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山崎昇平⑥

 ふっと目を開けると、全てが終わっていた。ぼやけた視界に入る天井、様々な機械の音、そして胸の中で強く打つ心臓の鼓動……。今にも止まりそうだった僕の心臓とは、明らかに違う。


 ……誰か、別の人の心臓が僕の中に入ったのだと、実感した。


 その後、僕の体調は日を追うごとに良くなっていった。手術後の4日目には、移植病棟の個室に移動。何もかもが順調だった。


 ……だけど僕は、その全てが腑に落ちなかった。


 まず、HLAが完全に一致しているという点。……こんなこと、絶対にあり得ない。心臓移植に比べれば圧倒的にドナーの数が多い骨髄でさえ、HLAがぴったり適合することは希なのだ。


 だから、心臓移植でHLAを調べることはない。件の話は、僕に優先して心臓移植をするための「言い訳」にしか聞こえなかった。入院して2ヶ月で心臓移植なんて、どう考えても早すぎる。世の中には、移植が間に合わなくて死んでゆく人々が大勢いるというのに。


 ……本当にこの心臓は、僕に移植されるべきものだったのか?


 術後、そんなことを悶々と問い続ける僕。心臓移植の順番を変えるなんて、普通はそんなことできない。……普通は。だけどもしそれが可能で、意図的に早く僕へ心臓が移植されたのだとすると。それができるのは……


「……ハルカのお姉さんってさ……。レノ……なんだよね?」


 ……レノしかいない。


 衛生的な純白のシーツと掛け布団、自動で角度を変えられるベッド、点滴バックのかかったスタンド、適度に日が差す窓……。そんな移植病棟の個室で、ベッドの隣に椅子を置いて座るハルカへ向かって、僕は問いかけた。


 その問いかけを受けたハルカは、目を丸くして固まる。


「……いや、変なこと聞いてごめん。ハルカのお姉さんは、研究を片付けるために仕方なくレノへ入ったのは知ってる。……だけど、どうしても納得できないんだ。……早く僕の移植が済むように、ハルカが……お姉さんに頼み込んだってことないよね?」


 僕は、半分冗談で聞いたつもりだった。……それなのにハルカは、明らかに動揺した反応を示した。目を合せてくれないし、額には汗をかいているし、……唇は動いているけど何も言葉を返してくれない。


「……頼んだ……の?」


 恐る恐る僕が尋ねると、ハルカは両手をバッと前に突き出して、首をぶんぶん横に振った。


「チガウ、そんなお願いなんか……してない!! してないって!! それは本当!! ……だけど、姉さんには会った。会って、ショウが病気だってことを伝えた……」

「お姉さんと会った!? どこでどうやって!?」

「だからその、心臓移植をお願いしたんじゃないよ!? たまたまなんだよ!! ショウが出るはずだった国際学会に代理で行ってきたら、たまたまそこに……姉さんがいた」


 ハルカの声のトーンが、徐々に下がってゆく。


「……本当は、思い出話とか、今までにあったこととか、そんな話をしたかったのにさ。……喧嘩しちゃって。姉さんに怒鳴り散らしちゃったんだあたし……。もしかしたら姉さん、それを気にして……」


 どうやら、僕が寝込んでいる間に色々な事があったらしい。……結果的にお姉さんが何か根回しして、この移植が実現していたのだとしても。……そのことについて、誰も責められない僕がいた。


「……ショウの予想通り、この移植は姉さんが企てたのかもしれない。……なんかさ、変なのが届いたんだ、姉さんから」


 複雑な気持ちで目を伏せる僕の前に、ハルカは一台のノートパソコンを置いた。画面には、ごちゃごちゃと数字やアルファベットが羅列している。……もちろん、意味なんてさっぱりわからない。


「ナニ、これ」

「やっぱりショウにも分からないか……。はい、一緒に入ってた手紙」


 ハルカから、四つ折りにされた便せんを受け取る。僕が読んでしまっていいものなのかと抱いた疑問は、読み始めると同時に吹き飛んだ。……その内容は、非常に事務的なものだったからだ。


