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23 逃げ切るために




 後ろを確認しつつ、第二城壁に囲まれた街を走る。

 避難を急ぐ人の波を避けつつ、かつ後ろを警戒し、走る。

 大通りを抜けると分岐点があったので、直感で左を選び、また走る。


 後ろから、何かの気配がした。

 反射的に右に飛び退く。

 すると、先ほどまで俺がいた位置を、先の尖った氷塊が瞬く間に通過し、飛び去った。


 後ろを振り返る。

 振り返りながらも、走る。

 住宅地で囲まれた街路を、ただひたすらに駆ける。


 だが、敵は一定の距離で追いかけてくる。

 こちらから何か仕掛けない限りは、逃げ切ることはできそうにない。


火焔の演舞(ファイア・ノヴァ)


 虚空から呼び出した炎を弾の形に変形させ、放つ。

 敵に直接当てるのではなく、足を踏み出したその先に火球を着弾させる。


 気にせず俺を追うのであれば、脚が炎に包まれる。

 足を引っ込めるにしても、敵の動きが止まり、その分だけ距離を稼ぐことができる。

 魔法は、既に間に合わないだろう。


 しかし彼がとった行動は、そのいずれでもなかった。

 炎を跳び越し、そのまま俺を追いかけて通りを駆ける。

 牽制の魔法によって距離が開くことはなく、むしろ俺が魔法に集中したぶんだけ距離が詰まったようにも感じる。


 もう一度、今度は先程よりも速い弾速の氷塊が迫る。

 数も3つあり、避けようとする方向をつぶすような軌道を取る。

 これでは、一つを避けても逃げた先に氷塊が飛んできてしまう。

 回避はできない。


 それでも、選ぶことのできる選択肢はある。


石壁の檻(ストーン・ウォール)


 石の壁を作り、氷塊からの攻撃を防御する。

 直後、耳を(つんざ)くような、氷と石が割れる音が響く。


 後ろを振り返らずに、ただただ敵から逃げ続ける。

 これは逃亡戦。

 敵に勝つ必要は無い。


濃霧の帷(フォッグ)


 氷と石が粉々に砕け、地面から生える棘となっているところに、霧を発生させる。

 敵の視界を奪い、足元の棘を踏みやすくする。

 もし足に棘が刺さってしまえば、痛みで俺を追いかけることはできなくなるだろう。

 痛みよりも気力が勝ったとしても、先程までの速度は出ないはずだ。


 だから、敵は霧を吹き飛ばすために魔法を使わなければならない。

 それまでは、周りの様子も、もちろん俺の様子も窺うことができない。


 よって、俺はその場で足を止める。

 そうして、意識を集中させ、右の掌を天に掲げる。


 敵の魔法によって、霧が消し飛ばされる。

 しかし、もう遅い。

 こちらの次の魔法の準備は、もう出来ている。

 勝つ必要は無い、そう思っていたが、とどめを刺せるのならばそれに越したことはない。


 魔法の発現した様子をできる限り詳細に思い浮かべる。

 意識を集中させ、照準を完璧に合わせ、そして呟く。


雷撃の雲(ライトニング)


 手のひらを向けた先から黒い雲が出現し、徐々にその姿を大きくする。

 黒い雲の制御を維持し、雷撃を生み出し、撃つ――。


颶風の裁き(イレイス・ウィンド)


 突如。

 暴風によって雷雲が霧消し、放たれるはずの雷撃も消え失せる。


「……っ?!」


 ありえない速度での、魔法の連続使用。

 一度発動させ終えた魔法は、もう一度、力を収束しなおさなければ撃てないはずなのに、なぜ。


「簡単な事さ。魔法を発動させ終えなければ、効果は持続する。それだけの話だよ。……氷弾の嵐(アイス・バレット)


 敵が正面に手を掲げ、その掌の付近から氷弾が次々と出現する。

 先ほどまでと違い「魔法の名前を言う」ことによって、さらに威力が増大する。

 そして、手を振り払うと同時に一斉に俺に向かって飛ぶ。


「くそっ、石壁の檻(ストーン・ウォール)!」


 俺の身を守る最低限の大きさで、石の壁を出現させる。

 ギリギリではあったが、かろうじて氷弾の着弾に間に合わせることができた。

 すべての氷弾が命中しないままに終わったのを見て、魔法の制御を手放して石の壁を霧散させる。

 無傷のうちに、ここから離脱しようと決意して後ろを向く。

 そして、足を止める。


「おっと、気付いたか。最初から俺は、君に当てるつもりは無かったんだよ」


 数多の氷弾が地面に刺さり、行く手を阻んでいる。

 住宅が並ぶ通りに、一瞬のうちに袋小路が生まれた。

 そして、その出口は敵が塞いでいる。


「それじゃ、とどめといきますか。……絶対零度の砲弾(ゼロ・ブラスト)


