#32 Live and let live
翌朝、僕達はグオンと村長さんに別れを告げ、ルグマルを経った。グエルは他の残党と一緒にフィエルの拘置所に入れられた。これで彼は心を入れ替えるだろうか。だと良いけど。
そして元来た道を帰る。帰りはゆっくりする事にして、行きしにただ通過した街を観光した。フィエルで再会した愛馬達は元気そうで安心した。待たせたね、また帰りもよろしくね。
あと、グワルフさんの希望で草原竜の群れを探した。行きに見た群れはまだあの辺りでうろうろしていたのですぐに見つかった。刺激しないように少し遠目から見ていたけど、彼は満足そうだった。……幼竜は可愛かったなぁ……。
† † †
─神暦36992年5月4日─王都
「……そうか。ご苦労だったな、ゆっくり休め」
「いえリフレッシュは十分に済ませたので……」
「馬鹿、何だって旅は疲れるものだぞ」
王の執務室。数日ぶりに見るアルファイリア様が何だか懐かしい。珍しく綺麗に片付いた机。……僕がいない間退屈だったんだな。
「でも」
「今日一日は休息だ。ルーカンとグワルフにも言ってある。今日は鍛錬も禁止」
「えー……」
「怪我もしてる事だし無理に動くな」
「……はい」
まぁいいか。今日は部屋でゆっくりするか、ゆったり散歩でもしようかな。
「……で、そいつがお前を助けてくれた……精霊?」
と、アルファイリア様が僕の右後ろに立つノイシュを指差して言った。この部屋に入る前からずっと彼は僕の後ろにいる。
「助けたってェか、これから俺はイヴァンの力になる」
「……」
ノイシュの言葉に、何だかアルファイリア様は不満そうな顔をした。……どうしたんだろう。
「名前は?」
「ノイシュ・シャドーウッドだ。影の国スケアの戦士。冠する名は“夜の王”。よろしくな」
「……その自己紹介お決まりなの?」
「基本情報だぜ」
一々面倒臭くないのかな、と思うが本人は思ってないらしい。僕らの口上みたいなものかな、いやでもあれ結構面倒臭い……。
「あんたがイヴァンのご主人だな」
「……ご主人……というか」
「イヴァンはあんたに仕えてるんだろ?」
「そう言われればそうなんだが……」
苦虫を噛み潰したような表情をして、何だか歯切れが悪い。
「……アルファイリア様は僕の主ですよね?」
「何でお前がそう訊くんだ」
「だってそう訊きたくなるような顔してたんですもん……」
「あぁそうだよ主だな、お前は俺の部下だし」
「何で不機嫌なんですか」
「……俺が勝手に不機嫌なだけ……」
「だから何でですか……」
「何でもない」
うーと小さく唸って彼は顔を手で覆う。その様子を見てノイシュがぼそっと呟いた。
「……王様って思ってたのと違うな」
「ちょっ」
「分かってるよ、俺は変な奴だ」
顔を上げたアルファイリア様は、ため息を吐いてそう言った。そしてノイシュをじっと見る。
「……お前、ミルディンみたいな奴だな」
「ミルディン?」
「うちの宮廷魔術師。俺に敬語を使わないのはあいつと姉上達とアテリスとお前くらいだ」
「俺が仕えるのは影の皇帝だからな!」
……僕が“ご主人”じゃなかったのか。多分彼の中では少し意味合いが違うんだろう。
「そういえばアルファイリア様、魔術師殿はどちらに」
「俺が知ると思うか?」
「……そうですね」
「お前が出てから一度も見てないぞ」
「そうですか……」
まぁ適当に散策してれば出て来るかな?少し訊きたい事があるんだ。勿論あの事だ。
アルファイリア様に挨拶して、僕は執務室を後にする。……うん、やっぱり城の方が落ち着くな。
† † †
一度僕の部屋に戻り、いつもの出陣服から簡素なワイシャツと黒ズボンに着替えた。休めと言われたのだからこれぐらいが丁度いいだろう。
ノイシュを後ろに連れたまま庭園を歩く。彼は自分の足で歩いて見て回りたいらしく、ずっとこうして出たままである。別に僕の中にいても周りの景色は見えるとの事だが。
「キレーだな」
「そうでしょ」
いつもの木の場所に来た。見上げると、その上にある日のように魔術師殿がいた。
「お帰りイヴァン君、待ってたよ」
「……待ってたんですか」
「君が俺の所に来るだろうっていうのは予測してた」
「予知じゃなくて?」
「あくまでも予測さ」
ストン、と彼は降りて来て、僕の傍らのノイシュを見る。
「成果は上げて来たようだね」
