#19 Appearances are deceptive
「……今朝はすまなかった」
「はい?」
「その……お前が悪い訳じゃないのに」
「あぁ」
あの事か。あの事なら別に。
「気にしてませんよ」
「…………そうか」
「僕も不用意でした」
分かるはずがない、僕には。“分かったつもり”が一番悪だ。タチが悪い。僕に王の事は分からないし、きっと王にも僕の事は分からない。
「さて。出店でも見て回りましょう」
「そうだな」
祭は庶民と王が触れる良い機会である。その為にも、王には笑顔でいて貰わなければならない。最も、アルファイリア様はその辺りを取り繕うのは得意な様なのだが。
「あぁ!アルファイリア様!」
通りかかった出店の主人が王を呼び止める。王はそれに応じた。
「こんばんは。良い夜だ」
「えぇ。どうですか、この祭の為に急いで良い鶏を仕入れたのですが」
焼き鳥の良い匂いがしている。食欲をそそられる。宮廷ではなかなか食べられない代物だ。
「頂こう」
王は笑って、僕の分と二人分の代金を渡すと串を二本受け取った。
「近頃の暮らしはどうだ、何か不便な事は」
「はい。お陰様で不便もなく暮らしております」
「そうか、それは良かった」
王はにっこりと笑う。が、焼き鳥には口を付けようとしない。僕は待ち切れなくて先に食べた。……ヤバい。美味しい。久し振りだからますます美味しい。これぞ庶民の味……。懐かしい。
王はそれなりに会話を交わした後、挨拶をして別れて歩き出した。そして僕が食べているのを見て眉を顰めた。
「……いけなかったでしょうか」
「いや、俺はいいんだが……」
と、僕達の目の前に突然、黒い粒子がバラバラと集まって来た。それはやがて、ある人の形になる。
「べ、ベルナールさん」
「……そこまで心配は要らないと思いますが、念の為です」
「ずっとついて来てたんですか……」
「闇に溶けてこっそり尾けていました」
「悪い。俺が呼ばなかったからだな」
「しかし気付いていたのでしょう、僕に」
「慣れた気配だ。……お前昔もよくそうやって尾けてたな」
「あなたがよくお父上の目を盗んで夜に脱け出していたからです」
「お前がそうやってついて来ると撒けなくて困る」
「撒かなくて結構です」
ほい、と串を差し出す王。そのまま一番上のを食べるともぐもぐしながらベルナールさんは言う。
「大体どうして僕を呼ばないんですか……これ美味しいですね」
「お前、文句言うか感想言うかどっちかにしろ」
と、そう言いながらアルファイリア様も食べる。……ん?これ毒見か?ただ友達だか兄弟だかで共有しただけじゃないか?
「イヴァンさんは……もう食べてしまったので大丈夫ですね」
「……すみません気を付けます」
「お前二人分やる気か」
「いくら毒を受けても僕には同じですよ」
「……ベルナールさんは毒を食べてしまった事はあるんですか?」
僕はそう訊いた。すると、王もベルナールさんもきょとんとする。
「お前なあ……毒見ってのは」
「食べてしまった、というより食べさせられます」
「えっ」
衝撃。……え?まさか毒に強いとは聞いてたけど進んで食べるの?
「僕達レミエルの者は元から毒物に強い体を持っているのですが、初めはそれも弱いので、幼少の頃から鍛えられます」
「鍛え……るって」
「具体的に言えば、微量な毒物の摂取ですね。それで少しずつ耐性を得ていくわけです」
普通は死にますから真似しないで下さいね、と言うベルナールさん。……となると。
「……かなり辛かったのでは……」
「いえ、三兄弟の中では僕が一番元の耐性が強かったので。時々腹を下すくらいでした。ルヴィーレン兄様はよく寝込んでましたが」
「一卵性なのにな」
「はい」
王のツッコみを軽く受け流すベルナールさん。……なるほど。そうなのか。
「今では食べてもちょっと舌が痺れるくらいで」
「……はぁ」
「でも今のところ訓練以外で毒を食べた事はありません」
「あぁでも昔俺が悪戯で毒キノコを」
「僕にとってはただのキノコでした。味の良い種だったので普通に美味しく頂きましたよ」
「…………めっちゃ悔しい」
「仲悪かったんですか、昔」
悪戯で毒キノコ食べさせるとかおかしいって……。
「まぁベルナールが鬱陶しかったのは事実だな」
「あれくらいで僕が倒れると思っていたのなら甘いです。本当に僕を寝込ませたいなら竜でも殺すようなものを持って来て下さい」
「……もう二度とやらねェよ」
