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佐倉奏多⑤

「近々私の昔の知り合いが見学に来るんだが……。その連れの学生は、どうも君の対照実験体らしい。どうする? 会うか?」


 ある日、現在私を管理しているテスナー教授に、そう尋ねられた。もちろん、それが春花だということはすぐにわかったが、にわかには信じられなかった。


 どうも彼らは、ルシワナで開催されている生化学系の国際学会のついでに、ここへ寄ることにしたらしい。つまり、春花が理系大学へ進学したことは間違いなく、恐らくは修士課程に在籍している。


 私の知っている春花は、算数と理科が大の苦手だ。とても理系なんてガラじゃない。きっと、相当無理したんじゃないかと思う。私は申し訳ない気持ちで一杯になった。春花には好きな人生を歩んで欲しかったのに、私のせいで……。


 しかし、春花と再会できることになったのは、彼女が理系の道を歩んでくれていたからだ。……そういう意味では、彼女の努力は実を結んだということ。さすがというか、私がいなくなるという逆境にもめげず、本当によく頑張った。私の見込んだとおり、あの子は強い。


 春花との再会を明日に控えた前夜、私は心が舞い上がって全く寝付けなかった。今の春花がどんな姿になっているのか、楽しみで仕方ない。春花も春花で、ここに私がいるということを知らないはずだ。急に私が出てきたら、きっと驚くだろうな。


 そして当日。私はテスナー教授に頼んで、見学に来るという二人を出迎えることにした。……春花はもう、この敷地内に来ている。そう思うだけで、私の鼓動は高鳴った。果たして、私を見て私だと気づいてくれるだろうか。……一抹の不安も抱きつつ、大学の正門へ向かう。


 そこに、二人の人影が見えた。一人はテスナー教授と同年代くらいの、メガネをかけたおじさん。そしてその隣にいるのは……


「やぁ、初めまして。テスナー先生のところの……学生さんですか?」

「いや。テスナー教授の共同研究者だ。今のところ准教授だが……」

「あ、それは失礼……!! どうにも若く見えたもので……」


 流暢な英語で彼に話しかけられたので、私も英語で対応する。彼の隣で縮こまっている彼女を横目で気にしながら、名刺の交換を行う私。……本当は今すぐ、今すぐに私は……


「……そちらの彼女は、先生の学生か?」


 もどかしくなって、ついに私は、日本語で彼に尋ねてしまった。


「あ、ええ。いや、日本語も話せたんですか。これはこれは……」

「……少し彼女と話をさせて欲しい。……研究室への道順をご存知であれば、すまないが先に向かってもらっていいだろうか」

「えぇ、それでは仰るとおりに……」


 不思議そうな顔で私を一瞥してから、建物の中へと消えていく彼。それはそうだろう、彼は私たちの事情など何も知らないのだ。


「……ふぅ。これで邪魔者はいなくなったな。……春花」


 11年ぶりに再会した春花は、綺麗になっていた。……見間違えるほどに。整った顔立ちはより凛々しく、そして女性らしくなり、幼さは消えている。背も少し伸びたようだ。スタイルもずいぶん大人らしくなった。もう……24歳だものな。中学生のまま止っていた時の歯車が、目の前の春花の姿を見た瞬間に、音を立てて動き出した。


「……姉さん……なの? ホントに……奏多……姉さん……?」

「……そうだ。私は、佐倉奏多だ。よく……ここまで来たな、春花」

「生きて……たんだ……。よか……」


 次の瞬間には、春花に思い切り……抱きつかれていた。


「良かったっ……!! あたしは……もう……姉さんはレノに殺されたかもしれないって……!! もう……会えないかもしれないって……!! よかったぁっ……!! 会いたかった!! 今までずっと……!!」

「だから、私は生きてると……言っただろう? いつか会えると……、言っただろう?」

「姉さんっ!! 姉さん姉さん姉さん姉さぁんっ!! よかったよぉ!!」

「……もう泣くな。綺麗な顔が……台無しだ」


 ……しばらくして、春花が落ち着きを取り戻してきた頃。積もる話をするために、行きつけの喫茶店へ二人で入った。


「まさかあの春花が、理系の道を歩んでいたとは……。私のためとはいえ、そう簡単にできることではない。驚いたぞ……」


 春花を褒め称えるも、私の前でメニューの読解に苦戦する妹は、それどころじゃないようだ。見かねた私は、春花の代わりにアイスクリームと飲み物を注文してあげた。


「……あの、いいの? 教授のこと……ほったらかしで……」

「ん? あぁ、別に教授の目的は私じゃないだろう。今頃私たちと同じように、彼らも昔話に盛り上がってるんじゃないか?」

「……あのさ。その、テスナー教授っていうのも、レ……」


 そこまで言いかけた妹の口を、私は自分の手で素早く塞ぐ。それから妹の耳元に顔を近づけ、小さく耳打ちした。


「……不用意にレノなどと言ってはいけない。どこで誰が聞いているのかわからないのだから。彼らは、どこにだって潜入しているんだ……。それと、春花の予想通り、テスナーはレノだ。今は、彼が私を全面的に管理している」


