#23 Don't whistle until you are out of the wood
夜風の心地良い、二階テラス。エントランスの階段を上がって、両サイドから入り口方向へ伸びた廊下を渡った先にある。庭園と城下町の見下ろせる場所。下の喧騒もどこか遠い。
「……街もそれなりに賑わってるんだな……」
「あら、知りませんでした?」
「前夜祭の日に街の方を見た事は無かったからな」
思えば、普段の街の様子のほとんどを俺は知らない。見聞きして、おおよその状況は知っていても、民がどのような生活を送っているのか、誰が今日死んだとか、どこで赤ん坊が生まれただとか、俺は知らないでいる。
「アルファイリア様はお城からあまり外出なさらないのかしら」
「……そうだな」
王はそういうもの……だと思う。そんな無闇に外に出て良い身分では無い。俺は自分の身は自分で護れるだけの自信はあるが、油断大敵、俺だって人間なのだから万が一ということもある。実際、もっと若い時にこっそり抜け出て、何度か危ない目には遭ったし。一々イヴァンを連れ出るのも……。
「退屈じゃありませんの?」
「退屈する暇も無いくらい忙しい、俺は鍛錬は好きだし時間があればそうする」
「アルファイリア様はとてもお強いと聞いた事がありますわ、明日の催しで模擬決闘があると聴きましたが、お出にはなられないのかしら」
「出ない」
そう答えると、グィネヴィアはふうん、と言って街の方へと視線を向けた。………“お話がしたい”って、こういう話の事か。他愛無い世間話……くらいなら他の奴らだってするし、何だって二人きりになる必要もない。
それとも、他に何かまだあるのだろうか。
そう思いながらその横顔を横目で見ていると、グィネヴィアが口を開く。
「私、今まで何度か他の貴族のパーティへは行った事があるのですけど、王城へ来たのは前回が初めてで」
「……あぁ、確かそんな事を言っていたな」
「ええ。何というか……大抵パーティの時に張り切っていらっしゃるのは屋敷の主人だけど、アルファイリア様は違いますのね」
思わずドキッとして、俺は彼女を見た。しかし目は合わず、相変わらず街の方を眺めたままグィネヴィアは続ける。
「周りの方々の方が、余程張り切ってるみたい。あの司会の方とか」
「ユーサーか……」
「あぁ、あの方がユーサー様でしたの。お名前は存じておりますわ」
セシリア五大貴族。シベリウスとも並ぶアズライグ。ユーサーはその主。知られていて当然の名。
(……あいつも少しは自分の事気にすりゃいいのに……)
「私はまだ父の下にいるものですから、これと言って仕事もしていないのですけど、あぁいう方々を見ると憧れますわ。いつか私もあの様に、国を動かしてみたいなって」
「…………そうか」
シベリウスの娘が言うと少し恐ろしく聞こえるな。
「こう言っては何ですけど、国は王様一人で動いている訳ではありませんのね」
「……その通りだ」
勿論……俺はこの仕組みの頂上にいるだけの、ほんの小さな歯車の一つに過ぎない。俺一人じゃ国は回らない。多くの他の歯車があってこそ、この社会はようやく規則正しく回る。
「だが俺は王だ。それは間違いない。父上の跡を継ぎ、俺はこの国を強くする。豊かにする。……それが使命だ」
そう言うと、グィネヴィアはくすりと笑う。
「大きな覚悟をお持ちなのね。私も見倣わなくちゃ」
「この国にシベリウスの力は必要不可欠だ。父上殿にもよろしく伝えておいてくれ」
「はい」
グィネヴィアは頷き、欄干から離れてお辞儀をする。
「ではアルファイリア様。私はこの辺りで失礼致します。お話出来て楽しかったですわ。またお会いしましょう」
「あぁ」
低いヒールの靴が音を立て、それが背中と共に遠ざかって行く。それを見送り、俺はもう少し夜風に当たっていたくて夜景の方へと目を向ける。そして、さっき懐にしまった小包を出す。今気付いたが、よく見るとリボンの所に名前の刺繍がしてある。
「……グィネヴィアね……」
「気になるんですか」
「‼︎……あっ!とっ!」
突然の声に驚いて、手から箱が滑った。危ない。もう少しで下に落とす所だ。
「……驚かすなよ」
ため息と共に振り向くと、影のようにベルナールが立っていた。……闇のように?まぁいいや。
「いつからいた」
「初めからです」
「気配感じてなかったんだが……」
「でも初めからです」
「会の?」
「えぇ」
