#37 Blessed is he who expects nothing, for he shall never be disappointed
「お待ちしておりました王様、護衛官様、そして宮廷騎士様」
校長室に入ると、白シャツとベストにネクタイを締めた、短い黒髪の貴族らしい壮年の男性が執務机の向こうで立ち上がった。
「申し訳ない、遅くなった」
「いえ。こちらこそ申し訳ない。案内の者もつけず」
「教官長殿に助けて頂いたのでその辺りは」
「左様でございますか。……あぁ、彼とはお知り合いでしたか」
「えぇ、まぁ……」
アルファイリア様は少しばかり苦い顔をした。校長がそれに気付いていたかどうかは分からない。ただ彼はその顔に柔らかな笑みを浮かべていた。
「学校長のイアロノーサ・ルフェンシークです。どうぞお見知り置きを」
「あぁ」
ルフェンシークの名前は知ってる。先生も言ってた。セシリアで特に力を持ってる貴族の一つだ。どこかで出会うだろうとは思ってけど、ここでか……と一昨日資料で名前を見た時に思った。特に深い意味はない。
「どうぞ、簡単なものしかご用意出来ておりませんが」
手で指し示されたソファセットのテーブルの上には紅茶とスコーンのセット。昼食と言うには少ないかもしれないが、まぁスコーンはこれで意外と腹にたまる。
「ありがたく頂こう」
「えぇ、ご遠慮なく」
……貴族社会ってやっぱり好きになれない。何というかどうしても“こういう空気”が苦手だ……。
アルファイリア様を一番奥に、その隣に僕、ヴェインさんと並ぶ。そして王の向かい側にルフェンシーク殿が座る。僕達はしばらく大人しく紅茶とスコーンを頂いておくことにする。
「さて……単刀直入にお訊ねしますが、王様は本校をご覧になってどう感じられましたか」
「良い雰囲気の学校だ。教員も生徒も熱心で良い。施設も綺麗に使われている」
「左様でございますか。それは嬉しく思います」
「今年卒業の騎士志望の生徒は何人になる」
「そうですね。まだ確定した訳ではありませんが……二百人程にはなるかと」
「そうか」
アルファイリア様の表情は、嬉しそうではなかった。どちらかと言うと、悲しい、というような……。
「…………明るく良い生徒達だ。きっと立派な騎士になるだろう」
「えぇ。きっと必ず王様のお役に立てる騎士となりましょう」
王と校長の間には明らかに壁があった。見えない壁。恐らく、アルファイリア様からは見えているのだろうが、ルフェンシーク殿からは見えていない……そんな壁があった。
────僕は同時に気付いていた。“王はまだ引きずっている”。“戦の重み”を──────。
「こちらから質問しても良いだろうか」
「えぇ。何でしょう」
王の提案に、ルフェンシーク殿は興味深そうな顔をした。僕はその時、少しだけ寒気がした。それは多分、ヴェインさんも感じたと思う。“壁”のこちら側にいる僕らしか感じない“寒気”だった。
「……貴公は何故騎士にならなかった?」
「…………何故、とは」
「深い意味は無い。……しかし貴族に連なる者ならば多少なり剣の道は嗜んでいるだろう」
「えぇ、えぇ確かに。私にも剣をこの手に握っている時期がありました。しかし人には向き不向きというものがあります。私には不向きでした。ですから、私は騎士にはなりませんでした」
「騎士になれる素質とは何だと思う?ルフェンシーク」
アルファイリア様は怒っているようにも見えた。多分、本人にはそのつもりは無いのだろう。だって彼に怒りを向ける理由などどこにも無いのだから。……しかし確か発生した“怒り”が、行き場を失くしたそれが、そこに溜まっていた。
「そうですね」
ルフェンシーク殿はふむ、と真剣な様子で考える。
「剣の腕、ではありませんね。それも大事なことではありますが。誇り、いえ、忠誠心でしょうか。貴方様への」
「……俺への忠誠心か。まぁ、あるに越したことはないが」
「違うと仰る」
「でなければ貴公には俺への忠誠心が無かったことになる」
「……ははぁ。では違いますね」
あっさりと彼はそう答えた。アルファイリア様は続けた。
「この学校では何を教える」
「貴族としての振る舞いに加え、騎士の礼儀と戦い方を」
「春に新たに城へ来た新米騎士はいつも、己の形のみを追求する」
アルファイリア様はまだ少しも、スコーンにも紅茶にも手をつけてはいなかった。
「いつも足りない」
僕は、校長を見つめる王の頭に浮かぶものが見えるような気がした。輝いた顔で、ヴェインさんに質問しにくる若き騎士の卵達の顔が。……彼らは一度も質問して来なかった。ある事を。
「彼らは戦場に立つ事の重さを知らない」
「!」
「ア……」
口を開こうとした僕の手の上に、ヴェインさんがサ、と手を置いた。僕が驚いて彼の顔を見ると、彼はじっと耐えるような顔をし、僕の方を見ないで真正面を向いたまま小さく首を振った。
「……少しも考えていない。騎士としての栄誉で頭がいっぱいだ。実感など湧いていないのだろう。自分が『戦地で剣も抜かぬまま死ぬかもしれない』などと」
「…………」
「彼らは気付かなかった。……そこで見ていた教官殿は多分気付いていたと思う。この隣にいる護衛官は、皆の前で見せた騎士の決闘の中で一つ不正をした」
……気付いてた?言わなかっただけで?
