#50 Mutual help is the law of nature
気がつくとそこは、暗い洞窟だった。……ここは、心理の窟。
「……ノイシュ?」
誰もいない。変だな。そう思い呼びかけた。
『おう、目覚めたか』
「!」
声が上から降って来た。ノイシュの声だ。でも、姿は見えない。
「ノイシュ? どこにいるんだ」
『お前の体借りてる。今はいつもの俺とお前が逆になってる』
「えっ」
『心配しなくても返すよ。入れ替わるのは簡単だ。……それより、このまま話した方が良いんじゃないか?』
「……ええっ…と…」
『まぁまずは外の様子を見れば。俺の視界を共有出来る」
「ど、どうやって」
『見ようと思えば見れる』
「…………」
ノイシュはフィーリングで生きているのか、圧倒的に説明が下手だ。分からないけど何となく念じてみた。すると、ぼんやりと目の前に丸く風景が現れた。……これは、フィケルトの風景だ。街の人達が集まっているのが見える。
「アルファイリア様は⁈」
『無事だぜ。ほら』
と、風景が動いて演説しているらしいアルファイリア様の姿が見えた。僕は……というか、僕の体を操るノイシュはアルファイリア様の隣に立っているらしい。いつものように。
「……僕はどうやって陸地に」
『俺が助けた。運が良かったぜ。……あんなものが現れるなんて』
「…………あぁ…」
ぼんやりと覚えている。あの蛇鮫竜をさらった巨大な姿を。あれは。
「……海神様が僕を助けてくれたのか」
『…………お前、大変なもの持って帰って来たな』
「え?」
『胸元に強い力を感じる。お前が目覚める直前くらいからだ。……神の祝福だろ?』
夢じゃなかったのか。……そんなことを思いながら胸に手を当てた。
『すげぇぜ、これがあれば海じゃ怖いもの無しだ』
「そうなの?」
そういえばそんな事を海神様が言っていたような。
『あぁ。それと……多少水の力も使えるようになるぜ』
「そうなの⁈」
『すぐにとは行かないけど。慣れは必要だ。祝福によってお前には水属性への適性があるようになった。コントロールする属性を意識出来るようになれば水の守護者と遜色なく力を使える。デュアルガーディアンは普通にやってのけるぜ』
「……魔術で別の属性を使うのとは違うってこと?」
『あぁ。魔術は自分のエレメントを別の属性に変化させるだろ。でもその必要がない。自分で既にそのエレメントを持ってるんだからな』
……ということは今僕は実質影と水の守護者みたいになってるってことか。それに、魔術師殿に教わったことをもう少し会得出来れば……。
『まーあまり無茶はすんなよ。あと水と影の力両方を鍛えるのは無理だ。片方を上げると片方は下がる。……それに消えるかもしれない神の祝福に頼るのはあまりオススメしない』
「……そうか……そうだね」
海神様は、信仰を失わない限り祝福は失われないと言っていたけど。
『お守りくらいに思っとけ。次に水に落ちた時は俺じゃなくて何かが助けてくれるかも』
「はは……」
もう落ちたくないな。息が出来ないあの苦しさはそう何度も体験したいものではない。
「……ノイシュ」
『ん』
「ありがとう、助けてくれて」
『礼を言われる程のことじゃねェよ。お前が死んだら俺はここにいられなくなるしな。それに、主人を助けるのは当たり前だ』
「……ふふ、そうだね」
さてと。もう少しここで休んでいようか。ノイシュにももう少しこの状態を満喫してもらうのも悪くない。
† † †
「どうしたイヴァ……ノイシュ」
「……いや、何でもねェ」
何やらボーッとしていた様子なので演説終了後声を掛けたが、ノイシュはそう答えた。ただ、何やら変な顔をしていた。
「イヴァンはまだ目覚めないのか?」
「いや、起きたよ。……でも疲れてると思うから、しばらくこのまま」
「……分かった」
俺としては早くこの目の前の“違和感”から解放されたいのだが。言っても仕方ないか。また倒れられても困る。
「アルファイリア様」
「ん」
ユーサーが声を掛けてきた。ベルナールと共に高台の方へ避難していたので彼は無傷だった。本当に良かった。
「街の復旧についてご相談が」
「あぁ……そうだな」
