#24 Actions speak louder than words
-神歴36992年4月25日-
翌日は早朝から街は賑やかだった。夜が明けると共に人々は起き出す。
8時頃僕は起き、支度を済ませて部屋を出、鍵をかける。くるりと踵を返し、向かいの執務室のドアを叩いた。
「おはようございます、アルファイリア様」
「……おはようイヴァン」
眠そうな声が返って来て、ドアが開いた。そこには既に支度を済ませたアルファイリア様が。
「お誕生日おめでとうございます」
「……ありがとう」
俺も36か、と彼はあくび交じりに呟いた。
「行きましょうか」
「あぁ」
† † †
城の庭園には既にちらほらと人影が見えた。貴族から庶民まで、様々な人がそこにいる。春の花を鮮やかに咲かせた花壇に魅入る人、それに集まる蝶を追う子供、木に留まる鳥を見る人や、城の荘厳な姿に感動して立ち止まっている人。
しかしそんな誰もが、王が通りかかると視線をそちらに向けた。
「アルファイリア様!お誕生日おめでとうございます!」
「良いお誕生日をお過ごし下さい!」
「あぁ、ありがとう」
声を掛けられ、笑顔で答えるアルファイリア様。しかしどこかそわそわしている。早く街に出たいようだ。
「やっぱりこれではゆっくり出来ないな」
城門を出て少しした所で、羽織っている赤い外套を摘んで彼は言う。
「仕方ないでしょう、人前に出る時は」
「うーん……もっとこう……ラフな感じで」
「髪色が目立つのでどうしたって無駄ですよ」
「お前最初の時気付かなかっただろ」
「……う……あれは……」
「まぁいいけど」
と、スタスタと王は歩き出す。
「アルファイリア様」
「ま、あぁやって声を掛けられるのも悪くはない」
何だ、嬉しかったのか。でも引き止められるのは嫌……ってところだろうか。
「さーてと、お前はどこか行きたい所はあるか」
「特にはありません、アルファイリア様のお好きな所に」
と、そう言いながら僕は以前アルファイリア様に貰ったフードを被った。
「……あーそうか。分かった。とりあえず広場まで出よう」
通りを下る間も、城へ向かう人達とすれ違う度にアルファイリア様はお祝いの言葉を掛けられる。これも民に慕われている証拠だ。王の悪い噂は聞いた事がない。……いや、一番側にいるのにそういうのも変なものだが。というより、王の悪い所を一番知っているのは僕なんじゃなかろうか。時々性格悪いし、面倒臭がりだし、色んな事をずるずると引きずるし……いや、引きずるのは王が優しいからか。それが悪い事だとは思わないけど、王たるもの、時には切り捨てる残酷さも必要だ……と僕は感じる。
「おや」
広場の側に来ると、何やら人集りが出来ている。やいやいと声援が聞こえて来る。
「……今年もやってるのか」
「あぁ、剣舞ですか……でも何だかいつもと様子が違いますね?」
僕は人集りの向こうを、背伸びをして見る。……何とか見えた。例年の様に、少し高い舞台が設置されている。その上でいつもは騎士が二人、模擬剣で撃ち合っている……のだが。
「……あれ、騎士じゃないな」
一方は騎士だ。……しかも。
「ランスロー……」
「だがあれは誰だ?」
舞台上で模擬剣を振るっているのは紛れもなく宮廷騎士のランスローだ。しかしその相手は宮廷騎士でもなければ一般騎士でもない。……あの見慣れた無骨な鎧は、間違いない、傭兵団のものだ。
「やァ、おはようございますアルファイリア様」
「!」
僕はその声にビクッとした。嫌な感じ。……アグロヴァルだ。
「おっと……お誕生日おめでとうございますの方が正しいですネ」
「アグロヴァル、これはお前の企画か?」
「えぇ。勿論議長サンには承認を貰ってますヨ、宮廷騎士サンにも協力頂いてますしネ」
アグロヴァルが指差す先には、人垣から少し離れたペレディルの姿が。テントの下に用意された丸椅子に座って、欠伸をしながらボケッと道行く女性を目で追っている。こんな時でも相変わらずだ。……騎士は他には見当たらない。
「……何故ランスローとペレディルなんですか?」
僕が訊くと、彼は肩を竦める。
「彼らはほら、グリンエルとヴィアの親族だろう、それで二人に捕まえて来てもらった」
「トリストラムには頼まなかったのか」
