第三十四話:雨降って地固まる前に雷が落ちた
昼を僅かに過ぎ陽光が頭上から注がれるがスラム街には世界樹の大きな陰に隠れた袋小路の様に薄暗い所も多かった。
「――おぉ、冒険者様。またお会い出来て嬉しい限りです」
ヴィル・アルマークがスラム街で違法アイテムの売り子からブーストポーションを受け取ってから二日後。
彼が待つそこに“誰か”はやって来た。
その“誰か”の印象は『違法アイテムの売り子』という以外はまるで残っていない。
性別も年齢も体格も忘れていた。
ただ、話していた内容だけ記憶として残っている状態。
その夢とも思える一時を、ポーションを渡された事実が現実として認識させてくれた。
恐らくは『相手に自身の印象を消失させる隠蔽系のスキル』の影響だろうが、今のヴィルには些細な事だった。
「さて……。この場所が分かった、という事は“お口には合いましたかね”?」
「――合う訳が無いだろう。泥水の方がまだ飲める」
ヴィルは不機嫌そうに吐き捨て、空いた瓶を足元に捨てた。
「瓶のラベルの裏に取引場所と値段を記すとは、また凝った事をする」
「はは。なにぶん用心深いものでして」
男はニヤリと笑い、
「では、幾つ程お求めで? 本日は五つ揃えていますよ」
ヴィルに商品を見せた。
「一つで良い」
肩に掛けた雑嚢から膨らんだ金袋を取り出して男に渡す。
「ポーション一つに『一〇万ユロル』とはかなり高額だな」
「ですが、効能の強いご禁制の中ではかなり良心的ですよ。以前は五〇を超える品も扱ってましたしね――はは、これは細かいお支払だ」
袋の中の大・中金貨と大銀貨の混在に男は苦笑した。
「すまないね。これでも搔き集めて来たんだ」
「いえいえ、金には違いありませんので」
「所で、このポーションを作ったのはどんな奴なんだ?」
「それは、お答え出来ませんよ。信用問題ですからねぇ」
大金貨は一万、中は五千。大銀貨が五百の価値がある。
その勘定をしながら話しかけられれば大抵の人物は狂う筈だが、この男は正確に仕分けていく。
「ただ私から言えるとすれば、『彼等』は『コレで稼ぐ気』がそもそも無い様なので、手に入るのは今の内だけですよ。なんでも試作品だそうで数に限るがあるとか」
「なるほど、それは興味深いな」
ヴィルはチラリと、男の手元を見て、
「それで、まだ終わらないのか?」
「あぁ、もう済みます――おや……?」
金貨でも銀貨でも無い、欠片を拾い上げて眉を顰めた。
直後、男の目の前で“目眩ましのジェム”が起動した。
「――せぁっ!」
同時にヴィルは腰の短剣を抜き、固有スキルで強化した剣術下位即撃スキル≪瞬刃閃≫を起こす。
ごく僅かな光のみの小規模爆発は通常、何の脅威でも無いがそれが文字通りの目と鼻の先でなら人の視界を潰す程度には十二分。
――その筈だった。
「……はっ――ははは!」
瞬き程の速度で振るわれた一撃を、男は肉厚な鉈の様な剣で防いで見せる。
「いやはや、速く鋭い剣だ。身構えていなければ危ない所でしたよ!」
「ぐっ……!?」
剣を弾かれ、続けて腹に蹴りを受けて押しやられた。
下位スキル発動後の僅かな硬直時に、魔力により強化された打撃に息が詰まり蹲る。
「貴方、あのポーションを飲んでませんね。大方、私を捕らえて“先日の敗北”の汚名を注ごうとしたのでしょうが、考えが甘い。まるで英雄を夢見る子供の様だ」
男は金袋の口を縛りながら薄ら笑った。
「たまに居るんですよ。貴方の様に、落ちぶれる間際につまらない正義感を思い出す冒険者がね……。素直にポーションを飲んでいれば少なくとも夢心地で逝けたものを」
ゆっくりとヴィルに近づいて、同情にも似た嘲りの視線で見下ろした。
「残念ですよ、貴方は良いお客になって貰えると思ったんですがねぇ!!」
そして鉈状の剣を振り下ろす。
肉厚の刃がヴィルの頭部を割るより早く、突如、オレンジ色の半透明の壁が展開して防いだ。
「防壁魔法――!?」
声を上げた男に続けて、
「≪ライトニングブラスト≫!」
