#6 Coming events cast their shadows before
-神暦36992年4月8日-
その日はごく普通に夜が明けた。雲一つない空から朝日は登り、春の日は心地良く地上を照らした。
しかし、昼になって。辺りの様子は豹変した。
相変わらず空には雲一つない。快晴と呼ぶに相応しい青空に、太陽がたった一つ浮いている。にも関わらず、辺りは曇りの日の様に暗かった。
「……見ろ」
武装を整えた僕達は、王の言葉に空を見上げた。森の方から漆黒の群れが飛んでくる。その中で一つ一つが蠢いている。蝙蝠に似た羽音を立てて、奴らは飛んで来る。
地上の光を蝕む、光蝕竜の群れだった。
「……これ程までとは」
ヴェインさんが言う。群れの規模の事なのか、それとも辺りの様子の事なのか。どちらにしろ、僕も驚いている。不思議な光景である。空は確かに青く、太陽が照っているというのに、辺りはどんよりと暗いのだ。
これが光を喰うという事。飛翔して来た群れは次々と、民家の屋根や萎えた畑の上へと着地している。そしてようやくその姿が明らかになる。黒々とした小型の竜。額には黄色い筋があり、その瞳も黄色かった。
それぞれが思い思いに屋根の上で日向ぼっこの様にしている。警戒心は感じられず、こちらの事も全く気に留めていない様だった。
「……さて。早く片付けるか。いいな、決して油断はするな。一体攻撃すれば、全てが襲って来る。四肢など簡単に食い千切られるからな」
王が言う。住民達は皆、今朝のうちに隣町へ避難させた。ここからそう遠くはない。
「カイウス」
「分かりました」
カイウスが弓を引き、矢を射った。矢は屋根の上にいた一頭に当たり、心臓を穿った。倒れ、屋根から転げ落ちた竜はやがて影の粒子を撒いて消滅した。
幾千の目がこちらを向いた。……穏やかだった光蝕竜の目が、敵意を向けて来る。
「来るぞ」
王が言った。皆が揃って剣を抜く。僕も、ずっと腰に提げていた剣を抜いた。
甲高い声が上がった。光蝕竜の咆哮。一斉に漆黒の群れが襲い掛かって来た。
「“光の砲撃”」
王が剣を振り、そう凛とした声で唱える。剣先に光が凝縮し、それは眩く光を放つと柱となって、群れの中心を大きく抉った。……王の光の力は、格が違う。
光が引くと、確かに数は減った様だがまだまだ多い。しかし、群れはさっきよりも乱れていた。
「……さぁ行け!さっき言った通りに二手に分かれろ!麦は傷付けるなよ!」
はい!と皆が答える。僕は王と共に。トリスも一緒だ。残るはヴェインさんとメドラウドとペレディルとカイウス。それぞれ村の東側と西側へ。
僕の横を走るトリスの剣に闇が纒われ、襲い掛かって来た一頭をそれで斬り裂いた。レディとは言え、剣の腕は僕よりも上だと思う。何せ宮廷騎士に選ばれる程なのだから。
……ええい、僕もボサッとしてられないな。
同属性同士の相性?そうだな……効かない訳じゃないけど、ほとんど相殺されるかな。人間同士ならあまり関係ないけど。でも、力と力がぶつかったら相殺される。竜は体自体が力みたいなものだから。ほら、死んだ後すぐに消えただろう。あれは生命活動が停止した事で、体のエレメントが全て自然に還ったんだ。勿論、人間や他の動物じゃあんな事は起こらない。
「せぇいやっ‼︎」
離れた所からそんな声が聞こえて来る。ペレディルだ。振り向くと、大きく炎が上がっている。
「よそ見するなイヴァン」
「!」
王が、僕に向かって来た一団を剣で薙ぐ。ただの一撃。それだけで漆黒の群れは絶命した。
「……すみません」
「数が多い。……チッ、ミルディンの奴……だから来いと言ったのに」
アルファイリア様はそう毒突いた。……確かに、魔術師殿なら一掃出来そうだ。
「……言っても仕方ないな。さっさと片付けるぞ」
「はい!」
影の力でも打つ手がない訳ではない。要は光さえ奪ってしまえばいいのだ。
-地上は、影で満ちていた。