「魔術師殿は精霊をご存知なんですか」
「そりゃ知ってるとも」
「……そうなんですか」
魔術師殿は本当色んな事を知ってるなぁ……未来の事まで知ってる訳だし。
「あんたがイヴァンに呪印を?」
ノイシュが眉を顰めてそう訊くと、魔術師殿は頷いた。
「ん?あぁそうだよ。少し荒療治だったとは思うけど」
「イヴァンはエンプティー起こして倒れたんだぞ」
「それは悪かった。でもあの呪印はそもそも君とイヴァン君の親和性を高めるものでね。リミッターが外れてしまうのは副作用なんだ」
「…………」
ノイシュはムッとしたまま魔術師殿を睨みつけた。彼の飄々とした内を探る様に、じっとその金色の瞳を見つめている。対して魔術師殿はいつもの余裕そうな表情でいたが、やがて困った様に眉をハの字にした。
「そんなに怖い顔しないでおくれよ、別に悪気があった訳じゃないんだから」
「こういう事してそう言うのは人の心を知らない奴だぞ」
「君だって知らないだろう」
「俺は……!」
ノイシュは反抗しかけて、途中でやめたようだった。そして怪訝な顔になる。
「……あんた……変な気配だな」
「魔術師だからね、普通の人間とは違うのさ」
魔術師殿は肩を竦めてそう答えた。……気配……。気配か。精霊はそういうものを感じ取れるのか。僕にはよく分からないけど。……あぁでも、時々アルファイリア様の気配を強く感じる事があったり……あれ?
────あの時って。
「そう言えば魔術師殿」
「何だい?」
「呪印には他の効果もあるんじゃないですか」
「うん?まぁ他にも色んな種類はあるけど」
「そうじゃなくて」
あまり気にしていなかったけど。あれはそういう事なのかもしれない。
「呪印が付いてる時……魔術師殿やアルファイリア様の気配を感じやすくなってたような気がして」
「…………あぁ」
魔術師殿は頷き、手を顎に当てた。
「……そうか。そういう事もあるのか。多分それは呪印に含まれた光のエレメントの共鳴だとは思うけど」
「共鳴……」
……そういえばそうだ、森でグエルの気配を感じたのもそのせいかもしれない。グオンは光の守護者だと言っていたし、兄であるグエルも光の守護者だったんだろう。
「君は光と相対的な影の守護者だから、余計に強く感じるのかもしれないね。……参ったな、これじゃ俺の居場所がすぐバレるじゃないか」
「あまり離れてると分かりませんよ。……普段から僕はよく魔術師殿を見つけやすいみたいですけど」
「そうだね。君とはよく会う気がする」
「普段どこで何をされてるんですか?」
「…………さぁ、何してるんだろうなぁ。特にどうということもないけれど」
「……」
「30年近くもここにいるとね、城の中は見飽きて退屈なんだ。入れ替わる人間を観察するのは楽しいけれど」
「要は覗き見ですか?」
「まぁそれもほとんどは毎日同じ行動の繰り返しで……何か事件でも起こればいいんだけど」
「平和が一番ですよ」
「……そうだね。それはそうだ。だけど平和はつまらない」
すると、僕のムッとした表情に気付いたのか、魔術師殿は慌てて言う。
「平和が嫌いって訳じゃないのさ!ただ、君だって日常より非日常の方が楽しいんじゃないかい?」
「お祭りとかなら好きですけど」
「そういう事だよ。……まぁ、毎日お祭りだとそれはそれで飽きてしまうけどね」
そう言って肩を竦めると、彼は空を見上げた。僕達も釣られて視線を追った。風が強いのか、白い雲があっという間に、青空の中を形を変えながら過ぎ去って行く。
「要するに変化が欲しいんだ。平坦な日々は心を鈍らせて行く。鈍るとつまらない奴になる。……俺はつまらない奴にはなりたくないし、つまらない奴と話したくもない」
僕が視線を下ろしても、魔術師殿はまだじっと空を見上げていた。
「……つまらない話をしたかな」
「いえ」
僕がそう答えた時、不意に魔術師殿は姿を消してしまった。初めからそこには誰もいなかったかの様に、目の前は春の風がただ流れていた。
「……“存在消失”か、高度な魔術使うなあいつ」
ノイシュが不意にそう呟いた。
「……何それ?」
「術者にしか仕組みは分からないような代物だけど。相手の意識の中から完全に己の存在を消すんだ。だから突然消えたかのように思う。……気付かないうちにいなくなる」
「魔術師殿って、いつも突然現れたり消えたりするんだよ」
