絶望がはじまった日
――英雄。
それは、己の鍛えられた体や獲得した強力なスキルを武器に、モンスターを蹴散らして人々を守る者達のこと。
この世界に生まれた誰もが一度はそうなることを夢に見て、――しかし、そのほとんどの者は自分の才能を鑑みて諦めていくこととなる。
なぜなら……成人年齢である十五歳になった時に神殿で授けられる『職業』によって、自らの人生がほぼ決定づけられてしまうからだ。
職業とは、一言で言ってしまえば神による加護。天職となる職業が神によって定められ、それぞれの職業ごとに特殊な能力である『スキル』を得る。
例えば『剣士』や『魔法使い』のような戦闘系の職業であれば、もしかすれば英雄になることができるかもしれない。そこまでは叶わずとも、戦士にはなれる。
逆に『農民』や『村人』などの非戦闘系の職業になってしまえば、夢を叶えることは不可能になるだろう。生活に便利な力を手にすることはできるものの、戦うには非力すぎるのだ。
極稀に生まれる『剣聖』や『勇者』、『賢者』のように最初から栄光の道が約束されている職業もある。
そして――
「どんな職業になるか楽しみだね!」
俺の左隣にいる赤毛が似合う少女、アンは無邪気な声色でそう言った。明るい未来を信じきっているようで、その瞳に不安の色は全くない。
いつもその元気さに勇気をもらっているが、こんなときでも全く緊張しないというのは、大物なのか単に鈍いだけなのか。……前者だといいんだけどなぁ。
「戦闘系であればいいけど、そうじゃなかったときのことを考えたら楽しいばかりじゃいられないわ」
アンの姉である茶髪の少女ランは、能天気な妹の言葉にため息をつきながら返す。呆れたようでありながらも、瞳は不安に揺れていた。
彼女は慎重な性格であるが、少し心配性すぎるきらいがあるのだ。とはいえ、その心配は皆が大事だという感情から来ているので、あまり否定する気にはならない。
「なぁに、大丈夫さ。僕たちはきっと強い職業になれるよ。ねえ、ゼロ?」
クールな雰囲気の少年レイは、ランを安心させるように微笑んでそう言った後、俺に話を振ってきた。流れるように綺麗なフォローである。
俺達四人組のまとめ役である彼は、いつも会話の潤滑油となる役割を担っている。平穏を保つためには自己犠牲気味な言動をすることもあるくらい、飛びぬけたいい奴だ。
俺はレイの言葉に頷き、握りしめた拳を天に向かって突き上げた。
「ああ、もちろんだ! 俺たち四人は絶対に英雄になる!」
往来で大声の宣言をすると、三人はふふっと優しく微笑んだ。そして、道行く人々と共に生暖かい視線を向けてくる。可愛らしいものを見るような目だ。
……いや、たしかにちょっと子供っぽいけども、その反応はひどくないか。俺、レイの言葉に乗っかっただけだぞ。
すこし涙目になりつつ抗議の視線を送ると、彼らはくすくすと笑いながら口々に肯定の意を発した。
俺ことゼロ、レイ、ラン、アンの四人は生まれた時から共にいる幼馴染みだ。遊ぶ時だっていつも一緒で、家族のように仲がいいのである。
将来、大人になったら皆でパーティを組んで冒険者になり、英雄を目指そう。そうお互いに夢を誓い合ってきた。
そして今日、俺たちの中で最年少であるアンが十五歳の誕生日を迎えた。これで全員が職業を得られる年齢になったのだ。
職業を授かるためには、神殿で神の加護を受ける必要がある。俺たちの故郷は小さな村で、神殿がある都市までの距離は遠い。そのため、年齢が近い者たちはまとめて一度に都市へと行くことになっていた。
アンの誕生日にちょうど着くように早めに村を出発し、今日の朝に迷宮都市アリステアに到着した。
そして今、俺たち四人は神殿の前に立っている。
「ようやく、だな」
俺は思わずそう呟いた。ずっとこの日を待ち望んでいたのだ。武者震いが止まらない。
「そうだね!」
ひまわりのような笑顔でアンは明るく俺に返答した。
いつも明るいアンは俺たちのムードメーカーになっていて、彼女がいると不安は全て吹き飛ぶ。かけがえのない、大切な幼馴染みである。
「それじゃあ、そろそろ中に入ろうか」
「そうね、ここにいても邪魔になるでしょうし」
レイの提案に、ランが乗っかった。俺やアンも同意し、四人仲良く神殿の中に入っていく。
白い石で建てられた神殿は神聖な雰囲気を放っていて、いるだけで心が浄化されそうだ。じっくり見物したい衝動に駆られるが、おのぼりの田舎者だと思われそうなので自重しておく。……いや、まあ実際そうなのだが。
しばらく内部に向かって進んでいると、奥の方から若いシスターがこちらに向けて歩いてきた。
「お待ちしておりました。アルファ村のゼロ様、レイ様、ラン様、アン様ですね?」
「は、はいっ! そうです!」
確認のために話しかけてきたシスターに、俺は少し見とれながら緊張気味に答えた。
シスターは美しい金色の髪と透き通るように綺麗な碧い瞳を持っていて、今までに人生で見たことがないほどの美人であった。これは流石のクールなレイでもデレデレしてるんじゃないかと隣を見てみたが、親友であるイケメンはいつも通りの平静を保っている。……なんか負けたような気分になるな。
「それでは、神託の間に案内しますのでついてきてください」
そう言ってシスターは奥に向かって歩き出した。俺たちもそれに続いて歩いていく。