「…………不正、ですか」
「本物の恐怖を知るからこそ為す不正だ。己が敗北を恐れ、卑怯とも呼べる手でこちらの宮廷騎士を負かした」
今度はヴェインさんが口を開こうとするが、僕が同じ方法で止める。
「俺はそれを咎めるつもりはない。あの場では不適切ではあっただろうが……形ばかりの騎士が育っても俺は嬉しくない。戦地に立ってからでは遅いのだ。貴公は優しさと思っているかもしれないが、それを教えないのはある意味では残酷な事だ」
「では、騎士になれば死ぬかもしれないと教えろと」
「教官らは幾度もそんな場を乗り越えて来た。彼らの様になりたいのならそれ相応の覚悟は必要であり、遅かれ早かれ戦地に立てば学ぶ事だ。……だが学生のうちから言葉だけで教えてもやはり実感は湧くまい。かと言っていきなり実際に戦場に立たせるわけにもいかない。……ので、一つ取り入れて欲しいものがある」
「……何でしょうか」
すっかりルフェンシーク殿は緊張した面持ちでいた。そりゃそうだろう。いつもはああだが、本人にそのつもりはなくとも怒りを胸に溜めている彼の威圧感は竜をも思わせる。
「生徒同士の模擬戦……集団による模擬戦だ。場は我々で用意しよう。騎士達も参加する。安全面には考慮した上で、出来る限り本物に近い緊張感を知って欲しい」
「それは……」
「そこで腑抜けるような騎士はいらん。そんな場でも『生き延びる』という意地と根性を持てる者こそが“誇り高き騎士”だ。……そうだろうアグラヴェイン」
「…………はい」
突然振られて一瞬だけ「えっ」という顔をしたのを僕は見逃さなかった。……この空気で振られたら僕もビビる。
アルファイリア様は一つため息を吐いた。すると少しばかり空気が緩んだような気がした。
「俺は俺の代でこの戦争を終わらせようと思う」
「!」
「いずれは騎士の要らない国にする」
なんと。そんな事を考えていたのか。
「その為に真なる騎士の育成を頼みたい。出来る限り多くの国民が、その平和な時代を迎えられるように」
戦場で死なない騎士を作れと、アルファイリア様はそう言っている。100%は絶対に無理だ。そういう所だからだ、戦場は。彼だってそれは十分に分かっている。……ルフェンシーク殿も、それが分からない程馬鹿ではないはずだ。
「……えぇ。お応えしましょう王様」
静かに、彼はそう答えた。真摯に王の目を見て。
「我々に出来る事ならば、いくらでもお力になります。素敵じゃありませんか、戦の無い世界」
アルファイリア様は、そこでようやく笑った。
「ありがとう」
「いいえ」
† † †
青紫色の空に、金属音が鳴り響く。キン、キン、と何度か打ち合っているうちに、一際耳障りな音を立てて僕の手から剣が飛ぶ。落ちて行った剣が地面に刺さる寸前、伸びた影の手がその柄をキャッチした。その手が僕へ剣を投げ返し、それを受け取った僕は再び斬り込む……が、あえなく再び弾かれ、今度は喉元に丸い剣先を突きつけられる。
「うーん残念」
「……力使って良ければいくらでも攻撃出来ますけど」
「それなら俺はその前にお前を殺すかな。こうなった時点で詰みだぞ」
「……うぐ……」
「でも剣投げ返したのは良かったな」
学校から帰って来て、しばらくの休憩を挟んだ後にこれである。お前の力を見たいと言って連れて来られた。少しずつ、アルファイリア様の強さに近付いて行っている気がすると思う……のは、自惚れだろうか。
城壁の向こうに、日が沈んで行く。徐々に東から群青色になり行く空には、星が見え始めていた。
「よし、そろそろ夜になるな」
「え?」
「いいぞ、本気で来い」
「え、えぇ?」
「一度見てみたいんだ、そいつとお前の力」
『お、マジかよあいつ、俺を試す気だ』
ノイシュが驚いた様な、興奮した様な声で言った。
『今日は上弦の月だな。フルパワーじゃねェけどそこそこ出るぞ』
言われて見ると、力が湧いてくる様な気がした。
「……大丈夫、なんですか」
「心配するな、勝つ気で来い」
自信満々で言われる。……下手をすると僕が怪我をするかも。
『怪我は気にするな、俺が守る』
(え、でも)
『俺は多少怪我したってお前の中で休めばすぐ治る』
(……そうなの)
「さ、来ないなら俺から行くぞ」
「!」
アルファイリア様の背後に生成される四本の光の槍。……暗い中だと綺麗だなぁ……って感動してる場合じゃない!
