第三十一話:ご禁制のお誘い
レオン・グレイシスとユニークウェポンの所有権を賭けた試合から三日後の昼。
ヴィル・アルマークは迷宮都市の市街をただ、あても無く巡っていた。
周囲の行き交う人込みの喧噪に混じる失笑や嘲りの声と、一部の意図的に外される視線。
――自ら元パーティメンバーに挑んで、負けた哀れなパーティリーダー。
冒険者としては屈辱的ではあるものの、今の彼には、さして気にする事では無かった。
「……――」
その試合から半日程して治療院で目覚めた彼には、友に対する憎悪も無ければ、何かに駆り立てられる様な焦燥感も無く、かといって全てを出しきった清々しさなどもない。
まぁ、分かっていた事ではある。
彼等の一般的な冒険者としての実力はBランクとSランク程に多少の奇跡では覆されない明確な差がある。
対多数や大型の魔物を相手にする場合は、多くの高位スキルを取得し、高い魔力を持つヴィルの方が圧倒的に有利だ。
ただ、お互いと対峙する時にはまた、話が変わって来る。
幼少期にはヴィル・アルマークが放つ剣術スキルをレオン・グレイシスの固有スキルで受ける組手を繰り返す事で、彼等は己の戦闘スタイルの基盤を作り上げて来た。
その中で、レオンは各系統のスキルに対する対応を独自に身に着けつつも、己の守りを抜ける様にとヴィルの弱点や改善点を指摘した事も多々ある。
技術面で見れば受け手側を担っていたレオンの方が常に一歩先を行っていた。
何より【インパクトアブソーバー】は相手の威力には影響を受けない。
ただタイミングさえ掴めれば、レオン本人を凌駕するスキルだとしても固有スキルを適応させる事は可能だ。
射られる矢そのものを目で追えなくても、射手の膂力、視線、動作、弓の質、矢の軌道などあらゆる条件を把握し、その一射を何百と目に焼き付けていれば“矢が自分に届くタイミングで剣で払う”事も不可能ではないのと同じ。
そもそもが、レオン・グレイシスとヴィル・アルマークでは相性が悪いのだ。
彼等の事情を知っている人物から見れば、あの決闘の結果は、『まぁ、そういう事もあるだろう』程度だろう。
――今の彼にあるのはただ友に負けた、という結果と、ミリンダ・ルクワードとライラ・リーイングが手を握っていてくれた事だけだった。
自然とヴィルは、力の抜けた表情と声で彼女達と話し合った。
自身と友が冒険者を志した理由と、思い描く英雄の姿。
些細な意地でパーティーメンバーを巻き込む程に空回りしていた事への謝罪。
そして、彼女達も突き進むヴィルに憧れと妄信を抱いていた事。
今までの自分達はパーティとは言えなかった事。
これからの『鋼の翼』はどうするべきか、どうしたいのか。
その答えは直ぐに出せる訳も無い。
それぞれが自分で答えを出せる様に、四日後の昼にもう一度、話し合う事にした。
――そして、それを丁度、翌日の今時分に控えた現在。
「…………」
ヴィルはまだ答えが出せないでいた。
恐らく、ミリンダとライラはパーティを脱退する事になるだろう、とは思う。
彼女達のパーティ加入は、道中に受けたクエストで居合わせた、巡り合わせからだった。
その際の共闘でヴィル・アルマークに共感と理想を抱き、付き合う形で今に至る。
ダンジョンで功績を残し、英雄と呼ばれる存在になる事はヴィルが志していた事。
彼女達本人には、命を危険に晒してまで英雄になる必要も、その気も無いのだ。
――それぞれの故郷に送り届ける程度なら今の所持金でもギリギリ間に合う。
何より“外”では紛いなりにもSランク冒険者だ。その程度なら持ち前の魔力で恵まれた高位スキルを振り回せば事足りる。
問題は自身の身の振り方だが――、
「よぉ、アンタ! ヴィル・アルマーク……だよな?」
不意に、ガラの悪い声に呼び止められた。
「『鋼の翼』のパーティリーダー様がこんな、“みすぼらしい場所”に何か用かい?」
振り向くと、街中というのに剣や槍を抜いた、品の無い笑いを浮かべた賊とも思える五人の男達。
ヴィルは怪訝に眉を顰めるが周囲の様子に、なるほど、と直ぐに納得した。
倒壊とはいかないが、外壁が崩れ、窓が割れ、屋根の一部が落ちた家屋が目立つ。
汚物や腐敗臭とまではいかないが、鼻につく異臭も風に乗って来る。
――スラム街。
“外”でもこういった場所はある。栄え、華やかな街である程に明確にそして押し付ける様に存在する世界の闇の一つ。
フラフラと歩き回る内に、紛れ込んでしまったらしい。
大きく息をついて、
「いや、考え事をしていてね。つい足が向いてしまっただけさ」
腰に提げた友と同じ大振りな短剣に手は掛けないが、意識を向けておく。
