#48 God helps them who help themselves:前編
─神暦36992年8月14日─
澄み渡る青い空、どこまでも続く広い海。頬を撫でる潮風と、降り注ぐウミネコの声。海を見るのは久しぶりだ。あぁ、心をくすぐられる。
8月14日。今日は何の日かと言えば。一般的に言えば“海の日”、正確には“海神祭”────“アクラリウス・フェスタ”。水の創造神、そして海の神であるアクラリウスの祭り。海の恵みへの感謝と、航海の安全の祈りが捧げられるこの祭りが行われるのは王都ではない。セシリアの北、テフィリア州最北端の街フィケルト。白い建物が並ぶ美しい街。高台にあるここからは海が見渡せる。
「いつ来ても綺麗な街だな」
「戦線から遠いですから平和ですし」
王都から馬を走らせ一日。僕は王とベルナールさん、そして議長殿とその護衛の先生と共にこの街にいた。
「土産に魚でも買って行ってやろうぜ。ワルの奴が喜ぶ」
「グワルフさん、来たがってましたもんね……」
先生の言葉に僕はそう返した。議長殿が咳払いをする。
「遊びに来た訳ではありません。我々は仕事です。あなた方も。ここは王都ではありませんから気を抜かないように」
「そう堅いことを言うなユーサー。いざとなれば俺が剣を抜く」
「いけません。……あぁどうしてあなたはそう……」
やれやれと首を振る議長殿。うむ。護衛官である僕が形無しである。
「さて、ではまずは宿屋へ向かいましょう。馬と荷物を預けなければ」
「そうだな」
議長殿の提案にアルファイリア様が頷く。いつまでもここに立っている訳にもいかないしね。
† † †
街中には色とりどりの屋台が並んでいる。中心街の方ではアクセサリーなどの雑貨が多い。海辺である港の方に近付くと魚介が並び始める。独特の生臭さ。内陸である王都ではあまり馴染みがない。
「……納品させている者たちへの挨拶くらいはしておくべきか」
「それは私の仕事ですので。王は御自身のお仕事をなさって下さい」
「俺が行ったって良いだろう別に」
「ならば私と共に行くのなら構いません。今後の納品のこともありますので」
むう、と口を尖らせるアルファイリア様。議長殿には逆らえないらしい。王なのに。
さて、海神祭の内容について軽く話しておこう。
初めに言った通り、この祭りは海の恵みへの感謝と航海の安全への祈りを海神アクラリウスに捧げる祭りだ。セレモニーの行われる会場は港の広場。その中心には大きな像がある。それは海神竜<ネプトゥルヌス>と呼ばれる水竜の像だ。海神竜はその名の通り、アクラリウスの化身とされている。この星の上で最も巨大な生物だというけれど、どれくらい大きいのかは正確には知らない。目撃例は極々少なく、本当にいるのかさえも定かではない。この像もそんな僅かな目撃例によって作成されたものだ。ワニのような顔をして、たくさんの角が生えている。背鰭が3つで全体のシルエットは細長いクジラ……という雰囲気だ。言ってみれば“想像上の生き物”なのでこれが本当に正しいのかは不確かだ。
目撃した者たちはほとんどが船乗りだが、それは船を飲み込んでしまうほど大きく、生きた心地がしなかった、と口を揃えて言うという。航海の途中で消息を絶ち、戻らなかった船乗りたちは「海神の怒りに触れた」と言われたりする。
だからこうやって、海神に祈りを捧げる。無事に戻れるように。これからも海の恵みをいただけるように。
僕たちは広場に出た。すぐそこは水面揺らめく海で、たくさんの船が停まっている。なかなか圧巻の景色である。
「おや、何でしょうあれは」
議長殿が何かに気付いてそう言った。港に人だかりが出来ている。ただ事の雰囲気ではなかった。
「何かあったようだな」
「行ってみましょう」
僕は少しアルファイリア様の前に立った。先生も何かを察したのか議長殿を守る様に立つ。慎重に僕たちは人だかりへ近付いていった。
「……こりゃ……なんてこった」
「よりによってこんな日に……」
「どうするんだ、今からでも海へ返すか」
「いや、もう遅いだろ」
何やら不穏な会話が聞こえてくる。僕がその背中たちに声をかける前に王が口を開いた。
「どうした」
「! これは陛下!」
「良かった……あぁいや、良くはないのですが」
漁師らしき男たちは口ごもりながら道を開ける。すると僕たちにもようやくその中心のものが見えた。
「これは……」
『……“ 水霊竜”か?』
