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26 戦後の安穏




 エリヴィス城まで、無事に戻ってくることができた。

 第五城壁の内側では既に避難していた住民が帰宅の準備を始めていた。

 また城の入り口では、執事のような服を着た男の使用人が右に、メイド服を着た女の使用人が左に並び、帰還者の出迎えをしていた。


 その中の一人にエルキナの居場所を聞くと、彼女は寝室ではなく、執務室の方にいるとのことだった。

 俺が任務に出かけるときはまだ少し具合が悪そうにしていたが、ティリナがどうにかしてくれたのだろうか。

 報告ついでに、俺のいない間に何をしていたのか聞くことにしよう。


「それで、ロノア。執務室ってどこなんだ?」


「エルキナ様の寝室の隣でございます。案内いたしましょうか?」


「ああ、頼む」


 ロノアの案内に従って城内を歩き、エルキナのいる執務室まで移動した。

 途中、料理人の格好をした人たちが食材を持って駆けていたのが見えたが、今夜はパーティーでもするのだろうか。


 戦勝パーティーか。良い響きだ。


 そんなことを思いつつ、廊下の壁に飾られた絵画を眺めながら移動していると、ロノアが足を止めた。

 つられて俺もその場に立ち止まる。


「こちらが執務室です」


 案内された部屋よりも更に廊下を進んだところには、見覚えのある扉があった。

 あれがエルキナの私室で、その隣が寝室なのだろう。

 そして、この白いドアの先、ロノアに案内された場所が、執務室ということになる。


 ドアに手を伸ばし、ノックをしようとして、思いとどまる。

 エルキナとティリナ以外にも、部屋の中に誰かがいるような気配がするのだ。


 少し待ってみると、案の定、部屋の中からセバヌスとエルキナの声が聞こえてきた。


「報告を致します。敵軍大将イカルスの討伐を完了いたしました」


「ありがとうございます。無事に帰ってきてくれてよかったです……」


「お嬢様も無事で何よりです。では、来客があるようなので、わたくしはここで」


 その言葉と共に、足音がこちらに迫ってくる。

 扉が開き、そこから姿を現したセバヌスが胸に手を当てて一礼をする。

 そして「失礼いたしました」と部屋の主であるエルキナに言い、この場を去る。


 セバヌスが去っていくのを目で追ってから、改めて執務室に向き直る。

 すると扉が半開きの状態となっており、部屋の中からエルキナの視線を感じた。

 入室の許可を取ったほうがよいのだろうかと僅かに迷ったその間に、エルキナが驚いたような声を上げて椅子から立ち上がる。

 一方のティリナは、俺が帰ってくるのを分かり切っていたように、微笑みを浮かべていた。


「シグトさん!?」

「ご主人、おかえりー」


「……ああ、今帰った」


「無事でよかったです……。いつまで経っても帰ってこなくて、シグトさんに何かあったんじゃないかと心配でしたよ……」


 そう言いながら、エルキナはほっとした表情を浮かべる。

 薄桃色の長い髪をいじりながら、彼女は俺を部屋の中に案内し、椅子を勧めた。

 その椅子に座り彼女を見ると、目が合った。

 そういえば、俺が任務に出かける前の彼女は具合を悪そうにしていたと思い、尋ねる。


「調子はどうだ?」


「はい。おかげさまで大丈夫です。シグト様のおかげで……いえ、なんでもないです」


「ん? 言いたいことがあるなら言った方が良いと思うぞ」


「私の自分語りなんて、聞いても楽しくないんじゃないですか……?」


「俺の名前が聞こえた気がしたが、気のせいだったか?」


「いえ、ただ……何の利益もないのに私を守ってくれた人の中で、戦いから生きて帰ってきた人はシグトさんが初めてだな……って思いまして。どうでもいいですよね」


 どうでもいい、と割り切ってしまうには、少々重い話であるように思う。

 どちらかというと、彼女の根底を形作っていそうな、そんな話のように思えてしまう。


 彼女は、父と母を戦争で亡くしていると話していたか。

「何の利益もないのに守る」と言ったら、家族くらいのものなのだろう。

 そして、彼女の両親は戦争で亡くなった。

 だから、彼女は戦争にトラウマがある、という話だろうか。


 だが俺は、生まれた頃から一人だった。

 親の安否だけでなく、親の顔さえ知らない。

 親しかった人と言えば縄張りの連中が当てはまるかもしれないが、あれはあくまで自分たちの都合で集まっているに過ぎなかった。

 奴らが窮地に陥った時に助けることはなかったし、俺も助けられることはなかった。

 あの場所では、他人を助けるようなお人好しなど、周囲に良いように使い捨てられるだけだから。


 いずれにしろ、俺には肉親に対する感情を理解することはできない。

 だから、エルキナがどういう思いをして今に至ったのかは分からない。

 分からないが、しかし、エルキナの様子を見る限り、辛い思いをしてきたのだろうということは分かる。


「……辛かったんだな」


 思わず、口に出して言ってしまう。

 本心ではあるが、その一言では到底言い表せない何かがある気がして、言葉の薄っぺらさを恨む。


 彼女は俺の言葉にしみじみとした様子で頷いて、ため息を吐く。

 そうしつつも、どこか穏やかな、安心した口調で言った。


「……はい。辛かったです。でも、だから、シグトさんが帰ってきて、本当によかったです」


 その言葉の語尾が、僅かに涙声になっていたように聞こえたのは俺の思い違いだろうか。

 否、思い違いではないだろう。

 彼女は静かに瞳から一滴の雫を流し、それを彼女の細い指でそっとふき取っていた。


「すみません。情けないところを見せてしまって……」


「いや、構わないよ。泣きたいときには泣くべきだ」


「ありがとう、ございます……」


 彼女の頬に、一筋、二筋と涙が零れ落ちる。

 静かに、穏やかな笑顔を浮かべながら涙を流すエルキナは、儚くも美しく見えた。


 ロノアは、どこからともなくハンカチを用意し、エルキナに差し出した。

 ティリナは、優しい眼差しでエルキナを見つめていた。

 俺は、泣き笑いをするエルキナにじっと視線を合わせられて、恥ずかしくなって目を逸らした。


 穏やかで平和な時間は、祝勝パーティーの知らせまで続いた。

 パーティーでのエルキナは、何かが吹っ切れたかのように、心からの笑顔を見せていた。

 そんな輝くような笑顔が、なんだかとても魅力的に見えた。


 とにかく、勝つことが出来て、生きて帰ってくることが出来てよかった。

 パーティーで出された焼き肉をティリナが頬張っているところを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。




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