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佐倉春花⑥

 あたしは、口先だけのクズだった。


『あたしはしない、ゲノム編集なんて。彼の治療のためなら、……人の死なんていくらでも願うし、その対価を失う覚悟もある』


 ……あの日あたしは、姉さんに対して自信満々にそう言い放ったのに……。全然、そんな覚悟なんて出来ていなかったし、悪魔にもなりきれていなかった。


『今、彼の中で動いているのは……。私の心臓なのだ』


 あたしの家に届いた、姉さんからの手紙。それを読んで、全身から血の気が引いた。なんだよ……それ……。なんだよそれ!!


 いくら何でも、姉さんの心臓がショウへ移植されてしまうなんて、そんなこと想定できるわけがない!! 覚悟できるわけがない!! だって姉さんとは、ついこの間普通に会話したばかりなんだから!


 自分が如何に利己的で傲慢なことを言っていたのか、ようやく気づかされる。大切な人が死ぬというのはこんなに苦しいのに、どうしてあたしは、堂々と「人の死を願える」なんて言えたんだ!?


 ……あらゆる負の情念に、その身が押しつぶされてゆくのを感じた。そして、最後まで手紙を読んだあたしは……。


 その場で、気絶した。


 その後のことはよく覚えていない。病院へショウを迎えに行くはずだったのに、それどころじゃなくなってしまって……。正気に戻ったとき、あたしはショウの腕の中にいた。


「ごめん、ショウ……。今日は、時間通りに行くつもりだったんだ」

「気にしないで。こんな手紙を読んで、取り乱さないほうがおかしい」

「……あたしは、愚かな人間だった。自分のことしか考えてなくて、自分の感情に素直に従って来たくせに、ナニも受け入れられてない」

「……人なんて、みんなそんなもんだ」


 そう言いながら、あたしを抱きしめるショウ。


「……気休めにしか、ならないかもしれないけど。ハルカが悪魔にならなくても、祈らなくても、お姉さんはレノに始末されていたんだと思う。だから、無意味に自分を責めちゃダメだ」


 ……違う、あたしはそんなレスポンスを求めていたんじゃない。……思いっきり頬をひっぱたいて欲しかったんだ。甘ったれたことを言ってるんじゃねぇって、怒鳴りつけて欲しかったんだ。


「姉さんに言われた。……あたしとショウが子供を作ったら、二人に一人は心筋症になるって」


 そんな優しすぎるショウに、あたしは残酷な事実を伝えた。どんな結果になろうとも、ショウとの子供を受け入れる。……あの時はそう言ったのに、今はもう、そんな言葉は出てこなかった。


 結局、自分の我が儘を突き通したかっただけだったんだ。「あたしは何でも受け入れられるから」と言っておけば、背中を押してくれると思った。……ただの、その場しのぎの台詞だったということ。


「……別れよっか、あたしたち……」


 小さく呟くと、ショウは静かに頷いた。……引き止められることは、なかった。あたしは、声を上げて泣きまくった。ショウは無言であたしの頭をなでてくれて、でもそれが、逆に辛い気持ちを増長させた。


「……僕たちは親子だ。お互いが生まれたときから、ずっと繋がっている。恋人にはなれないけど、それ以上の絆が在るってこと。だから、悲しまなくていい」


 それが、ショウの答えだった。その後あたし達は、お互いに恋人を作ればいいという結論で落ち着いて……。28歳になった頃、あたしにもショウにも、意中の相手が見つかった。


 あたし達は、親子というよりも兄妹のように近況を報告し合い、時には相談に乗り、慰め合い、……二人同時にゴールインした。30歳の春だった。結婚式は、同じ会場で二人同時に挙げた。


 そして、今年31歳になったあたしは、第一子となる健康な男の子をこの世に誕生させた。……もちろん、ゲノム編集なんて施してない。だから、あたしの「心筋デスモソーム欠失遺伝子」を引き継いでいる。旦那の遺伝子が……打ち消してくれているはずだけどね。


 もし、近い将来にゲノム編集技術が完全確立されて、一般に普及するようなことになれば……。最悪、親が子の寿命を決めることすら、できてしまうかもしれない。予め親に人生を計算された子供は、一体この世界に何を思うのだろう。


