第十九話:英雄一閃
本来、下層域に出現する筈の魔物が上層に現れる異常事態。
ソレが今、レオン・グレイシス達の前で起こっていた。
「――――」
冒険者として培ってきた経験故か、それと生物としての本能か、誰もが命の危険を感じて岩陰に身を顰める。
巻き上がる砂煙の中から紅い双眸を妖しく光らせながらソレは姿を現した。
――オーガ。
大まかな外見は筋肉質の大人の男性。
だが、その肌は赤黒く、黒い髪は無造作に伸び顔を隠していたが口は大きく裂けて牙が獣の様だった。
左腕は通常種よりも肥大し、爪も鋭く伸びている。
そして、右には独特な片手直剣が握られていた。
過度な装飾など無く、柄も鍔も刀身も、その刃すらも全てが黒く鈍く光るソレは魔力を帯びていた。
ダンジョンが生み出した怪物がダンジョンが造った武器を携えているイレギュラー中のイレギュラー。
――見つかっては駄目だ。戦って良い相手じゃない。
一様に息を殺す中、リゼッタ・バリアンはレオンの袖を引き、自分の提げる雑嚢を指さした。
その中には大きめなスタンやスリープのジェムなど行動阻害や目くらましなどに使えるアイテムがある。
「……」
彼女の意図を察してレオンは首を横に振る。
確かにその手もあるが、こちらの存在に気付かれていない今は得策ではない。
虚をつくと同時に居場所を晒す事になる。
レオンがクリスに視線を投げると彼女は頷き、手を下げて抑える仕草を見せた。
今は堪えて、オーガが離れるのを待つ。
――――。
数秒が何時間にも感じられ、自分の喉が鳴る音でも気づかれるのでは、とレオンは胆が冷える。
不意に、ギルドで聞いた話を思い出す。
ダンジョンの魔物は習性として地上を目指している。その傾向は下層域の魔物程、顕著に出る。
その為に下層へ行ける冒険者達は日々、攻略という名の防衛を行っているのだ。
そして、年に一度のダンジョンの再構築の際、異常事態で上層に紛れ込んだ魔物はその階層の壁や床などに埋まり休眠状態になる。
その異物が目覚めた時、地上への侵略が始まるのだ。
それが、ダンジョンの生み出した武器を手にしたのなら、その戦闘力や行動は人智を超える。
打倒すべき人類の敵。
だが、それは勇者の仕事、英雄の責務だ。
一介の、ほんの数日前にダンジョン攻略を始めた冒険者が担うべき役割じゃない。
自分達の役割というのなら、無事にこの窮地を切り抜けて地上に戻りギルドに報告する事だ。
「ゥォ……――」
短いオーガの唸りに心臓が止まる思いだったが、その怪物は踵を返し元来たエリアに戻っていく。
――うまく凌げた、か。
「……っ――」
安堵したと同時に、レオンの脳裏には地上の街並みや住まう人々が過る。
もしこれが地上に出れば、どれ程の被害が出るか――。
その最悪な状況を思ったのか、リゼッタはレオンの手を強く握る。
――大丈夫だ。
口だけを動かし、レオンは彼女の手を握り返して汗が伝うのを感じながら笑みを浮かべた。
……――“やはり”と言うべきか。
レオンやリゼッタが同じ事を思い、危惧するのなら当然、傭兵であるクリス・ディムソーやハイザ・ウィスパーは勿論の事。顔を青ざめさせるミリンダ・ルクワードとライラ・リーイングも同様だ。
そして、ヴィル・アルマークも同じ事を考えた。
――日常が怪物に蹂躙させる。
――多くの人が、死ぬ。
そんな可能性を、“世界が求める英雄”を志す青年が見逃せる訳がない。
剣を強く握り直す、小さな音がした。
まさか、とレオンが思った瞬間、
「――《飛刃烈斬》!!」
岩陰から飛び出したヴィルが放出系剣術中位スキルを放った。
地面を巨大な斬撃が奔り、オーガの背に直撃する。
ホブゴブリン程度なら容易に両断するソレをオーガは手にする黒い剣を背中に担ぐ様にして防いだ。
振り返るオーガに、
「――奴をこのまま放置なんて出来ない! 皆、此処で止めるぞ!」
ヴィルは剣を向けた。
「ミリンダ、ライラ、クリスさんは魔法で援護を! ハイザは僕と前衛だ!」
パーティリーダーの指示に、
「……?――――――!?」
隠れる事に集中し、逃げる機会に安堵した彼等に反応など出来る訳が無かった。
