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佐倉奏多⑥

「……私が苦しんでいるのは、分けの分からない遺伝を無理やり導入されたせいだ。『遺伝子治療法』としてのゲノム編集は、表社会で正常に培われてきた技術。私に施されたものとは根本的に違う」


 ……近親婚の弊害を打ち消すためには、ゲノム編集で原因遺伝子を取り除くしかない。私は、春花がゲノム編集を嫌悪していると知っておきながら、そう提案した。妹は、「だけどっ……!!」と首を振る。


「聞いてくれ春花。病気が治せるのなら、どんな手段だって行使しようとするだろう? 最初は多くの人が反発した臓器移植だって、今は普通に行われている。それと同じだと思わないか?」

「思わない!! 産まれる前に変えちゃったら、子供の真の姿を一度も見れないってことになるんだよ!?」


 春花は、立ち上がりそうな勢いでそう言い放った。


「……成長したら絶対に心臓病になると分かっている部分を、事前に治しておくだけでもか? さっき、彼はドナーを待っていると言ったな? それは、誰かの死を望むことに他ならないんだぞ? 他人の死を祈り続ける自分に、罪悪感はないのか……?」


 罪悪感を抱いていないわけがない。春花は、彼が死ぬかもしれないという恐怖と、誰かの死を望む自分の両方に翻弄されている。


「春花、冷静になれ。今、ゲノム編集の技術は着々と進んでいる。体外受精させた卵子にゲノム編集を施して、遺伝子病を予め消してしまうことは可能なんだ。代わりに誰かが死ぬようなこともないし、安全性だって十分に認められてきている。だから……」

「安全かどうかじゃなくて!!」


 私は春花に、大声で話を遮られてしまった。


「ゲノム編集した子には、あたしも彼も持ってない遺伝子が入ってることになるんだよ!? それをあたしたちの子と呼べるの!?」

「落ち着け春花。私が言いたいのは……」


 ……だめだ、感情に支配されるな、春花。そう目で訴えるも、彼女の心には届かない。


「彼の子供を産みたい、だから結婚するのに!! 産まれる前に遺伝子を書き換えるって……なんなのソレ!? バカじゃないの!?」

「春花の言い分も分かるが、打てる対策を打たずに子供が障害を持った場合、一番苦しむのは子供だ。厳しく言えば、今の話はお前の自己満足に過ぎない。子は、親を選べないんだぞ?」

「姉さんは、何も分かってない……!! それに、子が心臓病になるかどうかなんて、産まれてみなきゃ分からないことでしょ!? そもそも、遺伝子を検査してどんな子が産まれてくるのかを予測するって行為自体が、おかしいんだよ!!」


 言い返そうとして、諦めた。確かに、春花の意見にも一理ある。


「……子は、自分と彼との愛の結晶なんだよ!! 彼の愛を受け止めるってことは、産まれてくる子の全てを受け止めるってこと。それができないなら、そんな彼のことなんか愛すなって話じゃん……」


 私は、妹を甘く見ていたようだ……。春花がこの技術を避けていたのは、「ゲノム編集は危険で恐い」……という単純な理由ではなかった。


「心臓移植とゲノム編集は全然違う。……人が死ぬのを願うのも、その子を誕生させたあたし達の責任の一つ。愛っていうのは、そのくらい重いんだ。だからあたしは、悪魔にだってなれる……」


 悪魔……か。もし本当に、悪魔になりきることができるのなら……


「あたしはしない、ゲノム編集なんて。彼の治療のためなら、……人の死なんていくらでも願うし、その対価を失う覚悟もある」


 ……私が今考えている作戦を実行しても、春花は耐えられるということだろう。


「……わかった。私は、春花の意見に反論はない。春花が心からそう思うのなら、春花はそれを貫け。……絶対に、最後まで貫くんだぞ」

「……ごめんね」

「謝る必要はない。そうだ、もし彼の心臓移植が決まったら、ここに連絡を入れてくれないか? 受信専用だから返信はできないが……」


 そして私は、メモ用紙に書いたとあるメールアドレスを、春花に渡した。目的は二つある。春花を安心させること、それから……。


「泣くな春花。必ずまたいつか会える。信じろ」


 私は最後にそう言って、春花を見送った。……それは、嘘だが嘘ではない言葉。そして翌日の朝、春花は日本へと戻ったのだった。


 ――私は、この時点で知っていたのだ。レノが「見かけ上法に触れない」ように、私を始末する準備を進めていることを。……それを差し置いても、そもそもの私の寿命が、すぐそこまで差し迫ってきているということを……。今から少し、研究結果を説明しよう。


