#36 It takes all sorts to make a worid
─神暦36992年6月5日─
何でこんな事になってるんだろ…………。
僕の周りは、一人一人の呼吸音が聞こえるくらい静かだった。一人一人、と言うからには勿論周囲には人がいる。しかも、大勢。
同じ赤と白の制服に身を包んだ若者達が、僕たちの方をじっと見つめている。……僕からは見てない。見てるのは目の前に立つ人物。模擬剣を二本手にしたヴェインさんだ。僕も勿論それを一本手にしている。
緊張しているのは彼が相手だからではない。……いや、少しそれもあると言えばあるけれど。何より周りのギャラリーの目だ。相対しているヴェインさんより、僕の一挙一動を見逃すまいとじっと見ている気がする。
「さぁ!本気で行くぞ!」
高らかに、ヴェインさんが叫ぶ。僕の剣を握る手はすっかり汗ばんでいる。たくさんの視線の中から、一際強い視線を感じる。見なくたって分かる。アルファイリア様だ。
「始め!」
教官が宣言する。名前はさっき名乗っていたけど、忘れた。
僕とヴェインさんは同時に動いた。木製の剣のカン!という軽い音が青空の中に響いた。
† † †
「王立騎士学校……ですか」
「あぁ、明後日視察に行く事になった」
6月3日のこと。食堂での会話。珍しくアルファイリア様の方から朝食を誘って来た。僕は快く受け入れ今、彼の目の前に座っている。座席は長机で相席する形になっているが、すぐそばに人はおらず少し離れたところで城勤めの騎士や使用人達が食事をそれぞれ取っている。
「急ですね」
「ユーサーが俺に伝え忘れてたんだと」
「あの議長殿が?」
「あいつはよく出来る奴だがたまにある」
色んなパンが積まれた皿の上から彼はクロワッサンを摘むと口に運んだ。ちなみに僕はバターの乗ったトーストとコーンスープである。朝食はいつも大体こんな感じだ。
「毎年やってる……わけじゃないですよね」
「そうだな」
「いつぐらいから決まってたんですか?」
「4月の頭」
「え」
「スケジュール全部ユーサーが管理してるからな……」
「……少しくらい自己管理して下さいよ」
「事務的な事は一度評議会を通すようにしてあるんだ」
「はぁ」
「何ならお前が少しくらい手伝ってもいいんだぞ、護衛官殿」
「えぇ……」
「と言うわけでお前も明後日は視察に行くぞ」
「はぁ」
「あとアグラヴェインも連れて行く」
「? どうして」
「騎士の学校だからな。宮廷騎士は学生の憧れの的だ。それにあいつは先代からのベテランだし」
「……なるほど」
そうか、そりゃあ本物の騎士、しかも選ばれし騎士である宮廷騎士と会える方が嬉しいか……って。
「……僕じゃダメなんですか」
そう言うと、一瞬アルファイリア様はきょとんとし、そしてにやりと笑った。
「ははぁ、だいぶ騎士としての自覚が出て来たなグリフレット卿」
「そういうのやめて下さい」
「まぁお前の肩書きは護衛官だからな、騎士と言えば騎士だがやっぱり肩書きに『騎士』って付いてた方が良いんだろうさ」
……ん?
