#27 All's for the best in the best of all possible worlds
その日のうちに僕達は先生の宣言通りラルマ州を抜けて、テフィリア州のサヴルという街についた。そこでもう日が暮れてしまったので、今夜はここで宿泊することにした。
サヴルはそこそこ大きな街で、その中央を川が通っている。馬に乗ったまま、その川沿いの右手の大通りを進む。川には一定間隔で橋が渡されていて、その横に設置された階段の下にはゴンドラが停まっていた。
茜色に照らされた街では、帰路を急いでいる様子の人々が目立つ。店の灯りも消え始め、僕達は灯りの付いている宿屋を探した。
「時間があれば観光したかったけどな」
「帰りにするか?」
「お、いいねェ」
二人は呑気にそんな会話を交わしている。僕はその後ろを進みながら、街の景色を眺めた。
統一感のある白と黒の木造の建物が立ち並ぶ。高さはどれも二階建て。五件ごとに間が開いていて、その通りを二つ越えるごとに階段があり、上層の通りに行ける作りだ。その向こうにも下層の街並みが広がっている。宿場区は確か東側の裏の方だった……と記憶している。サヴルを訪れるのは二度目だ。ここからフィエルという街まで船が出ていて、川を北上出来る。フィエルに着いたら、そこから山を越えればすぐルグマルに着く。
と、不意に先生がレフィリムを止め、振り向いた。
「…………イヴァン、宿屋ってどこか分かるか?」
「あっちです」
「お、了解」
……やっぱり分からなかったのか。僕は先生達を追い越して進み、一つ裏の通りへ入った。
† † †
-神暦36992年4月28日-
次の日。朝早くに支度を済ませ、宿代の支払いを終えて僕達は船着き場へと向かった。街の北側の川幅は広くなり、深さもかなりあるので大きめの船が出ている。馬も乗せられるので、それでフィエルまで向かうのだ。
屋根の下、横向きに付けられた座席に座って船に揺られる。顔に当たる風が心地よい。
「良いねェ、のんびりした感じで」
グワルフさんが通り過ぎて行く川岸を眺めてそう呟いた。
他に客はおらず、僕達三人と船頭さんが一人。動力は勿論人力ではなくモーターだ。船は静かに川を北上し、春の日差しに照らされて僕達は半ばうつらうつらとし始める。
街を出て数分、後方には遠くサヴルの船着き場が見え、今僕達を囲うのは一面の緑。サヴィンスク草原、とそんな名前だったと思う。
「あ、先生、あれ」
「ん?……おっ」
「おー、俺初めて見たよ」
草原の中にずんぐりした草原竜の姿が見える。あれは竜の一種ながら大人しい種で、こちらから危害を加えなければ何もして来ない。草の生えた硬い背では小鳥達が羽を休めている事もある。数十頭の群れで移動し、王都周辺でも時折見掛ける。……とは言え王都のすぐ側までは、守護竜殿の加護があり竜やモンスターの類は近寄れない。周辺というのはその圏内から外れた草原地。まぁ、珍しく無いかと言われればそうでもない。実際グワルフさんも初めて見た様だし。
「すっげぇ……もっと近くで見てみてェなぁ……」
「襲われはしませんが、時々尾にやられるので気を付けた方がいいですよ」
「えっ」
ここからは豆粒ほどにしか見えないが、そのシルエットから尾が決して細くない事が見て取れる。
「……群れの中に迷い込むのは怖いな」
「接触すると警戒されるので……確かに群れの中は危険ですね」
いくら穏やかとは言え竜は竜、干渉してこないものには興味を示さないが、干渉して来るとなれば話は違う。頭を撫でて馴れようだなんてとんでもない、触れる寸前で彼らは吼え、噛まれるか踏み潰されるか撥ねられるか尾で弾き飛ばされるかどれかだ。……竜を飼い慣らすだなんて本当は無理だ。無理のはずなのだ。
「あの背中……乗ってみたい」
「小鳥達は平気なんですけどね」
「他のは?」
先生が訊くので、僕はうーんと考える。
「他……他ですか、あまり見た事ないですね」
「そうなのか」
「お前さ……草原竜結構見た事あんの?」
「え、あぁ、はい、まぁそこそこ……傭兵団にいた頃に」
すげぇなぁ、と漏らすグワルフさん。……すごい?かな?