アルファイリア様が訊くと、アグロヴァルは言う。
「オレは提案したんですけどネ、姉の方が止めて」
「イゾルデが?」
「『トリスに負けたら街の男衆が可哀想だろう』とかそう」
……あはは、でも宮廷騎士だし。強いのは皆んな分かってるはずだけどな。
その時、それまでバラバラだった声が一斉に揃った。何だか残念そうな感じだ。
「ランスローが勝ったな」
「まぁ当たり前ですけどネ」
アルファイリア様の言葉に、アグロヴァルがそう付け足す。
「一応賞金は用意してるんですけどネ。あと、もし勝てたなら騎士になる権利を与えるって事ニ」
「……まぁそれ程の実力者がいるなら俺はそれで構わんが」
アルファイリア様がそう言ってちらりと僕を見る。
「しかし思い切った事をしたな、ユーサーもよく許したものだ」
「あの人なかなか寛容ですネ、そろそろ王様と同じで身分制度に飽き飽きしてるんじゃないですか」
「…………」
どういうつもりで言っているのか、その顔に湛えられた笑みからは読み取れない。皮肉なのか、それともそんなつもりではないのか……。
「それでまぁ、この通り大盛況ですヨ。街中の腕っ節に自信のある人達が次々とやって来るンです。剣を嗜んだ貴族から、傭兵や衛士やら……」
まぁまだ誰も勝っちゃいないんですけどネ、とアグロヴァルは肩を竦めた。
「ちゃんと休憩はさせてるのか」
アルファイリア様が言うと、勿論、と彼は頷く。
「ただ……朝から二人で3人抜き毎に交代してるんで……そろそろ間を入れた方がいいカナ」
と、彼は徐ろに僕の方を向き、にこりと──ある種嫌な風に──笑った。
「よければ君も手伝ってくれないかナ、グリフレット」
「えっ、僕ですか」
「グリンエルとヴィアの二人が休憩する少しの間だけでいいンだ、頼むヨ」
えぇー……僕がやるの?あの舞台上で一般人と……?
僕が助けを求めてアルファイリア様を見ると、彼は「いいんじゃないか」という風に頷いた。……頼りにならない。
「僕、加減とか上手く出来ませんよ」
「大丈夫大丈夫、怪我をしても優秀な医療班がついてるからネ。そんな事は挑戦者も承知の上だし」
……うん……断れない……と言うか、この彼の目は逃がさないつもりの目だ。厩舎で会った時から嫌な予感はしていたけど、もし彼がこれで企んでいるとすれば……いや、企んでないはずがない、僕はこのまま舞台に上がればタダでは降りて来られない。
………でも、そうだ。
「分かりました。……アルファイリア様、少しお時間を頂きますがよろしいですか」
「あぁ、構わん。しっかり見ているからな」
うっ、そう言われるとプレッシャーが……。
大丈夫、大丈夫。何も怖い事はない。相手は騎士じゃない。……そう、騎士じゃない……。
さっき見えた無骨な鎧が脳裏を過る。……それって……。
「さァさァそうと決まれば行きましょうか」
と、僕はアグロヴァルに背中を押されて我に返った。人垣を割って内側へ入ると、舞台へ上がる階段の前へ連れて来られた。見上げると、丁度降りて来たランスローと目が合った。
「あれ、お前」
「……代わるよ」
僕は被っていたフードを下ろし、作り笑いを返した。。ランスローはそれ以上は何も言わずに、手にしていた模擬剣を僕に手渡した。いつも訓練場で使っているのと同じものだ。大丈夫、慣れてる。
僕は階段へと足を掛けた。緊張……本物の戦場とは違う、別の種類の緊張感が僕を襲った。
「さぁ、お次は変わりまして、なんとなんと、王の護衛官殿にお越し頂きました!さ!挑戦したい方はどうぞ上へ!」
アグロヴァルのそんな張った声がする。多くの視線を集めながら僕は階段を登り、舞台に上がった。いつもは見上げている人達を見下ろす高さ。一通り広場を見渡し、僕は正面へと目を向け、そして固まった。
「……やっぱり、どこかで見た顔だと思ったらイヴァンじゃねえか」
「…………!」
聞き覚えのある声、見覚えのある顔。見覚えのある鎧。それはかつての僕が身につけていたのと同じものだ。
僕は大きく息を吸って、無理に口角を上げた。
「……久し振りだね、グレイル────だっけ?」
「何で疑問形だ、ふざけてんのか」
