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ダークディメンション

「……よし」


 その翌朝、通学用のリュックを背負い、履き慣れたスニーカーの紐を丁寧に結び直した僕は、なんとはなしにそう呟いた。


「お兄ちゃん、お弁当入れた?」

「大丈夫だ」


 少し遅れてドタドタと玄関にやってきた妹の(あかり)は、真新しい茶色のローファーを、靴ベラを使って丁寧に履いている。


「綾人のこと、よろしく頼むわね、灯」

「うん、任せといてよ、お母さん」


 今や、恒例となった挨拶だった。


 県立西ヶ丘高等学校、通称「西高」までは、電車で二駅。灯と一緒にぎゅうぎゅう詰めの車内を十分ほど我慢するのも、これから毎朝の恒例になるんだろう。


 駅を出ると、灯は、「うーん」なんて言いながら、背伸びをしていた。

 気持ちよく晴れ渡る空。夜半から早朝にかけての強い雨は、きれいに止んでいる。


「ねえねえ、お兄ちゃん、この黒っぽい花、なに?」


 しゃがみこんだ灯が、道沿いの花壇を指差している。紫がかった黒い花が、濡れそぼって朝日の下で輝いていた。


「ヒヤシンスだ。ダークディメンションという種だよ」

「すごい名前だね……こんなに綺麗なのに。……きゃっ」


 電線からの雨垂かな。灯がちょっと驚いたような声を上げた。

 それを気にした様子もなく、立ち上がって歩き出した灯は、今度は両手を組んで前に突き出すストレッチをしている。


「うーんっ、やっぱりきれいだねー」


 沿道の所々には、新学期にふさわしい満開のソメイヨシノ。でも、花びらがだいぶ風に舞うようにもなっているから、今年の見ごろも、せいぜいあと数日ってところかな?


 桜の木の下を嬉しそう歩いている灯を眺めていると、僕のほうもなんだか嬉しくなってくる。とてもいい朝、そんなことを思っていると、


「お、おはよう! あ、あの、真木君、だよね?」


 聞き覚えのある声だった。振り向くと、二人の女の子が並んで立っている。


「き、昨日は、ありがとうございました! 自己紹介、最初にやってくれて!」


林藤(りんどう) 一葉(かずは)」 そう名前が浮かんだ。昨日「ありがとう」の紙切れをくれた子だ。好きなものは、「テディベア」だったかな。

 今も深々と頭を下げている。大したことでもないのに、きっといい子なんだろうな。


「一葉、名前、名前。昨日の今日じゃさ」


 頭を下げっぱなしの一葉に、笑いながらそう声をかけた子は、「小波(さざなみ) 水月(みづき)」。好きなものは「フランク・ロイド・ライト」だったな。ライトは、二十世紀前半に活躍した、著名な建築家の名前だ。そういえば、二人とも出身は北中と言っていたから、以前からの友人なのかもしれない。


「そ、そっか、そうだよね。まだ覚えてくれてないよね……」


 真っ赤な顔で、水月と僕の顔を往復する視線。なんだか慌てているみたいだけど、どうしたんだろう?

 名前がどうこうということだけど、まさか僕が、一葉の名前を忘れていると思っているんだろうか?

 二人が話しているとおり、まだ昨日の今日だ。たかだかクラス全員の、名前と出身中学と好きなものくらい、忘れるわけがない。


「どういたしまして、一葉。そのアンダーリムのメガネ、とてもかわいいよ。それに、テディベアが好きなんて、一葉は女の子らしいんだな。丁寧にお礼をありがとう」


 笑顔で、相手の目を見て、堂々と。ツバサさんの教えをしっかりと守る僕。


「え、え、名前……それに、その、メガネ、かわいいって……テディベアも……?」

「あはっ、なにそれ。真木君て、そういうキャラなの? それとも一葉狙い? ねえ一葉、顔真っ赤だよ」


 隣の水月が笑っている。よく笑う子だ。細められた目のふちを彩るような、くっきりとした切れ長の二重に、長いまつ毛。ワンサイドアップにまとめた艶のある濃い黒髪に、朝の日差しが反射しているのが、さっきの花みたいで、とてもきれいだった。


