表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

佐倉春花③

 数名の看護師と医師が、病室からぞろぞろと出てきた。同時に、「検査中」の札も捌けられる。すかさずあたしは、ため息をついている主治医のもとへ駆け寄った。


「あの、容態は……!!」


 医師は残念そうに俯いたまま、何度か首を横に振った。


「残念ながら、薬の効果が全く現れていません。このままだと……厳しい状況になるでしょう。心臓移植しか治療の手だてが無くなる、という可能性も考えられます」


 主治医の返答を聞いて、絶望の縁へと追いやられるあたし。薬だけで当面はどうにかなる……初期だから日常生活も送れるって、そういう話だったのに。言ってることが……全然違う。


「人の体は……まだまだ分からないことだらけなんです。医者も神ではありませんから、見立てが外れることだってあります」


 そんなこと淡々と言われても、困る。患者は、医者を神だと思ってすがりついてるんだ。言い訳なんて、聞きたくない。神になれないんだったら、医者なんか目指さないで欲しい。


 ……無茶苦茶な言い分なのは分かっている。だけど、大切な人の命を医者に握られた人間になら、この気持ちを理解できるはずだ。人の命を預かる仕事っていうのは……大変だと思う。


 心臓移植の場合、日本臓器移植ネットワークに登録してから移植が実施されるまで、平均で3年弱ほど待機することになるようだ。3年弱も……。あの人の心臓は、そんなに保つんだろうか……。


 病室に入り、ベッドで眠る「その人」の顔を見つめながら思う。……あたしが、姉さんの警告を無視したからこうなった。誰にもバレなければいいって。……自業自得なんだよね、結局。


「……つまり私は、その『レノ』という組織が作り出したモルモットだということだ」


 中一の秋、姉さんから聞かされた衝撃の事実。レノという、世界を支配する集団が姉さんを創った――。


 姉さんがひっそりと田舎の中学に通っていたのは、レノがこの実験を表沙汰にしたくなかったからだと姉さんは語った。


「同級生硫酸殺人事件も、レノが仕組んだものだった。……目的は二つ。姉が『自殺してもおかしくない』状況を作り出すこと。それから、不要になった対照実験体を消すための導火線を作っておくこと」


 ……そして姉さんは、あたしに全てを教えてくれた。


 一人目の姉さんは中学二年生になるまで、ごく普通の家庭でごく普通に育てられ、その成長過程を詳細に記録されていたらしい。そして、中学二年生の冬、脳が完成したと判断された姉は、研究材料としてレノに回収されることになった。


 でも表面上、姉さんは普通の人と同じように、あらゆる人権を持っていた。そんな彼女が突然謎の失踪をとげれば、それは事件として取り上げられ、面倒なことになる。レノとしては、姉さんの周囲の人間を「納得」させ、後々詮索されないようにしておきたかった。


 そのためにレノは、残虐な殺人事件を起こすことにしたんだ。データ収集が終了し、対照実験体としての役目を終えた妹を使って。社会を震撼させ、よっぽど姉の精神を追い詰めるような、残虐で無慈悲な殺人事件を。


 そうして精神的に追い詰めた姉を、レノは連れ去る。代わりに、姉の服を着せた誰かの死体を、姉ということにして遺棄した。適当に腐敗が進んだ頃合いを見て、「レノに所属している警察官」がそれを発見し、姉であると判断する。……これで、姉は事件のショックで自殺したのだと世間には報道されるし、誰もそのことを疑わない。


 それがあの、「同級生硫酸殺人事件」の真実だった。


 その後、残った妹……つまり、相澤悠奈はどうなったのか。殺されたんだ、『自分の殺した同級生の妹』に。もともと悠奈を消す予定はなかったみたいだけど、実験の再試が決定して邪魔になったという理由で、念のため準備してあった『導火線』に火がつけられた。レノは、自ら手を下すことは決してしない。周囲の人間関係をうまくコントロールして操り、目的を達成する。


 あのいじめだってそう。裕佳梨達は、ただレノの操り人形にされていただけ。殺さなくて、本当に良かった。


 じゃあ、操っていたのは誰だったのだろう。姉さんは、「知能指数が高く、レノの思想に同意できる者であれば、子供でもレノに加入できる」……と言っていた。


 だからきっと、あたしのクラスメイトのうちの誰かが、レノだったんだ。それが裕佳梨達ではないとすると……。あのいじめのきっかけを作った人物。それは、「トモキ」だ。


 トモキは確かに、大人びていた。頭も良かったし、考え方も小学生らしくなかった。トモキはきっと、裕佳梨に好かれていることを知っていて、あえてあたしに「好きだ」なんて言ったんだ。裕佳梨を嫉妬させ、あたしをいじめるよう仕向けるために。……事は彼の思惑通りに運び、あと一歩で、あたしは裕佳梨を殺すところだった。


