#47 Other Heros2/Peredur: Never make a threat you cannot carry out
─神暦36992年8月1日─
時々、妙な緊張感に襲われる。普段はそうでもない。ただ、本当に時々────ガルちゃんがいなくて一人で風呂に入ってる時なんかにふと、思うことがある。
俺は期待に応えられている騎士であるのか──とか。いや、実際に誰に期待されてるのか、と言えばはっきりとした答えは出てこない。親父ですら俺に期待して……いないことはないが、過度な要求はして来ない。だから、誰にと強いて言えば、それは“自分自身”なのだろう。
俺は先代王、リリアーネス・テフィリス・セシルに連なる宮廷騎士、パーシヴァル・グリンエルの息子であるペレディル・グリンエル。父の名に恥じぬ騎士であるべきだ。いや、あらねばなるまい。
そう俺に課しているのは、他ならぬ俺だ。馬鹿じゃねーの、俺自身が課しているならやめればいい。それだけでこの妙な緊張感からは逃れられる。……だが、そういう訳にもいかない。
「はぁ……」
湯煙の中に、ため息が溶けて消える。誰もいない。いつも一緒のガルちゃんはカイウスと遠征に行って帰って来ないし、他の騎士が来るのは大抵もう少し後の時間だ。それまで待っていては、俺は全身この髪色と同じ色になってしまう。
じっと手を見る。剣を握って豆だらけになって、硬くなった掌。ガキの頃からずっと修練を続けてきた。宮廷騎士だった父から直接、指南を受けた。何回も転がされて、父が本当に王に仕える騎士なのだと言うことを身を以て感じ、憧れた。俺もあのようになろうと。
もし仮に俺に子供が出来たとして、剣の指南をして、息子だか娘だかにそんな風に感じさせる事が出来るのだろうか……。
────いや、そもそも相手となる女性を見つけられなければ何も始まらないのだが。俺はグリンエルの跡継ぎだからいずれは伴侶を得なければならない。うん、全然見つけられる気がしない。女性との付き合いが無いわけではないのだが、それはそれで何か違う。
…………そういうことを考えず馬鹿なりに生きていけたらな、などと思ってしまう。あの厳しい姉が姉ではなく兄であったなら、少しは違っただろうに…………きっとそうなら俺は宮廷騎士にすらなっていないかもしれない。どうだろう? そういう仮定はきっと意味のないものだけど。
……ダメだ。一人で考えていると悶々としてしまう。さっさと上がって寝よう。
† † †
次の日。……ガルちゃんは今日もまだ帰っては来ない。あいつ、大丈夫だろうか? まぁ、5mの火竜をほとんど一人で倒すような奴だ、あまり心配はいらない。ただ、ちょっと寂しくて心配してみたくなってしまう。はぁ、仕方ない。ランスローの奴に手合わせでも頼んでみるか。
「なんだシケた顔してんな」
「!」
宮廷騎士の宿舎棟からの階段を降りてすぐ、突然そんな声が掛かった。今、なんとなく聞きたくなかった……馴染みのある声。
「よ、元気にしてるか馬鹿息子」
「………親父」
王立騎士学校の教官の制服を着た、俺と同じ赤髪の男が目の前に立っていた。彼はニカリと笑って片手を上げると、意地悪げな目をして俺に言った。
「なんだよ久し振りの親父だぞ、嬉しくねェのかよ」
「何でここにいんだよ」
「あん? 仕事だよ仕事。校長の付き添い。王子……じゃねェや、王サマに用事があって」
「何の」
「ほら、この前王サマがうちの学校に視察に来ただろ? その時に学校の生徒たちと騎士たちで模擬戦やってみねェかって話になったらしくてよ。そんで、その打ち合わせ」
「そんな話が……」
「そ。あ、まだ何も聞いてなかったか」
聞いてるわけないだろそんな話。聞いててもグリフレットの奴ぐらいな気がする、ってかあいつも視察行ってたか。
「……で? 何で親父だけこんなトコいんだよ」
「そりゃお前、部屋を追い出されたからだろ」
「…………」
「ま、てな訳で今俺は自由の身って訳よ。折角なら久し振りの王城を見て回ったり、我が子の顔でも見てやろうと思ってな。……ディンドランにはまだ会えてないが」