僕は大きく足を踏み出し、空く左手を前へ、掌を上にして突き出した。地面の影が膨らんで浮き上がり、僕が手を握ると影は群れを握り潰した。相殺。……つまり、竜の体も。
ギャアギャアと光蝕竜が騒ぐ。半分くらいに減っている。いくらかは残しておくべきだろう。生き物なのだから。
群れを握り潰した影は消え、僕は剣で漆黒の中へ斬り込む。光蝕竜の鱗はそう硬くはない。簡単に斬り裂ける。その体躯には勿論血が巡っているので、斬り裂けば血が出る。人と同じ赤い血。
力で殺せば、さっきの様に血も出ないのだけど。
僕達はそれぞれ分かれて怒った光蝕竜を狩る。
……怒りたいのは、僕達の方だよ。
† † †
残り十数となった光蝕竜達は、森の方へ逃げて行った。
僕は疲れ果て、畑の中で座り込んだ。
「お疲れさん」
「……王……元気そうですね……」
「お前は力使い過ぎ」
よいしょ、とアルファイリア様が僕の横にしゃがんだ。トリスは少し離れた所で座り込んでいた。
「…………早く片付けようと思ったら、仕方ないでしょう」
「無理はするな。お前に倒れられては困るんだ」
「僕よりもずっとお強い癖に……」
「そういう事じゃない」
「……。……ヴェインさん達は」
「向こうで同じ様に休んでいる。……麦は焼けん様に上手くやった様だな」
炎の守護者が二人もいて。……器用な人達だ。
「さて。これで安心だろう、逃げた数ではこの日差しも脅かされる事はあるまい」
と、王は空を見上げる。そこには西に傾いた太陽がいた。変わらぬ青空。しかし、辺りの明るさは清々しいものだった。心なしか、僕達の周りにある麦達も元気になった様に思える。
「……では、早く住民達を呼び戻しに行きましょう。彼らも心配しているはずです」
「そうだな」
僕は王より先に立ち上がった。降り注ぐ日差しの下、風に吹かれてさわさわと揺れる麦。ぐるりと視線を回して、大通りの方へ目を向けた。……と、そこには。
「?」
民家の屋根に、何やら人影が見える。住人が残っていたのだろうか?いや、そんなはずはない。僕は目を凝らす。……その人影は、真っ黒なマントを羽織っていた。顔はフードに覆われて見えない。よく見れば、フードは猫耳の様になっている。
「どうした、イヴァン」
王が立ち上がる。その時、丁度僕はその人影と目があった。どこかで見た様な、金色の瞳。……そして、マントとは対照的な白の髪がマントから覗いていた。
-ザワリとしたものを感じた僕は、反射的に剣を構えた。
「!……敵襲か」
「いえ……分かりません」
僕はチラ、と王の方を見て、もう一度屋根の方へと視線を戻した。…………しかし……その時には既に、黒マントの姿は無かった。
僕は、ゆっくりと剣を下ろした。
「……イヴァン?」
「…………いない……」
「どうした」
アルファイリア様は、気付かなかったのだろうか。
戦ううちに、通りの方からは離れてしまっていた。……僕の、見間違いだったのだろうか。
「……何でもありません。……行きましょう」
「ん、あ、あぁ」
アルファイリア様は少々戸惑った様子で答えた。
人影の事は気になるが、とりあえずは四人と合流しよう。
「大丈夫ですか、トリス」
僕はトリスの横に立ち、手を差し伸べた。彼女は僕を見上げると、あははと笑ってこの手を取った。
「え、えぇ……ちょっと疲れちゃったわ……」
「トリスはずっと剣に力を纏っていましたからね」
「イヴァン君だっていっぱい使ってたじゃない。驚いたわ、あんな事が出来るのね」
「えぇ、まぁ……」
「あと……」
「?」
トリスが右手の人差し指を僕の口に当てて来たので、僕は思わず僅かに後ろへ反った。……いや、失礼だとは思うんだけど。
「敬語、また戻ってる」
「あ……」
「もう、慣れないのは分かったけど、慣れる努力くらいしてよね」
「す……ごめんなさい」
「いいわ。……ほら、アルファイリア様が向こうでお待ちよ。行きましょ」
「……うん」
