#41 Do not cross the bridge before you come to it
─神暦36992年7月4日─
7月。暑い。暑いと言っても高くて25°C。空気もカラッとしているので割と過ごしやすい。でもやっぱり暑いものは暑い。長袖じゃあ特に。僕らの服装は通気性も良くないし。……アルファイリア様、夏服というものを導入されてはいかがでしょうか。
まぁ、当の本人はワイシャツ一枚で腕まくりをして涼しそうなんだけど。僕もオフならそうする。けど。
「……何してるんですか? アルファイリア様」
「…………」
僕が執務室に入ってから数分。彼は僕の方を見もせずにずっとじっと何かを見ている。手元には開封済みの封筒。手には便箋。それをじっと何やら難しい顔をして見つめている。
「どうしたんですか」
僕がそう言うと、ようやくアルファイリア様は顔を上げた。そして、手元に置いていた封筒を僕に差し出して来た。近付いて、それを受け取る。なんの変哲も無い封筒である。封の開いたその中には何も入っていない。ぺたりと、封を閉じると紫色の封蝋が見えた。……あれ? この紋……。
「…………帝国じゃないですか!」
「そうだよ」
「どなたからですか」
「姉上」
「……あぁ、アルフィア様」
彼女からは時々手紙は送られて来ているはずだ。そんなに難しい顔をする必要があるのだろうか?
そう思いながらアルファイリア様を見ていると、彼は額に手を当て肘を机についた。
「…………大変だ……」
「何がですか」
「皇子が」
「はい?」
「…………来る」
僕は一瞬、その意味が飲み込めなかった。……え? 何だって?
† † †
「いつですか」
「13日」
「……なかなか急ですね、全く、アルフィア様は……」
僕が呼んで来た議長殿は、アルファイリア様の前で大きなため息を吐いた。
「立て込んだ仕事はありませんが、もう少し準備期間が欲しいところです」
「姉上だけならともかく」
「同盟国の皇子の来訪を迎えるとなると……色々必要になります」
ロトルク帝国。セシリアの同盟国。アルフィア様はその第一皇子と婚約している。……そう言えば前にいらっしゃった時「今度皇子も連れて来る」というような事を言っていたような気がするけど。
「言っていても仕方ありません、何人来られるのですか」
「姉上とユージア皇子、あとユーステス皇子とユーリ皇子……その他護衛の兵が諸々」
似たような名前ばかり……えっと、ロトルク帝国の皇子は五人兄弟なんだったっけ?
「まぁなかなかの大所帯で……。分かりました、至急準備に取り掛かりましょう」
「お前なら9日あれば出来ると信じてるぞ」
「勿論です」
……9日ってそれなりにある様な気がするけれど、そんなに大変なんだろうか。いまいちピンと来ない。
では失礼します、と議長殿は王に一礼し、隅に立っている僕にも一礼すると部屋を出て行った。その姿を見送り、アルファイリア様はさっきの議長殿のようなため息を吐いた。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫なものか」
「アルフィア様が帰って来られるからですか?」
「違……いや、まぁそれもあるか。だが今回の客はその辺の貴族とは訳が違う」
「…………はぁ」
「一国の皇子だぞ。俺は王とは言え世代的には同じ……姉上の婚約者だから義兄にあたる訳で……歳下だけど」
「歳下なんですか」
「ユージア皇子は今年34だ」
……アルファイリア様の2個下、と。歳下なのに義兄ってなんか変な感じだな。……ん? って事はユージア皇子よりアルフィア様の方が歳上なのか……。
「…………まぁ、下手な歓迎は出来ない。出来る限りのもてなしをし、失礼の無い様にしなければならない。向こうの機嫌を損ねれば同盟破棄もあり得ない話ではない」
「そんなに怖い方なんですか?」
「…………分からん。が、皇子はかなりの堅物だと聞いている」
「会ったことないんですか」
「ない」
心配し過ぎでは? アルフィア様も平気そうだし。
「後のユー……なんとか皇子は」
「お前失礼だぞ」
「すみません」
「ハア。……ユーステス皇子は第二皇子、ユーリ皇子は第五皇子。第三皇子がユーフェン皇子、第四皇子がユーゴ皇子。……同盟国の皇子の名前くらい覚えておけ」
「……はい」
