている。

 精霊力が尽きるとどうなるかは知らないが、彼女が言い辛そうにしていたということはきっと、精霊の存在ごと消えてしまうとかそんな感じだろう。


 だから、ティリナはここに戻ってこなければ精霊力を回復させることはできないし、そうなるとティリナ自身に不都合が生じるのは間違いない。

 にもかかわらず、戻ってこないということは――


「ちょっと、ティリナを探してくる」


――何者かに攫われた可能性がある。


 城の中で警備もしっかりしているため、その可能性は限りなく低い。

 低いのだが、しかし、ありえない話でもない。

 物事は全て最悪の状況を想定して動く。それは貧民街で暮らしていた時に培った、生きるための知恵でもあった。


「私もお供いたします」


 俺が立ち上がると、すかさずロノアが声を上げる。

 ロノアは急いだ様子で部屋を出ていき、僅かな時間の後、長剣を用意して戻ってきた。


 俺はそんなロノアを連れ、まずはエルキナの私室に向かった。




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