 私の言葉に呼応して、何度か首を縦に振る妹。その後、私が妹の口から手を放すと、彼女は「ぷはぁっ」と大きく息を吸い込んだ。少々キツく押さえすぎていたらしい。


「……あの、変なこと……されてない? 人体実験……っていうか、分けの分からない薬注射されたり……」

「大丈夫だ。それに、今私を研究しているのは私自身だからな」


 そう返すと、妹は寂しそうに俯いた。ちょうどそのとき、ウエイトレスが先ほど注文したアイスクリームとジュースを運んできた。


「とりあえず、食べてみろ。ここのアイスクリームはなかなか美味い」

「……姉さん、日本には……帰ってこないの……? 姉さんの体……、まだ調べなくちゃダメなの?」


 スプーンでアイスをすくいつつ、でも口には入れずに妹は呟く。


「そう……だな。もう少し……だ」

「研究が終ったら、帰ってくるんだよね……? また一緒に暮らせるんだよね?」

「……あぁ。全部終ったら帰る。だから、もう少し辛抱して欲しい」


 私がそう返すと、春花はようやく、アイスクリームを小さな口へと運んだ。しかし、その顔は一向に……曇ったままだった。


「……ところで、春花には……恋人という存在はできたのか?」


 どうして春花は寂しそうな顔ばかりしているのか。その理由が分からずに気になった私は、関係のありそうな話題を投げかけてみた。


 私は未だに、恋愛感情というものが理解できない。だが、大切な人と一緒だと寂しくないことは、経験則として知っている。逆説的に、恋人がいなければ寂寥感に悩まされるだろうと、そう推定したのだ。


「恋人はちゃんといるよ。……だけど」


 含みのある返答。……やはり、恋人がらみで悩みがあるのか。


「……病気……なんだ、心臓の……。今……ドナー待ちで」


 そう言う妹は、私と目を合せてくれなかった。……何かあるな。後ろめたい何かが。そう確信した私がその答えに辿り着くまで、いくらも時間はかからなかった。心臓病……、まさか……


「……まさかお前、相澤悠奈の息子と……!!」


 春花は、涙目になって頷いた。バカ……と言う言葉を、吐き出す寸前で飲み込む私。……苦しんでいる妹を責めても、意味がない。


「……なぜだ。警告はしたはずだぞ? どうして……」

「警告されたからって、簡単に諦められる話じゃないんだよ……!!」


 ……ダメだな。人間の感情というものが、理屈で片付かないことは知っている。特に春花は情深い。ここで私がどんなに正論を述べても、傷つくだけだろう……。解決策を……提案するしかないか。


「これは、自分の遺伝子を調べていて、偶然わかったことなんだが……」


 苦しそうに涙を流す妹を見つめながら、私は語る。


「……私の心筋デスモゾーム遺伝子の一部に、欠失変異が入っていた。そしてこのコード領域には、ゲノム編集の手が入っていない」


 私の言葉にピクリと反応した春花は、小さく顔を上げた。


「……デスモソームって、細胞同士をつなげる構造だよね? ゲノム編集と関係ないってことは、あたしも欠失してるの?」

「そうだ。だが、私たちの場合はヘテロ接合だから問題ない。異常が出るのは、欠失遺伝子がホモ接合になった場合だ」


 なお、ホモと言うのは「同じ」、ヘテロと言うのは「違う」という意味である。要するに、「欠失遺伝子が2つ揃ったとき」に病気を発症するということ。私や春花はヘテロ……つまり「欠失遺伝子と正常遺伝子を一つずつ持っている」ので、病気にならないのだ。


「当然、春花のクローンである悠奈の遺伝子にも、欠失変異がある。父親も心筋症だったことを考えると、彼の心筋症は心筋デスモゾームの欠失遺伝子がホモ接合になったことで発症した、常染色体劣性型の可能性がとても高い。それは何を意味するのか、分かるか?」


 そう問いかけるも、春花はぽかんとして固まっていた。……理解が追いついていないのだろうな。


「もし春花が彼との子供を作れば、その子は50%の確率で先天的な心筋症を発症するということだ」


 何も言わずに俯く春花。そうだ、こんな理論をひけらかしたところで、事態は何もかわらない。……が。私には、秘策があった。


「……しかし、解決策がある。……ゲノム編集を使って正常な遺伝を組み込むという、解決策がな」


 一瞬の沈黙の後。


 ……汚物を見るような表情で、私は春花に……睨み返されてしまった。……私が想像した通りに。

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