人の多さと緊張か?……そういや今日いないなぁとは思ってたけどまさか
「ずっと見てたのか」
「見てました」
「…………」
「それにしてもあなたまだ何も召し上がっていらっしゃらないでしょう」
「……そう言えばそうだな……」
何か忘れてたけど。……まぁ後でケーキ食べるしいいかなぁ……。
「お前もまだ食ってないんだろ」
「はい」
ベルナールが頷くので、俺は包みを出来るだけ綺麗に開けた。クッキーが三包み。
「じゃあこれ」
「……これはアルファイリア様が頂いたものでしょう」
「お前毒味だろ」
「ですが……」
「俺がいいって言ってんだからいいんだよ」
そう言って差し出すと、渋々といった風に彼は受け取った。
「……では」
「イヴァンには内緒だぞ」
「証拠隠滅ですか」
「……………まぁそれもある」
ん、美味い。流石……この店チェックしておこう。宮廷にも納品させたい。
「で、どうなんですか」
「どうって?」
「グィネヴィア様は」
「………そういうのじゃない、ただの一人の客だろ」
「シベリウスの者なら誰も文句は言いませんよ」
「……お前な」
「そういうつもりは無い……というのなら構いませんが」
ベルナールの髪が、ふわりと夜風に揺れる。その隙間から覗いた青の瞳が、機械的な光を持って俺を見る。
「あなたも年齢を考えれば、そろそろ相手を見つけるのが道理ですよ」
「………俺の気持ちがどうであっても、だろ」
「国の為ならそれも仕方ないでしょう」
忘れてはならない。俺は人間ではあるけれど、民と変わらぬ人間ではあるけれど、王族に生まれ、王族として育ち、生涯国の為に生きねばならぬ王なのだと。俺の使命は、富国強兵、このセシリアを強め、豊かにする事。
────それだけは、忘れてはならない。
「グィネヴィアは……いい娘だとは思うが」
「シベリウスを王族と繋がらせるのが不安ですか?」
「……皆それは思うだろう」
五大貴族のうち、宮廷と関わりを持たないのはシベリウスとそして、ルフェンシーク。……ルフェンシークはともかく、シベリウスはそれでもなおセシリア一の力を持つ。それを、さらに……。
「受け入れるとなれば反対はされないが、それまでに不安要素ならたくさんある……」
「確かに………それは言えます」
「モルジェンの方ももう少し探らなけりゃなんとも」
「……案外真剣なのですね、グィネヴィア様の事」
「候補としては良いとは思うが、好きでもなんでもないぞ」
まぁ、シベリウスもこっちが喰われさえしなきゃ、良い駒になるだろう。どれだけ良い信頼関係が築けるかが鍵だ……。
「探しましたよ……アルファイリア様」
「!」
イヴァンだ。凄く機嫌の悪そうな顔をしている。
「ベルナールさんと一緒だったんですね」
「……おう」
グィネヴィアとはすれ違わなかったのか?……まぁいい。
「勝手にいなくならないで下さいよ」
「う、えーとだな、その……ずっとあの場所にいるとまた目を付けられるだろ」
「………それもそうですね」
「……何で隠してるんですか」
小声でベルナールが訊いて来るので、俺も小声で答える。
「色々ややこしいだろ……」
「なら僕も黙ってますね」
「何コソコソしてるんですか」
険の篭ったイヴァンの声に、俺は慌てて首を振る。
「何でもない」
「……二人で隠し事ですか?傷付きますよ」
「う……」
「まぁいいですけど。たまにはありますよね、そういう事も」
はぁ、とため息を吐くイヴァン。寛容な奴で助かった。
「早く戻りましょう、いつまでもこんな所にいる訳にはいかないでしょう。もうすぐケーキが切られますよ」
「あ、そうか、もうそんな時間か」
今年のケーキも美味いんだろうな、それだけは楽しみだ。子供みたい?まぁそうかもしれないな。いいだろ少しくらい。ケーキと冒険にはしゃげる子供心くらいは、いつまでも持っていたい。
† † †
「良いんですか、引っ込んで来ちゃって」
「良いんだよ、後はもう適当に解散だし」
王の執務室。それぞれ一人前のケーキを持って、僕達はいた。僕とベルナールさんのよりも大きなものを、アルファイリア様は議長殿に渡されていた。
「去年だってさっさと引っ込んでただろ」
「まぁ……それは事情が」
「あぁ。まぁいいんだよ。本当に心の底から俺の為にここに来てる奴なんてほんの一握りだ」
と、アルファイリア様は2人前くらいありそうなケーキにフォークを突き立てて、切る。
