#34 It's often difficult to see what's right in front of your eyes
─神暦36992年5月30日─
あっという間に5月の末だ。あれからアルファイリア様とは少し距離が近付いたかもしれない。一緒に食事をしたりとか、一緒にお風呂に入ったりとか……。
あの人、細身に見えて以外とがっしりしていらっしゃる……けど、こう傭兵に見る男らしいあぁいうがっしりじゃなくて、無駄なく引き締まったというか「美しい」という言葉が似合う体格。……僕も筋肉はある方だけどなにぶん背が低いもので…………。
────筋肉の話はいいや。それより今日の話をしよう。
5月30日。それは特別な日。年に一度のお祭りの日。……祭り自体はいっぱいあるけれど。
今日は豊穣の神ティアフに麦の収穫を感謝する日。その名も収穫感謝祭。そのままだね。
毎年ウィスファルムはじめ、国中のパン屋さんがやって来て、美味しい焼き立てのパンを売ってくれる。それを皆んなで買って一緒に食べて、神に感謝しようってお祭り。
王都のパン屋さんも出店していて、この日街は芳ばしいパンの匂いで溢れる。朝ご飯は抜き。今日この日は嫌と言うほどパンを食べる。いや、嫌にならないくらい色んな種類の美味しいパンがあるんだけどね。
アルファイリア様もこの日は結構楽しみみたいで。僕はその後ろをついて歩く訳だけど、その後ろ姿からもわくわくした感じが読み取れる。気に入ったパンがあるとアルファイリア様は納品を依頼するから、パン屋さんたちもロイヤルワラントを貰わんと結構張り切ってる。
さて、今年はどんなのが出てるのか……。
「さて行くか」
正装に身を包みながらもわくわく感の隠せないアルファイリア様。執務室の前で合流し、これから城の外へと向かう。
「何とか出来て良かったですね、今年はダメかと思いましたけど」
「あぁ、まぁ例年よりはやっぱり量は減ってるみたいだが、無事なところもあったからな」
リーネンスの手によりウィスファルムとその周辺の穀倉地帯は焼けたが、収穫祭が出来るくらいには収穫があったらしい。神様ありがとう!お陰で今年も美味しいパンが食べられます。
さて、まずは式典だ。毎年恒例、王のスピーチから始まる。まぁ、礼拝みたいなものなのだけど。豊穣の神ティアフへ感謝の祈りを捧げてからが祭の始まりだ。
† † †
「さて、どこから行くか」
礼拝が終わり、広場から人がまばらに散って行く。全ての通りに色んな屋台が出ているから、どこから回ろうか悩むものだ。
他の街からやって来た人々がいて、いつもより街は賑わっている。通りは人でいっぱいで、ほぼ片側一方通行だ。
「まずは右手側から行きましょうか」
「そうだな、そうしよう」
僕の提案にアルファイリア様が乗り、歩き出そうとしたところへ左から声が掛かった。
「アルファイリア様」
「!」
女の人の声。……誰だろう?振り向けば金髪の女性がそこにいた。……なんだか見覚えがあるような無いような。
「……グィネヴィア!」
アルファイリア様が驚いて言うと、彼女は微笑んだ。
「ご無沙汰しております。お元気でしたか?」
「あ、あぁ、まぁ……」
……アルファイリア様がたじろいでいる。しかも彼にこんなに気安く話しかけて来るとは何者だ。
僕がそう思っているのにも気付かないで、アルファイリア様は話を続ける。
「…………今日はお父上は?」
「父の持っている店も出店しているので、その視察だそうです」
「……そうか」
アルファイリア様の頰が少しヒクついたのを僕は見逃さなかった。
と、彼女は僕の方を向くとにこりと微笑んだ。
「あなたとは初めましてですわね。護衛官様」
「……あ、イヴァン・グリフレットと申します」
「グィネヴィア・シベリウスです。あなたのお噂は予々《かねがね》聞いておりますわ」
シベリウス!なるほど、その髪の色、堂々とした態度、シベリウス殿にそっくりだ。
「ご迷惑でなければ、ご一緒させて頂けませんか」
「俺は別に構わんが」
「アルファイリア様が構わないなら僕も構いませんよ」
アルファイリア様のアイコンタクトに、僕はそう答えた。アルファイリア様と親しそうで同年代のようだし、城の外にもこういう交友関係は持っておくべきだろう。
「ありがとうございます」
グィネヴィアさんは嬉しそうに笑うと、アルファイリア様の隣に並んだ。僕はその少し後ろ。
…………ん?