 この世は、「どんな人間が産まれてくるかわからない」からこそ、成り立っている。そして、それによって不利益を被る人間がいるからこそ、幸せな人間もいる。……この関係は光と陰であって、平和だけの、幸せだけの世界なんて最初から望めない。……レノと関わったことで、あたしはそのことに気づいた。


 ゲノム編集は、大切な人との愛の結晶を破壊するだけでなく、そんなこの世界の秩序をも破綻させてしまう。いかなる理由があろうとも、「受精卵」に対するゲノム編集は絶対に認めるべきじゃない。少なくともあたしは、そう思う。


 ……だからあたしは、小説を書いた。ゲノム編集を受けて産まれたデザイナーベイビーが、想定外の遺伝子発現によって徐々に怪物へと変わってゆき……。消えて行く良心と自分の運命に翻弄されながら、大切な人を次々と手にかけてゆく……。そんな残酷な小説を。


 科学者というのは、どんな警告を出しても、どんな批判をしても、いずれは技術を完成させてしまう。だから、彼らに向けて警告を発することには、なんの意味もない。それよりは、無知な一般大衆を洗脳した方がよっぽどいいと思った。技術が完成しても、大衆がその技術に恐怖し戦いて、誰も使おうとしなければいいのだから。


 そんなある日。某出版社の方が、この小説のことを詳しく聞きたいと、取材に来ることになった。……あまりに出来すぎたその話に、「レノに嗅ぎつけられたかな?」と、勘ぐってしまうあたし。


 やや警戒しつつも、あたしは取材の申し入れを受けた。どんな人が、何を聞きに来るのか……。そこに興味があったから。


 約束の時間になり、インターホンが鳴る。深呼吸をしてから、ゆっくり玄関へ向かって歩いた。……レノのことを意識したのは、本当に久しぶりだ。緊張しながらも玄関の扉を開けると、そこには一人の女性が立っていた。手には白い杖を持ち、サングラスをかけている。


「こんにちは」


 ……その女性を見て、あたしは、言葉を失った。

どういうことなのか分からなくて、頭の中がパニックになる。


 だって、その声……その顔は……。


 ――どう考えても、姉さんに違いなかったからだ。


「ごめんなさい、私……目が見えないので。そこに誰かいらっしゃるんですよね? 声を出してくれるとうれ……」

「姉さんなの!?」


 あたしは、大きめの声で言った。


「はる……か……?」


 ……彼女の顔をその目で捉えたまま、崩れるようにその場へしゃがみ込むあたし。目の前にいるのは、間違いなく姉さん。七年前……ショウへ心臓を提供して死んだはずの……。


「どう……して……? なん……で……?」

「驚かせちゃった……かな?」

「生きて……生きてたんだったら、どうして今まで……!? あたしの……あたしの苦しみも知らないで、一方的にあんなことしてっ……!!」


 自分の中に渦巻く感情が、喜びなのか苦しみなのか悲しみなのか怒りなのか、自分でも判断できない。酷く錯乱して、どんな表情をしているのかさえ分からなかった。


「……レノにね、……騙されちゃった」


 姉は続けた。あたしの知っている彼女とは違う、人間臭い口調で。


「春花の恋人に移植された心臓はね、私の心臓じゃないの。レノは、貴重な実験体である私を、そう簡単には殺せなかったみたい」

「じゃあ、ショウに移植されたのって……」

「彼に移植されたのは、一人目の私が産んだ息子の心臓だった」


 うそ、一人目の姉さんにも……子供がいたの!? だって彼女は、日本に戻ってから自害したんじゃ……。


「実は、ルシワナの研究室で実験をしていた時に、一人目の私は……その研究室の人と、子供を作っていたらしいんだ。当然、それもレノの実験だった。ゲノム編集を施された人間も、子孫を残せるのかどうか……。もちろん、対照実験体も準備された。それが……」