その致命的な食い違いをヴィルが理解するより早く、
「どうした、皆――」
「オ゛ォオオオオオオオ!!!!」
オーガが咆え、彼に突進する。
「クっ、ソがぁっ!!」
レオンが強引にその間に割って入り、振り下ろされる黒い剣をバスタードソードで受けた。
ギリギリで、リゼッタの武具の耐久値を底上げする《ヘビィソリッド》を受けて刀身そのものは耐えたが鈍い衝突音が響き、重い衝撃が突き抜ける。
強引に、
「――ぁ゛! っ、らぁ゛!!」
バスタードソードに魔力を込めて、剣術中位の重撃スキル《竜牙斬翔》で斬り上げて弾く。
お互いに大きく仰け反った。
「やれ、ヴィル!」
「っ――《咆衝閃》!」
促され、ヴィルは眉間にシワを寄せながら突きと同時に衝撃波を放つ剣術下位スキルでオーガを吹き飛ばした。
直後にリゼッタが雑嚢からスタンとスリープジェムを取り出し投げる。
「ライラ、風だ!」
「な、なに……風――?」
レオンの指示に彼女は頭が追い付かないが、
「遅い! 見れば分かるでしょ、私がやるわ!」
代わりにクリスがオーガの足元に転がったジェムが砕けるのと同時に下位魔法で竜巻を起こして閉じ込める。
行動阻害効果のある煙が風に乗り、オーガを包んだ。
大抵の中型系の魔物であれば完全に動きを封じるだけの効果はあるが、自力で竜巻から離脱する。
「ゥゥウ……!?」
手にする黒い剣や肥大化した左腕が重い様に僅かに屈んだ。
その位の隙が出来れば期待以上。
「あ、アンタ、馬鹿じゃないの!? 何で撃ってんの! 私達を殺す気!?」
「アレを放置するには危険だ、“僕達”はソレを止める為に冒険者になったんだ!!」
矢を番えながら叫ぶクリスにヴィルは当然の様に答えた。
「――な、何言って……!?」
彼の言葉に戸惑った。
それはミリンダやライラも同じだった。
「今はやるしかないだろ! 死にたくないなら覚悟を決めろ!」
姿勢を落とし肩まで持ち上げたバスタードソードの剣先をオーガに向けて狙いを定め、片手を刀身に添えて魔力を込める。
その刀身が黄色く光りながら蒼い斬撃を炎の様に纏う。
剣術スキル発動の予兆にリゼッタは《シャープエッジ》と《クイックネス》を続けてレオンに託した。
「皆さんも追撃の準備を! たとえ倒せなくても逃げるだけの時間は稼げる筈です!」
その指示にそれぞれが戸惑いながらも構える。
「はぁっ――!!」
それを背で感じながら、レオンは地面を蹴り強化された脚力で矢の様に早くオーガに跳ぶ。
その突進の勢いを乗せた踏み込みと身体の捻り、腕の打ち出しが加わった蒼い斬撃を纏った刺突を叩き込む。
突進系剣術中位スキル《蒼波瞬迅牙》。
「っ゛……!!」
無防備な赤黒い腹部に直撃するが剣先が少し刺さる程度だった。硬い岩を突いた様な衝撃に腕が痺れる。
――素肌すらも上質な防具。だとしても、
「せやぁっ!!」
中位スキルの中でも使い込んだソレは反動による硬直は軽減している。
そのまま続けて、左に回転しながら剣を振るい自分を中心に円状の斬撃を放つ範囲系剣術下位スキル《円旋衝》を横腹に打ち付け、逆回転でもう一度繰り返す派生スキル《追転牙》。
息が詰まるのを感じる。腕に負担がかかるのが分かる。
だから何だと、
「ぉ――おおぉっ!!!!」
横薙ぎを振り切り、更に刀身に魔力を込めて、勢い良く放出しつつ地面を抉る様に下から斬り上げる《竜牙斬翔》。
初撃の突きの傷を広げる様に同じヵ所に重ねて打ち込むが、真面なダメージにはなっていないだろう。
……この際だと、レオンは腹を括る。
「――――!!!!」
強引なスキルの起動に思考が手足の痛みや苦しさで埋め尽くされた。
それでも、生れた間を《瞬甲晶盾》をぶつけて埋め、《竜爪斬墜》の溜めを無視して振り下ろす。
剣での振り下ろしに僅かに遅れて放たれる四つの斬撃。
計五連の剣術スキル――無理を通した力技に普通のオーガ相手なら十分殺し切れる筈だろうが生憎と今、対峙するのは真面じゃない。
精々が幾分の体力を削り、大きく仰け反らせて隙を作る程度。
――上等だろう?
