無能の荷物持ち
「なあ、本当にここに挑むのか? 今からでもやめといたほうが……」
とある洞窟のようなダンジョンの入り口の前で。俺はパーティリーダーであるレイを、たしなめるように提言する。
聡明な彼であれば聞き入れてくれるのではないかという、一縷の希望にすがって、だ。……しかし。
「ダメだ。何度も言っただろう、これは決定事項だ」
冷たい声色で俺の意見は切り捨てられる。
「だ、だけどさ。ここは出てくるモンスターも段違いに強いって話だし、やっぱり危険だって……」
「それは無能なゼロだけでしょ? あたし達はなんの問題もないよ」
「あ、アン……」
それでも、と抵抗するように追いすがろうとしたのだが、パーティメンバーのアンによって遮られてしまう。
彼女は表情だけは明るいものの、目は笑っていない。その妙な迫力によって黙らされてしまう。
いや、だが、それでも諦めるわけにはいかない。ここだけはダメだ。ダメなんだ。ここに挑戦したら、みんなの命が……。
「でも、本当にここは……」
「そもそも、荷物持ちごときがいつから私達に意見できるくらい偉くなったのよ」
「……っ! …………」
トドメを刺すようなランの言葉に、俺は何もいうことができなくなる。
三人の顔色を伺ってみると、表面上は昔と同じだが、その内心はイラつきに支配されているように見えた。瞳には見下すような冷たい色が混じっていて、呼吸ができなくなるような錯覚すら覚えるくらいに空気が悪くなっている。
「無能。そんなに怖いならお前一人で村にでも帰ったらどうだ? 別にこっちは役立たずが一人いようがいまいがどうだっていいんだよ」
「そもそも、権限のない荷物持ちでいいからパーティに入れてくれって頼みこんできたのはゼロだよね? なのになんであたし達の行動を決めようとしてるのかなぁ?」
レイとアンはさらに俺に向かって言い募る。ここまで言われては、もう何もできないな。諦めるしかないか。
「……余計なことを言ってすまなかった。入ろう」
力なく俺はそう言った。命の危機があろうが、追い出されるよりはまだマシだ。
「あー、時間無駄にしちゃったぁ。早く入ろ、お姉ちゃん!」
「そうね、行きましょうレイ」
「ああ」
俺の言葉を聞くと、何事もなかったかのように明るい雰囲気を取り戻し、意気揚々とダンジョンの中へ向かっていく三人。その視界に、しかし俺が入ることはない。
俺の運命が決まったあの日から一年が経った。
あの日、神殿で無能と宣告された俺は、それでも諦めずに英雄を目指そうとした。スキルがないのがなんだ、体を鍛えればきっと強くなれるはずだ、と。
しかし、筋力トレーニングをしようが武術を習おうが大した成果は出せずに、一ヶ月ほどしたところで、幼馴染み達に見放されてしまった。完全に役立たずでいるだけ無駄だと判断された俺は、パーティから外されそうになる。土下座などあらゆる手を尽くして懇願し、なんとか荷物持ちとして残ることはできたが、あの時以来幼馴染み達からまともに人間扱いしてもらえたことはない。
今でも鍛錬は続けているが、どうあがいても強くなることができず、今ここにいる。
「さっさと歩け、無能」
ぼんやりとどうしてこうなったのかと嘆いていると、後ろから声とともに衝撃がやってきた。どうやらレイに蹴られたらしい。
「わ、悪い……」
俺はすぐに謝って、前に向かって歩き始める。一緒に笑いあっていた親友の姿は、もう俺の記憶の中にしか残っていない。
…………。
ここは迷宮都市の中でも最も難易度が高いダンジョン、魔王の涙。
いくつかのダンジョンを攻略し、新進気鋭のパーティとして名を馳せている俺たちは、ついに最高峰の迷宮に挑むことになったのだ。それだけであれば大しておかしくもなく普通のことのように思えるかもしれないが、誰よりも幼馴染み達の実力を認めている自負がある俺が彼らを止めようとしたのには訳がある。
魔王の涙は普通のダンジョンではない。
かつて、百年前の勇者によって滅ぼされたモンスターの王である魔王が、自らの宝を守るために作ったものなのだ。ダンジョン内には魔王の執念が形になったように尋常ではない濃度の魔力が漂っており、そこから生まれるモンスターは他のモンスターとは一線を画す力を持っている。
レイ達は魔王の宝を狙って挑戦しようとしているようだが、そんな甘い見通しで入っていい場所では決してない。過去に幾人もの英雄を呑み込み殺してきた、地獄というのも生ぬるい魔境なのである。
「止まって! 曲がり角のところでモンスターが待ち伏せているわ」
迷路のように複雑になっている道をしばらく進んだところで、一本道に出た。慎重になっていると、ランが警告を発した。
弓術士である彼女は感知系のスキルもいくつかもっており、四角になっている場所の気配も察することができる。
俺はその言葉を聞いて、すぐに一番後ろに下がった。前の方にいると足手まといになり、戦闘の邪魔になるのだ。
「正々堂々かかってこい! 僕はここにいるぞ!」
レイが挑発スキルを使用して洞窟内に響き渡るように叫ぶ。モンスターはそれに抗えず、誘導されてレイに向かって一直線に襲いかかってきた。