勉強不足でした。……今度スコートの王子達の事も調べておこう。それにしても覚えにくいな、ロトルクの皇子……。
「帝国は軍事国家だ。王は勿論、皇子も全員軍人。ユージア皇子は剣の達人だとか」
「強いんですか」
「そりゃあ……だろうな」
「アルファイリア様より?」
「そっ、れは、やってみなきゃ分からん」
と、言った後で「やらんけどな?」と彼は付け足した。……嘘ばっかり。めちゃくちゃやってみたそうな顔してる。
「とにかく! 心構えやら国民への周知の為にも一ヶ月くらいは普通は準備期間を要するんだ! それを……姉上は『しばらく暇なのでユージア殿を連れて13日に帰るぞ』……などと」
……うん、アルファイリア様の姉上だなぁ…………という言葉は胸の内にしまっておこう。
「…………という訳だ、しばらく忙しくなる。お前にも手伝ってもらうぞ」
「え」
「当たり前だ。俺にも色々仕事がある。あー、折角今週は狩りに出ようと思っていたのに」
「それ僕聞いてませんけど」
「あ、そうかすまん。まぁ無くなったから気にするな」
そーいうとこですよねー、本当。
「それじゃあ早速お前に一つ仕事を命じる」
「はい」
アルファイリア様は立ち上がると、びしりと僕を指差した。
「宮廷騎士全員王座の間に召集!」
「僕伝達役じゃないんですけど!」
…………と言っても、はぁ、仕方ない。
† † †
と、いうわけで。十二人の宮廷騎士は玉座の間に集められ、その後ろに八人の評議員とさらにその後ろに使用人、一般騎士一同。……多い。ここまで揃うと壮観である。先月の天神祭以来かな、これ。
僕は玉座の隣に姿勢を正して立っている。その向かい側には魔術師殿。……こういう時にはちゃんといるから不思議だ。誰が呼んだ訳でもないだろうに、ちゃんといる。……普段本当にどこにいるんだか。
皆が揃ったのを確認した王が、玉座から立ち上がる。
「これより9日後! 我が国の同盟国ロトルク帝国の第一皇子、第二皇子、第五皇子がアルフィア様と共に王城に来られる!……」
その場の空気に、緊張が走った。後方から騒めきも聞こえる。ざわざわ。マジ? 急過ぎだろ、帝国の皇子って怖いんだろ────……
その騒めきの中を掻き分ける様に、王の声はよく通る。でも、ちゃんと届いているのは二列目の評議員までの様な気がした。
絶対に歓迎ムードではない。……アルフィア様も宮廷内では恐れられている存在。それに帝国の皇子も堅物だ何だと怖がられている様子。多分アルフィア様の婚約当初からそういう噂があって、それに段々尾鰭が付いている感じ。……一体どんな人なんだろう。僕も怖くなってきた。
「…………以上! 心して準備にかかれ!」
はい! ……と、声は上がるもどうだろう、大丈夫なんだろうかこんな調子で…………。
† † †
─神暦36992年7月13日─
ついにその日は来たれり。太陽が南に昇る頃、街の大通りには民衆が集まり、パレードの準備が為されているはずだ。僕たちは、玉座の間にて一行を待つ。ドキドキ。緊張に心臓が跳ねている。アルファイリア様も多分同じだろう。同じ様に待つ宮廷騎士たちにも緊張が見える。丁度正面に背中を向けて立っていたトリスが振り向いて僕に目配せして来た。僕は大丈夫、と目で返した。
足音。複数の気配。……先頭を歩くのは武人だと分かる。落ち着いた足取り。扉が開かれた。現れたのは六人。一行の先頭に立つのは、紫がかった白髪の男。目にかかりそうな前髪と長めのサイド髪に囲まれた顔は、いかにも堅物そうだった。四角い眼鏡の奥の濃い紫の瞳は鋭い光を放っている。暗い青紫のコートの右上腕にはロトルク帝国の腕章。腰に長剣。その隣に立つのはアルフィア様、後ろにルヴィーレンさん。そしてさらにその後ろに先頭の男と同じ髪色の男が二人、一番後ろには黒い軍服の壮年の男が立っていた。
「お初お目に掛かる、セシリア王」
先頭の彼が、口を開いた。しっかりした、低めの声。……威圧感。どうしてアルフィア様は普通ににこにことして立っていられるのか……。
「ようこそ、遠い旅路を無事に来られた事、嬉しく思う」
アルファイリア様が立ち上がる。緊張を隠した堂々とした顔。さすがである。
「下で食事の席を用意している。旅の疲れを癒されよ」
……さて、どうなる事やら。
† † †