港の方は壊滅だ。幸い街の中心部は何事もなかったが、蛇鮫竜があのまま暴れていたら街ごと全滅だっただろう。あれはそういう竜だ。まさに災いそのもの。
「……“水霊竜は災いを呼ぶ”…………」
港に流れ着いた水霊竜の死骸。あの独特の香り……それが蛇鮫竜を呼び寄せたのだろうか。竜の生態に詳しい人物を呼んだ方がいいのか。対策はあるのか。……ユーサーは記録上前例は無いと言っていたが。あったとしてもっと昔……古い文献を遡ればあるいは。
「城から兵士をいくらか復興作業へ派遣しよう。ここの出身の者もいるだろう」
「えぇ。そうですね。費用もこちらから回しましょう」
「助かる。それから、竜に詳しい者を当たってくれ。今回のことを訊きたい」
「……分かりました。探してみましょう」
竜の生態学はそれ一つで独立する学問分野である。しかし専門家はそれほど多くない。害獣たる竜を好き好んで研究しようという者は少ない。それに、討伐は我々や傭兵団がすれど、捕獲の難易度が高く飼育も成功例がないため生態を調べるのが極めて困難なのだ。人の生活圏に近い竜はそれなりに研究がなされているが、特に険しい山地や遠洋に棲む竜は名前や姿形しかほとんど分かっていないものもある。……まさに先刻目にした海神竜もそうだ。恐らくはまだ見ぬ竜もいる。
ユーサーは一礼すると街の責任者と話しに去って行った。
……さて。催し物は無しになってしまったが。今日はこの街で休むことにするか。……俺は何も出来なかった。イヴァン一人にこの戦いを負わせてしまった。下手をすれば彼を失っていた。結果的にそうはならなかったとはいえ、それがたまらなく悔しかった。
「────強くならなければ」
「……なぁあんたさ」
「………何だ」
ノイシュが話しかけて来る。イヴァンの顔が敬語を使わないと変な気がしてならない。
「一人で何でもしようと思うなよ。何のためのイヴァンなんだ。それに、王が護衛官を護ろうとすんな。護衛官は王を護る者でその逆はねェ」
「……厳しいことを言うんだな」
「厳しい? 普通のことだろ」
………刺さるな。普通のことか。そうだな、護衛官の本来の役目は『その身を賭して王を護る』ことだ。よく分かってるじゃないかノイシュ。……だが俺にはそう易々と割り切ることは出来ない。
「アンタは王のやるべきことをするんだ。イヴァンはヤワじゃねェ。ちゃんとアンタについて行くさ」
「……」
「それとも何だ、信頼してないってか?」
「そんなことは……」
俺自らが選んだ、俺の騎士だ。彼は何があろうと俺の側にいると言った。例え槍の雨が降っても、それで串刺しになろうとも。例え、全てが敵になろうとも己だけは味方でいると。
────そうだ。俺はそれだけのことをイヴァンに言わせた。とんでもないことを彼は言って退けた。それなのに、俺がイヴァンを信頼し切っていない、だなんて。
「……何があってもいなくならないんだな?」
「あぁそうだ。俺が保証する。イヴァンを護るのは俺の役目だ」
「それは……安心だな」
精霊ノイシュ。人ならざる者。イヴァンにとって最も近くにいる者……。イヴァンは一人にはならない。いつでも彼がいるから。元々イヴァンはちょっとやそっとのことではやられない奴だ。そこにノイシュがいるなら怖いものなんて無いじゃないか。
今回の、絶体絶命に思われた状況からも無事に生還したのだ。
「……分かった。そうだな。俺は俺のためにもっと強くなる」
「アンタ十分強いぜ」
「いいやまだだ。竜などに遅れを取っているようではいけない」
「自分に厳しいんだな」
「何、普通のことだ」
俺が負けることは許されないのだから。何者にも倒されない強固な柱にならなければ。
「……うぉっ、あっちょっと待て無理矢理」
「?」
急にノイシュが狼狽えたかと思うと、彼は一瞬フラッとよろめいて、そして頭を抑えた。
「…………すみません」
「! イヴァンか」
「はい」
上げた顔の瞳は赤紫ではなくいつもの紫色だった。表情も先ほどまでと比べてどこか柔らかい。
「ノイシュが色々と……」
「全部聞いてたのか?」
「はい。……色々と失礼なことを」
「……いや、良いんだ。たまにはあぁやって言ってくれる人がいた方がいい。……人ではないが」
「あはは」
