#3 Who knows most, speaks least
-神暦36992年4月3日-
鳥が鳴いているのかと思った。いや、この春の陽気の下、小鳥が木の上で囀っていても何もおかしい事はないのだが。
ピーヒュルピーと聞こえて来たそれは、口笛だった。庭園を歩いていた僕は足を止め、目の前の木蓮を見上げた。立派に伸びた枝には、薄ピンクの花が今まさに咲き誇っている。その群れの中に、対照的な黒の姿が見える。口笛の主は彼だ。
やがてパタパタパタ、と駒鳥が飛んで来て、彼の細やかながらしっかりとした指に止まった。
「……俺は駒鳥を呼んでいたのだけど、他のも釣れちゃったか」
長い杖を肩に立てかけて抱き、幹の分かれ目にはまるようにして寝転んでいた彼は、そう呟いてこちらを見下ろした。
艶やかで少しはねた黒い長髪、妖艶な光を放つ金色の瞳。顔は中性的で、若々しい中にどこか年寄り臭さがある。小鳥のような口笛とは裏腹に、見た目はカァカァと鳴く鴉を思わせた。
服装と言えば僕らからすれば奇妙なものだ。肩が出ていて、服もズボンもゆるい。足はサンダル。本当に男だろうかというほど、綺麗な肌をしている。首の装飾品が、太陽の光に煌めいていた。
「……またこんな所に」
「俺はここで一人で過ごすのが好きなんだよ」
「王が探しておられましたよ、魔術師殿」
「知ってる」
と、魔術師殿はスタッと木から降りて来た。駒鳥も何故か後を追って肩に止まった。
「君は何か、俺に用かな」
「たまたま通りかかっただけです」
「そうかい。……もののついでだ、折角このミルディンを見つけ出したのだから、困った事があれば願いを一つ聞いてあげるよ」
「……なら、王に一度会いに行って下さい」
「それでいいの?」
「貴方は王から逃げ回っている様です」
「俺はあくまでも傍観者だからね。あまり無闇に観測対象とは接触しないのさ」
「……僕もですか?」
「そうだね。でも不思議だ、君はよく俺の事を見つける」
「…………あんな所で口笛を吹いていたら誰でも気付くのでは……?」
それに、その黒っぽい姿は白っぽい木蓮の花の中ではよく目立つ。
「意外とそうでもないんだよね、通りがかる庭師とかよくいるけど、見つかった事がない。……イリアに至ってはここを通りもしない」
魔術師殿はアルファイリア様の事を、“様”付けもしなければ“王”とも呼ばないが、決して宮廷魔術師の方が地位が高い訳でもない。アルファイリア様に聞いたところ、この人は彼が幼い頃から宮廷に仕えているらしい。外見も全く変わっていないと言うが、本当だろうか。魔術師殿は本当はいくつなのだろう。魔術の類で、外見年齢を誤魔化しているのだろうか。少なくとも、普通ではない。
「今度から教えておきます。ここにいるって」
「イリアが心から俺を必要とする時には、俺はいつだって側に駆けつけるさ」
と、魔術師殿は肩を竦める。駒鳥がどこかへ飛んで行った。……アルファイリア様は今、魔術師殿を必要としているはずだが……。
そう思っていると、彼は言う。
「どうせ今は、『遠征について来い』と言うんだろう。俺が必要か?イヴァン君達がいるなら問題無いだろう」
「しかし、国境付近への遠征ですから何があるか」
「予言者の俺にそれを言う?」
「なら予知して下さい」
「…………まぁ、未来を予言するのは、俺の意思じゃあどうにもならないんだけど」
「……何なんですかそれ」
「不意になんて言うか、走馬灯みたいに走るだけだから」
走馬灯……って、死にそうになった時に見るやつじゃないか。僕も何度か見た事がある。傭兵時代に。王の下に仕えてからは、死にかける事も無くなったが。
「不便ですね……」
「うん、でも何か重要な事が起こるとしたら、視るし。何もないから多分大丈夫。多分ね」
多分って二回言ったぞこの人。信用ならないな。
……とは言え、予言して貰ったとしても、大抵意味が分からない。大体「どこへ行け」とか「何をどうしろ」と指示はするが、それによって何が起こるかは教えてくれない。教えてくれても、風がどうとか、詩の様でよく分からない。
予言の時が訪れてから、ようやく意味が分かる。まぁ、言う通りにしていれば、悪い方に転ぶ事は無いのだが。
「そう言えばイヴァン君、剣を提げているね。珍しい」
「あ、これですか」
グワルフさんに言われた通り、剣を腰から提げている。体のバランスが少し慣れない。だから、ちょっと歩いてみていたのだ。