「姉貴は仕事が忙しいからな」
「はぁ。……カラドックの奴にも会いたかったんだがな…………」
親父はボリボリと頭を掻く。俺がどうしていいか分からずしばらくそこでただつっ立っていると、親父はふと思いついたように手を打ち、にやりと笑った。
「ペレディルお前、ちょっと面貸せ」
…………嫌な予感がする。
† † †
連れられたのは訓練場……やっぱりな、そんな事だろうと思ったよ。
「お前が俺の元を離れてから、どれだけ強くなったか見てやる」
「…………親父こそ腕鈍ってんじゃねーの」
「お、言ったな?」
親父は楽しそうに模擬剣を剣立てから二本取ると、俺に一本投げ渡してくる。そして自分が奥の方に立つと、挑発するように模擬剣の鋒をこちらへ向けてくる。
「そら構えな、本気で来ねェと怪我しちまうよ?」
「……」
俺は右手の模擬剣を見つめ、一度下へ斬り払うとスッと胸の前で縦に構える。セシリア式の騎士の構え。なんだか癪なので名乗りはしない。そのまま体の左側を引き、剣を下段で構える。
親父も俺のほとんど同じタイミングで同じ動きをした。呼吸を整え、神経を研ぎ澄ます。相手の機微な筋肉の収縮すら見逃してはならない。最初の一手が命取りになる。しっかり相手を見て戦えと、親父は言った。剣筋も何もかもをその目で捉え、制する────。
親父が動いた。そう感じた時には既に俺は剣を動かしていた。考えるより先に、反射で体が動いた。脳から走る信号に腕がビリビリと痺れた。剣に強い衝撃が走る。すぐ目の前に親父。笑った目が俺を見る。くそが。
剣を引いてすぐに突く。模擬剣は刃幅の広い両刃の直剣だが、俺がいつも使うのは細身のレイピア……両刃にはなっているが斬ることよりも刺すことに特化する。だから俺の剣術もどちらかと言えば刺突が主だ。親父も同じ。
親父は俺の刺突攻撃をひらりと躱すと突き返してくる。
「っ!」
剣で受ける。……重っ! なんとか受け流すがバランスを崩した。やべっ。続けて出された斬撃を、そのまま横へ転がって避けた。勢いで起き上がる。親父は止まらず、勢いを乗せたままステップしてこちらへ方向を変えてくる。
「………ちょ待てって!」
「敵さんは待ってくれねェぞ〜」
俺が立て直す隙を与えてくれない。……挑発がいけなかったか。この人はかなり大人げない。
刺突攻撃を受ける。またバランスを崩す。……的確過ぎて腹が立つ。
────先代……第22代国王リリアーネス・テフィリス・セシルの下で長年戦い続けた12人の騎士。その一人がこの、パーシヴァル・グリンエルという男。俺の親父。実に32年……俺が生まれるより前から王に仕え続け、さらにそれよりも長く剣を握っていたであろう彼には到底俺の剣など届くはずもない。自惚れるなペレディル・グリンエル。お前はまだまだ弱い。否、強くなれる。
手からついに剣が飛んだ。後ろへ重心が傾くが、なんとか尻餅だけは付くまいと踏み止まる。その鼻先に丸まった鋒が突きつけられる。
「………っ……参った……」
「アッハッハ‼︎ 当たり前だ! お前みたいな若造にまだまだ負けるか!」
豪快に笑い飛ばされて少し傷付く。俺は割と繊細なんだぞ。
「ま、だが俺が普段教えてるひよっこ共よりかはやるよな」
「誰と比べてんだよ」
「おっと失敬、今はお前が宮廷騎士サマだったな」
ムカつく! なんとか言い返してやりたいが言葉が出てこない。俺のバカ。
「………お前さぁ。俺みたいになろうとか思ってるだろ」
「……!」
「あ、否定しない。『ハァ⁈』って怒鳴られるかと思った」
そう言ってなんだか調子が狂ったような様子で親父は無精髭の生えた顎を撫でる。
「まぁその……なんだ。お前に一番近かった騎士が俺だからな。俺を理想像として据えちまうのもなんか分かる」
「………ナルシストだな」
「お前もだろ。まぁそれは嬉しくもあるんだが、そうだな。それがお前の首を絞めちまってるのなら俺は嬉しくない」
「!」