イヴァンは笑うと、スッと真面目な表情になって頭を下げた。
「……心配をお掛けしてすみませんでした」
「…………何を。無事に戻って来たのだから良い。むしろ謝るのは俺の方だ。俺の不甲斐なさが招いたことだからな」
「そんなことありませんよ。蛇鮫竜は海の竜ですから、陸上の生き物である僕たちが対等に渡り合うのは難しいことです」
「そういう返しは……想定していなかったな」
「でも次は大丈夫ですから。きっと」
「?」
……なんだ。やけに自信に溢れてるじゃないか。死地を超えて成長したのか。
「頼もしい限りだな」
「えぇ」
ふぅ。ともかくいつものイヴァンが戻って来て良かった。これで本当に安心出来る。
「あ、そういえば先生とベルナールさんはどこです?」
「あぁ、二人とも街の手伝いに行ってくれている。……お前、謝るならルーカンにも謝っておくべきだぞ」
「……そうですね。先生にも心配を掛けてしまいましたし」
「お前が落ちたあと、あいつが助けに行こうとしてたんだぞ」
「そうなんですか。……アルファイリア様は?」
「俺が行こうとしたら止められた」
「…………念の為と思って訊いてみましたがやっぱり。ご自分で行こうとしたんですね」
イヴァンは呆れたような顔で俺を見てくる。う、なかなか刺さる。
「それはお前、俺が黙って見ているわけには……」
「あなたの身に何かあったらどうなるか分かってるんですか! 無茶はしないで下さい!」
「……お前もな……」
「僕は良いんです!」
そう叫んでから、イヴァンはひとつ咳払いをした。
「……でも、気持ちは受け取っておきます」
「!」
「そう簡単にはいなくなったりしませんよ、僕は。あなたの想いを裏切るようなことは絶対にしません」
「……ノイシュもそう言ったな」
「あれはノイシュの言葉であって僕の言葉ではありませんから。……僕の口からもちゃんといっておくべきかと思って」
「………同じ口だけどな」
「何ですかさっきから……」
俺は肩を竦める。イヴァンはため息を吐いた。
「……ノイシュが僕の体で喋ってる間ずっと変な顔してましたもんね」
「う、そうか?」
「見てられなくて出て来たんですよ」
…………なんか変だぞその言い方。
「お前は本当に……時々とんでもないことを言う」
「とんでもないのはどっちですか」
「う……」
言うようになったなぁ、こいつ。俺の前で縮こまってた頃が懐かしいくらいだ。────まぁ、それはちょっと嬉しいことでもあるが。
「王たるもの、まずは自分の身を案ずるべきです。僕は僕で自分のことは何とかしますから。王に助けられては護衛官の名折れでしょう」
「今回はなんというか、運が良かった」
「運も実力のうちです。大体、僕が今まで生き残ってきたのだってほとんど運みたいなものですよ」
「……なんだか吹っ切れたなお前」
俺がそう言うと、イヴァンは肩を竦めた。……何かを見たのか。眠っている間か、あの海の底で何かを見たのだろう。そんな気がする。
確かな成長…………俺もうかうかしてはいられないな。
まだ。まだ俺は強くなれる。俺はまだ父上のようにはなれていない。……父上ならば、どうしていただろう? その力で、あの竜の脳天すら貫いて見せただろうか。俺は前王より強くならなければならない。でなければ、父を斃したかのリーネンス王になど勝てるはずもないのだから。
手を見つめ、ぐっと握りしめた。……いつでも、後悔などしないように。あの時あぁであれば、などと思わないように。
今隣にいるイヴァンの、その覚悟を無駄に、無碍にしないように。
決意したはずだった。戴冠式の数日前に。でも、そんなものでは足りなかった。あの時、俺の隣にイヴァンはいなかったから。
一人じゃない。俺は一人で立っているわけではない。その事実は王冠を重くもするが、一緒に支えてもくれる。
俺はひとつ深呼吸して、イヴァンを正面から見た。イヴァンもその気配を感じてか真っ直ぐに向き直ってくれた。
「イヴァン」
「はい」
「……これからも、俺について来てくれるか」
「────当たり前でしょう」
イヴァンは胸を張って頷き、そして笑みを浮かべた。
「どこまでもお供しますよ。僕はその為に戻って来たんですから」
#50 END




