#45 If you can't be good, be careful
─神暦36992年7月14日─
ロトルク帝国皇子御一行様の滞在2日目。ユージア様たちは快適に夜を過ごされただろうか────などとそんなことを思いながら朝の支度を済ませ、アルファイリア様の部屋の扉を叩く。
「アルファイリア様、おはようございます」
………返事がない。まだ起きておられない? おかしいな。いつもならとっくに起きておられる時間だ。
「アルファイリア様」
もう一度ノックし、ドアノブに手を掛ける。………鍵が掛かっている。起きておられないということか。────それとも。
一つ深呼吸し、僕は鍵穴の上に手をかざす。そこに影が落ちる。それを立体に起こすと鍵穴の中へ…………しばらくやっているとカチャリと音がした。よし、開いた。
────泥棒に入り放題だって? 嫌だなぁ、そんな悪いことには使う訳ないじゃないか。じゃあどうしてこんな事が出来るのかって……そりゃあね、任務先で見つけた宝箱とか開けたくなるでしょ……。
それはさて置き、鍵は開いたのでドアを開ける。その瞬間、むわっと特徴的な臭いが鼻についた。
────そして目に入った光景を見て、僕は顔をしかめた。
「うわ…………」
床に転がるワイン瓶。それも一本や二本でなく十本くらいはあるだろうか。空になっているのは二本くらい。後は半分くらいは残っている。
「…………」
僕は額を抑えた。
────なぜならその床では二人の王族が、寝っ転がってイビキをかいていたからだ。
† † †
「王族として恥ずかしくないんですか」
「…………すまん」
「恥ずかしくないんですか」
「イヴァン殿。アルファイリアは悪くない。悪いのは俺だ」
ユージア様良い子か! 僕は一つ咳払いすると目の前に鎮座する二人に話を促した。というかすごい状況だこれ。
「晩餐会のあと、俺がセシリアの酒を飲んでみたいと言い出して」
「それに応えて秘蔵のコレクションを出して来たわけだが」
と、アルファイリア様が一本のワイン瓶を持ち上げる。ほとんど空である。
「度数の高いこれをユージアが気に入ってしまってな……」
「二人で話をしながら呑んでいたのだが、途中から記憶がない」
「ご友人が出来て浮かれているのは分かりますが」
「う」
「まぁ……」
「程度ってものがあるんですよ、分かります?」
「「はい…」」
……どうして僕はこんな朝っぱらから王と皇子に説教しなければならないのだろうか。
そう思っているとアルファイリア様がハッとする。
「とか言ってお前だってよくルーカンの部屋で酔い潰れてるだろ!」
「う」
「人の事言えねェじゃんかお前も!」
「た、そ、それは、そうですけど、立場ってものがあるでしょう!」
「百歩譲って宮廷騎士は良いとして、お前は俺の護衛官だからな!」
「そうですよ! だから怒ってるんですよ今! だらしない主に説教なんかしてるんです!」
「なっ、おま」
と、その時ユージア様が右手で頭を抑え、左手で僕らを制した。
「……大きな声はやめてくれ、頭に響く…………」
「!」
「すっ、すみません……」
そういえば俺も、とアルファイリア様が頭を抑える。……はぁ。なんか疲れたな。
「……もう良いですよ。じゃあこれ」
僕は影の中から皮の小袋を取り出した。その中からコロリとした黒っぽい丸薬を取り出す。
「な、何だそれ」
「色々効く薬です。どうぞ」
「…………怪しい薬だな」
「毒とかじゃないんで安心して下さい」
「お前……まだ怒ってるだろ」
「怒ってませんよ」
「頂こう」
「あ」
ユージア様が僕の手から一つ取って口に入れた。
「お前……もうちょっと警戒心とか……ねェの……」
と、言いながらもアルファイリア様も僕の手からそれを取り、口に入れたところで不意にユージア殿が体を捻って口を抑えた。
「⁈……どうしたユー……って苦っ‼︎」
「にっ……何だこれは」
二人揃って口を抑えてすごい顔をする。これがまさに“苦虫を噛み潰したような顔”って言うんだろうか。虫じゃないけど。
