氷界の守護者
「――――っ!」
なん、だ……?
「――――ぁっ! ――様っ!」
ぼんやりとした頭に、なにやら叫び声らしきものが聞こえてくる。ああ、頭に響くからやめてくれないかな……。
「ご主人様っ! 大丈夫ですか!?」
「ッ!? …………ぁ」
今度はしっかりと聞き取れた言葉を受けて、急に脳が覚醒する。
この一日間ほどで聞きなれるようになったその高い声。まぶたに力が入らないのを無理やり動かし、開くと、目の前には綺麗な水色の髪をした少女の姿があった。
「アイ……」
「あっ、ご主人様!」
彼女の名前をつぶやくと、アイは少し安心したような笑顔になった。
えーと、待ってくれ。これはどういう状況だったか?
確か俺はさっきまで……戦っていたはず。スノークリスタル・スピリットを撃破して、正体不明のゴーレムと殴り合って。
そう、アイを守りきったんだ。守りきった……ま、まあ、こうして話しているということは守れたはず。
その後、俺は力尽きて倒れたんだよな。……空腹で。なんかすごい残念感溢れる気絶の仕方だが。英雄感がゼロすぎる。
「大丈夫ですか……?」
黙り込んだ俺を見て、不安げな表情で聞いてくるアイ。心配をさせてしまったか。
「ああ、大丈夫だよ。ほら、怪我はどこにもないだろ?」
「そうですか……。よかったですっ」
笑顔を作って告げると、アイは安心したように少し表情を緩ませた。
……しかし、ちょっとやばいな。戦闘の後遺症か、体がうまく動かない。大丈夫とは言ったが、ぶっちゃけ虚勢である。
うーん、とにかく喉が渇いたな。すぐに口の中を潤わせたいが、ろくに体が動きそうにない。
「悪い、アイ。水を出してくれないか」
そう言って俺は、自分が背負っていた血まみれの袋を指さした。袋の中には水筒が入っている。
戦いの余波で壊れている可能性もあるが、水が漏れていないし大丈夫だろう。問題なく取り出せるはずだ。
「……って、オイ。ちょっと、アイさーん……?」
しかしアイは何かを勘違いしたらしく、魔法を使って空中に大きな水球を作り出した。
ねえ待って、それどうするつもり? いや、どうするつもりもなにも、つまりはそういうことなんだろうけど、正気ですか?
「口を開けてください!」
アッハイ。やっぱそうですよねー。……ま、まあ、水分は摂取できるんだしいいか。せっかく出してくれたんだしな。
俺は覚悟を決めて、口をできるだけいっぱいに開いた。そして容赦なく俺の口にぶち込まれる水球。
急に入ってきた水に危うくむせそうになるも、ギリギリでとどまって飲み込む。
……そういえば、これは俺の体に触れても消滅しないのか。魔法で直接水を作るのではなく、大気中の水を操ってまとめたのかな。その方法なら、操るのをやめた瞬間に、魔法とは関係のないただの水になる。口に触れた時点で水に魔力は感じなかったし、それで間違いないはずだ。どうやら俺の力は魔力で作られたもの以外には効果を発揮しないらしい。機転を利かせたアイには関心する、……が、これもしかして俺の弱点なんじゃないのか? あれ、やばくね?