「≪アイシクルランス≫!」
下位魔法の束ねられた稲妻と中位魔法の巨大な氷柱が放たれた。
「ヴィル!」
自身の名を呼ぶ良く知る二人の声の先。
「バリアンさん? それに……ミリンダ、ライラ――!?」
思わぬ来訪者に男は勿論、ヴィルも目を見張る。
「私の探索スキルを――たかが【ヒーラー】や【スペルキャスター】が抜けて来た? ……そんな馬鹿な事があるかっ!?」
男は二つの魔法を高速移動系のスキル≪速歩≫で退いて、回避するが形相を変えて叫んだ。
「だが、三人増えた所で――!」
ヴィルを確実に殺すべく高位の即撃系スキルの為に鉈剣に魔力を込める。
たとえ防壁魔法が張られていようと所詮は一面のみ。高位の移動系スキルと合わせれば死角から獲物の首を刎ね飛ばす事など容易だ。
だが、
「三人じゃねーんだわなっ!」
高速移動の為に姿勢を落とす、その男の背に目掛け身を隠していた木箱や樽を吹き飛ばしながら剣術中位スキル≪蒼波瞬迅牙≫でレオン・グレイシスが突進する。
「――な、にぃっ……!?」
【アサシン】特有の≪豪破遠影刺≫。
魔力で実体を得た自身の影を刃として武器に纏い長槍を超えるリーチと大斧以上の破壊力に延長強化を施す高位短剣術スキル。
それの発動を強引に終了し、レオンの蒼い斬撃を纏う突進技を剣術下位スキル≪瞬刃閃≫に切り替えて迎撃した。
「ぁ゛、ぐっ――【ガーディアン】風情が!?」
冒険者としての力量は男の方が上だが、中位スキルで下位スキルに立ち向かうには無理がある。
レオンの半端な長さの片手剣そのものは止められても、纏う炎の様な蒼い斬撃が男を襲った。
決定的なダメージとはいかないが、気勢を削ぐには十二分。
「呆けてる場合じゃないぞ! 合わせろ!」
「っ――!」
レオンはヴィルを促して、互いが剣に魔力を込めて剣術下位スキル≪咆衝閃≫を全くの同時に男へ叩き込む。
「おの、れ……!!」
反射的に、男はその上位互換である剣術中位スキル≪荒獅咆衝閃≫で下位スキル二撃分の威力を削ぐが相殺には至らない。
また、余波を受けて頬や四肢に浅い傷を負い、手に持っていた金袋の穴が空いて中身が足元に零れ落ちた。
チャリチャリと音が小さく響く。仕事を終えた後なら魅惑的な音色だが、今はその雑音がうっとおしくて投げ捨てた。
「貴様、いつからこの場に居たぁ!」
忌々し気に歯を食いしばり、レオンを睨む。
「いつからも何も、“夜明け前には木箱を置いて、隅っこで丸まってた”さ」
おかげで身体が強張って仕方がない、と短く笑う彼に男は一層、憤りを覚えた。
「なんなのだ、お前達は!? 私は【アサシン】だぞ! その探索スキルを潜り抜ける隠密スキルなど貴様ら如きが扱える訳が無い!!」
「――単純に、“おミャー以上の隠密スキル持ちが他に居る”とか思わないのが、残念なのニャー?」
咆える男に、この場の五人以外の女性の声が軽い口調で諫めた直後、彼は見えない巨人の手に捕まった様に身動きが取れなくなった。
「ぁ、がぁっ゛!?」
男の膝が折れ、倒れ伏せるとその陰からひょっこりと、猫の様な耳と尾を持つギルド職員の制服を着崩した彼女が顔を出した。
「ぐぅっ――次から次へと、これは――!」
「キャロルさん! これは、どういう事ですか!?」
拘束された男よりも食い気味に、ヴィルが彼女に問い詰めた。
「【トリックスター】であるミャーの隠密付与魔法がそれだけ優秀って事だニャ!」
「そういう事じゃありません! それに、どうしてレオンまで!」
叫ぶヴィルにキャロルは「細かけー事は気にするにゃよ」と、
「ヴィル坊の要望通りに“適した冒険者に協力要請を出した”結果だニャー。人選はギルド長なので、文句はあのオカマ野郎にお願いするニャ」
肩を竦ませた。
「だが、僕がお願いしたのは、“ミリンダとライラを巻き込まない”様にです。此処に二人が来たら意味が――!」
「ミャーは、あくまでレオン坊に話を通しただけニャ。そこに“たまたま”、そっちの魔法剣士が居て話を聞かれちまっただけなの二ャ!」
