11 朝、精霊の泉にて
周囲が明るくなってきて、俺は目を覚ました。
どうやら外で寝ていたようで、朝の冷たい風が頬を撫でる。
ああ、そうだ。
昨日はティリナを取り込んだ後、そのまま泥のように眠ってしまったのだった。
今思えば、危なかったように思う。
何の遮蔽物もない、見通しの良い泉のほとりで、一人で無防備に寝ていたのだから。
普通ならば、獣や魔物の格好の餌になるところだろう。
だが、俺は生きている。
何者かに襲われた形跡もなければ、足跡のようなものも存在しない。
自然の景色が広がる、静かな朝だった。
きっとそれは、ここが精霊の泉の付近だからだろう。
どういうわけか、この泉の周辺には魔獣や獣は出ないという話だ。
もしかすると、ティリナが一体ずつ駆除しているだけなのかもしれないが。
それならそれで、ありがたい話だ。
「ん? ご主人、呼んだ?」
隣から唐突に声が聞こえてきて、驚いて振り向く。
そうして視界に入ったのは、薄い群青色の髪の少女だった。
いつの間にか、ティリナが俺の隣に姿を現していた。
まったく、いきなり現れるとは心臓に悪い。
「あ、ごめん。驚かせちゃったね」
「いや、大丈夫だ。……それより、俺に取り込まれるっていう話はどうなったんだ? なんか、取り込まれるのをやめて外に出てきているっぽいけど」
「うん、それは問題ないよ。ボクの生命のコアはキミに取り込まれた地点でキミの中にあるから。だから、あんまり長いこと外には出られないけど、精霊力を消費すればある程度は外に出られるんだ。ほら、この通り、実体のある体だよ」
そう言ってティリナは俺の脇腹の辺りをつんつんした。
気にせず、俺はティリナに尋ねる。
「精霊力ってのは何なんだ? まさか、命を削って姿を現しているわけじゃないよな?」
「まさか、そんなわけはないよ。精霊力っていうのはね、えーと、なんというか……。力の源、とでも言えばいいのかな? 精霊が精霊力を使うと、不思議な現象が起きるんだ。身体が光ったりとか、周りの人や動物に元気を分けてあげたりとか、あとは精霊が一人一つ持っている秘宝を取り出して使えるとかかな。あ、ちなみに精霊力は時間経過で回復するから、一度使うともう戻ってこないっていうわけじゃないよ」
つまりは、魔法と同じようなものなのだろうか。
どうやら魔法には魔力が必要だと教育されるらしいが、実際に必要なのは集中力だ。
そんな余談は置いておいて、魔法の場合、発動するのに集中力を使うが、その集中力は休めば回復する。
精霊の場合は、その集中力の部分が精霊力になるだけで、根本的には魔法と変わらないのかもしれない。
その力を使ってできることは、魔法とはかけ離れているようだが。
「ということは、俺が今あまり疲れていないのも、昨日から何も食べていないのに腹が減ったと思わないのもティリナの精霊力を使った結果なのか?」
「あ、うん。あのままだったらご主人、生きて帰れなさそうだったから……。勝手に精霊術をかけちゃって、ごめんね……?」
「いや、謝る必要は無いよ。むしろ、俺が感謝を伝えたいくらいだ。俺のためにお前は力を使ってくれたんだろ? だから、ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
反省しているような、安心しているような、その間で困惑しているような感じでティリナは頭を下げた。
確かに、俺の与り知らぬところで俺に勝手に術をかけるのは礼儀としてよくないのかもしれない。
けれど、それが親切心から来るものならば。
なんとなく、ティリナは真心を持って俺に接してくれているような、そんな気がした。
俺はおもむろに立ち上がって、澄んだ空気の中で深呼吸する。
目の前には、雲一つない青空を映し出し、太陽の光を反射して明滅している精霊の泉。
朝露が日光に当たって煌く、黄緑色の大地。
深緑の葉を数えきれないほどたくさん並べたような森林。
目覚めの良い朝だ。
しばらくそのまま自然を眺め、気が済んだところで、精霊の泉から続く道へと向き直る。
そして、一歩踏み出そうとして、はたと立ち止まる。
ティリナの姿を探そうと右を向くと、いつの間にか彼女が俺の傍まで来ていたらしく、彼女の水色の澄んだ目と目線が合った。
「そういえば、これから俺はどこに行けばいいんだ? 何かやらなければならないことはあるのか?」
「うーん、特に、急ぎの用事はないけど……。とりあえず、進行方向にある近くの街で情報収集でもしよっか。ボクも、外の世界の詳しい地理とかは知らないしね」
そう言って、ティリナが俺の前に立ち、道から少し逸れたあたりを指さした。
「こっちの方向に、街とかあるのかな?」
彼女が指をさす先は、俺の故郷の街とは反対方向だ。
方角的には、俺が精霊の泉に向かうために途中まで通っていた街道と合流し、少し大きな街にたどり着くはずだ。
そしてその都市の名前は、冒険者ギルドで働いていた頃に、たまに聞くことがあった。
「城郭都市ジル・エリヴィス。そこまで、歩いて3日の距離かな」
「じゃあ、とりあえずの目的地はそこだね。何か、ご主人の方で言いたいこととかある?」
「いや。じゃあ、善は急げということで、さっそく行こうか」
「うん!」
そんなわけで、城郭都市ジル・エリヴィスに向かうことになった。
やはり、当初の予感通り、故郷とはしばらくの間お別れのようだ。
旅は、まだ始まったばかりのようだった。