「そういう要請が学校側からあったんですか?」
「あぁ、そうだ」
そういう事か。なら仕方ない。
「ところで、お前は学校には行ってたのか?」
「……えーと。行けてない……んです」
「そうか」
「父が亡くなったのは僕が6歳の時ですし……15歳になるともう傭兵ギルドに入ってたので」
勉強は家にあった本で自力である程度やった。生きる為に必要な知識は大抵傭兵ギルドで嫌という程学んだ。あまり不便はしていない。
「アルファイリア様は?」
「俺は家庭教師だな」
「そうですか」
ちなみに学校は二種類あって、その王立騎士学校ともう一つは王立アカデミー、こちらは一般の学校で庶民の子が行くところである。行く期間は両方とも12歳から18歳になる間の6年間。僕はその頃質素な鎧を着て武骨な剣を振る毎日だった。
「学校って憧れます?」
「憧れると言えば憧れる……が、肩書きが王子じゃどうも」
「やっぱりそういうものですか」
「貴族社会じゃ特にな」
王族って大変だ。その国において唯一無二の存在だから。……でもそんな肩書きを持っていても、やっぱりアルファイリア様も当時は一人の男の子だったわけで。
「教師も同い年の生徒も、腫れ物に触るような態度で俺に接して来る。友達なんて出来ない。近付いて来る奴は大抵媚びたような奴らばかりで…………」
あぁ、アルファイリア様は一度学校に行ってたんだ、と僕はその時気付いた。その上で「憧れる」と……。
「嫌な思いをする事は無くとも、な」
「……寂しかったんですね」
「寂し、違…………いやそうか、寂しかったんだな」
そう言うアルファイリア様は少し恥ずかしそうだった。
「普通に友達と馬鹿騒ぎしたり、成績で笑ったり落ち込んだりしてみたかったなぁってのはあるかもな」
「そうですね。大事な青春時代ですから」
僕もそういう事は無かったけれど。友人には恵まれたし、特に学校への憧れというのは当時は持っていなかった。今思い返してみれば、そういう道も或いはあったのかな、なんて考えたりもする。
「辛くないですか? 視察に行くの」
「いや、それは別に。もう子供じゃないしな。お前こそ大丈夫か」
「平気ですよ。むしろ楽しみというか」
「そうか。それは良かった」
学校……学校かぁ。まぁ、でも王立騎士学校にはどのみち僕は行けなかったからな。貴族じゃないし。アカデミーの方もいつかは行ってみたい。
「じゃあそういう事だ。予定は空けておけ」
「はい」
† † †
-現在-
────怖い!実際相対してみるとヴェインさんの攻撃怖い!
洗練された二刀流の動きは無駄がない。僕に全く攻撃の隙を与えてくれない。軽い木剣でも感じるその攻撃の重さ。一つ一つが芯に直接当たって来るようだ。
「それ!」
「っ!」
確実に格上だと思う。騎士としては彼が一番長いのだから。騎士の剣術では到底敵わない。……騎士の剣術ではね。
実戦ではこんな事言ってられないけど。ここは騎士の学校、その生徒の前で剣を振るう以上、騎士らしからぬものは見せられない!
……だがこのままだと恐らく僕の方が負けるだろう。アルファイリア様が見ている以上無様な姿も見せられない。……困ったな。
左右からの攻撃を一本で防ぎきる。防戦一方。本当に容赦がない。手加減というものを知らないのだろうかこの人は。
…………いや、本当の本気で来られたら僕は一瞬で死ぬかもしれないけど。
「!」
ヴェインさんの回転を加えた二連撃。それをまともに剣に食らった僕は後ろへ重心を持って行かれた。ふわりと、視界の上から青が降りて来る。
その時僕は焦ってしまったのだと思う。その時体と僕の意識は切り離されて、生存本能に近いところが体を勝手に動かしてしまったのだろう。よって、僕は後々その時の事をよく思い返せない。
逆手に持ち替えた剣を地面に突き立てる。浮いていた右足が地面を踏みしめ、左手が前へ伸びる。その時僕を倒そうと踏み込んで来たヴェインさんの足を、彼の影が引っ掛けた。
「……⁈」
彼が体勢を崩した。その隙に立て直した僕は、彼の両手から剣を弾き飛ばし、そして丸い剣先を彼の頭頂部へ突き付ける。