「俺達そんなに外に出ないからさ、本でしか見た事無い物って結構あるんだよ」
「へぇ……」
「うん、そう思うと……何て言うか、傭兵ってのも羨ましいな」
「……そうですか?騎士に比べたらそんな良いものでもありませんよ」
「んー……そうじゃなくて……なぁ?」
「んだ」
グワルフさんが先生に同意を求め、彼も頷いた。
「自由で良いなってこったよ」
「……王に仕える者としてそういう発言はどうかと思いますが」
「分かってるよ、別に不満な訳じゃない。でも憧れるくらいいいだろ?」
「…………」
傭兵の先生達……言ってはなんだけど、似合うかもしれない。でもこう……品があるからな……。
「……先生」
「ん?」
「“竜の血を飲んで下さい”って言ったら飲めます?」
「無理だろ」
「飲めるのかあれ」
飲めます。とても良く効く薬です。臭いけど。
「じめじめしてて、何だかよく分からない虫がいて、蝙蝠の羽音がする洞窟で仲間とはぐれて歩き回ってる間に色んなもので泥々になったりとか」
「分かった俺が悪かった、もう何も言うな」
先生が眉を顰めて耳を塞ぐ。グワルフさんが憐れむような目で僕を見て来る。
「お前……苦労してるな」
「誰も僕の体験だとは言ってませんけど」
「お前のじゃないのか」
「僕は洞窟ではぐれた一人の仲間を探してる側でしたよ」
「……苦労してるな」
「あまりに酷い有り様だったので皆んなで爆笑してましたけど」
「心配してやれよ」
「見つけるまでは心配してたんですよ」
あれは誰だったかな、デリックだったろうか。結構元気な奴だったから、再会するや否や「あー!」と叫んで文句をたくさんぶつけて来た。元気そうだったけど……詳しくは言わないけどとにかく酷い格好だった。
「……お前はさ」
先生が、少し重く口を開いた。
「もし、傭兵に戻らなきゃならないってなったら、どうする?」
「………」
僕はその質問の意味を考えた後、笑みを浮かべてこう答えた。
「僕は絶対に、王の下から離れたりしませんよ」
───── そう、何があったって。
† † †
-神暦36992年4月29日-
船は途中リュピーセルという水上の街を経由して、フィエルに到着した。リュピーセルにも寄りたかったけれど、あまり無駄な時間は過ごしていられない。依頼して来た村の人達は、一刻も早い僕達の到着を待っているだろうから。
そしてフィエルで夜を明かし、朝から僕達は山道を越えた。ラフェオル達はフィエルに預けて来た。山道は徒歩の方が安全だったからだ。
そして辿り着いたのはルグマルの村。山道を下った先に、村の入り口はあった。懐かしい。僕が以前訪れた時と、あまり様子は変わっていない。点々とある民家と家畜小屋。そしてこの村の名物、ルグ桃の木が村の至る所に植えられている。これは年中実をつける特別な種類だ。味も良い、名物だ。フィエルでも売られているのを見かけた。
山の麓の森を切り拓いて作られた、そう大きくはない村だ。人口も数百人程度。王都の喧騒が恋しくもなる。
先生を先頭に村の中へ入ると、そこへ通りかかった村人が僕達に気付いた。彼は僕達の装いを見ると、目を丸くして言った。
「……まさか……騎士様……ですか⁈」
「いかにも。王の命によりここへ来た。村長はおられるか」
先生が、毅然とした態度でそう言った。村人は動揺してキョロキョロと周りを見渡すと、「こちらへ!」と叫ぶと回れ右して走って行った。
「…………案内する気ねェな」
「先生が威圧的だったからじゃないですか」
「もっと優しく行けばいいのによ」
「……うるさいな、とりあえずあいつが向かった方に行くか」
「そうですね」
「次からイヴァン、お前が喋れ」