ノイシュが呟いた。
「……フィンフォーク」
────聞いたことのない名だ。
最初は海藻の塊かと思った。けどよく見ればそれは生物の形をしている。くねくねと曲がった薄い胴。細く長い頭と尾。背や肩から伸びるたくさんのヒレは海藻そのもの、に見える。既に生き絶えたそれは独特な香りを放っていた。心地良いような、それでいてどこか不安を煽るような。そんな不思議な香りだった。
「これが今朝、うちの船に絡まってたんです」
最初に声を挙げた男がそう言った。
「海藻かと思って引き揚げたんですが……どうすればいいものか分からなくて」
するとその隣にいた男が叫ぶ。
「こんな不吉なもんさっさと捨てちまえ!」
「捨てるったってどうするんだ、こんな日に海の命を粗末には……」
「水霊竜は災いを呼ぶ! そんなもの捨てちまった方がマシだ!」
「まぁ待て落ち着け二人共」
ヒートアップしそうな二人をアルファイリア様が宥める。そしてふむ、と真剣な顔で竜の死骸を見て僕に言った。
「どう思う、イヴァン」
「え、えぇと……僕は海の竜には詳しくなくて……」
「でなくてもいい。……関係あると思うか?」
「!」
王の言いたいことは分かる。リーネンスのことだ。
「……僕は……ないと思います」
「そうか。だが良くはないだろうな」
そして今度は議長殿に言った。
「お前はどう思う?」
「…………この様な事態の報告は私の任期中には入って来ておりません。ので平常では無いかと」
「……本当になかったか?」
「ありませんよ! ここ100年は少なくとも。俺たちゃ沖じゃコイツらを見たことはありますが、沿岸で見たことは一度も。死体が揚がったこともありません」
ふむ。報告漏れということも無さそうである。疑われたのが心外だったのか議長殿は少々表情を曇らせていた。
「……たまたま流されて来ただけか? だが……コイツは外洋性の竜だろう、潮の流れからしてもこんな所へ……」
なんだ。アルファイリア様の方が僕より詳しいのか。いやそれより。
「“水霊竜は災いを呼ぶ”というのが気になります」
「……あぁ、そうだな。伝承には必ず何かの意味がある」
火のないところに煙は立たぬ。そういう話があるということは、その話の起こる元の出来事があったはずなのだ。時間があれば文献などを調べるところだが今はそんな悠長にしている場合ではないだろう。
「……うむ。それでは……そこのお前」
「あ、はい」
一番最初に話した男に王は声を掛ける。
「俺の護衛官と騎士に港の警備をさせる。念の為式典は街の中の方で行うことにしよう」
「えっ、あの良いんですか僕が離れて」
護衛官に加えて先生までアルファイリア様の近くを離れて良いのか。議長殿と二人だけで。
「大丈夫だ。俺はとりあえず祭りを進める」
「でも……」
「俺の警護なら気にするな。いざとなればこいつがいる」
アルファイリア様が後ろを振り向く。そこには影のように静かに佇むベルナールさんが。……この人町に入ってから一度も喋ってないな。存在を忘れかけてた。
「致し方ありません。事が事ですからね。イヴァンさんは港の警備に集中して下さい」
「…………分かりました」
まぁでもアルファイリア様のことだ。本当に警護なんて必要ないのかもしれないけど。それでも立場的には落ち着かないものだ。
さて、と先生の方を向いて口を開こうとした時、ギャアギャアと何かの騒ぐ声がした。見れば鴎が群れをなして騒いでいる。何か来る。そう思った僕の目に映ったのは迫り来る波の丘だった。
「……アルファイリア様!」
「!……………皆下がれ‼︎」
雷が落ちたような激しい音がした。人を何十人も乗せられるような大きな船が宙を舞い、ぶつかり合う。派手な水しぶきと共にそれは現れた。……影が迫る。船がこちらへ落ちてくる。
「……イヴァン!」
アルファイリア様が何を言わんとしているかは分かった。……間に合うか? 出来るか? 否。やるしか無い。
僕の影を伸ばしてその場にいる人々の影に接続する。そこからさらに影を上へと伸ばす。人の数の分だけ広がった影は上空を覆い尽くし────僕はありったけの精神力を込めてそれを操り、こちらへ落ちて来る船を海へと押し返した。バシャーン! と派手な音を立てて船が着水する。ひっくり返って破損してしまったが丁寧に押し戻す余力などあろうはずもない。
「………ハァッ…」
「大丈夫かイヴァン」
脱力すると先生に心配される。まだ立っていられる。