「……まさか、ショウ……?」


 姉さんは、ゆっくりと頷いた。そんな馬鹿な……。


「一人目の私を孕ませたその人は、留学生として日本へ渡り……相澤悠奈と結ばれて、その……ショウって子を産ませた。ショウもまた、レノの実験のために生み出された存在だったの」

「それで、一人目の姉さんの子供は、どうなったっていうの?」


 そう、どっちにしたって、ショウのために誰かが殺されたという事実はかわらない。それが姉さんじゃなかったというだけの話だ。


「普通に暮らしていたらしいよ。彼はたまたま欠失遺伝子がホモにならなかったから、心筋症にはならずにすんで……。でも、ゲノム編集の影響は避けられなかった。彼もやっぱり20代で脳機能障害を起こして、そのまま植物状態になってしまったみたい」

「で、その彼の心臓が……ショウに移植された……」

「……そういうこと。ルシワナには、植物状態の人間を尊厳死させる法律があるからね。私の心臓を取り出すよりも、ハードルは低かったみたい。私だって、こんな結果になるなんて想像もしてなかった」

「も……もぉ、結局死んでる人がいるんだから、喜んでいいのかどうかわからないよっ……!!」


 ……今になって、ボロボロと涙がこぼれ落ちてくる。


「……でも、不思議に思わなかった? HLAが一致したっていう話。私とショウって子のHLAが一致するなんて、あり得ないでしょ」

「……そんなの知らないしっ!!」

「よく考えて? HLAにはゲノム編集が入ってないから、私のHLAは春花と同じなんだよ? HLAの遺伝子は両親から半分ずつ受け取るハズなのに、春花と息子の関係にあるショウが、どうして春花と同じHLAになるの? 父親のHLAはどこ行った?」

「あぅ……」

「その点、兄弟なら25%っていう比較的高い確率で同じHLAになる。一人目の私の息子とショウは、いわば兄弟の関係。だからHLAが一致したの。理系なら、そこに気づいて欲しかったな」

「……気付くわけないじゃん、そんなのっ!!」


 あたしは耐えきれなくなって、姉さんに抱きついた。ふわりと香る姉さんの匂いは、あたしの思い出の中にある香りと同じだった。


「……だけど姉さんは、脳機能が破綻して死ぬ運命にあったはずでしょ? ……それに、その目は……?」

「この目ね、自棄になって自分で潰しちゃった。……皮肉にも、そのお陰で脳の構造破綻が進まなくなったんだ。視覚って、脳に与える負担がかなり大きいから、そこをシャットアウトしたことで、症状の進行が抑えられたみたい。……これには私も驚いたよ」


 ……それよりあたしは、自分で目を潰したことに驚きを隠せない。


「で、その間に『ゲノム編集で導入した遺伝子を、ウイルスを使った逆ゲノム編集で取り除く』研究を完成させた。一か八か、私はできたてほやほやのその技術を自分に試してみたんだ。そしたら、導入された遺伝子の効果は95%以上除去された。……同時に私は、人並み外れた知能指数も手放して……今はたぶん、春花よりバカだと思う」


 ふふふ……と、自然な笑みをこぼす姉さん。……だから、こんなにも口調が変わってるんだ。表情も自然になって、若干ロボットみたいだった雰囲気もなくなった。


「去年日本に戻ってきて、この出版社に就職したんだ。レノも、もう私には興味ないみたい。で、春花の小説を見つけて、今に至るわけ」

「なんで出版社なんかに就職したの……?」

「それは、春花と同じ。今までの話を世の中に広めるのに、『どう考えても嘘っぽいことを本当と言い張る』よりも、『嘘と割り切って創作物として広める』ほうが、浸透率が高いと思ったから。レノなんて、普通に話しても誰も信じないしね。だから、春花の小説を是非出版したいんだ。色々……話を聞かせてくれないかな?」


 なんだよ、結局……姉妹して同じ事考えてるんじゃん。ゲノム編集の影響が消えた今、姉さんとあたしは双子みたいなものだもんね。


「わかった、協力するよ。……でもその前に。話そう、色んなことをたくさん。本当に、色々あったんだからね、今まで……」


 姉さんは「もちろん!」というと、満面の笑みをたたえてくれた。

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