† † †
───────何だこれ。何だこの空気。
僕は相変わらず二人の後ろを歩いている。談笑しながら並んで歩いているその背中は見覚えがある。
『どーしたイヴァン、すげェ動揺を感じるぞ』
ノイシュが心配して言ってくる。……いや、僕の思い違いであれ。アルファイリア様のことだ、そんなつもりはないかもしれない。
「庶民の人々は良いものを生み出す方が多いと思いますの」
「まぁそうだな、働き者なのは庶民の方が多いのかもしれない」
「父は多くの産業に手をかけていても、資金を提供しその収益の一部を回収しているだけですもの。実際に生み出しているのは職人の方達ですわ」
……この国の身分制度について一つ。一番上は勿論アルファイリア様達王族。その下が貴族。貴族には騎士になる権利と宮廷に入る権利が与えられていて、若い人の多くは騎士として宮廷に仕えている。あとはシベリウス殿のように庶民の企業に資金提供をしていたり、基本的には自分で働かないようだ。金があるからね、彼らには。
その下は庶民、とざっくりした分け方になっている。その中でも職人は少し特別な扱いで、先生の家のように職人が王族に気に入られると貴族階級に上がれたり。
まぁ……貴族の中でもさらに一級、二級、三級とあるみたいだけど、元庶民だと三級なんだろう。そのうち、勢力を伸ばせば二級、一級と上がる。そんな仕組みだったろう。先生の家は今どうなのか今度聞いてみよう。……こうなると他の人も気になるな。ちなみに護衛官になった時僕に与えられたのは二級貴族だ。宮廷に仕えるのならこれくらいは必要、とアルファイリア様は言っていたから……宮廷にいる皆んなは大体二級以上の貴族なのかな。…………僕以降のグリフレットは貴族としての暮らしが与えられるけど、現状グリフレットは僕一人しかいない。
「私達にはお金がある分────皆様よりも多くの負担を負う義務があるとそう父は申しておりました。ノブレス・オブリージュ、恵まれた者の役目ですわ」
「立派な心がけだな」
貴族の義務……僕もそうである以上は負う義務がある。生まれは恵まれていなくても、こうなったからにはかなり恵まれている。先に言ったが、宮廷に仕える権利があるのは貴族のみで、庶民には本来無い。だから、僕がここにいるというのは本来ならあり得ない事なのだ。
それが……アルファイリア様の権限でちょいちょいっと……。王の力というのは侮れない。最初は議長殿辺りが反発してそうなものだけど、どうやって丸め込んだんだろう?今は僕にとても友好的だし。
「あら、あのパン美味しそう」
「そうだな、一つ頂こう」
「あぁ、アルファイリア様!ありがとうございます」
嬉しそうなパン屋さんから三人分のパンを受け取り、代金を渡すアルファイリア様。その時「何か困り事は無いか」という声掛けは忘れない。「いいえ、ありません」とにこやかなパン屋さんの答えに、「そうか」とアルファイリア様はホッとしたように笑った。
「イヴァン」
「はい」
呼ばれて、パンを受け取った。ぶどうとチーズのパンらしい。焼きたての良い香りがする。
「……浮かない顔だが大丈夫か?」
「え、いえ何とも」
「そうか、具合が悪いのなら言うんだぞ」
「大丈夫です」
…………顔に出てたのか。僕ももう少しポーカーフェイスを身につけなければ。
心配事ならあなたの事ですよアルファイリア様、グィネヴィアさんとどういうつもりなんですか!