「何でだよ俺が指揮官なんだろ」
さっきのと温度差が凄い……。ここまでとは言わないけれど、もう少し緩い感じで行った方が良いんじゃなかろうか。
「おぉ、騎士様、ようこそいらっしゃいました」
「!」
ふと気付くと、さっきの村人が息を切らして戻って来ていて、その傍らには70代くらいの男性がいた。
「貴方が村長?」
「はい。グアラルと申します。立ち話も何ですから、家へいらして下さい。飲み物でもお出しいたしましょう」
「あぁ、丁度喉が渇いていたので助かります。な?」
「はい」
「そうだな」
山道をずっと歩いて来て、随分と疲れた。ここは一休みさせてもらおう。
† † †
「どうぞ、ルグ桃のジュースです」
「ありがとう」
村長さんの家は、他と変わらない小さな民家だった。古いフローリングの床には丸いラグが敷いてあり、その上に長方形のテーブルが置いてあった。村長さんと僕達で1対3になる様に座り、村長さんの後ろにさっきの青年が立っている。ジュースを持って来てくれたのも彼だ。
「……息子さん?」
「はい。四男のグオンです。先程は失礼を。ろくに案内もしないで……」
「……すみませんでした。慌ててしまって……」
グオンはそう言って頭を下げた。
「気にしてませんよ」
とか言って、先生呆れた顔してたじゃないですか。
「…………ところで……そちらの方は」
「え?あ、はい?僕ですか?」
「以前お会いした様な気がするんですが、人違いでしょうか」
「……そうでしょうね、僕はここに来るのは初めてですよ」
僕はそう答えた。村長さんは「そうですか」とだけ言って、それ以上は訊いて来なかった。
「ええと……本題ですね」
「盗賊退治だと聞きましたが」
「えぇ。そうなのです。最近……1ヶ月程前からですかね、近くの森辺りに盗賊団が住み着いたのです」
村長さんは目を細め、俯き気味に話し始めた。
「この森を抜けると、シーラという小さな海辺の町に着きます。そこへ行商へ行くのですが、ここの所盗賊のせいで行けていないのです。村の生活はフィエルで桃を売る事で何とかなってはいるのですが、シーラの人々が楽しみにしてくれている桃を売りに行けないのは心苦しく……」
彼は拳を握り締める。そして、話を続けた。
「それに、月に一度くらいは村へも略奪に訪れるのです。今月はもうやられてしまいました」
「……被害は?」
「怪我人が少しと、村人の財産が半分くらいです。あぁそれと、成っている桃がほとんど……。抵抗するだけ無駄なのです。奴らには恐ろしい頭がいまして」
「…………僕達の前に、他にも助けは求めたんですね?」
僕はそう訊いた。村長さんは頷いた。
「えぇ。フィエルの傭兵団に。……しかし討伐は失敗、拠点にすら辿り着けなかったそうです。幸い傭兵の中に死者はありませんでしたが……」
「……そうですか」
「なので騎士様にお願いしたのです。……受け入れられる……とも、あまり思ってはおりませんでしたが……」
彼は立ち上がると深く、頭を下げた。
「遠路遥々……ありがとうございます。感謝してもし切れない程です」
「お礼を言われるにはまだ早いですよ。何せ任務はまだ始まってすらいないんですから」
先生は笑ってそう言い、村長さんを座らせた。
「一つ訊いても?」
「はい」
「盗賊団の拠点は分からないんですね」
すると、村長は縦に首を振った。ふむ、と先生は口に手を当てて考える仕草をした。その手の陰で、口が僅かに笑ったのを僕は見逃さなかった。
「では、私から提案があります」
「はい」
「行商の護衛を我々がしましょう」
「!」
「桃をシーラに届けたいでしょう?盗賊が出ても撃退出来ます。上手く行けば拠点も見つけられるかもしれません」
