第一歩
俺に向かってくる、フロスト・スピリットとのそれは一線を画する太さを持つ光線。
当然回避するわけにはいかない。俺が避けたら、アイに直撃してしまう。
そして回避する必要もない。
中級精霊の力とはいえ、所詮は氷結竜のブレスには遠く及ばない威力なのだ。ドラゴンブレスでも無傷で切り抜けた俺が恐れるようなパワーは持っていないのである。
目を開けて。胸を張って。決して逃げず。
俺はその光線を、正面から受け止めた。
一瞬、視界が水色に染まる。風が後ろに吹き抜けるような感覚を覚える。腰が抜けそうな恐怖を維持で無理やり押さえつけ、その場に踏ん張る。
次の瞬間、期待通りに消失する光。明るくなった視界が突発的に平常に戻り、チカチカとめまいのようなものを感じた。
そして、俺の体に流れ込む魔力。どんどん力が湧いてくる。
少し前に吸収した光線や氷塊と合わせて、アイを倒した時には一歩及ばないながらも相当な強化率だ。全能感に酔いしれる。
今の俺は、間違いなく強い。
「オォオオオオオッ!!」
叫んだ。己を鼓舞するために、なけなしの勇気を振り絞るために。
戦いを、するために。
足に思いっきりの力を入れ、地面を蹴って敵のところへ飛び込んでいく。イメージはアイだ。風のように疾く、圧倒的なスペックで抵抗を許さずねじ伏せる。
心配するな。精霊の攻撃手段は全て魔力を使ったものしかない。俺に通用するものは、何一つとしてない。
本来かなり長いはずの通路。普通に歩けば分単位で時間を消費するその道のりを、一瞬で走りきり、奴の目前まで来た。
スノークリスタル・スピリットは氷の中級精霊。普段は霧状の靄のような姿をしており、まれに唯一の弱点であるコアを守るために全身を氷にすることがある、形態が不確定なモンスターだ。
その討伐は非常に困難で、もしもかつての俺が遭遇していたら脇目も振らず逃走していただろう。
そもそも本体がコアだけであり、コアが自由に移動可能であるため、直接戦えるだけの力を持っていても倒せないという、英雄泣かせの象徴。
その姿を間近で捉え、考える前に拳を振りかぶる。そうしなければ間に合わない。
そして、攻撃準備が整った後にコアを探した。身体能力が上がったとはいえ、実は視力までは強化されていないためはっきりと内部を見ることはできないのだが、ぼんやりと光る玉を発見することができた。
「――ッ!!」
握りこぶしを振り抜こうとした瞬間、再び俺を水色の閃光が襲ってきた。
怖い。でも、一瞬でも躊躇したら仕留められないかもしれない。俺が殺される可能性はなくても、隙を突かれてアイに攻撃されたらまずいのだ。少しでも早く倒さなければ。
ダメージはないながらも至近距離でかなりの明るさをもった光を浴びせられ、コンマ一秒にも満たない間完全に視界が潰された。
それに怯まず、無心で右ストレートを振るう。
だが、何にも当たらず腕が伸びきってしまった。
視界が回復すると、コアの位置が少しだけ左にずれているのがわかる。
しくじったか。……いや、まだだ。
前に向かって崩れそうになる体を無理やり踏ん張って押さえ、右腕を左に向かって方向転換させる。そして水色に光る玉、コアを右の手のひらで掴んだ。
俺が何をしようとしているかわかったようで、スノークリスタル・スピリットは体を氷にして手の動きを止めようとするが、もう遅い。
俺の強化された握力は、握りしめた精霊のコアを容易く破壊した。
手の中に、硬いものが飛び散る感触。