僕に渡した後、彼はグィネヴィアさんにもパンを渡す。……距離が近い。あのアルファイリア様が、女性と、距離が近い。
…………まさかそういう事なのか?そういう事なんですか⁈
は、と手の中のパンを思い出して僕は一口齧った。……美味しいのだがその感想がスッと内に入って来ない。
僕の前を歩く二人はそう、まさに恋人そのものだ。……彼が女性と歩いているのを見慣れないせいだろうか?いや、そうじゃないと思う。……なんなくグィネヴィアさんが同行するのを受け入れたのも……いや、そもそもグィネヴィアさんの方だって、わざわざ王と祭りを回りたいだなんて。
────その後も昼過ぎまで彼女は一緒にいたのだが、その間僕はどこをどう通って何を食べたかもよく覚えていない。
† † †
「あー……今日は疲れたな」
その日の晩、僕はアルファイリア様に誘われて大浴場に来ている。他には誰もいない。他の人はもう少し後で来るだろう。
広く静かな湯煙の空間に、湯が注がれる音だけが響いている。地下なので窓などはない。壁や天井、床は白く、入って左奥に壁に接した浴槽がある。その中で────微妙な距離感で僕達は湯に浸かっている。
「やっぱり城の外に出ると気を使うもんだな……なぁイヴァン」
「…………えぇ」
「イヴァン?」
返事もどこか上の空になってしまう。何故なら僕は他の事で頭がいっぱいだからだ。
………グィネヴィアさんとアルファイリア様が?でもそんな話一度も……でも、相手はあのシベリウスだ、あり得ない話ではない…………かも。王家は他の王家から妃を取ったりすることもあれば、自国内の有力貴族の中から妃を取ったりすることもある。今回は後者だろうか?同盟国のスコートやロトルクの王家にはアルファイリア様と同年代の女性はいないし、他の国にしても繋がりがない。
「おーい」
「…………」
「おいってば」
「……アルファイリア様」
「ん?」
揺らめく水面を見つめながら、僕は独り言の様に問う。
「そういう時期ですか?」
「………え」
「年齢を考えれば……そうですよね」
「何のこと……」
顔を上げると、アルファイリア様と目が合う。すると彼は僅かにびくりとした。
「な、なんて顔してるんだ……」
「グィネヴィアさんを」
「!」
「……彼女を妃に迎えるつもりですか」
ふいー……と、アルファイリア様の視線が泳いで逃げる。逃すまいと、僕はさらに睨みつけた。
「アルファイリア様」
「怒るなよ……」
「怒ってませんよ」
「いや、どう見ても怒ってるだろ」
「強いて言うならアルファイリア様が僕に何も言ってなかったことがショックです」
「うっ」
「前から決めてたんでしょう」
きっとそうだ。そうに違いない。僕の知らないうちに。
「いつからそういう話に?」
「……まだモルジェンとしか話してない」
「え」
「グィネヴィアの方が今日近付いて来たのはたまたま……いや、モルジェンの方が仕掛けたのかもしれないが」
余計な事を、と呟くアルファイリア様。……なんかヒクついてたのはそういうことか。
「他にこの事は誰が?」
「明確な事は俺とモルジェンだけ……でもベルナールなら」
「ベルナールさんが?」
「少しだけ……そんな感じの話をした」
歯切れが悪いな。僕はもう少し問い詰める事にした。
「いつですか」
「………生誕祭の時」
「…………あ」
あの時か。アルファイリア様が受け取った荷物を預けに行って戻って来たらいなくて、シベリウス殿に捕まった後探しに行ったらアルファイリア様はテラスでベルナールさんと一緒にいた。
「その為に僕を置いてテラスに行ったんですか‼︎」
「違う違う!あれは最初グィネヴィアに誘われて」
わんわんと響く自分の声を聞きながら、記憶を辿る。そして、思い出した。