「……どういう意図で使ってんだか。意識消失の場合術者は近くにいるかもしれないしいないかもしれない。上位存在でもなけりゃ気配は探れない……そこまでして神出鬼没を気取ってるのか?あの魔術師は」
「あの人の考える事は僕には分からないよ」
消える前の話も適当だったのかもしれない。僕達の気をどこかへ逸らすために。
「……それにしても変な奴だったな」
「初対面の人は結構な割合でそう言うと思う」
「あんたのご主人も変な感じだけどな」
「……それは多分皆んな言わないけど思ってると思う」
僕も正直……第一印象より少し彼の事を知り始めたくらいの頃だったろうか。……知れば知るほど、思い描いていた王の像とは違うなあって…………良い意味でね。
「にしても……あの魔術師……」
「ん?」
「名前は何ていうんだ?」
「ええっと……ミルディン・マリヌスって名前だったよ」
普段呼ばないからちょっと忘れかけてた。アルファイリア様はよく「ミルディン」って呼んでるけど。
「……ミルディン……ミルディン…………」
ノイシュはぶつぶつとその名前を呟いて、眉をひそめた。
「うーん……まぁいいや。分かんね。ほら、じゃあ次案内してくれよ!」
「う、うん」
ノイシュは何か魔術師殿について引っかかっているようだった。……何だろう。
「じゃあ次は空中庭園でも」
「何だそれ!空に庭が浮かんでるのか?」
「まぁそんな感じか……まぁついて来て」
守護竜殿にも紹介しなきゃね。今日はゆっくりノイシュの案内でもして過ごそうっと。
……もう5月か。僕達がルグマルに行っている間にいつの間にか4月が終わっていた。この調子だとあっという間に6月だな……。
魔術師殿は言っていた。平坦な日々はつまらないと。少なくとも、僕が今過ごしている日々は平坦ではない。毎日が新鮮で、毎日が刺激的だ。僕はまだまだ学ぶ事がたくさんあるし、戦わなければならないものもたくさんある。
考えてみれば、僕は人生のほとんどを平穏でない環境で暮らして来た。一番平穏だったのは少年の頃だったろうか。
いつか、セシリアが平和になったら。その時は王と共に平穏に暮らすのも悪くない。平坦な日々万歳。魔術師殿の言う事も分からなくはないけど、僕はその方が良い。
「それにしても庭が広いよなー、スケアの王宮とは大違いだ」
唐突にノイシュが言った。
「違うの?」
「んだ、というか庭が無い」
「……えぇ」
「城門入ったらすぐ王宮だぜ。ちょっと道があるくらい。こんなに距離無いぜ」
城を出ると、半円の広場があって、そこから真っ直ぐ正面に石畳の道が続いている。城の敷地は二段になっているので、途中階段で少し下った先、少し行くと城門があり広場になっている。城を背後に右手へ進むと訓練場が三つあり、その先が厩舎だ。
「すぐに攻められない?」
「籠城戦はしない。皇帝が逃げたって仕方ない」
「……そう」
「ここの王は籠るのか?」
「ううん、全ての国がそうじゃないと思うけど、アルファイリア様は戦場に出るよ。王は僕よりもずっと強いんだ」
「…………お前が護衛官なんだろ?」
「そうだけど」
「護衛官ってんだから王より強いもんだろ?」
「……そうなんだけど…………」
うぅ、痛い所を突かれた。確かに普通はそうだよな、でも仕方ないじゃないか。アルファイリア様の人間離れした強さには、この宮廷の誰も届かない。宮廷騎士が束になれば、さすがに勝てるかもしれないけど。
「まぁでも、ここには強い奴らがいっぱいいそうだな」
「それは勿論」
「いいなぁ、俺一回あの王と戦ってみてぇ!」
「……好戦的だね……」
「強い奴を見ると血が疼くんだ。満月の夜は特に」
「精霊は皆んなそうなの?」
「いんや?俺達の一族だけだよ」
「……ふーん……」
そういうものなのか。戦士の家系なのかな。……しかし満月の夜って……。
「────ノイシュって狼男なの?」
そう訊いてみると、ノイシュは口を尖らせた。
「そんなんじゃない。そんなチンケなもんか」
「……いるんだ、狼男」
「いるぜ。あぁでも影狼族の長だけはちょっと別かな」
「カゲロウ?」
「……そんなこたぁどうでもいいだろ」
あれ、なんか不機嫌になった。話を出したのはそっちなのに……。まぁいいか。
話している間に庭園を過ぎて城の前の広場だ。
「あれ、城の中入るのか」
「うん」
