カーテンの隙間から見えた一人と一匹
カーテンの隙間から差し込んだ朝日で目を覚ます。
知らない天井が見え、隣りを見ると男性が気持ちよさそうに寝息を立てていたので、昨夜の記憶を思い出そうと記憶を辿る。
友人たちと楽しく呑んだ帰りに呑み足りなくなり、一人で知らないBARに入った。
そこで呑んでいた私立探偵をしているという40代くらいの紳士な男性と意気投合をし、二件目に行った所までは覚えていた。
ここまではよくある失敗の一つなのだが、今現在一つだけあり得ない事が起きていた。
その男性の頭から猫の耳が生えていたのだ。
僅かな望みを掛けてとてもリアルな付け耳だと思い、そーっと触ってみるとピクンと耳が跳ねた。
動いた。間違いなく動いた。
しかも本物の猫に限りなく近いリアルな動きだ。
耳の生え際がどうなっているかと生え際を触ろうとしたときに手を男性に掴まられた。
「どうしたんですか?」
そう言うと男性が掴んだ手を離し、自身の髪を手ぐしで撫でつけ、椅子の背に掛かっているYシャツを着始めた。
私は驚きのあまり心臓の鼓動が素早く脈を打つ
「だってなんか耳が生えてる!」
ほとんど悲鳴に近い声を上げる私
「猫ですからね」
男性は笑顔で答えた。
----
昨夜の紳士な男性は実はとんでもなく頭のおかしい変な性的趣向の持ち主なのかもしれない。
でなければこの猫耳が現実だとでも言うのか……
再度猫耳に手を伸ばすがまたも男性の手に阻止されてしまった。
「いきなり耳を掴もうとするなんて困った方ですね」
そう言って少し困ったように微笑んだ男性の耳が小刻みに震えた。
男性の困った表情を見て思わず、すみませんと一言謝ってしまったが、とんでもなく頭のおかしい変な性的趣向の持ち主かもしれない人と一夜を結んでしまったか、はたまた猫と一夜を結んでしまったかを勇気を出して質問をしてみなくてはならない。
どちらにせよ禁酒を決意したのに変わりはないが
「その耳は本物ですか?それとも、その……趣味、とかですか?」
かなり包んだ言い方をしたがある程度の意味が通じる事を願った。
「趣味、ではないですね……お嬢さんは愉快なお人ですね」
そう言って男性はくすくすと笑いだした。
何故だかこちらが馬鹿げた質問をしたような気になり、無性に恥ずかしくなったので男性の笑い声をかき消すように再度質問をした。
「じゃあ、さっき言ってたように自分は猫で人に化けてるとでも言うのですか?」
「その通りです」
そう言うと茶目っ気たっぷりにウィンクをしてきた。
猫の耳さえ生えていなければ少しときめいたかもしれない。
「そんな事を言うなら今すぐにここで化けてください!」
「人前で変身するのはお行儀が悪いのですが、信用して頂くには仕方ないですね」
お嬢さん失礼と軽くお辞儀をした男性が突如忽然と消えた。その代わりにいま目の前に居るのは、紛れもなく猫だった。
「信用して頂けましたか?お嬢さん」
そして猫は茶目っ気たっぷりにウィンクをしてきた。
いっそ漫画みたいに気を失えればよかったのに
人間とは案外丈夫に出来ている物だ。
----
「コーヒーでも飲みませんか?」
猫は男性に戻り、混乱している私に気を使ってコーヒーを勧め、私もその誘いを受けた。
ロフト仕様のベッドルームから螺旋階段を降り、下の部屋と降りた。
下の部屋は整理整頓された事務所みたいなところで、そこから応接間らしき部屋に通され座り心地のいいソファーに座らせられる。
男性が部屋を出てコーヒーを準備している最中に思考を整理する事に集中した。
最初は人間として会って、飲んで、一夜を結んで、猫耳の生えた人間から、猫になり、また人間に戻り、コーヒーを勧められる。
男性は人なのか?猫?猫人間?でも男性は猫と言っていた。
仮にこの男性が猫だとしよう。そうすると私は猫と一夜を結んでいた事になるのだろうか。万が一妊娠をしてしまったりしたら人間と猫のハーフが産まれるのだろうか?先ほどの男性みたいに猫耳が生えた状態で産まれてくるのだろうか?産まれてすぐ手術などで取るべきだろうか?はたまた男性みたいに変身が出来るのだろうか?
思考がどんどんズレていき妄想に脳みそをかき混ぜられていたときに男性がコーヒーを持って入ってきた。
ふわりと香るコーヒーの匂いに現実に戻され、置かれたコーヒーカップに口を付けた。
美味しいコーヒーに背中を後押しされ、昨夜のことを男性に尋ねた。
「昨夜のことですか?」
すると男性がくすくすと笑いだしながら昨夜のことを語り始めた。
男性の名前はタマというらしい。実に猫らしい名前で男性が紛れもなく猫なんだと再度認識させられた気がした。
「昨夜はBAR寄り道で呑んでいたところ、お嬢さんに出会いました。ちなみに寄り道は妖怪などの人外専用の店でね、お嬢さんがお店の中に入ってきたときはそれはびっくりしましたよ」
またにわかには信じられない事実に眩暈を覚えながらも、先ほどの光景を思い出せばタマさんの言葉が嘘ではないと思える。
「人間と接するのは久方ぶりでしたので一緒に呑んで何件かはしごしたのですが、お嬢さんが酔い潰れてしまいましてね。それで私の家に連れてきたんです」
会ったばかりの見知らぬ男性の前で記憶をなくすほど呑むとは、自身の警戒心の無さに嫌気が指した。
ましては知らなかったとはいえ相手は妖怪だ。殺されて本日のランチにでもされていたかもしれない。今生きているだけでもよかったと安堵した。
「あの、とても聞き辛いのですが、昨夜私たちは……その……」
「ご安心ください。私は酔い潰れたお嬢さんを襲ったり、人間を喰べたりなどという趣味を設けておりませんよ。それに私は恋愛対象は雌猫です」
タマさんはまたくすくすと笑いながら述べた。
妖怪と一夜を結んでいなかった……人としてギリギリのラインを保てたこと、タマさんは人間を喰べない妖怪だったことに安堵した。
もうこの際、タマさんが妖怪だろうと猫であろうと何もなかった。命も無事。自身の幸運に感謝しよう。
それに人間みたいな猫で妖怪の呑み仲間が出来た。
こんなこと人生で早々にあることじゃない。
感情が慌ただしく跳ねまわり次々と起こる信じられない事実を無理矢理自身で消化していると突然ブーっとブザー音が鳴った。
「おや。お客さんだ」
タマさんがそう言って応接間のドアを開け部屋から出て行った。
----
このとき、好奇心に駆られてこの部屋を出たことが今後の人生に影響するなどと思いもよらなかった。
誰が想像しただろう。
でも、人生とはそういった少しの選択で大きく変わっていくのかも知れない。