 たぶん、「同級生硫酸殺人事件」のせいで人生がめちゃくちゃになった人間は、大勢いる。人類全体の平和が達成できれば、個々の人間の人生なんてどうなっても構わないのだろうか。


 だとしたら、「その平和」は誰のためにある? あたしのような馬鹿には、レノの思想なんて理解できないのかもしれない。


「何をやるにしても犠牲は伴う。現に平和な世が訪れている以上、レノの考えを全否定することはできない。レノを潰したところで、人類全体としての利益もない。感情には、誤った判断を正当化してしまうという悪い側面がある。……春花は情深い。だからこそ気をつけろ」


 レノのやり方には私も感心できないが……と前置きした上で、姉さんはそう答えた。……そしてあたしは、姉さんの警告通り、「感情」を使って色々な事を正当化してきた。


「だけどどうして、レノはお姉ちゃんを……こうして普通に生活させてるんだろう。最初っから表に出さないで、ずっと研究所に閉じこめておけば、『回収』なんてしなくて済むのに……」


 一通り姉の話を聞いたあたしは、怒りに震えつつもそう尋ねた。あたしのイメージだと、人体実験……って、いかにも「秘密基地」っぽいアヤシイ施設でやっている。一応レノは、あたし達の人権を考えてくれている……ということなのか?


「そうだな、理由はいくつか考えられる。まず、レノというのは表社会が一切認知してない組織だ。だから、『レノ専用の研究施設』というものがそもそも存在しない。その時点で、『誰の目にも触れないで実験を遂行する』ことは不可能だろう」


 あたしは、姉の言葉に無言で頷いた。


「それに、この方法には大きなメリットがある。例えば、私が違法な人体実験の被験体になっている……ということを、春花が告発したとしよう。でも、私は施設に閉じこめられているわけでも人権を無視されているわけでもないから、証拠がなにもない。『あまりにも自然』すぎて、誰も実験だとは思わないのだ」

「うっ……。そうかも……」

「もし、この実験を被験体が産まれたときからずっと施設で行うとすると、レノは実験を十数年間隠し続けなくちゃいけないし、莫大な費用もかかる。でも、外に出してしまえば、その間は『隠蔽』する必要がない。途中で何者かが勘づいても相手にされないし、レノには都合が良かったのだ」

「じゃあ、誰がどうやって……あたしたちを生み出したの? あたし達、お父さんとお母さんの子供じゃ……ないんでしょ? 今までの愛は全部……嘘だったってこと?」

「……いや。母さんはレノではないし、私たちのことを自分の子供だと思っている。だから、母さんの気持ちは嘘じゃない。……では、この実験の黒幕は誰なのか。それは……」


 姉さんは、一呼吸置いてから、続けた。


「父さんだ」


 ……あたしの父は、レノだった。


 病室のベッドに横たわる「その人」の手をぎゅっと握りしめながら、当時の衝撃を思い出す。確かに父は偉い科学者で、世界中を飛び回っていた。普段はほとんど家にいなかったし、あまり思い出もない。だけど、その父がまさか……。


『ブーッブーッブーッ』


 その時、あたしのスマホに着信が入った。慌てて病室から飛び出し、電話に出るあたし。


『……佐倉か? 萩原だ。その……具合はどうだ?』


 相手は、あたしの所属する研究室のボス、萩原教授だった。


「今は眠っています。主治医の話だと……心臓移植なしの回復は難しいようです」

『そう……か。残念だけど、その様子じゃ今度の国際学会に出るのは無理だな。場所もルシワナ連邦だし……。わかった、エントリーは取り下げておく』

「……萩原先生、そのことなんですけど」


 あたしは、かねてより考えていたことを、教授へ告げることにした。


「あたしが……代理で発表します。研究の内容は熟知していますし、この機会を逃したら……次はないかもしれないので……」

『佐倉が代理で? ……無理ではないけど、かなり厳しいぞ? 時間もないし……』

「分かってます。全力を尽くすので、是非ご検討ください」


 あたしは電話を切り、病室へと戻る。姉さんを追いかけて理系の道に進み、気がつけば修士課程の二年。……あたし自身は、ろくな研究も発見もできていない。マイナーなジャーナルに、『クリスパー/キャスナイン・システム』に関するくだらない技法を一報投稿しただけだ。ゲノム編集の詳細も、姉に施された遺伝子改変も、再現はおろか理解すらできていないという現実。


 これでは、いつまで経っても姉の足下にすら立てない。……あたしは焦っていた。もちろん、姉に追いつくなんて人生を百回やり直しても無理だと思う。だけど何らかの形で、姉の力になりたい。


「……はる……か?」


 そう強く思ったとき。ベッドに横たわるその人は、目を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