「……おいお前それって」
「しっ」
小声で何か言おうとするグワルフさんを、僕は止めた。……先生も性格が悪いけれど、ここは。
「売りに行く桃は残っていますね」
「……えぇ。量は普通より少ないですが」
「商人の方に連絡を。明日、村を出てシーラへ向かいます」
村長さんは少し考え、やや真剣な目になって言った。
「……せがれは商人です。彼に行かせましょう」
いいねグオン、と村長さんが確認すると、グオンは頷いた。
「分かりました。……よろしくお願いします」
「では決まりですね。明日までに支度を済ませておいて下さい」
「はい」
壁の時計は午後4時を指している。先生は立ち上がった。僕とグワルフさんも続いて立ち上がる。
「これ、グオン。騎士様方をお部屋にご案内しなさい」
「はい。じゃあ、ついてきて下さい」
今度は走らずに、普通に歩いてグオンは僕達を案内してくれた。軋む階段を登って二階に上がると、部屋が二つあった。
「どうぞ。二部屋しかありませんが自由に使って下さい」
「分かった、ありがとう」
「グオンさんは?」
僕が訊くと、彼は言った。
「僕は向かいに自宅がありますので。では」
そう言って彼はキシキシと鳴る階段を降りて行った。残された僕達。先生が二つの部屋を交互に指差す。
「俺とワルが一緒で、お前一人でいい?」
「良いですよ」
ドアを開けると、小さな部屋に簡素な机と二段ベッドだけが置いてあった。きちんと掃除はしてあるようだ。二部屋とも同じ様子だった。
僕は部屋に入り、ドアを閉めて武装を解いた。ぐう、とお腹が鳴った。……たくさん歩いたからな……。
僕はふと、二段ベッドに目を向けた。…………前に来た時は、どうしてたっけ。ここへは何で来たんだっけ。何人で来たんだっけ。
あれは……20歳くらいの時だったっけ。そうだ、フランシスと二人で来たんだ。この村からの依頼じゃなくて、王都の人からの依頼だった。討伐とかそんな類でなく、シーラで人探しをして欲しい……って依頼だったか。段々と思い出して来たぞ。
途中この村へ立ち寄った。その時も村長さんのこの家に泊めて貰った。ルグ桃もご馳走になった。フランシスと僕は、あの時もこの部屋に二人で泊まった。……あの時……グオンの他に、もう一人いなかっただろうか。
記憶を探る。当時の会話を思い出した。
グオン達は四人兄弟で、彼が末の弟で、もう一人が三男だった。上の兄二人は一人立ちして街へ稼ぎに出ているのだと、そんな話をしていた気がする。この部屋は四人兄弟がかつて使っていた部屋で、その当時はグオンと三男が一部屋ずつ使っていたのを、僕達を泊める為に一部屋空けてくれたのだ。
────三男はどうしたのだろう。名前は覚えていない。きっと聞いたら思い出すのだろう。顔は、村長に似ていたと思う。グオンはあまり似ていないけれど。
訊いてみようか、と思ったがやめた。僕は、ここへ来たのは初めてだという事になっている。あの時来たのは僕に似た誰かだ。それは────多分、ある意味では間違っていないのだろう。
……8年。8年か。あの頃の僕とは、もう何もかもが違う。僕は嘘を吐いていない。僕が、ここへ来るのは初めてだ。
下から良い匂いがして来る。甘い香り。ルグ桃のパイか何かを焼いているのだろうか。
ふと、また記憶が蘇る。それは、どうしてかあの一番嫌な記憶だった。
───────何でだよ、ここでの記憶じゃないだろう。
僕は着替えようと、影の中からワイシャツを出し、着ていたものを脱いだ。ふと、チリリと肩に刺激を感じて目を向けた。そして僕は、目を疑った。
いつの間に掛けられていたのか。以前のと同じ、魔術師殿の呪印がそこにあった。
#27 END