「問題ありません」
「そうか、すまん。俺の力は間に合わんかった」
「先生は温存しておいて下さいよ」
「……ハハ、それもそうだな」
船を押し上げた“何か”が再び高い水しぶきを上げ、潜っていく。長い胴が見える。凄まじく速いが鱗が生えているのが分かった。
「…………こりゃマズい」
「……先ほどの指示は撤回だ。俺たちでアレを迎撃する」
アルファイリア様が海を見て言う。そこでは再び、先ほど船を打ち上げたモノが姿を現していた。
青みがかった銀の鱗が太陽の光を受けてギラギラと輝いている。それは水中から鎌首をもたげ、こちらを見ていた。あまりにも大きい。僕もその水竜の名は知っていた。
「…………“蛇鮫竜”……!」
鮫に似た尖った頭。見上げる高さは10メートルほど、しかしそれは全長の半分にも満たないだろう。海洋の竜の中でも特に凶暴で危険とされる竜。しかしそれが沿岸に現れることは稀であり、普段は遠洋の深い海に住んでいるという。それが、何故。
「……何てことだ」
アルファイリア様が呟く。その時、僕は蛇鮫竜の黒い瞳と目が合った。ぞわりとした。こちらを獲物として見定めた目だ────とそう感じた時、空気が騒つくのを僕は全身で感じた。
「! ……来ます!」
「逃げろ! 高台まで!」
王が民へ向けて叫んだその時、蛇鮫竜がその身をくねらせてその背後に巨大な水弾をいくつも生成し、飛ばして来た。狙いを定めていない攻撃。僕たちの方にも一つ飛んで来る。それはまるで池が一つ飛んで来るような……────
僕は半ば無意識に影の力を発動していた。が、僕の右手をアルファイリア様が掴み、引っ張った。
「!」
物凄い速度で引っ張られた。光の力による移動、直後背後で巨大な水の弾ける音と、物が崩れる音がした。僕は気付くとアルファイリア様の腕に支えられていた。
「馬鹿か! 無理に迎え撃とうとするな、死ぬぞ」
「……ですが」
「さっき船を押し返したので精一杯だろう」
『無理するとまたエンプティー起こすぞお前』
アルファイリア様だけでなくノイシュにまで怒られる。先生もやや険しい顔でこちらを見てくる。
「一人でやろうとするな。……俺もいる」
「……はい」
先生に言われて僕は深呼吸をする。落ち着け。一人じゃない。
「ベルナール、ユーサーを護れ」
「承知しました。行きましょう議長様」
「……アルファイリア様、ご無事で」
議長殿が心配そうな顔で言う。
「……あぁ」
誰にものを言っている? とか、そういつものように自信満々で返すのかと思ったが違った。アルファイリア様も不安なのか、それとも議長殿の思いを汲んでか。
気付けば辺りに人はいなくなっている。皆んな逃げられたのか、それとも。
僕はぐちゃぐちゃになった建物を見やる。それは直撃した水弾の威力を物語っている。
……考えたくない。……今は考えない。後でいくらでも考えられる。
────今は、あの怪物をなんとかすることだけを考えろ。
「……クソ。ガラハドを連れて来るべきだったか」
アルファイリア様がぼそりとそんなことを言う。水属性には地属性が有効。今、ここにはいない。
「……言っても仕方ないな。奴の表皮は硬い。並の斬撃では通らん。……比較的柔らかいのは胸鰭の付け根だが……心臓まで貫かねば倒すのは難しい」
「じゃあ」
「手っ取り早いのは脳天を貫くか首を落とす事だがな。……生憎首付近は硬い」
「アルファイリア様でも無理ですか?」
「さぁ、斬ったことがないから、何とも」
蛇鮫竜は姿を隠していた。水面が異様に波立つ。すぐそこにいるのは間違いない。
「潜られては為す術がない」
「……出ててもあの巨大さで水上ですから、遠距離攻撃がやっとかと…」
「…………光の力で飛んで行けんことはないが、な」
全身を光の粒子へと変える移動は負担が大きい。そう連発出来るものではない。元に戻れなくなる事故もあると聞く。
「あまりおすすめはしません」
「だな」
どうする。船で海に出る? そんなことをしてもひっくり返されるのがオチだ。あの巨躯に耐えられる船などこの港にはない。
「……どうすれば」
『飛べればいいんだな?』
「!」
「? どうした」
ノイシュが突然言うので僕は驚いた。
(飛べればって……確かにそれが出来れば苦労は)
僕がそうノイシュに向けて言うと、彼が力強く頷く気配がした。
『分かった。……まぁ昼間だから万全じゃないが任せろ。策はある』
#48 END