影で盾を作り、防御。……作りやすい。今まで夜は影が薄くなってやりにくかったけど、ノイシュのお陰でその逆だ。
盾を払うと、模擬剣を持ったアルファイリア様が斬りかかって来る。……ちょっと待ってまだ僕剣拾ってない!
「うわっ!」
『落ち着け!』
無意識に伸ばした手。すると、背後から回って伸びた影が、剣を防いだ。
『そ。この地面に落ちる影全てがお前の武器だ』
……なる、ほど。それは心強い。
『お前は力使うのに慣れてるみてェだから、俺のもすぐ扱えるな』
剣は無し。それで行ってみよう。どれだけ扱えるか……実戦前の良い経験になる。
アルファイリア様が一度距離を取った。また、光の槍が飛んで来る。
意識し、僕は影から槍を作るとそれを光の槍に向かって飛ばす。相対するエレメントはぶつかった途端相殺されて消える。と、その時アルファイリア様が瞬間移動して来た。
「そら!」
「っ!」
影へと潜る。剣は空振りし、僕は手だけを影から出してアルファイリア様の足を掴む。
「! おわ⁈」
前方へ転倒したアルファイリア様の背後へ立つ。影の槍を生成したところで彼の姿が光の粒子を残して消える。不意に感じた気配に、影で背後に盾を作った。剣がそれを叩く感触があった。振り向いて盾を変形させて吹っ飛ばそう、としたが手応えがない。
『後ろだ馬鹿!』
「えっ」
再び振り向いた時、緋色の髪が揺れるのが見え、次の瞬間僕の体はふわりと浮いていた。少し遅れて腹に痛みを感じる。
「っ……!」
背中から地面に落ちる。開けた目に眩い光が飛び込んで来た。ズガガガガッと光の矢が僕の周囲の地面を穿ち、消える。僕は思わず息を呑んだ。
「……う」
「油断大敵、ツメが甘いな」
笑うアルファイリア様に助け起こされる。……蹴られた所が痛い。
「流石ですね」
「まぁ俺だからな」
「何ですかそれ」
僕も笑う。……アルファイリア様に怪我させなくて良かったと思っておこう。
「怪我はないな」
「はい」
はぁ。敵わないなぁ……あの瞬間移動に対応出来れば。うーん、もう少しノイシュの力も試してみなきゃ。満月の時は一体どうなるんだろう……。
† † †
「アルファイリア様は騎士のいらない国を作るんですか」
「ん?」
執務室に戻って来て、僕はふとそう訊いた。
「あぁ、まぁ、いずれはな」
「リーネンスを倒して?」
「そうだ。俺が陥す」
言い切った。……でも、アルファイリア様ならやれる気がする。
「リーネンス王を殺して王子も殺す。……そうしたらもうリーネンスは終わりだ」
「それだけ言うと簡単に聞こえますね……」
「簡単なものか、リーネンスの護りは強固で王はなかなか戦線には出て来ない。出て来たあの戦で父上を斃した強者だ」
「……リリアーネス様はお強い方だったのですか?」
「それはもう。鬼の様な強さだった。……多分俺はあの様にはなれないだろうな」
そんなことありませんよ、とは言えなかった。だって僕は先王の強さを知らない。
「それでも、俺が斃す。俺がやらなきゃならない。……どうなったってやらなきゃ……」
その時が来たら、僕はそれを見ているしか無いのだろうか。必ず勝つと信じて。僕は僕の敵を斃す為に戦場を走るのだろうか。
「まぁ、王さえ殺せれば後は簡単だ。王子は剣士じゃない」
「え、そうなんですか」
「あぁ。軍師向きの人物なのだと。……アイツとは大違いだな」
アイツって……ロランか。あの物凄く傲慢な奴……。アルファイリア様にやられた後どうなったろう。知った事ではないか。
「お前も強くなれ。敵国の騎士の誰にも負けないくらいに」
「……はい」
「俺が王を討つのを誰も邪魔出来ないように」
「はい」
昼間の、騎士学校の生徒達の顔を思い出す。彼らの顔が、誇りに満ちたままであるように。いつしか騎士がこの国の象徴となることを夢見て。いつか平和をもたらす為に、僕たちは強くなる。
「今日はお疲れ。ゆっくり休めよ」
「えぇ。おやすみなさい」
「おやすみ」
アルファイリア様は奥の自室へ消える。僕も執務室を出た。
『はー、残念だな、満月なら勝ってたかも』
(無理だよ)
『アレの倍は出るんだぞ、その内リザルトも教えてやる』
(……何それ)
『俺を表に出すの。俺の姿を借りてお前が動く事も出来る』
(ふぅん)
『何だよ反応薄いな』
眠い。今日はとても疲れたみたいだ。早く部屋に戻って寝よう。
『……なぁ』
(何?)
『あいつ何で憑神してねェの?』
(知らないよ…………)
あくびが出る。明日は特に予定は無いけど……そうだな、早朝から訓練でもしようか。強くなるんだ、きっと。来たる日まで、アルファイリア様を守り切れるほどに。
#37 END
*新規登場人物*
イアロノーサ・ルフェンシーク
王立騎士学校校長。42歳。風の守護者。