シスターは時折こちらを振り返って、しっかりとついてきているかの確認をしていた。流し目からはあふれるような母性を感じる。あぁ、美しいだけでなく優しいとは、なんて素晴らしい人なのだろうか。
数十秒ほど進むと、固く閉ざされた大きな扉の前に出た。
「ここが……神託の間……」
ランが圧倒されたようにこぼす。その扉は重厚かつ神聖な威圧感を放っており、レイですら少し気圧されていた。
「では、入りましょう」
シスターはそう言って細い両腕で容易く巨大な扉を開いた。
その中は明かりもないのに眩く煌めいていて、一目で特別な場所だとわかる。中央には水晶玉が一つポツンと置いてあるだけで、他には一切何もない。
「それでは、一人ずつ水晶の前に立ち、祈りを捧げてください」
「じゃあ、あたしが最初ねー!」
アンはシスターの言葉にいち早く反応し、水晶玉の前に出た。かなりはしゃいでいるようだ。
その様子を見て、ランはやれやれと言いたげな表情をし、レイは黙って肩をすくめている。
「えーっと、ここでお祈りすればいいの?」
「はい。じきに水晶に文字として職業と使用可能なスキルが浮かび上がってきますので、それまで祈祷をしていただきます」
「わかった!」
元気な声でアンは頷いた。そして彼女はその場に跪き、自らの心臓のあたりに両手を組んで、目を瞑ってから祈り始めた。
普段の活発さからはイメージしにくいが、アンは俺たちの中でも特に敬虔な信者である。いつもと違う落ち着いた雰囲気と、一応は美少女と呼べる容姿もあいまって、絵になるような綺麗な構図となっていた。
「……ぁ!」
数秒くらい経ったところで、急にアンの体と水晶玉が強く光り始めた。どんどん輝きを増していき、目を開いているのが困難になってくる。
やがて光が収まると、シスターがアンに声をかけた。
「アン様。もう祈りを終えて結構です」
「…………。ふぅ……」
シスターの言葉を受け、アンは目を開けて立ち上がった。そしてそのまま引き寄せられるように水晶玉に目をやる。
そしてアンは明るい声で水晶に書かれた文字を読み上げた。
「職業が聖職者で、使えるスキルはヒールとキュアだって!」
「聖職者ですか。回復系統のスキルを覚える、戦闘系の職業ですね。おめでとうございます!」
シスターが優しい顔で祝福の声をかける。
「戦闘系か、よかったなアン!」
「神様からの誕生日プレゼントと言ったところかしらね」
「えへへ、そうかなぁ〜」
俺とランもお祝いの言葉を口にすると、アンはくすぐったそうに小さく笑みを浮かべた。照れ臭いようだが、嬉しそうだ。
「それじゃあ、次は僕が行こうかな」
レイはそう言って前に出た。アンがこちら側に戻ってくるのと入れ違いで、水晶の前に立つ。
そして彼はさっきと同じ手順で神の加護を授かった。
「僕は……騎士か。スキルはスラッシュと挑発を使えるようだね」
いつもの爽やかな笑顔で報告するレイ。
騎士も戦闘系の職業であり、パーティを守る壁役と剣を使った攻撃をするという強い力を持っている。
「なら、次は私が行こうかしら」
そう言って、ランも二人と同じ手順を踏み、職業とスキルを手に入れた。
「弓術士で、鷹の目とエンチャントアローを使えるみたい」
振り返ってランは俺たちにそう告げた。
弓術士、またもや戦闘系の職業である。遠距離での物理攻撃ではそうそう右に出る者がいない、優秀なスキルをいくつも獲得できる。
「……最後は俺だな」
ランがこちらに戻ってきたのを確認してから、俺は水晶玉のところにゆっくりと歩いていった。
ふぅ、と一息ついて心を落ち着かせる。そして右膝、左膝の順番で床につけて、目を閉じ手を組んだ。
なんとなく体が暖かくなっていくのを感じる。母親に優しく抱きしめられているような、心地よい温もりだ。
微睡みに落ちていきそうになりながら祈り続けていると、シスターから声がかかった。
「ゼロ様、もう目を開けて大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
心臓の鼓動がどんどん加速していき、全身がこわばっていく。ああ、緊張するなぁ……。
深呼吸をしてから、意を決して俺は目を開いた。
「……ッ!?」
次の瞬間、俺は目を疑った。自分の身に降りかかってきたことが、事実だとは思えなかった。
なぜなら。水晶玉に書かれていた文字は……。
「……無能?」
無能ってなんだ? 事前に調べた時にはそんな職業なかったはずだが……。それに、スキルが書かれていない。どんな職業でも最低一つは最初からスキルを保持しているはずなのだが……。
「……ゼロ様、気を落とさないで聞いてください」
「え……?」
戸惑っていると、シスターが哀れむような表情を俺に向けて、そんなことを言ってきた。気を落とすって、どういう意味だ?
「無能というのは非常に珍しい職業で、確認されるのは百年ぶりです」
百年ぶり!? 珍しいものなんてものじゃないだろ、それは。一番珍しいと言われている勇者ですら五十年に一人は出てくるんだぞ?
「そ、そんなに珍しいということは、すごい職業なんでしょうか?」
「……いいえ」
少しはしゃぎながら驚いていると、シスターは沈痛な顔のまま俺の言葉を否定し、暗い声で続きの言葉を言った。
「無能は、戦闘系でも、非戦闘系ですらない、最弱の職業です。どんなに鍛錬を重ねようとも、たった一つのスキルも会得することができません」
「…………。……え?」
こうして俺の英雄になるという夢は終わり、絶望の日々が始まることとなった。