「三日月草とデーティオクスと……まぁ色々混ぜた丸薬です。大抵の事はよくなりますね」
「最後の方怪しかったぞ」
「変なものは入ってな……いやちょっとは入ってますけど大丈夫です」
「それは大丈夫とは言わない」
にが、という顔をしながら言うアルファイリア様。残念ながら手近に水はない。
「王族の方には縁の無いものばかりでしょうけどね。庶民のアイテムも悪くないんですよ」
「庶民の……っていうか傭兵の?」
「そう……かもですね」
「……あぁ、イヴァン殿は元傭兵だそうだな」
一方でユージア様はもう涼しい顔をしていた。恐らくまだ苦味は残っているはずだが、ガンガンと響いていた頭痛が引いたのだろう。……アルファイリア様は未だ苦味に苦しめられている。
「アルファイリア様が話したんですか?」
「あぁ、まぁ。……聞いてはいけなかったか」
「別に構いませんよ。隠してる訳でもありませんし」
サガさんには何となくでバレたし。
「セシリアの身分制度は厳しいものだと聞いていたが……」
「それがまぁ、今のところ大丈夫なんですよね。アルファイリア様のお陰もあると思いますけど」
「とは言え、妬み嫉みで命を狙われたのは一回や二回じゃない」
やれやれとアルファイリア様が肩をすくめると、ユージア様は眉根を寄せる。
「大丈夫、なのか……?」
「その辺の騎士くらい、屁でもありませんよ」
一般騎士一人に襲われるくらいなら怖くない。さすがに何十人で来られたら困るけど。
「……そういやお前、どうやってここの扉開けた」
「え」
「俺鍵閉めてただろ」
「ちゃんと戸締りしてたのは偉いですよね。……秘密です」
「はぁ……」
「器用なんだな、イヴァン殿は」
ユージア様に褒められる。……二日目朝にしてだいぶユージア様の印象が変わっている。
「……まぁ、大抵のことはできますよ」
「俺より結構色んな経験してるよな」
「城に篭ってるお坊っちゃんとは違うんですよ」
「な……言うようになったな、お前……」
僕たちの会話を聞いて、クスッとユージア様が笑った。
「な、何だ」
「あぁいや、仲が良いのだな、二人は」
言われて、アルファイリア様が困った顔をする。
「……おかしいか?」
「いや、良いなと思っただけだ。俺はなかなか、その、臣下の者と親しくはなれぬものだから」
「お前……近寄り難いオーラ出てるもんな」
「……そうらしいな」
「正直俺、昨日初めて会った時はちょっと怖かったし」
「そ、そうか、それは……すまない」
ちょっと傷付いた様子のユージア様。……もはやどこも怖くはない。アルファイリア様はデリカシーがない。
「これでも昔よりは丸くなったと、自分では思うんだが……」
「昔はもっと尖ってたってことか」
「そうだな。自ら人と関わることを拒んでいた」
「今は違う?」
「あぁ」
そう答えたユージア様に、アルファイリア様はにんまりと笑った、
「よし。それじゃあ三人で食堂に行くか」
そう言えばお腹が空いた。いつもならとっくに朝食をとっている時間である。……ちょっとお説教に時間を使い過ぎてしまったようだ。
† † †
昼。魔術師殿との約束のため僕たちは訓練場に集まった。ここにいるのは魔術師殿と、僕、アルファイリア様、ユージア様、ユーステス様……ユーリ様は少し離れたところで見ている。
「参加しないんですか?」
「僕は良いんです。元々力を使うのも上手くありませんし……医師なのであまり必要なくて」
「そうなんですか」
医師、かぁ。確かにまぁ、ユーリ様はあまり戦いそうにない。
「ミルディン先生! 早く教えてくれよ!」
「先生かぁ、照れるね」
ユーステス様の言葉に、はにかむ魔術師殿。それじゃあ、と彼は杖を持たない左手を僕らの方へ差し出すと、掌を上に向けた。
「“ライト”」
ぽっ、と小さな光の玉がその上に浮く。ふわふわと微かに上下し大きさを変えながらもそれはそこに浮いていた。
「光や闇、炎に水。エレメントは自然のもの。それは俺達の精神に作用する。目には見えなくとも、確かにこの世界に生きる僕たちに影響を及ぼしている」