ニャハハ、なんて悪意一〇〇%の笑みを、薄い微笑に切り替えて、
「それに、文句というのなら彼女達にもあるみたいよ。パーティリーダーさん?」
「――――」
目を見開く彼に、
「そうよ、ヴィル。どうして何も言ってくれなかったの!」
「これからは、ちゃんと話し合うって約束だった」
ミリンダとライラが訴える。
「だけど、僕は……」
口籠る友にレオンは肩を竦ませた。
「それがお前の悪い癖だ。思い込んだら他が見えなくなる……。今度は、『何を置いても二人の安全』って所だろ? だからこの商人からポーションを受け取った後、色々考えた結果、自分を囮にするって、一人で決めた」
けどな、と。
「おかげで、二人は都市中探し回って、ミリンダは一人でスラム街まで来たんだからな。最悪、“ダンジョンで死ぬより酷い目”に遭う事もあったぞ」
「……――」
その光景が想像出来て、ヴィルは眉間にシワを寄せる。
クリス・ディムソーとハイザ・ウィスパーの様に、ミリンダとライラにも見限られたと思っていた。
それはそれで、単独で自由に動けると思っていたが、そう都合は良くなかったらしい。
だから言ったのニャー? とまた意地の悪い笑みを浮かべるキャロルにレオンは苦笑しつつ、
「それに、コイツ等は俺と違って、お前とちゃんと向き合おうとしてるんだ。だから、お前も応えてやれ。――言ったろ“俺が勝ったら一度止まれ”って。余計な事考えてる暇は無いだろよ?」
「……あぁ、そう――だね……」
ヴィルは、ミリンダとライラに困った様な疲れた笑みを見せた。
「すまない。また、二人には迷惑をかけたね……」
「まったくよ……!」
「――でも、別に良い!」
彼女達もようやく安心した様に笑みを浮かべた。
その三人の姿にレオンは大きく息を吐き、リゼッタも胸を撫で下ろす。
と、
「くは――ははは!」
男が倒れ伏せながら高笑った。
「お? 何かツボったニャー?」
「えぇ、とても愉快です。仲間の絆、実に素晴らしい。余りに幼稚で不確かな反吐が出る程に美しい光景だ。この様な茶番を見せられては御捻りを投げたくなりますよ!」
静かに怒り狂いながら、男は魔力を帯びながら藻掻くが身体に巻き付いた目視出来ない程に細い糸は千切れなかった。
「無駄ニャー。ソレはアラクネの魔石を錬成して作った鋼線ニャ。無理に動けば輪切り二ゃよ」
キャロルはヘラヘラと笑いながら、
「諦めて全部ゲロっちまうニャー? ねぇ、今どんな気持ち? カモろうとしたクソ雑魚冒険者に出し抜かれた今の【アサシン】はどんな気持ちぃ?」
酷い煽りをし出す。
……ともあれ、人や魔物を狂暴化させるポーションの流通経路を潰せ、その製造グループへの手がかりも得た。
まだスラム街を含めた都市内やダンジョンに出回っている分の回収や調査は残っているが、大きな成果だろう。
レオン達としても、一つのパーティが解散する事になった訳だが結果としては丸く納まったのかもしれない。
一件落着。
そう、一連の騒動を締めくくりたい所だったが、
「――オォオオォオォオオオオオオオオ!!!!!!」
迷宮都市の昼下がりに雷鳴の様な轟音が轟いた。
「おわぁっ!? 何ニャ!? ダンジョンから空気読まずに終焉を告げる者でも出て来たのかニャ!? アレってお伽噺じゃねぇのかニャ!!」
キャロルが頭部の耳を押さえつつ、世界樹を見上げる。
子供の頃、そんな終末思想を聞いた覚えがレオンにもあった。だが、世界樹には変わりはなく地下からそんな悍ましいモノが這い出てくる様な気配もない。
「いえ……寧ろ、迷宮都市の“外”から響く咆哮の様でしたが――」
リゼッタのそれを、
『――緊急! ギルドからの緊急通達! 現在、迷宮都市の“外”南東側の森林から突如、巨竜種のスカルドラゴンが出現! 都市に滞在している冒険者、ギルド職員は至急、討伐及び都市防衛へ! 繰り返す――!』
ギルドから使われなくなり久しい魔道具による公共放送が肯定した。