「ここは君達の縄張りかな。邪魔をしたのなら直ぐにお暇するよ」
「おいおい、折角来たんだ。もっとゆっくりしていけよ」
剣を担ぐ冒険者が薄ら笑う。
「この間の試合、楽しませて貰ったぜ。礼にあの【ガーディアン】をハメるってんなら協力するぞ」
ヴィルの眉間にシワを寄せたのも構わずに、
「なぁに、アンタのパーティに女が二人居るだろ? 俺達にちょっと貸してくれるだけで手を打ってやるからよ」
それで、仕返し出来れば安いものだろ? と。
「……生憎だが、そのつもりは無い」
ヴィルが彼等の横を通り過ぎようとすると、男が担いでいた剣を前に出されて止められる。
「待てよ。俺達は十二層まで到達した冒険者だ。先達者の言う事は聞いといた方が良いぜ?」
見下す様な彼等に、ぴくりとヴィルの眉が動いた。
冒険者のダンジョン到達階層はギルドは把握しているものの一般公開などはされていない。
だが、良くも悪くも有名な冒険者のそういう情報は漏れていくものだ。
十階層も真面に攻略出来ないパーティ。そのメンバーにも勝てないリーダー。
……完全に下に見られているのが分かった。
「君達は冒険者だったのか。てっきり、賊かと思ったよ」
「ほぉ……舐めた口をきいてくれるなぁ」
男達の額に青筋が浮かんだ。
各々が血走った目で、武器を構える。
「――そんなに死にてぇかよ!!」
ヴィルは、溜息をつきつつ、剣を抜いた。
◇
「――くそっ、痛てぇ……! なんだよ、ザコなんじゃねぇのかよぉ!」
「僕はそう強い方じゃないさ。ただ、君達ほ
ど弱くも無いというだけだよ」
五人の冒険者との戦闘は五分と掛からなかった。
ヴィルは血のついていない剣を、血を振るい落とす様に素振り鞘に納める。
固有スキル【リミットブレイク】での強化も必要も無かった。
まぁ、相手は仮にもダンジョンを十二階層まで降りた冒険者。辺境で群がる賊と比べると能力は大きく上回り、一撃には侮れない鋭さもあった。
恐らく“外”ではAランク相当の冒険者だったのだろうと思う。
十二階層到達というのも、この人数がちゃんとしたパーティとして機能していたのなら不可能ではないだろうとも思う。
――それも、その腕前が錆び付いていなければ、の話だが。
凡そ、ダンジョン攻略を続ける中で限界を悟り、ゴロツキに落ちぶれたのだろう。
「……」
こういう連中はこの迷宮都市では珍しくも無いのだろう。
自分も同じ末路を辿る可能性もあると思うと、恐ろしくもある。
「今はゆっくり考えたい事があってね、僕はもう行くよ。――邪魔をしたね」
あり得るかもしれない未来に一瞥を向け、その場を後にする間際。
「――いやぁ、流石はSランク冒険者様だ。そこらのチンピラでは相手にもなりませんなぁ」
突然の自分の“直ぐ後ろから”の声にヴィルは、背に刃を突き付けられた様な感覚に襲われた。
「――っ!?」
冒険者として、ではなくもっとも原始的な本能で前へ転がるのも構わずに、何かから離れる。
「おやおや、驚かせてしまいましたかねぇ」
その愛想笑いに寒気が増した。
黒いローブのフードから覗く顔は浅黒く、右の目元から頬までに大きな傷痕。
がたいの良い三十代前半の男だった。
革製の胸から胴を覆う鎧、籠手、脛当てにつま先にスパイクの付いたブーツ。
腰のベルト以外にも腕や脚に無数のポーチやケースをつけていた。
明確な武装は、腰に幅の広い肉厚な鞘の短剣が一振り。
「お前は……――」
ヴィルの経験からこの手の輩のクラスは、身軽な動きによる回避と多くの手数で敵を翻弄し、罠の設置や解除にも精通する【シーフ】系統なのだと断言できる。
その中でも、男に染みついている“死の臭い”で対人戦に特化し、様々な手段で命を奪う【アサシン】である事も察しがついた。
だが、
「お前は、何だ?」
精工な人物画を見ている様な、目の前に居るのに“対峙している”とは思えない、どうしようもない違和感。
「そう警戒しなくとも。まぁ、確かに私は、“ろくでもないクラス”ですからねぇー。胡散臭いのはご容赦して頂きたいものですが――」
作られた穏やかな笑みで、男は腰のポーチから小さな小瓶を取り出した。
「何だ、と問われれば、こう答えましょう。私はハンス・オルソイス。金を稼ぐ方法に拘りは無いタチでして、今はとある依頼主様のご依頼で、商品を売るお手伝いをしているんですよ」
ははは、と軽く笑いながら小瓶を揺らし、黒に近い青紫色の液体が僅かに波立った。
「商品……?」
ポーションの類だろうが、一般的な回復水薬でないのは色味で分かる。