正面の階段を上って左、階段をぐるぐると上がって行った先が空中庭園。場所としては、客間のある東棟の三階。下からはガラス張りの窓が見えるが、反射と植物の蔦で中の様子は見えそうにない。
「……なるほどなー、上の階にあるから空中庭園か。浮いてる訳じゃないのな」
「大体そうだと思うけど……」
「そんなもんか……」
なんだかがっかりした様子のノイシュ。僕は苦笑する。
「きっと気に入ると思うよ」
「んー……じゃあ、まぁ期待はしとく」
† † †
庭園はいつもの静けさで、相変わらず小さな天繋樹は光をふわふわと降らせている。
うん、数日城にいないと何だかここも懐かしい。
「あ、帰って来たんだね。お帰り」
鳥籠に近付いて行くと、座っていた守護竜殿が笑顔で迎えてくれた。
「昼頃こっちに着きました」
「そっか。無事で良かったよ」
ふと、守護竜殿は僕の隣に立つノイシュへと目を向けた。
「……見慣れない顔だなぁと思ったけど、その気配は精霊だね」
ノイシュはいつもの様にあの自己紹介をかますのかと思いきや、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。
「ノイシュ?」
「……て」
「て?」
「天使竜……」
と、驚いた顔で僕の方を見て守護竜殿を指差す。
「天……え、“天使竜”!いるとは噂に聞いてたけどビックリした!」
「僕が小さいから?」
「ち、違う、そんなんじゃなくてだな……」
と、ノイシュはなぜか僕の後ろに隠れた。
「……こう……近くにいるとゾワゾワする……」
「ゾワゾワ?僕は感じないけど」
「人間のお前には分かんねェよ!なんつーか落ち着かねェ」
うわ、なんか馬鹿にされたような気がする。
すると、守護竜殿が面白そうに笑った。
「そうか、精霊はそういう反応をするんだね。初めて知ったよ」
「……精霊に会ったのは俺が初めて?」
「うん、多分ね」
守護竜殿はそう言って立ち上がった。
「僕達は神霊に近い上位存在だから……気配に敏感な君達精霊はそういう事を感じやすいんだろうね」
「……俺は多分特に……竜族に近いから」
え。
「……竜?」
「あーいや……竜族とは似て非なるものなんだけどな。“幻竜種”って呼ばれてる」
…………『そんなチンケなもんか』って言ってたのはそういう事か。
「“夜ノ覇王”、それが俺の種族」
「精霊の中にも種族が?」
「一部な。俺は特殊な方。一部の精霊は人型とは別の本来の姿を持ってたりするんだ。皇族や大精霊なんかは大抵そうだな。……竜族はそもそも精霊じゃない。人型にはなるけど」
「……どう違うの?」
「竜族は精霊と違って人間と同じように核を持ってる。要するに自分でエレメントを生成出来る」
「はぁ……」
「でも俺には無いから精霊だよ」
はーあ、とため息を吐くノイシュ。いっそのこと竜族なら良かったのに、という事だろうか。
「……竜族に近いなら少し試したい事があるんだけど」
「ん?」
「僕に竜族への強制力があるのかどうか……」
「あぁ、聞いた事はあるぜ。天使竜とか冥府竜には竜族を強制的に従わせる事が出来るって」
「やっぱりそうなんだ」
「でも俺は竜族じゃないから竜の言葉は分かんねェよ」
「んー……そっか」
……となると、やっぱりリーネンスの飛竜達はルシオラの力で言う事を聞かせてるって事になるのかな。
「今竜型になれる?」
諦め切れないのか、守護竜殿はノイシュにそう言った。しかしノイシュは首を振る。
「……夜にならないと無理だ」
「え」
「俺達は夜にしか本来の姿には戻れない。しかも完全体になれるのは満月の夜だけ」
「……それって役に立つの?」
僕が言うと、ノイシュは親指を勢い良く立てた。
「夜戦は任せてくれ」
「あんまり無いと思う……」
「あった時は!」
何だ……ちょっとわくわくして損した。
「まぁ俺そうじゃなくても強いし」
「はいはい……」
よく考えてみれば、ノイシュの能力ってほとんど夜にしか発揮出来ないんじゃないか?あの影を支配する能力は洞窟の中とかでもいいみたいだけど。
その時、ふふっ、と守護竜殿が笑った。
「仲良さそうで良かったよ」
「えぇ、上手くやって行けそうです」
「でもイヴァン君、あんまりそうしてると多分イリアが妬いちゃうよ」
「……アルファイリア様が?」
「うん、だって彼、君と一番の関係だと思ってるっぽいから……」
────……あ!何で不機嫌になったんだって思ったら、そういう事だったのか!
#32 END