「俺のようになれだなんて、俺は言わねェよ。もしかしたら、誰かがお前を指差して『あいつはパーシヴァルの息子なのに』なんて言うことがあるかもしれねェ。でもそれがなんだ。外野は気にするな。お前はお前の信じる道を行け」
「……親父」
「俺は俺、お前はお前。お前を指差した奴に俺のことを言う権利はない。俺のことを言いたきゃ俺を指差して言えってんだ」
トン、と右手の親指を自分の胸に当て、親父はニヤッと笑った。
「だから、お前がどんな騎士になろうが俺は責めない。痛くも痒くもないからな」
でも、と親父は続ける。
「立派な栄誉ある騎士になったそん時は、俺もお前のことを誇りに思うぜ」
────分かってることだった。親父が俺に過度な期待をしていなきことくらい。けど、本人の口からはっきり言われるとまた違う。
「……ありがとよ親父」
素直に、そんな言葉が出た。
「少しだけ肩が軽くなった」
「少しだけかよ」
「当たり前だろ。俺は王に仕える騎士なんだ。生半可な覚悟でやれるかよ」
ふん、と俺は息を吐く。親父は試すような目をして笑っている。俺はニッと笑い返した。
「見てろ。俺はアンタより強くなってやる」
「ほぉ? 言ったな」
「……難しいことは分かんねェけど。分かんねェから、俺は俺の信じる道を進む」
胸に手を当てる。トン、と心にこの言葉を刻み付けるように。
親父はしばらく口を尖らせ、「ふーん」という顔をしていたが眉を上げるとニカリと笑った。
「そうか」
† † †
─神暦36992年8月4日─
「あたしがいない間に何かあったでしょ」
「ん?」
昨夜帰還したガルちゃんと訓練場に向かっていた時。不意にそう言われた。
「何だかいつもより明るい顔に見えるわ」
「……そうか?」
俺は思わず頰を触る。特別笑っていたわけでもない。まぁ、親友と共にいれば自然に多少の笑みは浮かぶのだが。
「ついに彼女ちゃんでも出来たのかしら?」
「んな訳ねーだろ」
「そうよね」
「それはそれで酷ぇー」
ウフフと笑うガルちゃん。俺も苦笑を返す。
「……少しな。乗っかってたもんが取れた」
「良かったじゃない」
その返答に、俺は彼女の顔をまじまじと見た。
「………お前さ……」
「これだけ側にいたら嫌でも分かるものよ。……でも、“それ”はあたしの役目じゃないと思って」
「………」
「あたしはペルちゃんの親友だけど、何でも助けてあげられるわけじゃない。悩みを聞いてあげるくらいの事はできるけど。……まぁ、そもそもペルちゃんはそういうのあまり好きじゃないわよね」
「そうだな……」
悩みか。ガルちゃんに話す事くらいはできたのかな。
「でもま、お前といるとなんか色々忘れられんだよ」
「そう?」
「んだ。難しいこととかどーでも良くなる。俺はここにいれば良くて、ただ俺であればいい」
「ふーん、何だか哲学的ね」
「そういうのはよく分からね」
直感的に生きる方が楽だ。野に生きる獣たちのように、本能に従ってただその日その日を生きて行く方が楽だ。けど俺たちは理性を持って生まれてしまった。それではつまらない。何かこの生に意味を見出そうと必死になる。どんな風に生きようかと考え、その理想に向かって突き進む。身の丈に合っていればいい。合っていなければ、ただ無理をして辛いだけだ。……そんな人生は嫌だ。
「……俺は俺なりに頑張るさ」
ガルちゃんは何も答えず、まじまじと俺の顔を見ていたがやがてふふっと笑った。
† † †
────時は遡り──神暦36992年8月2日─
「よく来てくれた」
「いいえ。王城にお招き頂き光栄でございます」
王立騎士学校校長、イアロノーサ・ルフェンシーク。その隣に教官長パーシヴァル・グリンエル。向かい側に俺とユーサー。……まぁ事務的なことは評議会を通すように言ってあるし彼がいるのは仕方ない。やり辛いけど。
俺の執務室。机の前に椅子を4つ並べている。少し狭いが仕方ない。……というか。
「……お前は呼んでいないぞパーシヴァル」
「やだなぁ、校長の護衛ってか付き添いじゃあないですか。俺は城に慣れてるし適任でしょう?」