「水月は笑顔が素敵だよ。きれいな髪だし、その髪型もよく似合ってる。ライトの建築は、俺もとても好きなんだ。グッゲンハイムや落水荘には、一度は行ってみたいよな」

「えっ、私の名前も? てか、私のも? ちょっと一葉、すっごいリア充だよ、この人」


 水月と一葉は、身を寄せ合って「どうしよう、かわいいって言われちゃったよ、私。まだ真木君のことよく知らないのに……」「一葉、落ち着いて。隣の子もかわいいし、いきなり二号さんなんて……」とかなんとか……。


「ちょいちょい、そこの綾人さんや……」


 今まで黙っていた灯が、僕の肩を人差し指でトントンと叩いた。耳元に顔を寄せてささやく。


 ――色々言いたいんだけどさ、とりあえず、いきなり呼び捨てって……

 ――だめなのか? ツバサさんの上級編によれば……

 ――そんなの知らないよ! 普通最初は『さん』付けなの!


 灯とささやき合っていると、相変わらず顔の赤い一葉がもじもじと、


「あっ、あっ、ごめんね、邪魔しちゃって。えっと……彼女さん?」


 うん? 「交際している女性」という意味ならもちろん違う……


「そういう意味で聞いてるんだよ、お兄ちゃん。黙ってないで、説明」


 今度はささやくのではなく、はっきりとした声だ。

 ……しかし妹よ、なんで僕の考えてることが分かるの?


「え、お兄ちゃん? 双子……じゃないよね? 似てないし……」


 なおも「あ、でも二卵性なら……?」などと、あごに手をあてて、僕ら二人の顔を見比べている一葉に、水月も続ける。


「あー、分かった。妹萌えってやつだ。彼女にお兄ちゃんって呼ばせてるんでしょ? リア充なのに、ナース萌え&妹萌えかぁ。真木君、ちょっと設定欲張り過ぎ?」


 ――え、水月、じゃあ私もお兄ちゃんて呼ぶのかな? ちょっと恥ずかしいよ……。練習してこなくちゃ……

 ――だから落ち着いて、一葉。この人、この分だと、あと何人妹がいるか分かんないし……


 うーん、なにか収集がつかなくなってきた。僕の妹は、後にはともかく先には灯だけだし、一葉にお兄ちゃんと呼んでもらうつもりも、今のところない。

 助けを求める気持ちで、灯に視線を向けると、「はぁー」とため息をついた灯は、「はい」と手を上げた。ありがとう、灯。


「どうぞ!」


 そう言って水月が、片手を灯の方に差し出す。


「私、真木(まき) (あかり)。お兄ちゃんとは、年子の兄妹ね。もちろん、流行の血がつながってない、とかってやつじゃなくて、本当の」


 ……ん? 血のつながってない兄妹が流行? 昨今の離婚率の上昇に伴い、異性の子を持つ親同士の再婚で、そういった事例が増えている、ということなのかな? あまり聞いたことのない視点だけど、そのような時事問題にも高い関心を寄せている妹に、これまでとは違った意味で感心する。

 妹の部屋で「若様は執事長様の〇〇〇〇」だとか、「蜜ハチ君と〇〇い愛様」(注:伏字はお兄ちゃんの気使いだよ)などといった薄い本を見つけた時は、なぜか妹の将来に不安を覚えたものだけど。


「へーっ、本当の兄妹なんだ。あんまり似てないね。あれ、ってことは、もしかして四月生まれと早生まれ、みたいなレアパターン?」

「ううん、それも違うの。お兄ちゃんは九月だし、私は十二月生まれ」

「え、それってさ……」


 一瞬、沈黙が場を支配する。


「あっ! たぶん、そうでもなくて。いや、ある意味じゃそうかもなんだけど……」


 この中で一番背の低い灯は、僕を見上げるように一瞥し、すぐに二人に視線を戻した。


「実はこのヒト、去年この学校に入学したんだけど、途中でちょっとした事故に遭っちゃって……」


 二人の少女の表情が、微妙に変化する。


「つい先月まで、入院してたの。だから、もう一度、一年生をやり直すことに……」



 そうなのだ。僕は昨年、昨日と同じようにこの学校で入学式を迎え、二学期の途中、具体的には十二月までの間、普通の高校生活を送っていたはずなのである――


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