次の瞬間、コアの周りを漂っていた靄が霧散する。見る見るうちに消え去り、すぐに視認することは不可能になった。
…………。
……はぁ。
…………。
「うぉおおおおおおおおッ!!」
勝ち鬨の声をあげる。
なりふり構わず、豪快にガッツポーズをして、雄叫びを響かせる。腹の底から、魂から声を出すように。
俺は、勝った。勝ったんだ。
ずっと無能と蔑まれ、戦いから逃げ続けていた俺が。あの、中級精霊を、スノークリスタル・スピリットを。
倒したんだ。
「よっしゃぁあああああああ!!」
本当はすぐに周囲の警戒を始めた方がいいのだろう。さっきまでも、油断して何度も窮地に陥りかけた。
だが。
嬉しさが心に溢れてくる。俺の体を勝手に動かしてしまう。制御できない感情が、本能が、俺に精一杯喜べと命令してくる。
そしてしばらくの間、俺はその場で初勝利の余韻に浸っていた。
「………」
ふと冷静な状態に戻り、今までの行動の恥ずかしさを振り返る。
……うん、まあ、浮かれたっていいじゃないか。ずっと夢だと思っていて、届かないと思ったものが、この手に宿ったのだ。浮かれて何が悪い。
そう思いながらも、顔は勝手に赤面していく。誰も見ていなかっただろうが、いやむしろ誰も見ていなかったからこそ恥ずかしさが増す。
…………。
……ふぅ、アイのところに戻ろう。
結局真っ赤に顔を染めながら、俺はアイが眠る即席ベッドまで歩いていった。
たどり着き、俺が離れている間に何も起きていないことを確認する。アイは安らかな寝顔ですやすやと眠っていた。……これ、俺の叫びで起こしちゃってたらかなり気まずかったな。
アイのことを見ていると、戦果を話したい衝動に駆られる。今の嬉しさを共有したい、そんな気持ちが湧いてくる。
だがまあ、完全な安眠妨害だ。それに幼稚である。子供染みた名誉欲を抑制し、彼女のことを眺めるに止める。……いや、なんかこれも変態っぽくてあれだな。そうだ、周囲を警戒しよう。しっかりとモンスターが現れないか確認しなければ。
そう思って周りを見ると。
「……いやぁ、おい」
――三つほど、アイが出てきた時ほどとはいかなくとも、超ド級の魔法陣が地面に描かれていた。
……これ、もう少し気がつくのが遅れていたら、本気でヤバかったんじゃ……。一回勝利したくらいで無防備になる余裕、マジでなかったな。
自嘲しつつ構えを取ると、じきに魔法陣から三つの巨体が出現した。
呼び出されたのは、先程アイが蹂躙した氷でできた岩のようなモンスター、アイスバーグ・ゴーレム。
おいおい、お前ら時間経過で出てくるのかよ。だったらここで休憩を取るっていうのも危険だな。いや、ダンジョン内で安全な場所なんてないか。
なんて考えていると、少ししたところで違和感に気がつく。
ゴーレムの体が、やけに大きいのだ。
……あれ? これもしかしてアイスバーグ・ゴーレムじゃない?
いやでも、アイスバーグ・ゴーレムよりも大きな氷のゴーレム系モンスターなどいないはず。狂ったようにモンスターの情報を集めていた俺でも、そんな存在は一度も聞いたことがない。
…………。まさか、これ未発見のモンスターか?
顔が引きつっていくのを感じる。アイのいない状況下で、特徴や能力が不明な、恐らくはとんでもなく強いであろうモンスターを三体も相手取ることになるのか。
それは、なんというか、考えるまでもなくまずいな。しかもだって、物理攻撃が通用しにくいであろうゴーレムと、物理攻撃しかできない俺の直接対決だ。
無理くね?
