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16 勝利条件




 チェリス側にあった、黒色のキングを見せびらかすように掲げる。


「勝ったッ!」


 勝利条件は、相手側のキングを取ることだ。

 ならば今の俺は、その条件に合致していることになる。


「違うって! そうじゃない!」


 チェリスは俺の掲げた黒いキングを、ジャンプして取り返そうとしているが、ギリギリのところで届いていない。


「いや、確認したはずだけど。『相手側のキングを取れば勝ち』って言ってたよな? なあティリナ」


「うん。言ってたね。あのルール説明だと、ご主人の勝ちってことになると思う」


 ティリナのノリが良くて助かる。

 これで2対1になった。多数決ならば俺の勝ちだ。

 そして決まり事というものは、だいたいが多数決で決まるのだ。


「ぐぬぬ……」


 チェリスは、俺が手に持つ黒いキングを指差して唸る。

 全く納得できない、と言わんばかりに俺を睨んでくるが、しかし言い返す言葉が思いつかなくて困っているようだ。


「それじゃあ、勝った方が負けた方の言うことを一つ聞く、だったか? ってことは、俺がお前に言うことを一つ聞かせられるんだな」


 指を一本だけ立てて、不気味に笑ってみる。

 そして、指をわきわきさせて不安をあおってみる。

 効果は覿面てきめんだったようで、チェリスは腰が引けた体勢で、悲壮感を漂わせて後退る。

 若干、ティリナの視線が温度を下げた気がするが、気にしないでおく。


「な、なにを企んでやがる!」


 虚勢を張りながら、少しずつ後ろに下がるチェリス。

 しかし、この部屋はそれほど広くはない。

 壁にぶつかってしまい、この世の終わりのような顔をして座り込んだ。


「ってなわけで、俺がお前に頼むことは、ただ一つ」


「せ、せめて、優しくしてくれ……」


 壁の隅っこで座り込み、涙目になっているチェリスに向かって、ビシッと指をさす。

 そして、決め顔を作って、言う。






「チェスのルールを教えてほしい」






「……はぁ?」


 呆気にとられたように、チェリスは間抜けな声を漏らす。

 対して、ティリナはほっとしたように息を吐いた。


 俺は、呆然としたままのチェリスを両手で持ち上げてチェスボードの前まで運び、もう一度念を押す。


「チェスのちゃんとしたルールを教えてほしい。そうじゃないと、勝負にならないだろう?」


 先ほどのあれがチェスとは呼べないだろうことは、なんとなく俺も分かっていた。

 そんな意図を知ってか知らずか、チェリスは「ふっ」と息を漏らした。


「……驚かすなよ。そうなら最初っからそうやって言えよ」


「お前、俺が勝ったってこと自体に異議がありそうだったよな。だから、そう言っても聞かなかったんじゃないか?」


「……ああ! そうだ! あれで勝ったとは言わせねえからな! さっきのは無かったことにして、もう一回やり直しだ!」


 今思い出した、と言わんばかりに食ってかかる。

 しかし、それは俺の思い通りの展開だ。


 何の理由も無しに、チェリスを怖がらせたわけじゃない。

 彼女の身体に興味があったわけでもなければ、怖気づいた顔を見たかったわけでもない。

 こうすることで、俺のチェス(笑)での勝利に反論する気を失せさせようとしたのである。


 俺の作戦は大成功であった。

 しかし、俺の仕掛けはまだ終わらない。


「でも、俺にチェスのルールを教えると、お前が俺の勝ちを認めるってことになるけどいいのか?」


「な、なんだと……」


 衝撃の事実を前に、チェリスは頭を押さえる。

「お兄さんの勝ちは認めたくないけど……、でも、チェスの相手が減るのは困るよな……」と独り言をぶつぶつと呟きながら、堂々巡りの思考をしているようだ。


 そんなチェリスを俺は勝ち誇ったように見据えていたが、ふっと俺の脳内に昔の記憶が蘇る。

 貧民街で暮らしていた時には、こういう交渉術は生きるのに不可欠であった。


 貧民街に蔓延る悪徳商人。

 彼らの多くは詭弁を用いて交渉し、金品をだまし取って生計を立てていた。

 もちろん、子供が相手だろうと手加減してくれるなんてことはない。

 むしろ逆だ。


 大人ほど頭の回らない子供は、搾取の対象として見做される。

 大人に較べて簡単に騙されるのが子供だし、だからこそ、相手は巧妙に言葉の罠を仕込んで様々なものを合法的に奪っていく。

 そして最終的には、有り金をすべて奪われたうえで奴隷に落されることも珍しくない。

 だからこそ、貧民街の子供は、交渉術に優れている必要があったのだ。


 それは俺も例外ではない。

 小さい頃、物心ついた時には既に、縄張りの仲間たちから交渉術を叩きこまれていた。

 それが、生きるために必要だと言われて。


 そうして得た交渉術だったが。

 まさか、領主直下のメイドを、ふざけ半分で欺くために使うとは。

 人生、何が起こるか分からないものである。


「いや、決めた」


 決意のこもったチェリスの声が聞こえて視線を戻すと、まっすぐに俺を見ていたチェリスと目が合った。


「さっきのはお兄さんの勝ちでいいや。だから、オレはちゃんとしたルールを教える。それで、正々堂々とゲームしようぜ。……今度こそ、変なことしたら承知しねーからな」


 どうやら、負けを認めてくれたらしい。

 これで、胸を張って「チェリスに勝った」と言えるものだ。

 言わないし、言う機会もないのだが。


「……あの、チェリスさん。ボクにも、チェス? のルール、教えてほしいな」


 いつの間にかティリナも机の近くに来ていたようで、3人で一つのチェスボードを囲む形になっていた。


「いいぜ。お姉さんも、しばらくここにいるんだろ? なら、ルールが分かったら俺の相手をしてくれよな!」


「うん。よろしくね」


「ああ、よろしく。……それでだ。まず、この一番小さくて、上にまん丸が乗っかってるやつ。これが――」


 こうして、夜は更けていく。




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