生徒達の歓声が上がる。僕は半分唖然として、膝をついているヴェインさんに言った。
「……すみません」
「いや、大丈夫、いいよ」
顔を上げたヴェインさんはそう言って困った様に笑った。
† † †
「アレは無いぞお前」
「……すみません」
「まぁ俺は気にしてないから……」
「すみません……」
昼下がりの学校の廊下。生徒達は昼休みで教室か食堂へ昼食を取りに行ったらしい。教員室近くの廊下、ここからは花壇と時計塔のある校庭が望める。すっかり緑色になった桜並木が夏の近付きを感じさせる。
「幸い気付いたのは俺とアグラヴェインぐらいだったみたいだが」
「あるまじき行為でした……」
「俺はあれこそイヴァン君の強さだと思いますけど」
「俺の護衛官としてなら良いが今日は“騎士”なんだ」
僕は負けず嫌いなんだろうなぁ、とこの頃思う。人前で負けたくないという意識がとても強い。それが例え命の危険がない一種の催しであっても。
「……というかそもそもアルファイリア様も酷いですよ。いきなり僕とヴェインさんを戦わせるなんて」
「その方が生徒も喜ぶかと思って……」
「まぁ、その考えは間違いでは無さそうでしたけどね」
「だろう?」
……ヴェインさんはどっちの味方なんだろう。どっちもか。
あの後。生徒達は興奮してこちらへ寄って来たが教官殿に止められて授業の鍛錬へ。それから二、三人ずつ質問に来たけれど僕から答えられる事はあまりなく、そもそも宮廷騎士として来ているヴェインさんがかなり質問攻めに遭っていた。だけどそんな中でも彼は嫌な顔一つせず一人一人の質問に、例え同じ質問をされても丁寧に答えていた。カリスマ性というか何というか、あれが年長者の貫禄なのかそれともただ彼は憧れの目を向けられるのが嬉しかったのか……傍目から見ていた僕には測りかねた。
「アグラヴェイン、校長室はどこだ」
「あぁ、えぇと……もうすぐだと思いますけど……久し振りなもので」
僕達は校長室で昼食を頂く事になっている。ので、そこへ向かっているところだったのだが……。
「ヴェインさんはここの卒業生なんですか?」
「ん?あぁ。宮廷騎士の皆は大抵ここを出ているよ。一般騎士もね」
「そうなんですか」
当たり前と言えば当たり前か。貴族は特別な理由が無い限りこの学校へ来るんだろう。騎士学校とは言え、習う事は剣術ばかりではないと言うし。
「アルファイリア様こそ来た事が無いわけでは無いんでしょう」
「生憎だが学校の構造を覚えるほど来てはいない」
ヴェインさんにアルファイリア様はやれやれと首を振った。そんな堂々と言う事だろうか。
「……という事はこれは軽く迷子なのでは?」
「教員室の近くあったと思うんだが」
僕の指摘にアルファイリア様はそう答える。周りを見渡しても、教員室の表示はあるが校長室の表示はない。
「…………参ったな」
その時。後方の教員室のドアが開く気配がした。
「お困りですか来賓の方々」
「!」
僕達が振り向くと、そこには黒地に赤ラインの教官の制服を着た赤髪の男が立っていた。燃えるような赤色。その色には見覚えがあるような気がした。
彼は革のブーツを鳴らしてこちらへ歩いて来た。そしてにこりと笑うと僕の方を見る。
「君。見てたよ。他の人にバレなくて良かったね」
「え、あ、はい」
……気付いてたのか。近くで見ていたあの教官すら気付いていなかったのに。少なくとも、僕の方から彼の姿はあの時見えていなかった。
と、その時ヴェインさんの驚く気配がした。
「……パーシヴァル殿⁈」
「えっ」
「あぁ、お前か」
アルファイリア様は「腑に落ちた」という顔をして頷いた。僕はヴェインさん以上に驚いた。だって、その名前は。
彼はにこりと笑うとアルファイリア様に言った。
「ご無沙汰しております王子、あぁいや失礼、間違えた。王サマ。すっかりご立派になられて」
「……嫌味っぽいのは相変わらずだな貴様」
「ハハ、王子も生意気なのは相変わらずですな」
あぁっとまた間違えた、と彼は笑う。しかし、不思議とどこか憎めない感じがする。……この感じ……。