顔見知り。傭兵団にいた頃……それ程仲は深くなかったが時折仕事で一緒になったりしていた。僕にとってはそれくらいの特に記憶に根深い人物ではないが、向こうからすればそうはいかない。……当時あの傭兵団に在籍していた人は、一人残らず僕を覚えている。卑怯な臆病者として。
「相変わらずチビだな」
「君達がよく食べてたからだよ」
「はぁ?何だそりゃ。……ふん……元気そうじゃねえか」
グレイルは僕を見下すように睨み、模擬剣を肩に担ぐ。
「どんな汚ェ手使ったかは知らねえが、良い御身分だな、王の護衛官だっけか?」
「……そうだよ」
「お前なんかに務まるのかよ」
「…………分からない……けど」
僕は剣を握り直す。緊張は無くなっていた。それよりも、違う感情が僕の中に渦巻く。
「その言葉は僕じゃなく、僕を見出した王を侮辱する事になる」
「……はっ、言うじゃねーか」
グレイルは剣を構える。両手で持った剣を、体の前で。
対して僕は、剣を握る右手を胸の前に持って来て、剣を縦に構え、左手を右手に添えた。
「……王の護衛官、イヴァン・グリフレット」
僕はもう、あの時の僕じゃない。周りの言葉に怯えている卑怯者の傭兵じゃない。
僕は、もう何からも逃げ出さない。僕は護る。王も、そして自分の名誉も。
剣の柄を右手の横へ持って来て、鋒を相手へと向ける。左足を前に、身を屈めて相手を見据える。
「…………推して参る!」
「始め!」
アグロヴァルの声と共に、僕は踏み出した。一気に間合いを詰める。向こうも踏み出して来た。
何度か打ち合う。……見える、はっきりと。随分と目が慣れているようだ。いつも相手にしていたのは、あの先生達だったから。
相手の動きの中に隙を見つけ、そこを突く。すると簡単に、模擬剣が相手の手から飛んで行く。
「……っ!」
勢いでグレイルは尻餅をついて、唖然とした顔で僕を見上げた。僕はその顔に向かって湧き上がった言葉を言い放つ。
「……少なくとも君よりは上手くやる」
彼は何も言わぬまま、係に連れられて舞台から降りて行った。
† † †
一際高く鳴った金属音に、ランスローは後ろを振り返った。人垣の奥で、模擬剣が飛んだのが見えた。
「……おうお疲れ」
「あぁ」
目の前で足を組んで座っているペレディルの隣に、ランスローも息を吐きながら座った。
「今やってんのグリフレット?」
「そ」
「何で」
「分かんねえけど多分アグロヴァルだろ」
ランスローは階段ですれ違った時のイヴァンを思い出した。
「……なんかヤな感じだった」
「何が」
「イヴァンの奴。……笑ってたけど」
ランスローは膝の上で頬杖をつく。ペレディルは彼の方に首を傾けて言った。
「……お前ってグリフレットの事嫌いだったっけ」
「嫌いだよ、ってゆーか気に入らない」
「ヴィアは厳しいよなぁそういうの」
「お前らが全体的に緩いだけだろ」
「俺は馬鹿だから分からん」
「またそれかよ」
ペレディルの言葉に呆れ、ため息を吐く。彼の事は嫌いではないがそういう所は気に入らない。
「……まぁ俺はイヴァンの事は嫌いだけど……アグロヴァルの方がもっと嫌いかな」
「何で」
「人を喰う顔をしてる」
「はぁ」
「ずる賢い鴉みたいな奴だ」
「鴉は嫌い?」
「あぁ」
「それは俺も嫌いかな」
ペレディルは右手側にある運営テントの方へ目を向けた。少し高くなったところにアグロヴァル座って舞台上を見ている。にやにやと何やら愉快そうな顔をしている。
「人を貶めようとする奴は許せない」
「ペレノアのがグリフレットを貶めようとしてんのか?」
「……分かんねえけどそんな気がする」
「気がするで話を進めるなよ」
「でも少なくともイヴァンは────」
その時また剣が宙を舞う。人垣にまでは飛ばず、舞台上でカランと落ちる。
「…………」
「少なくとも、何だ?」
「……いや」
あの笑みが作りものだったことには気付いていた。何か不安を覆い隠すような、仮面の様な硬い笑みだった。
ランスローは一つ深呼吸をして、口を再び開いた。
「……人の弱みを握って痛め付けるのは騎士のやる事じゃない」
「ん?……あぁ」
話の筋がどこかズレたので、ペレディルは首を傾げた。
「イヴァンを護衛官から降ろすなら、俺はもっと正々堂々とやってやる」
「え」
「例えばの話だよ」