「もっと強くなるには、こうしていた方がいいとグワルフさんに言われて」
「ふむ、そうかい。熱心だね」
「王の為にも、僕はもっと強くならなければなりませんから」
「君は本当に真面目だね、昨日もイリアの仕事を手伝っていたんだろう」
「!……何で知ってるんですか」
「さてね、俺はイリアの周辺の事なら何でも分かるのさ」
本当に不思議な人だな。どこかで僕らを見ていたのだろうか。いや、でも執務室はほとんど密室だし……。
「あまり彼を甘やかしてはいけないよ」
「…………はい」
思っていた通り、昨日王は何だかんだ言っておおよそ僕に仕事をさせた。その後完成したものを議長殿へ届けに行ったのも僕だ。まぁ、彼は議長殿が苦手な様だからそれくらいはしてあげても良いと思う。
「アテリスも君も、イリアに甘過ぎるんじゃないかい?」
「アルファイリア様にも『お前は甘過ぎる』と言われましたが……」
あれは僕を狙った騎士を庇っ……た訳ではないが、王の暴力を止めた時に言われたことだ。仕事に関しては良いように使われている。
「……僕は王をただ支えているだけです」
「うん、まぁ俺は君みたいなのがイリアの護衛官で良かったと思うよ」
「何なんですか……」
「俺は君を高く買っているんだよ」
身の丈以上ある杖に寄りかかり、彼は意地悪く笑ってそう言う。
「何だかんだ言って、君は程よくイリアに振り回されて、程よく自分で歩いている。良いバランスだ。相性が良いんだよ君達は」
「はぁ……」
言われなくとも、元々悪いとは思っていない。
「では一つ、お告げを申し上げましょう護衛官殿」
「!…………何か見えたんですか?」
しかし魔術師殿はまたしても意地悪く笑うと、こう言った。
「“闇は光を消し去れど、影は光を強くせん。影は光によって強くなり、共に闇を討ち倒さん”」
「?」
「と言うわけだ、頑張って」
「な、何がですか⁈」
「さぁ」
「さぁ、って」
指示すら無しか。さっぱり意味が分からない。……まぁ、心の隅に置いておくくらいはしておこう。
と、魔術師殿はトン、と杖で地面を突いて、言った。
「君に光あれ。君が強くなりたいと願うならば、君は必ず強くなれる」
「!」
「願わざる者には与えられず、願う者には必ず来たる。そういうものさ」
ビリッと、電流が足元から走る感じがした。さっき彼が杖で地面を突いた瞬間だ。
「……何かしましたか?」
「んー?あぁ、君は影の守護者だから少し抵抗があったか」
「光の魔術ですか」
守護者には相性がある。炎の守護者は水属性に弱いとか、草の守護者は炎属性に弱いとか、光と闇、光と影は相反するとか、逆に風と炎はお互いを強めるとか、色々。害の無いものでも、相性の悪い属性の魔術だと少し痛い。大した痛みでも無いのだが。
「まあね。遠征に向かうに当たって、ちょっとした加護さ。いい事があるかもね」
「……ありがたく受け取っておきます」
「ん。じゃあね」
と、魔術師殿が笑って手を振ると、彼の体は光の粒となって消えてしまった。いつもそうだ。こうして幻のように消えて、気付いたらにそこにいる。探すのにも一苦労だ。宮廷内ではレアキャラ扱いしてる人もいるようで。
「はぁ」
まぁ、とりあえずアルファイリア様の伝言は伝えたし。僕はもう少し歩こう。やっぱり剣を提げている左側が重い。背中に提げようか、でも、その型の剣帯は持ってないしな……。
傭兵時代は腰に二、三本提げていた。剣はすぐに折れるからだ。武器は消耗品。そういうイメージしかなかった。護衛官になって、騎士階級とこの剣を王より授かってからは、少し考え方が変わった。まぁ、今のこの剣も磨かなければならないのは変わらないが。折角の名剣を、なまくらにするわけにはいかない。
……飾りででももう一本反対側に提げておこうか。いや、しかしそれでは重量が増える。機動力も必要だ。……もっとそっちも能力を高めなければ。
移動は影の力で多少カバーは出来るが、全てそれに頼る訳にはいかない。空中に影は無いし、第一疲れる。能力を使うのは何もタダではない。主に精神力が削がれる。体力も勿論。修練すればするほど、少しずつマシにはなるのだが。
「あ、イヴァン君」
「!」
不意に女性の声がして、僕は振り向いた。そこに立っていたのは薄紫の髪と服の女性、宮廷騎士の一人であるトリストラムだった。
「こんにちは、トリス」