 既に私は、知能に直接関わる遺伝子群を突き止めていた。組み込まれた遺伝子の内の7種類が、もともと持っていたミトコンドリアDNAと協奏して、神経細胞の増加や結合の強化を促していたのだ。


 だが同時に、その仕組みは諸刃の剣でもあった。


 強引に向上させた知能は、人から「必要ない記憶や、忘れたい記憶を消す」という機能まで奪ってしまう。そして、キャンバスに消え残った鉛筆の跡のように、中途半端なニューロンネットワークは脳内に残留し続け、徐々に、しかし確実に、脳への負担を増加させてゆく。


 その構造は長い年月をかけて脳の秩序を破壊してゆき、最後には脳としての機能を崩壊させてしまう。私の脳もこの状態になりつつあり、様々な精神障害が現れ始めていた。


 つまり、この遺伝子を組み込んで無理矢理知能を上げた人間は、必然的に寿命が短くなってしまうということ。知能の進化には、長い年月が必要なのだ。故に、ゲノム編集を使って、高知能で弊害のない人間を産み出すことはできない。以上が、私の出した結論である。


 これで、このくだらない研究が今後も継続されることはないだろう。あとは、脳機能が破綻して精神が崩壊し、私が私で無くなる前に、この存在を消してもらうだけだ。


 ……春花と再会するまで、私はそう考えていた。


 今も、根本的な部分は変わらない。春花のもとへ戻る方法があるのだとしても、いつ、どんな発作的症状を引き起こすか分からない今の私は、危険すぎる。春花に危害を加える可能性だってあるのだ。


 ……しかし裏を返せば、問題があるのは「脳」だけ。先に述べた遺伝子が発現しているのも、主として脳。その他は全くの健康体である。


 私の死後、脳はレノに回収されるだろう。だが、調べる価値もないそれ以外の臓器は、無駄に廃棄されるだけだ。……だったら。


 私の心臓を、春花の恋人へ移植すればいい。


 問題は、どうやってレノにそれをやらせるか、だ。もちろん私は死ぬのだから、心臓移植が実施されたのかどうかを知ることはできないし、指示も出せない。だから、レノが心臓移植をやらざるを得ない状況を、強引に作り出す必要がある。


 そこで私は、研究データを人質にとることにした。全てのデータを暗号化したのだ。これで、レノは相当焦るに違いない。


 必要な準備を整えてから、私はテスナーのもとへ向かった。今、私を完全管理しているレノのメンバーは彼だ。糸口はここになる。


「……テスナー教授、朗報だ。……遺伝子機能の解明が完了した」

「……そうか、ご苦労だったな。後でゆっくり話を聞こう」


 そう答える彼の机へ、私は自分の頭のCT画像をばらまいた。


「時間がないんだ。脳の構造の破綻が始まっている。止める方法もない。早いところ、私を始末してくれないか?」

「……始末? どういう意味だ?」

「殺せということだ。最後に私の脳を分解して、この実験は本当の終了を迎える。レノのその計画に、私が気づいていないとでも?」


 複雑な表情をして黙り込むテスナー。レノは私を殺すことを前提としている……。まずこの事実をハッキリとさせた上で、私は続けた。


「別に私は、この体にも人生にも未練はない。……だが、タダで体を提供するのは気が引ける。私だって苦労したんだ、報酬が欲しい」

「報酬……とは?」

「私の心臓を移植することだ。私の妹……春花の恋人に」


 テスナーは、目を丸くして黙り込んだ。


「それが出来なければ、研究データは全部無に帰すことになる」

「……どういうことだ?」

「全データを暗号化した。今や私にしかデータの閲覧はできない」

「ナニ……?」

「ちなみに、解除キーは私の頭の中にある。移植の話が無事にまとまったら、キーをUSBにデータ出力して、春花に送るつもりだ」


 ……実はもう、キーは私の実家に送ってある。この話をしてからだと、レノに回収される恐れがあったからだ。春花の現住所を聞きそびれたのは失敗だったが、何とかなるだろう。ちなみに、春花に教えたのはフリーのメールアドレス。ウチの実家からも閲覧できる。