内心、自分を誉めてやり、
「ハイザ!!」
彼が短槍を腰だめに魔力を込めて前に出る。
彼との入れ替わり様、
「《百華槍嵐舞》!!」
緑色のオーラを纏う槍の一突きから無数の刺突が繰り出された。
槍術上位多段スキルにより、魔力で編まれた刃の嵐がオーガを飲み込む。
二人が後退した直後、
「《乱雨轟覇》!」
背後から一矢が抜けて、オーガに着弾する直前に大量な矢の雨となる。
クリスの上位多段弓スキル。
その触媒となった矢に仕込まれた種が彼女の固有スキル【ネイチャーウェポン】により芽吹き、蔦が絡みついた。
「《アクアニードル》!」
「《フリージングブレス》!」
ミリンダの下位水魔法による無数の水のトゲによる水分を、ライラの中位氷魔法で凍り付かせて動きを更に阻害させる。
それでも完全に身動きを封じる事は出来ないが、
「“刃の冴えよ――研ぎ澄ませ”《シャープエッジ》。“内なる膂力よ――拳を握れ”《ハイパワー》。“その身は軽く、風の如く――駆けよ”《クイックネス》。“神が与えしその御業、僅かながらの力添えを――汝に希望を”《スキルエクステンド》」
リゼッタの補助魔法をヴィルに“重ねがけ”するには十二分。
武器の性能と本人の膂力と俊敏性。そして、微力ながらのスキル性能の向上。
個人に強化魔法を重ねる事は可能だが、他人の魔力による強引な底上げは対象にも負担が多い。
その点から普段は不要な強化魔法の乱用を控えてきたが、切り込んだ責任はとってもらうと彼女も信条を曲げた。
「――【リミットブレイク】……!!」
ヴィルは自身に受けた強化を感じながら姿勢を落とし、構える長剣の刀身が赤く強い光を放つ。
「これが、僕の……僕達の力――!」
そのままオーガへ走り、彼の最大の奥義である剣術上位重多段スキル《竜牙滅爪連斬》を放つ。
「うぉおおおっ!!!!」
一撃が中位重撃スキルの威力を持つ八連撃が氷を砕き、強固な赤黒い肌を抉っていく。
そして三十二の斬撃の追撃がオーガを襲う。
「ガァ!?――ア゛ァアアアッ!!」
その超火力にオーガが大きく吹き飛んだ。
盾にした肥大化した左腕が弾け飛び、肉片や血を撒き散らしながら地面を転がる。
致命傷、だろう。
――このまま、行けるか?
「いや、無理だ……っ」
レオンは即断する。
オーガは地面を転がる勢いを黒い剣を地面に刺して殺し、堪えて見せた。
ボコボコと傷口から泡の様に肉が盛り上がり始める。
本来のオーガも高い治癒能力を備えているのだ。殺し切るにはまだ足りない。
追撃を仕掛けるにも些か遠い。
「このっ!」
クリスの射かけた矢も黒い剣で弾かれた。
「――化物め!」
忌々しそうにハイザは唸る。
「もう十分だ、逃げるぞ――!」
消耗の激しいヴィルに駆け寄りレオンは強引に肩を貸す。
「逃げる、だって……? 何を馬鹿な――“僕達”は……」
「“それ”に皆を巻き込むな、兎に角、今は――」
「うるさいっ!」
駄々を捏ねる子供の様に、ヴィルはレオンを突き放した。
たたらを踏むレオンは視線の端でオーガが最低限の自己治癒を終えて立ち上がったのを見た。
「おまっ――! っ!?」
地面を踏み抜く音と振動を感じた直後、オーガが二人に肉薄した。