戦場のような朝から
瞬くと、口を半開きにして三男が寝息を立てていた。
徐々に音量が上がる目覚ましを止め、時刻を確認する。
朝、六時。
カーテン越しに差す柔らかい朝日が布団を剥いでしまった息子の背中を温めてくれていたようだ。
そっと布団をかけ直して涎を垂らす口を閉めてみる。
が、間も無くそれは開いてしまう。
うつ伏せで頬を押し付けて寝ているから開きやすいのだ。
愛らしい寝顔を尻目にそっと寝室のドアを閉めると、同時に朝の戦争の火蓋が切って落とされた。
洗濯機を回し始め、朝食の用意に取り掛かり、並行して小学生の長男次男と二歳になった三男の保育園の準備を整えていく。
あっという間に時刻は七時を回る。
もう起こさなければ。
今日着る洋服を準備しつつ、まだ起きる気配のない息子たちの様子を確かめる。
夫はベッドで布団に包まり岩のよう。
長男と次男は上手い具合にスペースを見つけて一枚の布団を共有している。
三男の口は半開きのまま、涎が頬を伝っていた。
ふっくらとした頬は気色ばんで赤々としている。
小さな怪獣みたいに暴れまわる子供も、眠ってしまえばただの天使でしかない。
まだそう思えることに、一瞬、安堵する自分がいた。
最近、仕事が忙しく、眠る時間が遅くなってしまう。
昨日だって長男次男が号泣する喧嘩の仲裁に時間が取られ、なかなか布団に入れなかった。
上は年子だからか仲が良い反面、ちょっとした事ですぐに言い争いが起こってしまう。
それで済むならまだしも、だいたい無鉄砲な次男が寡黙な長男に手を出して収集がつかなくなるのだ。
喚く三男をあやしながら上の二人を窘めるのは容易なことではない。
就寝時間の直前に帰ってくる夫は我関せずで、悠々と缶ビールを開けたりする。
仲裁をお願いしても任せているからと他人事だし、喧嘩が収まらないと怒り出して私たちを寝室に押しやる始末。
三男と添い寝する頃には心身共に疲れ果て、まだ枕の位置も定まらないうちに自分の方が早く睡魔に襲われてしまう。
そんな毎日が続いていた。
「朝よ」
短く告げると、勢いよくカーテンを開けていく。
そうでもしないと自分の気持ちが萎えてしまいそうで。
私は半ば自棄になり、家中のカーテンを開けて回った。
長男と次男は蓑虫のように動き始め、夫はボリボリと頭を掻き始まる。
三男は目を瞑ったまま、伸びをする。
毎日のそれぞれの癖を見ながら、忙しなく洗濯物を干していく。
「もう時間です」
最近、時間に追われている気がしてならない。
毎日の決められたスケジュールをこなすだけで精一杯だ。
天気は良いのに、空気は清々しいのに。
どうしてこんなに追われているんだろう。
どこか行き詰った心持になっている自分に、ふと呆然とする。
何とも言えない暗い気持ちになった、その時だった。
「おい」
もそもそと起きて三男におはようのキスをした夫は、その顔を覗き込んだまま声を上げた。
なんだか様子がおかしい。
長男と次男もその声に、そうっと一番下の顔を覗き込む。
「お母さん、見て」
次男が大声を上げて笑う。
そんな長男も笑いを堪え、夫は夫でニヤニヤしてこちらを見てきた。
「なによ」
釈然としない気持ちで小さな息子を覗き込む。
するとそこには、起き抜けで寝ぼけているにも関わらずなぜだかニヤニヤしている顔があった。
「こいつ、なんで起きた瞬間に笑ってんの?」
次男は思ったことを思ったまますぐに口にする。
「いや、まだ半分寝てるだろ」
冷静に状況を見る長男も訝しがりながらニヒルに笑った。
「おーい。朝だよ。おはよ」
夫は呑気に、でも底抜けに優しい声で語りかける。
三男はみんなに見守られ、ようやく目を開ける。
目を開けても何やらニヤニヤは止まらない。
「どうして笑ってるの?」
なんだかうれしくなって、気づいたらそう訊いていた。
寝起きで腫れぼったい目をさらに細めて、三男はついに笑いだす。
「どうしたんだって」
長男は笑いながら、可愛さ余ってその頬にキスをする。
「起きる前から笑ってたんだよ?」
次男も頬に手を当て笑う。
「何かあったのかな?」
ひとしきりみんなで笑った後、なおもニヤニヤが止まらない三男を抱き上げて夫が訊いた。
「みんな、笑ってた」
そう言って一番小さな息子は嬉しそうに身をよじって見せた。
私たちは一瞬、思考し、それぞれ顔を見合わせる。
「もしかして、夢見てたの?」
訊いても、夢がなんなのかわからない二歳児は、でも幸福そうに笑うのだった。
「夢で、みんな笑ってたんだって」
面白がって次男は、聞こえているのに全員に改めてそう伝える。
長男は興奮して、夢というものを三男に力説しだす。
夫はどっしりと座り、体を預けるわが子を受け止めている。
「みんな笑ってるじゃん」
最近、覚えたての言葉でそう言われ、いつの間にか笑っていた自分に気づいた。
夢じゃなくても笑ってるじゃん。
「そだね」
笑いながら、私は愛おしい息子の頭を撫でた。
ありがとう
君が笑わせてくれたんだよ
心でそう呟きながら、戦場のような朝に力が湧く自分がいた。