「……これ、命よりも大切なデータなの? しかも、僕の心臓移植が終了するまで誰にも渡すな……って、どういうことだろう。……結局、誰かこれを受け取りに来たの?」

「……別に誰も来てないけど、昨日姉さんからこんなメールが届いた」


 カチカチっとマウスをクリックして、内容を表示するハルカ。


『奏多です。移植は無事成功したそうですね。おめでとう。ついては、先日送付したUSBに記録されているデータを添付して、返信して下さい。よろしくお願いします』


 ……なんとなく違和感のある内容。先ほどの手紙とは、文章の雰囲気が違う。ハルカもそこが気になっていたらしく、「本当に姉さんなのかな?」……と疑っていた。


「そもそも姉さんは、『受信専用のメール』って言ってたんだよね。だから、姉さんからメールが届くこと自体が変なんだよ」

「う~ん……。僕も、この相手はお姉さんじゃないと思う。だけど、手紙には『彼が元気になったら、渋らずにほしがる人へどんどん渡せ』って書いてあるから、別に添付して送ってもいいんじゃない?」

「そうなのかなぁ? じゃあ送ってみる?」

「うん、送ってみよう。……むしろ、送らないとダメな気がする」


 ハルカはイマイチ納得できないような表情をしながらも、エンターキーを叩き、メールを送信した


「……お姉さんには、連絡取れるの?」

「なんか微妙。とれてるのかとれてないのか……。だけど、そろそろ日本に帰るって、そう言ってたから。……その時聞けばいいかな」

「そっか。……ところで、ハルカのお姉さんって……どんな人?」


 ……ハルカのお姉さんという存在は、僕にとっては伝説みたいなものだ。とりあえず、写真で見る限りハルカとよく似ていた。


「えー? 一言で言うと、変わった人……だね。あと、普段はあんまり笑わないかな? レノに改造されてるから、頭はスゴクいい。話すだけで性格とか思考とか、全部分析されちゃうから気をつけて」

「うわ、なんか怖い……」

「可愛いところもあるよ? ギャップ萌えっていうか……。雷が苦手で、両手でがっちりあたしの手を握りしめないと外歩けなかったりね。アメフクラガエルっていうカエルを、頬を赤らめながら延々と眺め続けてたり。『私はこのカエルがスゴク可愛いと思うのだが、どうして可愛いのかが分からない』って真顔で言うからね」


 あたしは、そんな姉さんのほうが可愛いと思う……と、ハルカは付け加えた。ちょっと怖いけど、いいお姉さんなんだろうな。


 色々気に掛かることはありつつも、僕とハルカの何気なくて幸せな日常は、さらさらと流れていった。体も順調に回復していって、心臓移植から一ヶ月ほどで退院することになった。


 退院当日は、ハルカが車で迎えに来てくれることになっていた。荷物をまとめてロビーまで移動し、彼女を待つことにする。


 ……結局僕たちは、恋人という関係をだらだらと続けていた。いい加減現実を見なきゃダメなのに、僕は動き出せなかった。数知れない悲しみの上に在る僕の命が、これ以上の苦しみを拒絶していたんだ。


 ……それにしても。


 ハルカが、来ない。彼女はいつも時間を守らないけど、今回は遅すぎる。スマホに連絡を入れても一向に出ないし、僕はだんだん心配になってきた。まさか、事故にでもあったんじゃ……。


 いても立ってもいられなくなり、タクシーで彼女のアパートへ向かった。今度は彼女が心臓移植のドナーになる番だ……なんてことになっていたら、洒落にならない。


「ハルカっ……!! どうかしたのか!?」


 彼女の部屋のドアを叩きながら、叫んだ。……返事がない。ノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。恐る恐るノブをひねり、ドアを開ける僕。中を覗くと、綺麗に片付いた部屋の片隅に……