慣れない!……何だかドキドキするし。駄目だな。
僕とトリスは畑の畝の間を通って、共に王が先に待つ大通りへと向かう。既にペレディル達も集まっていた。
さて、あともう一仕事。そうしたら後は、ゆっくり休める。
† † †
日も暮れ、夜になってからもウィスファルムの町は灯りが点いて、騒がしかった。
礼も兼ねての宴を、町の人達が開いてくれたのだ。
楽しいもので、疲れはすっかり吹き飛んでしまった。後から来そうな気もするけれど。
さて。僕は一人民家の屋根の上にいた。昼間にあの黒マントの人影を見た場所である。……ここに、確かに立っていたはずなのだが。
あまりにも一瞬にして消えたものだから、疲れた僕が見た幻影だったかもしれないと思い、何か痕跡が無いか確かめに来たのだ。
地面から屋根へ、梯子が掛かっていたのでそれで登って来た。屋根を見ると、瓦を修復した跡があった。その為の梯子だろう。
「……真っ暗で何も見えないな」
通りの方は明るいのだが、畑の方角は真っ暗である。……あぁ、星がよく見える。いいな、毎日こんな景色が見れて。
落ちないように、僕は慎重に屋根の上を進んだ。一階建ての小さい民家なので、落ちても多分死にはしない。……痛いのは痛いけど。
一応、月明かりで影が落ちている。まぁ、これなら安心か。
「よっと……ん?」
黒マントが立っていたぐらいの位置に着いた。すると、そこには何やら月明かりでキラキラと光るものが落ちている。拾い上げてみると、小さな羽根だった。真っ白い、そう、僅かに見えたフードの下の髪の様な……。
「イヴァン君、ここにいたのか」
「!」
ヴェインさんが梯子を伝って登って来た。
「……こんばんは」
「あぁ。……何をしてるんだい、こんな所で」
「いえ……その」
「ん?おや、綺麗な羽根だね」
彼は僕が持つそれを見て言った。
「でしょう?」
「何の鳥だろう」
「……さぁ」
鳥……の羽根だろうか。こんな綺麗な羽根を持つ鳥なんてそうそういないけど……。
「俺にもよく見せてくれないか」
「はい、どうぞ」
僕は羽根をヴェインさんへ手渡した。受け取り、ほう、と羽根を月光に当ててみたりしている。光を受けると、やはりキラキラと輝いて見える。
「まるで天使の羽根だな」
「見た事あるんですか、天使」
「いや?……しかしあれだろう、アテリスなんかは……」
「!」
「……どうした?イヴァン君」
そうだ、守護竜殿。彼はこんな羽毛を持っていた。そして、あの瞳も、髪も、そっくりだ。
……いや、背丈からして同一人物(竜?)だとは思っていないが。
「ヴェインさん」
「何だい?」
「この光蝕竜の件、何か裏がある気がするんです」
「そうなのかい?」
「まだ、分かりませんが……」
光蝕竜が増える事は時折ある。だが、今回の数は異常だ。あまりにも多すぎる。……もしかすると、この辺りで増えた個体だけでは無いかもしれない。
「その羽根、少し調べてみます」
「ん?そうか。なら返しておこう」
いや、貰うつもりだったのか。なんかそういう所あるんだよなー、ヴェインさん。良い人なんだけど。
「何だかよく分からないが、言ってくれれば力になれる事があればなるぞ」
「ありがとうございます」
「よし、まぁともかく皆の所へ戻ろう。王が探しておられたぞ」
「はい。あっ、押したら駄目ですうわっ!」
「おっ!」
足を滑らせた。斜めの屋根から、僕達は畑の方へ落ちる。僕はとっさに地面の影を持ち上げ、自分達を受け止めた。
「……け、怪我はありませんか……」
「アッハハハ、大丈夫。ありがとうイヴァン君」
笑うヴェインさん。僕ははぁ、とため息を吐いた。……しっかり持っていた羽根は無事だ。良かった。
麦を踏まないように、そっと畝の間に降りる。遠くからアルファイリア様の声が聞こえる。僕を呼んでいるようだ。
「ほら」
「……はい」
まだ夜は長い。今日は折角だから、存分に楽しもう。
#6 END