うわ。実のところ結構仲良いな?二人。さすが……人生のほとんどを一緒に育って来ただけはあるというか。
「というわけで、イヴァンさんも毒見は遠慮なく僕に」
「……よろしくお願いします」
うん。そうしよう……。
と、その時前方から10歳前後の子供達が走って来た。
「王様王様!」
「お」
「いっしょにお写真とって下さい!」
五人の少年少女はキラキラとした目をして王に言った。一人の少女が持つカメラを見て、王はにこりと笑った。
「あぁ、良いぞ。イヴァン、撮ってくれるか」
「あ、はい」
うむ、子供にも人気良し。良きかな良きかな……。
僕は少女からカメラを受け取り、ベルナールさんと共に下がった。六人を枠内に収め、僕は言う。
「はーい、撮りますよ」
子供達に囲まれた王は、とても良い顔をしていた。
† † †
街の一角。ここは少し祭の行われている通りから離れ、静かであった。
「こんな所にいたのか」
「……」
私服で街をうろついていたアグラヴェインは、街路樹の下で寄りかかってぼうっとしている弟を見つけた。
「探したぞ」
「……私のことなど放っておけばよろしいのに」
「いや何、他に探す人もいなくてね。いいだろう弟の事くらい探したって」
「…………はぁ」
メドラウドはわざとらしく大きなため息を吐いた。
「此度の出征は如何でしたか兄者」
「あぁ、正直危なかったろうね」
「……兄者が敵の指揮官を見つけ、撤退させたと聞きましたが」
「俺は大した事は出来ていないさ」
「そうやって謙遜なさる」
「本当の事だ」
アグラヴェインはメドラウドと反対側にもたれ掛かった。木を隔てて背中合わせになった状態だ。
「……王が珍しく怪我をなさったそうですね」
メドラウドは目を瞑ってそう言った。
「そうだな……珍しい。聞いた所によれば、相手はリーネンスの守護竜だったそうだ」
「フッ……流石に王も怪物には勝てませんでしたか」
「こら」
「……無様ですよ。王には全てに勝ってもらわなければ」
感情のこもっていない、淡々とした声。アグラヴェインは木の影に目を向けて、答える。
「……そうは言うがなあ、王様だって人間だぞ?」
「えぇ、人間ですよ。彼は。死ぬ事が出来る人間です」
メドラウドの言葉はやはり淡々としていた。しかし、アグラヴェインはその内に篭っているものを感じ取っていた。
「……お前……まさか良からぬ事を考えてはいないだろうな」
「…………さて。良い事なのか良からぬ事なのか、それを測るのは人次第ですから」
屁理屈を、とアグラヴェインはため息を吐いた。昔から、弟の事はよく分からない。何を考えているのか、普段何をして過ごしているのか…………。
もう一つ、大きなため息を吐いてアグラヴェインは話題を変える。
「お前は、祭は良いのか」
「楽しむ気分でもありません」
「しかし街に出て来ているだろう」
「……兄者こそ私と喋っている暇があるのなら楽しめばよろしいでしょう」
「そうか、じゃあ一緒に行こうか」
「結構です」
「メド……」
アグラヴェインが木の陰から顔を出すと、メドラウドは闇の粒子を残して消えた後だった。
「……まったく……」
性根まで闇の様な奴だ、とアグラヴェインは思った。昔から……そう、昔から全然笑いもせず、明るい表情をしない。
人の性はエレメントに影響されやすいと何処かで聞いた様な気がする。でも、同じ闇の守護者でもトリストラムは明るい娘だし……。
さて、と彼は気を取り直す。いつまでも弟の事を考えていても仕方ない。今宵は祭だ。存分に楽しまなければ勿体無い。
† † †
「街の方が賑やかだねえ」
「おや、聞こえるのかい?」
「竜の耳は数キロ先の音まで簡単に聞こえるのさ」
空中庭園。ここにはただアテリスとミルディンだけがいる。ミルディンは檻の外で胡座をかいて座っていた。アテリスはその向かいでぺたんと座っている。
「君も行きたいかい?」
「うー、ううん、僕がそんな気軽に街に出る訳にはいかないでしょ、この体だし」
「そうかい?俺は素敵だと思うよ」
「君やイリアはそう言うけど、街の人はきっと驚くさ。宮廷の人にだって驚かれたりするのに」
と、アテリスはモコモコの手を握ったり開いたりする。
「君こそ行かなくていいのかい」
「俺は参加するのは好きじゃないんだ、眺めてる方がいい」
「ここからじゃ街は見えないよ」
「俺には見えるんだ」
「…………ふうん?」
アテリスは首を傾げ、ミルディンをまじまじと見る。
「……あのさあ」