笑うパーシヴァル。すると彼はユーサーへ目を向ける。
「やぁ久し振りだなぁユーサー。……あぁ今は議長殿か。やれやれ、先代の時の感覚が抜けなくていけねえ」
「……お元気そうで何よりです」
「相変わらずお堅いねぇ」
がははと笑うパーシヴァル。場を和ませようという彼なりの気遣いなのかもしれないがこの場ではやりにくい。
「すまないがパーシヴァル、席を外してくれ」
「え、マジか。……まぁいいや、んじゃあ俺は城内を散策して来ますんで、話が終わる頃に戻って来まさあ」
ついでにせがれの顔でも見てきてやるか、などと呟きながら彼は出て行った。はぁ、と俺はため息を吐く。
「……うちの者が無礼を……」
「あ、あぁいや良いんだ、あれは昔からそういう奴だから、な」
「はぁ」
下げた頭を上げるイアロノーサ。苦労なされたんでしょうなあ、と顔に書いてある。多分彼も苦労している。
「……本題に入ろう。ユーサー」
「はい。では先日王がご訪問の際────」
騎士学校生徒たちと、うちの現役騎士たちによる、模擬戦。宮廷騎士たちにも参加してもらうことになるだろう。それから、イヴァンも投入する。良い訓練になるだろう。俺? 俺は、出ない。出たって俺に攻撃してくるとすれば反逆者くらいなものだろう。そもそも勝負にならないしな。指揮官としての参加を予定している。軍略なら嫌いじゃない。うちには軍師がいない。王が自ら考え、指揮を執る。今までもそうして来た。時折ミルディンの助言は貰うが。
「場所は王都から北の森を予定しておりますが」
「森ですか。平野ではなく」
「拓けた場所ばかりでないからな、戦場は。見通しの良い平野よりも見通しの悪い森の方が作戦や立ち回りは重要になる。折角やるのなら普段遠征が難しい地でやった方が良いだろう」
俺はそう言う。騎士学校の課外授業で生徒同士の模擬戦は存在する。しかし引率の問題もあり、王都近郊の平野で行われることが多い。しかもクラスごと。今回のような大規模な、しかも現役騎士を巻き込んだものはそうそう出来るものではない。
「今回が初めての試みだ。色々不測の事態があるかもしれん。……もしもの場合はこちらで出来る限り対処するが……そちらでも準備はしておいてもらえると助かる」
「分かりました。こちらも出来る限りの事は致しましょう」
学校に所属している戦闘経験者はそう多くない。教官長たちは騎士経験者、最高戦力は元宮廷騎士のパーシヴァルだろう。もし……いや、その可能性を低くするための北での演習なのだが、もしも、模擬戦中にリーネンスが襲って来れば…………。
……最悪の事態だけは避けねばならない。でなくとも賊が襲って来る可能性が無い事はないのだから。出来る限り安全な場所を選んでいるが獣だって出る。竜は生息していないはずだが光蝕竜の件もある、完全に無いとは言い切れない。不測の事態に備えておくに越したことはない。第一は生徒たちの身の安全。いずれは命の危険のある戦地に彼らは赴くわけだが、今はまだ騎士の卵。散らせるわけにはいかない命だ。
「実施は1ヶ月後、9月5日から6日の2日間。……それでよろしいですね」
スケジュール帳を確認しながらユーサーが言う。イアロノーサは頷いた。
「はい。その日が本来我々の行っていた模擬戦の日でしたから」
「もし、今回のことが上手く行けば、来年以降も行っていきたい。現役の騎士たちにも良い訓練になるだろうからな」
「はい。……チーム分けなどは」
「こちらも半分、そちらも半分に分けてそれぞれ合体させる。指揮官は俺と……もう一人こちらで選出しておく。チームの決め方はくじなど無作為で構わん」
「はい」
生徒と騎士の合同チーム。一般騎士も宮廷騎士も半々に分ける。そこも……くじで良いか。イヴァンも。……数が合わないな。13人になる。一般騎士枠には入れ辛いし。それから俺ともう一人の指揮官役。……誰にさせよう。当てがない訳ではないが……。
(……引き受けてくれるだろうか)
うーん。まずは頼んでみるしかあるまい。
#47 END