客間にて。今回は宮廷騎士は非参加、僕はアルファイリア様の付き添いでベルナールさんと同席、他にはアルフィア様と皇子三人、ルヴィーレンさんと……軍服の人。……誰だろうあれ。
円卓を挟んでセシリアとロトルクの二対四。ルヴィーレンさんとベルナールさんと軍服の人は後ろに立っている。……あの人も立ち位置的に、護衛っぽい。
「ロトルク帝国第一皇子、ユージア・ヴェルン・ロトルクだ。よろしくお願い申し上げる」
「セシリア王アルファイリア・テフィリス・セシルだ。こちらこそよろしく」
眼鏡の皇子がユージア様。……仏頂面。議長殿みたいだな。
「俺は第二皇子、ユーステス・ヴェルン・ロトルク。よろしく」
「だ、第五皇子、ユーリ・ヴェルン・ロトルクです、よろしくお願いします」
オールバックのやんちゃそうな見た目の皇子がユーステス様、白衣のなんとなく硬さの抜けたユージア様っぽいのがユーリ様。覚えた。
「セシリア王国第二王女アルフィアだ」
「知ってます」
「冗談だ」
にっこにっこしたアルフィア様。困った顔のアルファイリア様。ユージア様が咳払いをする。
「帰って来て浮かれているのは分かるが、そういう事は控えてくれ」
「何だ、少しくらい緊張を解してやらねばと思ったまでだ」
「……全くお前は」
「ほら、護衛官殿、自己紹介せんか」
「あ、はい、すみません」
アルフィア様に振られ、僕は皇子達に名乗る。
「アルファイリア様の護衛官、イヴァン・グリフレットと申します。よろしくお願い致します」
「アルファイリア様の毒味のベルナール・レミエルです。いつも兄がお世話になっております」
「あー、本当だ、顔一緒だ」
「ユーステス」
「……すみませんね兄上」
「俺ではなく向こうだ」
ユージア様に言われ、ユーステス様がベルナールさんにウィンクして「悪い」と謝る。対してベルナールさんは目を閉じて「いえ」と応えただけだった。反対側でルヴィーレンさんが苦笑している。
「……そちらの方は?」
僕は思い切って、彼らの後ろに立っている軍服の人について訊いてみた。すると、ユージア様が「あ」という顔をした。
「あぁそうだ忘れていた。……サガ」
「ロトルク帝国軍大将、サガ・ヒルデブラントと申します。皇子と王女の護衛として参りました」
「俺はいらんと言ったのだが……父上が一人は連れて行けとうるさく」
「すまんな、手紙を送ってから決まった事で」
「私の事はお構いなく」
サガさんはそう言って目を閉じる。腰には黒い鞘の刀が提がっている。……珍しいな、刀。初めて見た。東方の人かな?
「……姉上、此度はどれくらいの滞在ですか?」
アルファイリア様がそう訊く。うむ、とアルフィア様は頷く。
「今日を入れて5日だ」
「5日」
「嫌か?」
「いえ。ゆっくりなさって下さい」
長いな、という顔をした。アルフィア様は多分それに気付いたけれど気付かないふりをしていた。
「しかし良い所だな、セシリアは」
徐ろに、ユージア様が口を開いた。
「!」
「豊かな土地と活気ある民。美しい街並み。王都もこの城も素晴らしい」
「……お、お褒め頂き光栄だ」
「帝国とは全く違う。……騎士の鎧も剣も見慣れぬものばかり。興味深いな」
あ、そうか。帝国には騎士がいないのか。代わりに彼らの様な軍人が国の治安を守っているんだ。
「良ければ後で色々と案内して貰えるだろうか」
「あ、あぁ、勿論」
「感謝する」
「僕もセシリアの医療を見てみたいです」
ユーリ様がそう言った。僕は思わず訊き返した。
「医療?」
「はい。僕は軍人ですが戦場には出ない軍医なんです」
「へぇ、凄いですね」
「そうですか? ありがとうございます」
にこりと彼は笑う。容姿はユージア様に似ているけれど、ユーリ様はよく笑う。……何というか、可愛らしい。
「それでは別れて見学でもするか。あぁ、私は疲れたから休ませてもらう。城の事は飽きる程知っているからな」
「では俺はアルファイリア殿と」
「え、あぁ分かった」
ユージア様の言葉にアルファイリア様はちょっと驚いたようだった。
「ユーリは護衛官殿と共に行くと良い」
「僕もご一緒しますね」
ベルナールさんありがとう!
「……お前はどうする、ユーステス」
「俺か、うん、そうだな、ユーリについてく」
「分かった」
ふと、アルファイリア様を見ると何となく不安そうな顔をしていた。
────大丈夫です、アルファイリア様。なんとかなります!