トリスは僕より4つ歳下だ。背丈はほとんど変わらない。彼女が大きいのではなく、僕が小さいのだ。164cmしかない。
「何してるの?」
「散歩です。……木蓮が綺麗でしょう」
僕が敬語でいるのは、ただの癖である。誰にでもそうだ。そもそも周りの皆は貴族で、僕は庶民だし。騎士ではあるけど。
「本当ね。私も花を見に来たの。今が一番良い時期だから」
女の子だな。まぁ、他の宮廷騎士達が庭をよく散策しているのも時折見かけるのだが。それ程までに、この宮廷の庭園の花々は美しい。庭師達に感謝せざるを得ない。
「近々王が遠征に出るそうですが、トリスに声は掛かりましたか?」
僕はそう話を振る。
「えぇ、聞いたわ。アルファイリア様は今回私を連れて行って下さるって」
「そうですか。僕も行きますよ」
「まぁ、それは嬉しい!」
「……そうですか?」
「あ、え、えぇ」
と、何故か彼女は慌てて目を逸らし、両手で口元を隠した。……何だろう。
「イヴァン君は護衛官だものね、いつもついて行って大変でしょう」
「いえ、国中を回れて楽しいですよ。……戦いになると、大変ですが」
「そう。羨ましいわ、私もたくさん回りたい」
トリスはうっとりとしたため息を吐いて、そして話題を転換させる。
「次の遠征はどちらに行かれるのかしら」
「国境付近と言ってましたが、どこでしょうね」
戦争中のリーネンス側とは限らない。西のシルト側かもしれないし、東のスコート側かもしれない。領地の視察、という目的ならどこでもあり得る。
「いつも遠征の行き先については、出発直前に知らされますから」
「いつ行くかもまだ聞いていないわ」
「そうですね……」
ふわりと、花の香りが風に乗って来た。何だか穏やかな気持ちになる。庭園の花壇に植わっているのは、チューリップやアネモネなどの春の花だ。花壇の花は季節によって植え替えられている。庭師達によって手入れされているのだが、面積がとんでもない。確か庭師は四人しかいなかったはずだが、一体どうやって手入れをしているのだろう。
「……あのねイヴァン君」
「はい?」
「敬語をやめてくれないかしら」
「…………いえそんな」
「“トリス”と呼んでくれているじゃない」
「それは……貴女に『そう呼んで欲しい』と頼まれたので」
「ならこのお願いも聞いて頂戴よ」
「……それは少し、無理があります」
トリス、と呼ぶのに慣れるのも少し時間がかかった。確かにそのままの名では長いのだが、やはり砕けだ呼び方と言うのは少し緊張する。
「僕は貴女方の様に、名家の出ではありませんので……」
「あら、私はそんなの気にしないわ。今はほとんど対等の立場だもの。貴方は王の護衛官で、私は宮廷騎士。本当は護衛官の方が立場としては上なのだけど、貴方が身分の差を気にするのなら、イーブンて所じゃないかしら」
「……でしょうか」
「そうよ」
うん……トリスは他の騎士達に比べて大分距離感が近い気がする。まぁ、宮廷騎士では他にあだ名で呼んでいる人もいるにはいるものの…………仮にも彼女はレディだし。
「あまり馴れ馴れしくするのは失礼かと思っていたのですが……」
「何でよ、私が良いと言ってるんだから良いに決まってるでしょう」
…………うぅ、これは言う事を聞かないと逃がしてくれない奴だな。
では、と僕は一つ咳払いをした。
「……次の……遠征の時は、よろしく」
「えぇ!」
彼女は嬉しそうに笑う。僕は思わずドキリとした。それはこの花壇に咲き誇る花々の様に、明るく、美しい笑顔であった。
「こちらこそ、よろしくねイヴァン君」
「……はい」
「ほら、また敬語に戻ってるわよ」
「すみません……」
「もう」
慣れるのにはやっぱり時間がかかりそうだ。僕が少し困って苦笑を浮かべていると、トリスは仕方ないわね、と笑う。
駄目だ、しばらく敬語でしか喋ってなかったから、タメ口の勝手が分からない。
じゃあね、とそう言ってトリスは去って行った。僕はそれを手を振って見送る。
……はて、トリスはどうしてあんなに嬉しそうなのだろう。理由が僕には分からない。綺麗な花を見たからだろうか?
僕は首を傾げながら、また歩き出した。やっぱり、剣を提げている左側が重かった。
#3 END
*新規登場人物*
ミルディン・マリヌス
宮廷魔術師。誕生日は分かっているが、年齢は不明。アルファイリアが幼い頃から宮廷にいる。光の守護者。
トリストラム・リオネス
宮廷騎士の一人。24歳。武器は細身の剣。闇の守護者。