……議長殿は多分、心の底からアルファイリア様を祝ってると思う。
「うん、美味い」
僕もひとかけ口に運ぶ。程よい甘みの生クリームとイチゴの酸味が合わさって溶ける。スポンジもふんわりとしていて美味しい。
「宮廷には様々な使用人がいますけど、料理長殿はどんな方なんですか?」
僕はふと、気になって訊いてみた。顔は見た事ある。今日も出て来ていたし。……けど、その素性はよく知らない。
「あぁ、昔から宮廷に仕えてる料理人の家系の奴だよ。今代の料理長は先代からの引き継ぎ。名前はハロルド・セフェロッテ。おっそろしい爺さんだ」
「……お…」
「昔よく怒られてな……少しでも残すともう鬼の形相で」
「それは……アルファイリア様が悪いのでは」
「うん……」
「お陰でアルファイリア様は好き嫌いなさらず何でも食べる大人になりました」
「やめろよそういうの……まぁ、ハロルドの料理は美味いし、俺が苦手なものも食べれるように色々工夫してくれたからな。……やっぱり怒られるのも怖いし」
なるほど、幼少のアルファイリア様は好き嫌いの多い典型的な少年だったと。
「ベルナールさんは好き嫌いは無いんですか?」
「毒より不味いものはありません」
「あー……」
「そういうお前はどうなんだ」
「僕ですか?」
僕が訊き返すと、アルファイリア様がもぐもぐしながら頷いた。……早くもケーキは一人前になっている。僕まだ半分も食べてないのに。
「僕は嫌いなものはありませんよ、食べられるものは何でも食べます」
「……確かにお前が残してるとこ見た事ないもんな」
「料理もとても美味しいですし」
毎日三食、普段の食事は食堂で各自食べる。バイキング形式なのだが、迷うほど種類は豊富で、どれも美味しそうだ。アルファイリア様が食堂に顔を出してるのは見た事が無い。確か使用人が毎食お部屋に持って行ってるんだっけ。
「毎日食べられるなんて幸せですよね」
「………ん?」
「そう……そもそも僕の小さい頃は好き嫌いする暇なんかなくて。あるものを食べないと、その日一日空腹のまま過ごしたり……って、どうしたんですか」
アルファイリア様もベルナールさんも何やら神妙な顔……というか、ドン引かれてる気がする。
「庶民の生活ナメてた……」
「はい」
「あ、いや、皆んなが皆んなそうって訳じゃないので!」
傭兵ギルドは本当に弱肉強食で、急いで食べないと気付いたら自分の分がない、なんて事はよくあったけど……。
「そのせいでお前はチビなんだな、可哀想に」
「違いますって」
あ、でももしかするとそうなのかな?両親と暮らしてた頃は普通には食べてたけど。裕福では無かったけど、ひもじい思いをする程貧しい訳でも無かった。
「そうか……しかし、そりゃなんとかしなきゃな」
「こればっかりはアルファイリア様にもどうしようもありませんよ」
「どうしようもなくない、なんとかする手立てはある……はずだ」
ぺろり、とアルファイリア様は口の端に付いたクリームを舐める。皿の上にはすっかり何も無い。
「はずって」
「これから考える。……そうだ、何で今まで思いつかなかったんだ?」
「はい?」
「お前に聞けば庶民の暮らしはよく分かるのに」
「……僕一人の意見を聞いた所で、意味はありませんよ」
「そうか?」
「えぇ」
それこそ……僕が政権を握ってるみたいだ。僕にはそんな重責は追えない。……僕には…………。
「んー……まぁそれもそうだな。ゆっくり考える」
アルファイリア様は惜しげにフォークで皿を突いている。僕はようやく食べ終わる。少し遅れてベルナールさんも食べ終わった。
「さて、明日は色んな奴が城に入って来るからな、自室の鍵はしっかり閉めとけよ」
「アルファイリア様も執務室はちゃんと片付けて下さいね」
「う……」
机の上が散らかっている。しかし寝る前に片付ければなんとかなりそうなくらいだ。
「分かった……けど」
「手伝いませんよ」
「ケチ」
「そのお皿は僕が返しておきますので」
はい、と僕はアルファイリア様からケーキ皿を受け取り、続いてベルナールさんからも貰おうとする。が。
「僕のはいいですよ、一緒に行きましょう」
「あ、はい」
僕とベルナールさんは立ち上がり、アルファイリア様に言う。
「ではお休みなさい」
「あぁお休み」
「……片付けは終わらせてから寝て下さいね」
「あい……」
項垂れるアルファイリア様を残して、僕達は執務室を出た。
#23 END