「アグラヴェインも。元気にやっている様だな」
「えぇお陰様で……貴方がたの助言が無ければ今の私はありません」
「何。最終的に残ると決めたのはお前だろう?」
そして彼の目が僕の方へ向く。彼はショリ、と無精髭の生えた顎を撫でるとぶつぶつと呟いた。
「……思ってたより小さいな。こんなのが護衛官で大丈夫なのか?え?王サマ」
…………前言撤回。腹が立つ。
「イヴァンは俺が見込んだ護衛官だ。お前も見てたんだろう、さっきの」
「えぇ、ですが騎士としてはまだまだ未熟です。俺が教えてやっても良いんですが……」
「折角ですが、僕には既に師がおりますので」
僕はきっぱりとそう言った。すると、彼はほう、と笑う。
「言うじゃねえか。俺が誰なのか知らない訳じゃねえんだろ?」
「……えぇ」
パーシヴァル・グリンエル。彼は先代王、リリアーネス・テフィリス・セシルの名に連なる十二人の騎士、即ち宮廷騎士の一人だった人である。勿論今は引退した身、先代の最後の戦を生き延び帰還した彼らが、今どこで何をしているのかほとんど世に知られていない。……ヴェインさんとカラドックさん以外は。
「引退した騎士の教えは受けないのだと」
「はぁ、良いですねぇ若くて」
「……そういうわけじゃありませんけど」
「イヴァン君。この二方の会話はあまり間に受けなくていい」
ヴェインさんが僕の肩を叩いてコソッと言った。
「俺はこれでもここの教官やってるんですぜ。しかも教官長」
「それは……良かったな」
「何だ、もっと反応してくれても良いじゃないですか」
アルファイリア様は面倒臭そうな顔を返す。珍しい。……多分、子供の頃から苦手だったんだろうな。そんな気がする。
「それで、迷子ですか?」
「……迷っては……いない……」
「もう、変な意地張らないで下さい。申し訳ない、パーシヴァル殿。校長室まで案内を頼みたいのですが」
「あぁ、それならお安い御用だ。アグラヴェインは素直で可愛いな」
パーシヴァルさんはにこりと笑う。それに対してヴェインさんは困ったような笑みを浮かべた。その後ろではアルファイリア様が全く面白くないと言いたげな顔をしていた。
「さ、こっちですよ。校長室はこの上です」
「上か」
「上です」
歩き出したパーシヴァルさんについて、僕達も歩き出す。何となく気怠げなその歩き姿には確かに見覚えがある。後ろ姿だとさらに似ている。
「あぁそうだ、せがれは元気にやってますかね」
「ペレディルか。女癖にやや難有りだが真面目にやっているぞ」
「はは、俺に似たんじゃしょうがない」
そう。彼はペレディルの父親である。言われなくても分かるくらい似ている。……この人から嫌味成分を抜いたら多分、ペレディルになる。
「まぁ苦労してないンなら良いや」
「彼は剣術にも秀でていますから。パーシヴァル殿の教えが良かったのでしょう」
「あぁそうだ、あいつは俺の自慢の息子だ」
ヴェインさんはよくパーシヴァルさんを褒める。彼の視線からは尊敬の意を感じるし、先代の時からきっと慕っていたのだろう。
……さっきは断ってしまったけど、彼の剣術には少し興味があるかも。
階段を見つける。さっき通り過ぎたところだ。
「そういや子供の頃、王子も城で迷子になってましたよねえ」
「うるさいな、忘れろ」
あれ、住んでても迷子になるのか。僕も最初の頃はなったけれど。広いからなぁ、城。慣れないと何が何階にあってどう通ったら行けるのか分からなくなる。
階段を昇るとすぐに、奥に校長室のドアが見えた。そこへ続く廊下は両サイドが窓で、上がステンドグラスになっていた。
「それじゃ。俺は戻りますんで」
校長室のドアの前で、パーシヴァルさんはそう言った。
そして彼は一番後ろにいた僕の元へ来ると、コソッと耳打ちして来た。
「んじゃあな。アルファイリア様のこと頼むぜ、小さな護衛官殿」
「!」
ぽん、と頭を軽く叩かれる。そのまま彼は廊下を進んで階段の向こうに消えて行った。
#36 END
*新規登場人物*
パーシヴァル・グリンエル
王立騎士学校の教官長。22代宮廷騎士の一人。53歳。ペレディルの父。炎の守護者。