† † †
食事も終わり、客間を出てすぐの廊下。ユージア様とアルファイリア様は先に出られた。
「セシリアの料理結構イケるな、後でレシピ教えてくれよ」
「それでしたら後で料理長の所にでも参りましょう」
「お、話分かるね、何だっけ、ベルナレン?」
「ベルナールです」
「あぁそうそう」
ユーステス様はよく喋るなー。思っていたよりとてもフランクである。逆にこっちはどう接して良いのか分からない。
「ユーステス様はご自分でお料理されるんですか?」
「その“様”ってのやめてくれ? あんまり好きじゃねェのよね、それ。ユーステスでいーよ」
「……そんな無茶な」
「ま、いーや。あぁ、するよ。城でもするし遠征先とかでもよく」
「ユーステス兄様の料理は美味しいんですよ」
「やめろよユーリ、照れるだろ」
仲良いなー、二人。いいな、羨ましい。
「あ、僕の事はどうかユーリと」
「そんな、畏れ多い……」
「イヴァンさんとはお友達になりたいんです」
「え、僕?」
「駄目ですか?」
……同じ目線の高さ。身長が僕と一緒なんだ、彼。真正面からそんな目で見られるととても困る。……困る。
「皇子がそう申されるのなら応えないのは失礼に当たりますよ、イヴァンさん」
「うっ、あの」
「あ、え、ええと無理にとは言わないですけど」
と、ベルナールさんの言葉と困る僕に慌てて言うユーリ様。すると、肩をポンと叩き、ユーステス様が僕らに向かって言う。
「国内じゃあさ、俺ら皇子はやっぱ皇子だから絶対普通の友達とか出来ないワケ。でも国外なら良いじゃん? お前らは俺らの配下にある訳じゃねーし」
「どこの国でも皇子は皇子です……」
「全くおカタいなぁ、護衛官殿……えーと、エヴァだっけ」
「イヴァンです!」
「あぁそうだった」
ユーリ様がさっき言ってたじゃないですか! この人名前覚えるの苦手なのか!
「すみません、兄はこういう人で」
「……良いですよ……」
ユーリ様に謝られると怒る気になれない。不思議だ。
なんて思っている間に医務室に着く。
「ここです、医務室は」
ドアを開ける。薬品の匂いが鼻についた。真っ白な景色が目に飛び込んで来る。白い壁と床、そしてベッド。棚に置かれた薬草……など。
「わぁ……結構広いですね」
「二百人くらいは収容出来ます。……それでも溢れる時は溢れますが」
「触らないので薬品類を見て回っても良いですか?」
「はい」
「あ、あと書架などあれば後で案内して下さい……」
「分かりました」
タッタッタとユーリ様は医務室の中へ小走りに駆けて行った。とても目がキラキラしている。全身から「好奇心」が溢れているようだ。
「……ユーリは真面目だなー」
ユーステス様がその様子を見て呟いた。
「あいつ戦えねェから、医療班で頑張ってんの」
「……他の皇子は皆さん武術を?」
「ん? あぁ。兄上は剣でユーフェンが狙撃銃、ユーゴは短剣、そんで俺は銃剣。あ、銃剣って分かる?」
「知らないです」
「あーそっか。やっぱセシリアにはねェか、これ。銃と剣が一緒になってんの」
と、彼は腰の後ろに挿しているものを手で叩いた。……見かけはほとんど普通の剣にしか見えない。
「まー後で見せてやるよ」
「ありがとうございます」
……というか、この国では銃すらないんだけどな。飛び道具と言えば弓ぐらい。
「わぁ、何ですかこの薬草!」
「あぁ、それは……」
ユーリ様は目を輝かせて棚の上の瓶を見ていた。とても触りたそう。でも我慢している。僕は薬草の知識はそれなりにあるので説明しようと彼に近付く。
「……友達になってしまえばいいのに……」
ベルナールさんが後ろからそう言ったように聞こえた。……それはちょっと難しい。
#41 END
*新規登場人物*
ユージア・ヴェルン・ロトルク
ロトルク帝国第一皇子。帝国軍中将。34歳。アルフィアの婚約者。闇と秩序の守護者。
ユーステス・ヴェルン・ロトルク
ロトルク帝国第二皇子。帝国軍少将。30歳。闇と秩序の守護者。
ユーリ・ヴェルン・ロトルク
ロトルク帝国第五皇子。帝国軍医療班に所属している。22歳。闇と秩序の守護者。
サガ・ヒルデブラント
ロトルク帝国軍大将。刀の使い手。50歳。闇の守護者。