「何だい?」
「ずっと思ってたんだけど君、昔から全然老けないよね」
「そうかい?」
「うん。僕みたいに」
ミルディンはくすりと笑った。
「何、簡単な事さ。不老の魔術だよ」
「そんなものがあるの?」
「あるさ。魔術は何だって出来る。俺は歳を取りたくないだけだよ」
「……時間が止まってるんだ」
「そうだね」
ミルディンはそう答える。アテリスはハァ、とため息を吐いた。
「…………もう一つ訊いていい?」
「何だい?」
「君、何年生きてるんだい?」
「……さぁ、俺にも分からないな」
目を伏せたミルディン。アテリスは続ける。
「その魔術は不死じゃないだろう」
「俺も殺されればそりゃあ死ぬさ」
「────君、本当は人間じゃないんじゃないの?」
「……」
ミルディンは目を開ける。そして、くすりと笑った。
「何を言ってるんだい、俺が人間の他に何に見えるんだ?」
「僕と似た存在」
「俺には角も無いし耳も普通だけど?」
「竜だとは言ってないよ」
「……俺はただの人間だよ」
アテリスの目を見て、ミルディンは言った。じっと、視線がぶつかる。やがて折れたのはアテリスの方だった。
「……分かったよ。深い詮索は無しだね」
「俺にはやましい事は一つもないけどなあ」
「君は胡散臭い所だらけじゃないか」
「心外だな」
ちょっと傷付いた、というような顔をするミルディン。アテリスはため息を吐いた。
(……気配は人間……だけど、少し違和感がある)
アテリスはそう思った。竜族はエレメントの気配に敏感である。ミルディンの気配は人間そのものの様にも思えるが、どこか違和感があった。どんな風にかと言えば……遅いのだ。
(特異体質……魔術師特有?けど、このエレメントの流れはまるで精霊じゃないか)
実際には、アテリスは精霊を見た事がない。だが、本能がそう告げる。この人界の、概念的には上に存在する神界、その世界に住まう存在。しかし……。
(彼らが降りて来るには、宿主が必要だし)
彼はこうして、普通に一人で出歩いている。人に宿った精霊は、宿主から離れる事が出来ない。……だから、近くに宿主がいないのはおかしい。
(エレメント濃度は人間と変わらないんだよな……?)
うーん、とアテリスは首を傾げた。彼がこの宮廷へ来ておよそ30年……ずっと考えているが、分からない。
「そんなに首を捻ってどうしたんだい?ずっと籠の中にいて肩でも凝ったかな」
「凝らないよ」
────もし、彼が人でなく精霊なら。見た目からして、彼は自分よりも遥かに長く生きている存在だ。
もしも────彼が、このセシリアに害為す存在だったとしたら。
(……僕は、護り切れるんだろうか?)
気付くと、ミルディンがこちらをじっと見ていた。そして、眉をひそめる。
「…………君が何を考えているのか覗いてみようとしたけど、駄目だね。竜の心は読めない様だ」
「君……心の守護者だって誰にも言ってないだろう」
「言ってないけど。流石に君には分かっちゃうか……」
そうだ。ミルディンが持つのは光だけではない。心の守護者でもある。双守護者。アルファイリアと同じそれだ。
(それこそ、精霊なら普通の事だけど)
「前から気になってたんだけど、心のエレメントってどんなものなんだい?」
「……心のエレメントなんてものはないよ」
「そうなのかい」
「心の守護者は、人の考えていることを読もうとする時、無意識のうちに他人のエレメントを読もうとするんだ」
「へぇ、知らなかったな」
「僕達竜のエレメントは、人のそれとはまた異質なものだから、多分読めないんだよ」
「そうか、対応出来れば読めるのか」
「君なら本当にやりそうだからやめてくれ」
教えなきゃ良かった、とアテリスは思った。そんなに簡単な事ではないが……この魔術師ならやりそうだ。
「……もう一つ訊いていい?」
「うん?」
「君はどうして、この宮廷へ来たんだい?」
どんな返答をするのだろうと、アテリスは期待した。ある日唐突に、ふらりと現れた魔術師。彼は覚えている。初めて会った時の事を。自分のこの姿を見て、ただ「やぁ」とだけ笑った魔術師の姿を。
「……どうして……ねぇ」
ミルディンは遠い目をして呟いた。
「────“探し物”……かなぁ」
「探し物?」
「あぁ。俺のとても大切なものをね」
彼はそれ以上は答えなかった。そして、アテリスがまた訊こうと口を開いた時、瞬きをしたほんの隙に彼の姿はどこにもなくなっていた。
#19 END