「あの魔物は……サラマンダーだ! 火を纏って突進してくることがあるから気をつけてくれ」
赤色の巨大なトカゲのような形をしたモンスターを見て、脳内の知識と参照し、すぐに叫んだ。
俺は強くなれない。戦いでもお荷物だ。だからこそ、少しでも役に立てるように様々なモンスターについて調べ、その特徴を伝えるようにしている。
「神よ、炎を妨げる加護を!」
それを聞いたアンは、ほとんどタイムラグもなしに火耐性が上がるスキルをレイにかけた。
その直後、サラマンダーは固有のスキルを使い、赤き火を全身に纏ってレイに向かって突っ込んでいった。それをレイは涼しい顔をして盾で受け止める。
「今だ、ラン!」
「ええ、くらいなさい!」
レイが合図をすると、弓を構えていたランがサラマンダーに向かって矢を放った。青色の軌跡を後に残し、矢はサラマンダーに突き刺さる。
あれはアクアアローのスキルか。火属性のサラマンダーには効果が抜群だ。次の瞬間矢はサラマンダーの体を貫通し、向こう側の壁に刺さって止まった。
「……終わった……んだよね?」
アンが確認するようにつぶやく。
「ああ、動く気配はない。仕留めたようだ」
油断はせずに盾を構えたままレイはサラマンダーの生死を見極めた。思いのほか、あっさりと終わったな。
「最高難度ダンジョンって言っても、所詮この程度じゃない。心配するまでもなかったわね」
ランが俺に向けて嫌味を言ってきた。……たしかに、今回は簡単に倒すことができたな。だが。
「サラマンダーはこのダンジョンでも最も弱い。まだ、安心するには早いんだ」
そう、このダンジョンを事前に調べてきた俺は知っている。ここがこの程度で終わるほど生易しいものじゃないということを。
反論するように忠告すると、ランはそれが気に食わなかったようで鋭い視線を浴びせてきた。
「そんなことはどうでもいい。無能、こいつの金になる部位はなんだ?」
「あ……、皮だよ」
ため息をつきながら、レイは俺に尋ねてきた。慌てて情報を思い出し、教える。
レイは頷いてサラマンダーの皮を剥ぎ、俺に渡してきた。
「ほら、荷物持ち」
「あ、ああ」
俺は受け取って背中に背負った大きな袋に入れる。力はそんなにない俺だが、荷物持ちくらいはなんとかこなすことができた。
サラマンダー戦後の処理を終え、俺たちは更に奥に進んでいく。
レイが一番前、二番目にランが歩き、三番目がアンで、最後尾に俺。いざとなった時に俺がアンの肉壁になれるようにという意図で配置されている。
「あれは……扉か?」
急にレイが立ち止まり、そう言った。俺達も止まって前を見てみると、前には大きな扉がある。
「罠の可能性が高いから、迂回して別のルートを行かないか?」
俺は扉を見た瞬間から得体の知れない不安に襲われ、そう提案した。なんとなくわかる。あれはまずい。あの先には、どうしようもないナニカが待っているような、そんな気がする。
「でも、近道とかの可能性もあるよね? ちょっと先を見るだけでもいいから、行ってみようよ!」
「……そうだな、そうしよう」
だが、俺の抵抗むなしく。アンが言った好奇心混じりの意見が採用されることになってしまった。
もう、何を言っても無駄だろう。覚悟を決めるしかない。
レイが扉の前に立ち、慎重に開けていった。
完全に開ききった先に見えたのは、だだっ広い空間であった。奥の方に広間と深部へとつながっているだろう扉があり、こちらの扉からその広間までを繋ぐ長い長い橋がかかっている。
「本当に近道だったみたいね。行きましょう」
ランのそんな言葉に全員で頷き、おっかなびっくり橋の上を渡っていった。
橋の上から下を見てみると、そこが見通せず暗闇となっている。相当な高さがあるようだ。これは落ちたら命はなさそうだな。
途中でモンスターの奇襲がないとも限らない。最大限に気をつけながら、慎重に慎重に先へ進む。
数分で広間まで渡りきり、息を飲むような緊張感が終わりを告げた。
「ふぅ、危なかったぁ」
アンがほっと溜息をつく。
結局襲撃はなかったが、精神的疲労がかなり蓄積された。あの時感じた嫌な予感はこれのことだったのだろうか。
そう思いながら、気を緩めて休んでいると。
広間の床に大規模な魔法陣が出現した。
「――ッ!? みんな、下がれッ!!」
咄嗟にレイが叫ぶ。その警句を聞く前に、俺たちは既に後ろに飛びのいていた。
本能が最大級の警鐘を鳴らしている。冷や汗が首筋を伝い、膝がガクガクと震えてきた。頭はガンガンとした頭痛に苛まれ、体はまともに動かない。
気がつくと魔法陣は水色の強い光を放っており、室内の魔力濃度が凄まじい勢いで上がっていく。
そして最高潮に達した光が俺たちの視界を水色に塗りつぶし…………。
「グラァアアアアアアアア!!」
――再び目を開けるようになった時には、すでに目の前にそれが君臨していた。
圧倒的な巨軀に秘められたとんでもない魔力。傷一つない水色の気高き鱗が王者の雰囲気を漂わせている。
まぎれもなく、生物としての格が俺たちよりも遥かに上である、モンスターの頂点の一角。
「氷結竜……」
絶望が、現れた。