と、その手を軽く握り、右側から左へと振った。その軌道に、五つの光の玉が浮いた。
「イメージする。ここにある光が別の物へ姿を変えることを。例えば……そうだな、熱く、燃えるように」
右端の光の玉が、ボッと燃えた。火の玉だ。しかしそれはすぐに消えてしまった。
「炎は、燃料なしには持続しない。消えたのは光のエレメントとは性質が違うから。別のエレメントを扱うのにはこういう難しさがある」
左端の光の玉が水に変わり、地面に落ちる。その途端、それは氷の花を咲かせた。
「今、分かりやすく可視化しているけど、これは直接それが形を変えてるわけじゃない。光そのものは炎にも水にもならないし、水はこの気温では氷にはならない。“エレメント”、と“実際にここに存在しているもの”は微妙に違う。樹は確かに樹だが、それそのものはエレメントじゃない。そこらに生えている樹を炎に変える事は出来ない。じゃあどうするのかって話だけど」
そこで、うーんと魔術師殿は考え込んだ。
「こればかりは……目に見えないからなぁ。何て言えば良いのか分からないけど………じゃあ、イヴァン君」
「はい」
突然名前を呼ばれる。返事をすると、彼は僕を指差して首を傾げた。
「前に俺の呪印を受けた事があっただろう?」
「あ、あぁはい」
「あの時ピリッとしたの覚えてる?」
「はい……」
「あれは、君の体が自身のものとは異なるエレメントを感知したからだ」
……あぁそんな事を……言っていたような。
「エレメントは、感じる事が出来る。自分の中に流れるものは特にね」
「……うーん? そうなのか?」
首を傾げるユーステス様。……確かに、普段影のエレメントを感じるかと言われれば、分からない。
「いちいち自分の中の血流を感じていたら気がおかしくなると思うよ」
「う、ん」
「慣れさ。常にあるものは無いのと同じ。だが確かにそこにあるのだから感じられないということはないのさ」
「………」
「魔術の道、其の一。まずは己のエレメントを感じ取れ。以上。さぁやってみよう」
「いやいきなりそれは無理だろ」
アルファイリア様の言葉に僕もユーステス様もコクコクと頷いた。一人、ユージア様だけがうーんと考え込んでいる。
「……己の……中の力を感じる……か」
「自力で行く気かよ兄上」
「じゃあ仕方ない。ユージア皇子、ユーステス皇子に軽く闇の力をぶつけてみて」
「え」
「了解した」
「えちょっと兄上待って!」
ユーステス様が逃げる間もなく、ユージア様が放った闇の波動が彼を襲う。訓練場の低い仕切りを飛び越えて、ユーステス皇子が背中から地面に着地する。……怪我はないけど痛そうだ。
「何で弟に対して躊躇いが無いんだ」
アルファイリア様が冷や汗をかいて言う。
「そんなヤワな奴ではないからな」
「…………いって! でもちょっと手加減してたの分かった!」
がば、とユーステス様が後頭部を抑えて起き上がる。
「他に何か感じたことは?」
「え?」
「闇の力にぶつかった時。何か感じなかったかい」
「ん〜……えーと、なんかこう、ゾワッと」
「それさ。闇のエレメントはゾワゾワする」
「待って下さい、ユーステス様もユージア様も同じ闇の守護者ですよ、なのにどうして慣れたエレメントを感じる事が出来るんですか」
僕は咄嗟に手を挙げて質問した。なんか学校っぽい。
「人の宿すエレメントは個人によって微妙に違うんだ。大部分は同じなんだけどね。ほら、君達に支給した羅針盤。あるだろう? あれはそれを利用している」
羅針盤、というのはあれだ。僕と先生とグワルフさんで出征した時に魔術師殿から(アルファイリア様経由で)貰ったもの。エレメントを込めた持ち主の元を針が指すようになっていた。
「あぁ……」
「だから、同じエレメントでも微かに違和感を感じる。まずはそれをヒントに、自分自身のものを感じられるようになろうか」
「うげ………長そうだな」
「ほらねイリア、だから君には向いてないと言ったんだ」
アルファイリア様が唇を噛む。悔しそうだ。
(君は? 分かる?)