「………あー!そういえば階段で」
そうか、なんとなくグィネヴィアさんに見覚えがあったのは階段付近ですれ違ってたからか。……よく覚えてたな僕。忘れてたけど。
「……それでそんな話に?」
「いやそれは……」
「何なんですか」
「そういう……訳じゃないんだが……」
うーんと考えた末、彼の口から転がり出たのはたった五文字だった。
「…………なり行きで」
「便利な言葉ですね」
僕はため息を吐き、これ以上問い詰めるのは諦めた。
「好きなんですか、彼女の事」
「いやー……それはどうかな」
「好きでも無いのに妃に迎えるんですか?」
「そういうものだろう、王家や貴族の婚姻というのは。基本的には政略結婚だ」
「……そういうものですか」
価値観の違い、だろうか。肩書きは貴族になっても、刷り込まれた“庶民の価値観”は僕から消えない。だから……簡単にそう言ってのけるアルファイリア様が何だか悲しく思えた。
「だが、悪く無いとは思ってるぞ」
「!」
「そんな顔するな、俺だって嫌なことを自ら進んで決めたりはしない」
「アルファイリア様……」
すると、彼は僕から目を逸らすとため息を吐き、小さな声で呟いた。
「…………お前なら気付かんと思ってたのに」
「え?」
胸の奥でざわ、とした感じがした。まただ。また──……。
「どうしてこうお前は自分のことは気付かない癖に」
「ちょ、ちょっと待って下さい、何がですか」
湯が軽やかな音を立てて動く。まるで僕をせせら嗤っている様に。
アルファイリア様は少し迷い、少しイラついたように口を開いた。
「だから────お前のことを」
と言いかけ、突然彼は口を噤んだ。しまったというように口を抑えると、逡巡する様子で目を泳がせていた。もう誤魔化されないぞ、もう我慢ならない。
「僕のことを何ですか」
「………俺の口からは言えん」
「何なんですか!先生もグワルフさんもアルファイリア様も!」
「……お前そんなに周りに気付かれてるのに自覚が無いのか」
「わっ……分かりませんよ!」
何だか怖くなってきた。まるで僕にだけ見えない幽霊か何かが取り憑いてるようじゃないか。いや、もしかして実際そうなのか。
そう思っていると、アルファイリア様はとても苦々しい顔をして考え込むと、一つ咳払いをした。
「……仕方ない。迷えるイヴァン君に俺から助言を与えよう」
「…………急に何ですか、魔術師殿みたいに……」
「……真似した」
今のなし、と恥ずかしそうに言うと彼は自分を指差した。
「いいか、こういうのは俺だけじゃないって事だぞ」
「?」
「お前も似たような状況下にある……ただし俺と立場は逆……多分逆だが」
多分。何だそれ。……似たような状況下?
「それって……」
「これ以上は言わん。後は自分で何とかしろ」
後の言葉は半ば僕には聞こえていない。僕の頭の中ではぐるぐると、今までの事が回っていた。
『お前本当に気付いてねェの?』───
『気の毒だなーあいつ』────
『お前なぁ!女の子と二人きりになったらそりゃ』──
『あ、あぁうんごめんなさい、ありがとう』
『ほーう……────ふむふむそうか、そういう事か。ならば私はお邪魔だね』────
『イヴァン君、敬語やめてって言ってるじゃない』
──────『トリストラムは?』
「…………まさか」
僕は思い出す。先生が、グワルフさんが、ダンさんが言っていたこと、トリスが僕に見せた笑顔、それに対する僕の気持ちも─────どうして今まで気付かなかった。ずっと答えはそこにあったのに。
「…………」
「イヴァン?」
僕は無意識に立ち上がっていた。頭がぐらぐらする。視界が真っ暗になった。
#34 END