 その言葉と同時に、圧倒的な冷気が辺りを支配した。

 空中から氷の砲弾が出現し、時間経過とともにその砲弾が巨大化していく。


 直感的に、俺は理解する。

 俺の魔法の力量では、この魔法は打ち消すことはできない。

 炎の壁はあっさりと貫かれ、石の壁は砕け散り、濃霧によって狙いを少々ずらしたところで何も変わらない。


 逃げるにしても、左右は区画を仕切るための壁によって遮られている。

 後ろは地面に突き刺さった巨大な氷弾たちが壁の役割を果たしており、前方に行けば攻撃をすすんで受けに行くこととなる。


 どうすればいい。

 四方八方の移動を阻まれ、攻撃に対する防御手段を持たずに、氷の砲弾に蹂躙されるのか。

 そうなれば、当然俺の命は無い。


 思考を巡らせるうちにも、氷の砲弾は大きさを増す。質量を増す。殺傷力を増す。

 どこに逃げても、何をしようとも助からない。

 ならば、どうすればいい?!


発射(リリース)


 死の宣告。


 その言葉と同時に前方へとゆっくりと動き出す、巨大な氷の砲弾。

 道幅を一杯に使い、どこにも逃げ場はない。


 前方から、焦らすようにゆっくりと、でも確かに迫り来る砲弾。

 後ろは氷壁で塞がれている。

 そして、圧倒的な攻撃の前に、何の対抗策もとれない、無力な俺。


 ああ、俺はこの砲弾に圧し潰されて死ぬのだろう。

 死体は残らずに氷の壁と一緒になって、粉々に砕け散るのだろう。


 死にたくない。

 自然と、俺はそう思った。

 なぜだか、その言葉がごく自然と出てきた。


 確か、あれはもう5年前だったか。

 人攫いに襲われ、頼みの綱であった逃げ道を塞がれ、絶望したとき。

 一生、道具として扱われる未来が迫っていた時。

 俺は、死にたくないとは思わなかったように思う。

 絶望を噛み締めつつも、そういう運命だったと仕方なく受け入れようとしていた気がする。


 しかし、なぜだろうか。

 路地裏から出て、人並みの生活をしたことによって何か心の持ち方が変わったのだろうか。

 できることが増えたおかげで、やり残しや未練が増えたのだろうか。

 もっと高望みしたいと、そう思ってしまったのだろうか。


 冒険者ギルドでは、受付嬢のリエーラさんに可愛がってもらって。

 ティリナと出会って、一緒に旅をすると約束をして。

 最初の街で助けたエルキナに感謝されて、護衛として雇ってもらって。

 軍事連絡という重大任務でさえも任せてもらえるようになって。


 ああ。

 確かに、未練も残るわけだ。

 願わくば、ティリナと一緒に冒険をして、彼女の願いを叶えてあげたい。

 俺のことを主人と慕ってくれる、彼女の願いを叶えてあげたい。


 そうして世界の滅亡を防いだら、次は何をしようか。

 ティリナと二人で、田舎でのんびりと気ままに暮らすのもいいかもしれない。

 エルキナに雇ってもらって、貴族付き魔術師として一生を終えるのもいいかもしれない。

 リエーラさんが普段から口にしていたように、恋や純愛の類も経験してみたい。

 お金を稼いで、一生遊んで暮らしてもいい。


 しかし、その全てが今、泡沫に帰す。

 願いは、何一つ叶わずに消えていく。

 それが、死ぬということ。

 それが、目前まで迫っているものの名前。


 死にたくない。

 しかし、どうしようもない。


 俺は、静かに目を閉じて、痛みを待った。

 俺の終わりを告げる痛みの音を、ただひたすらに待つことにした。

 そうすると感覚が研ぎ澄まされるようで、音が、声が、よく聞こえてきた。





 ヒュン!


「ぐはっ。……お前は、アイツの仲間か」


「耐えた、ですか。ではこれはどうでしょう。一筋の煌きを――『閃光の剣』」


「させるかよ。二重詠唱、氷弾の嵐(アイス・バレット)!!」


 ぐおん、と空気が揺らぐ。

 その空気が、冷気を纏う。


「ぐぁっ……うっ…………」


 ごとりと、重量感のある何かが落ちる音がした。


「うぐっ?! くっ……。なんとか、勝てたみたいですね……」


 同時に、俺の間近まで迫っていた絶対零度の冷気が霧消し、圧迫感も消え去る。

 命の危険は去った、そんな感覚がして目を開いた。


 すると、目に入ったのは。


 閑散とした住宅街の路地。

 術師が死亡したため、魔法は制御を失い、氷の壁や砲弾は全て消え去っていた。

 氷弾が激突した跡が地面を凹ませており、道のど真ん中では、胴と頭が別々になった死体が鮮血で地面を濡らしている。


 そして、俺の前に立っているのは。

 赤と黒のメイド服を着た、長剣を手に持った少女――







――ロノアだった。





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