……まあ、とはいえ、やるしかないか。
覚悟を決めて、戦闘準備をした。
右に一体、左に一体、少し離れた前方に一体、か。
とりあえずは、最も近くにいる右側のゴーレムを叩く。
通じるかはわからないものの、一応狙いやすい中心部に向けてダッシュする。一瞬で距離を詰め、思いっきり全力で殴りつけた。
そして手に返ってきた感触は……。
「……あれっ?」
思ったよりも軽い。
なんの抵抗も感じることはなく、ゴーレムの全身は崩壊していった。ゴーレムの魔力が消えるのがわかるため、死んだふりなどではなく、本当に殺すことができたようだ。
一瞬ぽかんとする。物理耐性が高いはずのゴーレムが、どうしてこんな簡単に……。
いや、待て、そうだ。俺の体は今、溢れ出る魔力によってコーティングされている。いや、どちらかというと、分厚い魔力をまとっていると言う方が適切か。
それはつまり、全ての物理攻撃が当たる直前に純粋な魔力のみの攻撃、スキルでの遠距離攻撃と同じ性能を持ったものをぶつけているということなのだ。ゴーレムはそういった攻撃に弱い。だからこそ、こんなあっさりと倒せたのだろう。
自然と笑みが浮かんできた。やれる、俺は想像以上に戦える。
その時。背筋がぞわっとするような感覚が。
嫌な予感がして、冷や汗を噴出しながら振り向くと、左にいたゴーレムがアイに向けて攻撃を放とうとしていた。
しまった、戦闘中に余計な思考はダメだとさっき確認したばっかりじゃないか。
いや、後悔は後だ。
今はアイを守ることに集中しないと。
足に力を込めて、巨人を象ったゴーレムに向かって跳躍する。
まるで矢のような勢いでかっ飛んだ俺は、今にもアイを叩こうとしていたゴーレムの腹を、ローキックで破壊した。
一瞬の安心。
油断はしておらず、すぐに三体目、最後のゴーレムを倒そうとしていた。
だが、少しの間だけ空中に滞在していた俺は、一切の動作を取ることができなかったのだ。
「ッ!! あ……ガッ!?」
背中を突き抜けるような強い衝撃。恐らくは三体目のゴーレムが後ろから殴ってきたのだろう。
痛い。
痛い痛い。
痛い痛い痛い痛い。
頭の中が、そんな思考に支配される。
そして、空中にいたため踏ん張ることができなかった俺は、まるで蹴られた石ころのように、壁に向かって吹き飛んだ。
バンッ、という音がして、同時に体の前半分に衝撃が来る。
内臓への圧迫感。歯が折れるような感覚。声を上げることすら許されないほどの激痛。
頭がパニックになり、まともに前も見えないまま、床に崩れ落ちる体。糸の切れた操り人形のように、ぐしゃっと潰れる。
――次の瞬間、俺の体は元通りに回復していた。
「え……?」
そして、体から魔力が消え、力が抜けていく。
魔力を消費して、怪我を治したのか。すぐに理解した。
いや、やっべえなこれ。体が元に戻ったのはいいが、かなり力が低下している。
まだ完全に失ったわけではないが、とても十分な量の魔力があるとは思えない。詰んだか。
そう思いながらも、しかし俺の体はなぜかゴーレムに向かっていた。
何かに突き動かされるように。誰かが代わりに俺を動かしているように。
右手で、全力をもって殴りつける。ゴーレムの体は少しだけ欠けたが、倒すには不十分だ。
左手で殴る。またもやダメージを与えることには成功したものの、足りない。
右手。左手。右手。左手。
外側の皮膚が弾け、血が吹き出す。両手ともに骨が粉々になり、力が伝わりにくくなる。
それでも俺は殴り続けた。確固たる意志を拳に乗せて、連打した。
アイを守るために。彼女の英雄になるために。
無心で、頭の中が真っ白になっても、ずっと。
…………。
…………。
…………。
「…………ぁ」
そして気がつくと、両腕を自らの血で真っ赤に染めた俺の前に。
――ゴーレムの巨体は崩れ去っていた。
「ははっ、はははははははッ!」
倒せた。ギリギリであったが、しっかりと倒せたのだ。
そして笑っていた俺の体は、その場に崩れ落ちた。
力がどんどん抜けていく。……どういうことだ。たしかに結構な傷は負ったが、出血多量で倒れるほどじゃ……。
……ああ、いや。
意識が朦朧としていく中で思い出す。
そういや俺、丸一日くらい何も飲み食いしてなかったな。
馬鹿じゃねえのか、と自分を罵倒する。確かにありえない出来事や緊張の連続があったとはいえ、流石にそれはねえだろ。
しかし、抜けていく力を止めることはできない。
そのまま俺は、意識を保つことができずに、床に倒れ伏したのだった。