そして、このろくでもないクラスの胡散臭く現実味の無い男が売り子をするソレが真っ当な訳が無い。
そんな輩が扱う品は相場が決まっている。
「――ご禁制のブーストポーション、か」
「おぉ、流石はSランク冒険者様だ、察しが良い!」
男の……ハンスの笑みにヴィルは眉を顰めた。
『ブーストポーション』。
服用者の魔力を生成する器官でもあり生命の象徴でもある心臓に作用し、その生産効率を向上させる補助アイテムの類。
一般に出回る既成品はギルドが生産と管理を行い、効果を弱め服用時の副作用を抑えている。本来は爆発的な強化作用は無く、“窮地を脱する為の切り札”としては些か物足りない物。
だが、ポーション類の調合やジェム類の錬成に精通するクラス【クラフター】や【アルケミスト】が己のスキルで安全性を度外視し魔力生成の向上率だけを求めた非合法のブーストポーションが出回る事も“外”でもままある事だ。
大きな都市でも闇市で奴隷と共に出回る事もある。
様々な冒険者が集う迷宮都市では、より効果が高く危険な代物だろう。
「えぇ、お察しの通りコイツは違法アイテム。飲めば自身の生成限界を優に超える程の莫大な魔力を短時間で生成し続ける事が出来き、それに伴い恒常的に貯蔵魔力量を増加させる事が可能です。――まぁ、“堪えられれば”の話ですがねぇ?」
その意味を察して眉を顰めたヴィルに「劇的な効果には当然、代償があるもので」と肩を竦ませ、
「魔力適正の低い方が飲んだのなら、魔力生成に耐えらずに心臓が破裂してしまうんですよ。よしんば、心臓が持ったとしてもその増大した魔力を蓄積する肉体が崩壊する事もありますし、制御を行う頭が焼き切れ廃人となるか、はたまた理性無き狂人となる事が殆どでしょうな」
「そんな欠陥品をよく売っているな」
ヴィルは半歩下がりつつ腰も剣の柄に手を置いた。
目の前の男には、敵意が無い筈だ。
だが、先ほどからの違和感は消えない。
声色、表情、仕草。相手の思考、動作を予測する材料ではあるが、その一切が汲み取れないのだ。
故に判断する。
生活感のある街中では半端な異臭よりも、完全な無臭の方が反って悪目立ちする様に。
――この男は、危険だと。
「いやぁ、確かに。売り子をしている身で言えたものでは無いのですが、私も飲みたいとは思いません。ですが、Sランク冒険者……その中でも本当の実力者ならその負荷にも耐えられる事が出来る事でしょう。そう例えば、貴方の様な」
「何が言いたい」
ハンスはニヤリと笑う。
「コレが必要ではないですか? 貴方は『大きな力』を欲している様に、私には見えますがね」
「――――」
見透かす様な視線。
事実、今のヴィル・アルマークがレオン・グレイシスに勝るには、“何かが足りない”。
現状のスキルでは全て固有スキルで潰される。レオンの知らないスキルならば意表を突く事も出来るが、【ブレイダー】として多くのスキルを会得した今、新たなスキルの発現は現実的では無い。
ヴィルが考え得る奇策は同様にレオンも考えつく。
純粋な斬り合いに至っては実際の所、大差は無い。
それらを覆し、友を凌駕するには確かに『大きな力』が必要だろう。
それこそ、違法なアイテムに頼るのが最も早く確実だ。
「まぁ、そう身構えずに、まずは――」
視線は外していない。意識も途切れてはいない。
ただ、瞬きのほんの僅かな暗転で男は“ヴィルの背後に移動していた”。
「――お近づきの印に、お一つどうぞ」
再び、背後を取られた。
一度目は無警戒だったと言い訳も出来るが、“コレ”は動きの起りも終わりも見えなかった。
移動系の高位スキル、だとは思う。【アサシン】というのなら、完全無音、無動作による高速移動も可能だろうか……?
驚愕と疑問が脳裏を巡るが小瓶を握らされて、思考そのものが止まる。
「もしも、お気に召す様なら二日後、この場所でお会いしましょう。大通りではギルドの目もありますので、私は顔を出せないのです」
息を飲むヴィルにハンスは満足そうに口元を歪ませた。
「――では、後日。お会い出来るのを楽しみにしておりますよ」
その言葉に振り返ると、既に男の姿は無かった。
「……――」
手の内の黒に近い青紫のブーストポーションは禍々しく思えるが、コレを飲むだけで少なくとも巨大な魔力を得る事が出来るという。
パリィをする事で効果を発揮する固有スキルの打開策も幾つかあるが、やはりパリィを許さぬ程の鋭さと速度を叩き出し、上から押し潰す力技が最も分かり易いのも事実。
「―――――」
炉である心臓も、器である身体も、制御器官である脳も耐えられる自信は――ある。
後は口にするか否か、だ。