「……ふぅ。ありがとう、アイ」
少しだけ力が湧いてきた俺は、なんとか体を起こし、礼を言った。
「どういたしましてです!」
今度こそ意識がしっかりとしてきた俺を見て、笑顔になるアイ。
俺は力が入りきらない手を動かして、彼女の頭を撫でた。
「ははっ、そういえば似たようなやりとり前にもやったな」
「あ……はい、そうですねっ。最初にお話しした時に」
あれからまだ大した時間が経っていないというのに、もう随分と親しくなったものだ。……いや、親しくなったと言うと少し語弊がありそうだな。きっと俺たちは、お互いに依存し合っているだけなのだから。
完全に起き上がってふと周りを見てみると、先ほどまでいた大広間でなくなっていることに気がついた。
一本道の通路が途中で広くなりちょっとしたスペースになっているところで、寝ている時に頭があった方向には一つの大きな扉がある。大広間に来る時に経由した場所のようにも思えるが……。
「ここは……?」
「あ、来た道とは逆の方向にあった通路の最奥部です。大広間の先の」
思わず声を漏らすと、そう教えてくれるアイ。
「なんで移動してきたんだ?」
まあ、彼女からすれば重くはないだろうが、わざわざ俺の体を運んできたというのはどういうことなんだろう。
疑問に思って聞くと。
「大広間にいるとゴーレムが定期的に襲ってくるので、思いつきでこっちに来てみたら、最初からいたモンスターを一体倒すともう何も出てこなくなったんです。それで休むにはちょうどいいなって思って……」
「え……?」
アイの口から出て来る衝撃的な発言。
「待ってくれ、俺が気絶している間にゴーレムに襲われたのか?」
「はい、四回ほど」
全然守りきれてなかった件。というか、むしろ守られてるじゃねえか。面目丸潰れにもほどがあるだろ。
ああ、本当、締まらないな。それでこそ俺という感じもするが。
「下級のゴーレムだったので、倒すの自体は簡単だったんですけど、流石に何度も何度も戦うのには疲れちゃって……」
「お、おう、お疲れ様……」
労うことしかできない。情けなさすごいな。
「ここでも元からいたモンスターを倒したんだよな。どんなやつだったんだ?」
一応そちらのほうも尋ねてみる。微妙に後悔しそうな予感がするが、気になったものは仕方ない。
今までの傾向からして、こういうところに出そうなのは精霊だろう。俺の予想では氷の中級精霊であるスノークリスタル・スピリットかな。
「アイス・スピリットでした。上級精霊の」
「申し訳ございませんでした!」
思わず頭を下げてしまう。
「ふぇぇ、どうしたんですかっ!?」
「ああいや、頑張った感出してたけど結局アイに頼りっきりだったなと思って……」
困惑するアイに、俺はそう言った。
力を手に入れ強くなったと思っていたが、本当にまだまだだな。力を使いこなし、戦いにも慣れて工夫できるようにならないと、英雄なんてものには到底手が届かないんだろう。……ついさっき弱点も見つかったし。
少し落ち込んでいると、アイが口を開いた。
「それで、どうしますか? 扉の奥に行ってみます?」
「ああ……って言いたいところなんだが、ちょっと待ってもらっていいか?」
「はい、どうしました?」
「いや、食料を口に入れとこうと思ってさ。ここ一日くらい何も食べてなかったから」
なるほど、と呟くアイを見て、俺は袋から携帯食と水筒を取り出した。もう二度と空腹で倒れるなんて間抜けは晒したくない。
一応アイにも要るかどうか聞いてみたが、食事をする必要はないらしく断られた。そういうことを聞くと、いくら少女のようであっても、やはり人間ではないのだなと実感させられる。
あまり待たせないように急いで食べた。少し胃が弱っているようだが、量を多く摂りすぎなければ大丈夫だろう。
「それじゃあ行くか」
数分後、食事を終えた俺はアイに声をかけた。
「はいっ」
アイは元気な声で頷く。
気力も体力も充分。何があってもきっと乗り切れるだろうと自分に言い聞かせる。
一度深呼吸をしてから大きな扉に手をかけた。そして、いきなり攻撃が飛んできてもいいように身構えながら、ゆっくりと開く。
「――――ッ!?」
「………………ぁ」
その瞬間、全身で感じる圧倒的に濃密な魔力。アイが放っていたそれと似ているものの、規模の次元が違う。
その場にいるだけで、体が魔力に蝕まれていくような錯覚を覚えるほどの強烈さ。本能が全力で警鐘を鳴らしている。
扉の向こうには、行き止まりの小さな部屋があった。
文字通りありえないくらいの魔力を放っているのは、部屋の中央にある一つの水色の玉。
その玉は、精霊のコアと同じように眩い光を迸らせながら宙に浮いているが、これは精霊などと比べてはいけない。
無限に湧いてくるかのような魔力。英雄達だってここまでの魔力は保持していないだろうし、生物としての限界をあざ笑うかのような量だ。……いや、そもそも生物なのか、これは? モンスターにしても異質すぎる。
「なんなんだよ……」
思わず、そう口に出す。
意味がわからない。こんなことがあっていいのだろうか、とかそういう問題ですらない。
ただただ、理解を超えたものであった。
「罠……にしても異常ですね……」
「ああ。これは一体……?」
アイの言葉に同意し、彼女のことをちらと見た俺は、――しかし先ほどとは別の意味での驚愕により固まることとなった。
「――ア、アイ!? お前どうしたんだ!?」
「ど、どうしたって、何がですか?」
まるで俺の言っていることの意味がわからないとでも言いたげに、聞き返してくるアイ。
…………。
「いや……どうしたんだよ、アイ。お前なんで……泣いてるんだ……?」