 ハルカが……倒れていた。


 僕は青ざめて、慌てて彼女の元へ駆け寄った。


「ハルカ!? どうしたハルカっ!! 大丈夫か!?」


 肩をつかんで声をかけると、ハルカはうっすらと目を開けた。ほっと安心するのもつかの間、彼女は……


「あ……あぁ……うぁ……いやぁ……いヤだぁ……いやぁぁぁああァぁァァぁだぁぁぁあぁああァァ!!」


 聞いたこともないような絶叫をあげながら、激しく泣き始めた。意味が分からず、混乱する僕。


「どうしたんだよ!? ナニがあった!? 泣いてちゃわからない!!」

「ね……ねぇ……っく、あぁぁあ……」


 嗚咽を漏らしながら指さす先には、一通の手紙……。僕はそれを取り上げ、中身を開いた。……差出人は、姉、奏多さんだった。


『春花へ。元気に過ごしているだろうか? この前は、立派に成長して綺麗になった春花と会うことができて、本当に嬉しかった』


 そんな言葉で始まった、ごく普通の手紙。僕は先へと読み進めた。


『その後、例の恋人はどうだ? 恐らく、順調に回復していることだろう。いいドナーに巡り会えて良かったと、そう感謝しているか?』


 例の恋人というのは、僕のことで間違いない。……やはりというか、奏多さんはこの件に一枚かんでいたということだ。


『あの日、お前は私に言った。ゲノム編集などやるべきではないと。愛するわが子を受け入れるべきだと。そのためなら、悪魔にだってなれるのだと。その言葉通り、春花は悪魔になりきれただろうか』


 悪魔って、どういうことだろう? 何かの隠語か、それとも……


『……万が一悪魔になりきれていないのであれば、ここから先は絶対に読んではいけない。この手紙は廃棄し、なかったことにしろ』


 ……ここで、手紙の一枚目が終った。……悪魔というのはもしかして、僕のために誰かの死を祈るハルカのことじゃないだろうか。そう思うのは、以前にハルカが呟いていたからだ。「ショウのためなら、悪魔のごとくあたしは人の死を願う」と。


 誰が死んでも受け入れられるのなら、この先を読め。……僕にはそう解釈できた。ともすれば、ドナーになったのはハルカの大切な誰かということで……。……待て、そんなことがあっていいのか? 


 いや、だけど……。僕は意を決して、手紙を一枚捲る。


 ……そして、息を呑んだ。自分の胸に当てた手が、震えた。


『今、彼の中で動いているのは……。私の心臓なのだ』


 ――なんだよ、それ。冗談だろ?


 ……つまり、僕の代わりに……奏多さんが死んだ……? そういうことになるのか? いや、生きている人間から心臓を取り出すなんて、さすがにあり得ないだろ……!!


『春花、すまなかった。私は、大嘘を吐いたのだ。日本に帰るなど不可能だと分かっておきながら、帰れると言った』


 その便せんは、……歪んでいた。一度濡れた紙を……乾かしたかのように。……胸が苦しい。これを書きながら泣いていたんだ、彼女は。


『私の脳は、ゲノム編集の影響で構造が破綻し、治癒が不可能な状態になっていた。……どのみち、長くは生きられない体だったということだ。こんな体が人の命を救えるのなら、使わない理由はない』


 なにが悲しくて、そんなこと……。奏多さんは、自分を人間だと思っていないのだろうか。僕が死んでも奏多さんが死んでも、その死は等価だ。だから、命が尽きるまで生きるべきだったんじゃないのか。


『大切な人が生き延びることの喜びと、そのために誰かが死ぬということの苦しみを、春花は今、同じ立場で感じているはずだ。春花は、喜びと苦しみの、どちらを強く感じているだろうか。強く感じている方が、お前の本当の気持ちであり、本当の心だ。……その心に従って、お前の進むべき道を選べ。これが、私からの最後のアドバイスだ』


 ……そして、手紙の最後はこう締めくくられていた。


『春花、私の妹として産まれてきてくれて有り難う。私をお姉ちゃんと呼んでくれてありがとう。私を尊敬してくれてありがとう。私はいつまでも、お前を愛している。奏多より』

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