ノイシュに訊いてみる。精霊の彼は少し詳しかったりしないかな。
『うーん、まぁ確かにアンタらよりかはエレメントを感じやすいぜ。というか俺たちは自分自身のエレメントってものを持ってねェし』
(え)
『最初に言っただろ、俺達はエレメントを生成する核を持たないって。今はアンタの核を借りてるから、俺はアンタのエレメントを貰ってる。まぁ少しは分かるぜ。気が狂うほどじゃあねェけど』
(そうなんだ……)
普段感じられないもの……感覚が麻痺しているものを感じることって出来るんだろうか? やっぱりそういうのにも適性があるんじゃ……。
自分に流れる影のエレメントを意識してみようとしてみるが、やっぱり何も分からない。なんとなく、自分の心臓の鼓動だけは分かる。でもそれだけだ。悶々としていると、魔術師殿が言う。
「さて、座禅……とかで、集中するのもいいけどそれじゃあ退屈だよね。君達血気盛んな若者だし。じゃあ手っ取り早く色んなエレメントを受けてみようか」
「……どういうことだ?」
アルファイリア様が目を細める。すると、にっこりと魔術師殿が笑う。
「うん、じゃあ俺と戦ってみよう」
「え」
「はぁ⁈」
「大丈夫なのか」
僕、アルファイリア様、ユージア様のそれぞれの反応に、魔術師殿はうん、と頷いた。
「運動がてら、良いだろう? あぁ、心配しなくて良いよ。お互い武器は使わない。力だけ使って攻撃だ。それで、俺からの攻撃を受けるか自分が使う中でエレメントの感覚を掴む。うむ、なかなか合理的な訓練方法じゃないか?」
「えぇ………」
「珍しいな、お前いつも戦うの面倒臭がるくせに」
「イリア達が魔術を覚えられるように尽力してあげてるんじゃないか、感謝しておくれ」
「ぐむ……」
「力は遠慮なく使ってくれ。大丈夫、当たらないから」
「言ったな」
「言ったよ。俺は嘘は吐かない」
得意げに言って、少し下がる魔術師殿。この、そう広くはない訓練場。この人数相手に大丈夫なのか……? というか、魔術師殿が魔術を使って戦うのを見るのは初めてかもしれない。
「それじゃあ、皆んな並んで。ユーリ皇子は危ないから下がっててね」
「は、はい!」
僕らの後ろ、道の反対側の木陰に移動するユーリ様。
「君達が死なない程度に頑張るね」
「お前、皇子殺したらどうなるか分かってるよな……」
「俺は一流だよ。加減くらい分かるさ」
不敵に笑う魔術師殿。……ちょっと腹立つなぁ、ぎゃふんと言わせたい。あの顔。さすがにこの人数だし、アルファイリア様もいるし。
「いいかい、闇雲に戦うのではなくしっかりエレメントを感じ取ること。でなければこの意味がないからね。それじゃあ」
魔術師殿が杖で地面を叩いた。
「────始めようか!」
そう叫んだと同時に、彼の背後に四つの光の矢が浮かんだ。
#45 END