宮廷騎士である事に不満はない。護衛官の役目は自分には負い切れないとそう感じてすらいる。
「気に入らないけど、認めてない訳じゃない。悔しいけどあいつはちゃんとやってるんだ。……悔しいくらいな」
またくるくると舞う剣。今度は人垣の方へ落ちて行き、短い悲鳴とどよめきが起こった。人には当たらなかったらしい。
「あー、危ないのでちょっと下がって下さいネ」
アグロヴァルがそう言う。ペレディルはふとランスローに訊く。
「……今何人抜き?」
「さぁ。四人くらいじゃね」
「ペース早いな」
「……あいつ多分手加減してないぞ?」
「え」
その時また、宙を剣が舞い、今度は人垣を超えてテントの前に降って来た。
† † †
「ハァッ……ハァ」
息が上がる。身体的な疲労のせいだけじゃない。プレッシャーが体にのしかかる。……絶対に負ける訳にはいかないと。
本当はそんな心配なんていらないのかもしれないけれど、現れる顔はどれも僕より格上だった傭兵達。……その剣を手から飛ばす度、僕は知らぬうちに格段に強くなっていたこと、もう以前の僕とは違うという事を身に染みて感じていた。
五人連戦、負け無し。どれも早いうちに決着を付けている。催しとして、という事を僕は考えてはいられなかった。“公衆の面前で負ける訳にはいかない”という気持ちが、僕を急き立てる。相手が傭兵団の人達ならなおさら────
「生意気な事しやがるなぁ護衛官殿」
「!」
気付けばさっきの対戦者は降り、次の人が来ている。六人目。……それは忘れるはずもない顔だった。
「……団長」
傭兵ギルドの長、歴戦の戦士ダライアス。傭兵団の誰も勝った事はない。勿論僕だって。
「……お久しぶりですね」
「元気そうで何よりだ、俺は見てるだけのつもりだったんだがな。馬鹿みてぇにやられてばかりだからよ、情けねェ」
傷痕だらけの顔や腕、がっしりした筋肉質な体。高い身長も相まって大狸でも相手にするような感覚だ。
「聞いた時は驚いたぜ、お前が王の護衛官なんぞに召し上げられただなんて。ふらりといなくなったと思ったらよ」
「一番驚いたのは僕ですよ」
「はん」
団長は鼻で笑うと、僕を睨みつける。
「お前はフランシスやキース達を見殺しにした。見捨てて逃げて来た。またいつか同じ事をするぞ」
「いいえ」
僕は半ば反射的に答えた。それだけは、絶対に。僕はもう二度と誰も見捨てはしない。
「僕は……強くなって変わりました。あなたの知る僕とはもう違う」
「…………いい気になるなよイヴァン、お前みたいなヒヨッ子、すぐに叩き潰してやる」
剣を構えた団長に、僕は騎士の構えで返す。深く息を吸って心を落ち着ける。僕に負けた傭兵達の声がする。団長を応援している声だ。負けるものか、絶対に。
アグロヴァルの合図と共に、僕は地面を蹴る。迫った僕を迎え撃つのは、左下からの斬り上げ。避けて下へ潜り込むと、僕は右脇から剣を振り切る。後ろへ退がった団長が剣を振り下ろす。僕は返す刃で受け止め、弾き返した。その反動を利用し、間髪入れずに突撃を繰り出す。
「!」
流石は団長、ちゃんと反応して避ける。その後二回打ち合って、僕達は一度距離を取った。
「……なるほどな」
彼はフッと笑う。
「力を使わずによく戦えるようになったもんだ」
「言ったでしょう、あなたの知る僕とはもう違うって」
「生意気言いやがる」
今度は彼から攻めて来た。上からの斬撃を受け止め、弾く。今度は僕が上から振り下ろしたのを、団長が受け流す。その勢いで僕はターンし、体重を乗せた一撃を見舞う。反射的に彼は受ける。しかし、勢いのついた一撃は、大きくその腕を後ろへ跳ねさせた。
「!」
ガラ空きの横腹へ、返す刃で攻撃────し、当たる寸前で止めた。その時僕は、場の空気が緊張で固まったのを不意に感じた。
団長は体勢を少し後ろへ傾けたまま動けずにいる。僕は息を吐いて剣を下ろした。
「……僕の勝ちです」
ふと空気が緩んだ。途端、歓声が沸き上がる。団長は呆気に取られたまま、係の人に降ろされて行った。
僕も舞台を降りようと踵を返すと、どっと疲れが押し寄せて来た。しかし、体が重いのはそのせいだけではない。
(────やってしまった)
勝ったはずの僕の胸には、そんなモヤッとした気持ちが立ち込めていた。
#24 END