 事前に、母へ手紙を書いておいたんだ。春花からメールが来るかも知れないから、毎日確認してくれと。もしメールが来たら、それには返信せずに、この小包を宛名無しで春花のアパートへ送ってくれと。


 私にはレノの検閲がかかっていて、電子メールや国際電話、手紙すらも、とにかく外部への送信は一切許されていない。私が無断で電子メールを送信すれば、サーバ上で削除されてしまう。


しかしフリーメールなら、パスワードを入力することで内容の確認が可能だ。つまり私も、春花の「移植決定報告」を知ることができる。そして、無事にUSBを受け取ったら、それも連絡するよう同梱した手紙に書いておいた。これで、USBの行方も把握可能だ。


 春花の元へUSBが渡ったら、私の勝ちだ。恐らく、私の思惑通りにことは進むだろう。途中でUSBを奪われたら、ゲームオーバー。なお、手紙や小包は、レノに所属していない研究室の後輩を使って送らせた。


「心臓移植が無事に終ったらUSBをレノに渡すよう、春花には伝えておく。……万が一にも移植を反故されたら困るからな」


 テスナーは、眉間にしわを寄せながら腕を組んで、首を横に振った。


「しかし、君の心臓を取り出したら後戻りはできない。もしそのキーを我々が手に出来なければ、実験はやり直しだ。お前の妹も消されるんだぞ。……そもそも我々は、まだ君を殺そうとしていない」

「私の脳は治療不可能だ。あんた達が殺さなかったところで、もういくらも生きられない。黙って私の要求を飲め」


 急がなければ、私が死んでしまう。そうなれば全てが水の泡だ。


「君の提案だが……難しすぎる。日本の法律に触れないように、レノのメンバーを総動員して綿密に計画する必要がある。あらゆる手段を駆使して、日本の医療体制を操らなければならないんだぞ?」

「でも、不可能じゃないだろう。日本の医師会にだって、臓器移植ネットワークにだって、レノはいるはずだ」

「確かに存在はするが、ほんの数%だ」

「その数%が、世界を管理しているんじゃないのか? だいたい、こんな私を作り出せるくらいなら、違法な心臓移植を合法化するくらい、造作もないはずだ」


 しばらく不毛とも言える議論は続いたが、私は粘った。そして……


「……分かった。次の会議で取り上げることにする」


 一時間以上に渡る説得の末、テスナーはついに折れ……。私の要望は、レノに承諾された。日本駐在のレノが臓器移植ネットワークを上手く操り、心臓移植の手配を済ませたらしい。春花から、「ドナーが見つかった」という連絡が入ったので、間違いないだろう。


 心臓移植が決定してから実施されるまでに一週間ほど間が開いてしまうという、不自然な事態にはなってしまったが……。果たして春花は、不自然だと気づいただろうか。


 USBを無事に受け取ったというメールを確認し、私は11年ぶりに日本へ帰国することになった。……死ぬために。故郷で死ねるんだ、喜ばなければ。……そう言い聞かせたが、心は騙せなかった。


 ……本当は、死にたくなんてない。私だって、感情のある人間なのだ。……そんな私の心は、多分簡単にブレーキがかかってしまう。だから私は、引き返せないようにするために……両手の親指で、自分の目を潰した。これでもう、春花の顔だって見ることはできない。


 そのまま私は病院へ搬送され、手術台に乗せられた。かちゃかちゃと聞こえる医療器具の音が、私の恐怖を膨らませてゆく。……死刑囚というのは、こんな気持ちなのだろうか……。


 ……すまない春花。……だけど、私は生きている。お前の恋人の中に、ずっと。そしてお前を見守り続ける。だから悲しむな……。


「……麻酔をかけるそうだ。最後に言い残したいことは?」

「……私のデスクに、春花宛の手紙が入っている。彼が退院する頃、春花へ送ってくれ。……必ずだ」


 これで最後。私はバラバラに解体され、世界平和の生贄としてこの世の表舞台から消えてゆく。研究の過程で私が殺してきた実験動物と同じように。


 さようなら、春花……。私の大好きな春花……。あなたと過ごした日々は、とても楽しかった。あの日々があったからこそ、私は産まれてきたことを後悔しなくて済んだのだ。あり……が……


 こうして私は、二度と覚めることのない深い眠りに……ついたのだった。

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