#1 Better bend than break
このレンダリアでは長く、国土を巡る戦争が各地で起こっている。このセシリアもまた然り、国土を広げるべく隣国を打ち倒し続けていた。
建国当時より王22代を経て、小国であったセシリアは随分と勢力を伸ばした。最も、僕はこの世に生まれて二十数年、当初この国がどのようなものであったかなど、書物で知ったのみである。
現在セシリアは大国となり、隣国リーネンスを攻め落とそうとしている。王都セントラル・セントラスには立派な王宮が構えられ、我らが23代国王、アルファイリア・テフィリス・セシルがそこに住まい、国を治めている。
その王都から少し離れた、とある森。王都のあるラルマは、都市開発のあまり進んでいない森林地帯が多くあった。我らが王はここをとても気に入っているようで、狩りによくやって来る。
「アルファイリア様……あまり奥に行かれると」
「大丈夫、俺を誰だと思ってるんだイヴァン、心配いらない」
「……ですが」
随分と森の奥に来ている。他に連れて来た騎士もおらず、いるのは我が主君たるアルファイリア様と、その従者である僕のみである。生き物の気配はあるにはあるが、それらはこの森に住む生き物達のものであろう。
「竜など出たらどうするんですか」
「それこそ心配いらない、俺にはお前がついている」
「……僕なんかよりずっとお強い癖に何を仰っているのか」
「俺は今短剣二振りしか持っていないからな」
アルファイリア様は随分な軽装をしている。王族特有の緋色の短髪の下に覗く左耳には丸い小さなピアス、簡素なTシャツの上に革のジャケット、鎧の類は唯一右膝の膝当てくらいである。武器はといえば腰のベルトに刺さった二振りの短剣のみである。………ただ、それらは普通の代物ではないようだが。
「…………しかし今日は鹿一頭もいないな」
「だから嫌な予感がするんです」
この森には鹿や兎、雉などの他に竜や他の魔物の類が出る。特に魔物の中でもラクーンという化け狸は要注意だ。奴らは一頭いれば周りに少なくとも五頭はいる。身の丈は優に二メートルを超える。その爪にやられれば、ひとたまりもない。
「なら狸でも狩って行くか」
「それはラクーンの方ですか………」
「当たり前だろう」
「…………ハァ…」
とは言え僕はあくまでも従者、アルファイリア様の家来だ。アドバイスはすれど、彼の意思には逆らえない。
……と、不意に僕は何か気配を感じた。獣ではない。人だ。………これは。
考えるより先に、手が動いた。僕は腰に剣は提げていない。提げて走るには重いからだ。だが、無いわけではない。
僕の足元の影が渦巻いたとほぼ同時に、すぐ側の木の上から人が飛び出して来た。…………見覚えのある顔だった。
「お前は……!」
まっすぐ僕に向かって来る。狙いは王ではない。
と、地面の影から出て来た剣の柄を取ろうとしたその直前、僕と刺客の間にまた新たな影が入って来た。
「退がれイヴァン」
「!」
間に入って来たアルファイリア様が、目にも留まらぬ速さで腰の短剣を抜き、刺客の持つ短剣を弾いた。
「……っ‼︎」
バランスを崩し、刺客が地面に転がる。木にぶつかり、頭を抑えて起き上がった彼に、アルファイリア様が短剣を手にしたまま歩み寄る。
「貴様、騎士の者だな」
「…………アルファイリア様」
ライトメイルに身を包んだ男は、恐れ慄いた顔で王を見る。
「この森に入ってからずっと、イヴァンをつけ狙って来ていたな」
「!…………まさか」
全く気付かなかった。ずっと尾けられていたのか。アルファイリア様はそれを分かってここまで…………?
そう思っていると、騎士は重々しく、憎々しげに口を開いた。
「……何故です王……何故そんな騎士でもない傭兵風情を庇うのです……!」
騎士は恨めしそうに僕をちらと見た。
「王たる者‼︎我らの様な貴族こそ従者につけるべきなのです‼︎そのような庶民上がりの傭へ────」
ざん、と彼の首筋のすぐ横に、短剣が突き立てられた。刃の突き刺さる木の幹を、騎士は大きく開かれた目で恐る恐る見た。
「………俺の部下だ。愚弄する者は誰一人として許さん」
低い声で、アルファイリア様は言う。
「…………!」
「騎士ならば恨むより先に精進しろ。恨むならば実力の無い自身を恨め」
「………ひ……」
「……王よ、それくらいに………」
僕が見ていられずそう言うと、アルファイリア様は顔をこちらへ向けた。
「…お前は少し甘過ぎるぞ、そんなだからナメられるんだ、俺の様に少しは威厳をだな…………」
「僕が庶民の出なのは事実です」
「立場もくそもあるか。お前の実力は確かなのだから…………」
と、その時遠くで木々の折れる音がした。メキメキと、嫌な音は徐々に近付いて来る。時折咆哮の様な物が聞こえた。
アルファイリア様はそちらを見ると、眉を上げた。
「おや、コイツは………」
「…………こ、この音は」
騎士の男が青ざめる。僕も確信する。この気配は。
「お、王よ‼︎お逃げ下さい!竜が来ます‼︎」
「………何故俺が貴様の命令など聞かねばならん」
「!」
と、王は騎士の言葉を一蹴すると、僕に言う。
「イヴァン、命令だ。討伐しろ」
「…………はい」
僕は地面に掌を向ける。影が渦巻き、その中から僕の愛剣が出て来る。銘をオルバリオン。黒き影の剣。宿るは獅子の魂。
「………正気かあいつ」
騎士のそんな声が聞こえる。………僕は至って正気だ。
竜が飛び出して来た。……緑竜族、型は狼。それほど大きくは無い。だが、その牙は僕を喰らわんと襲い掛かって来る。
だが、恐れる事は何も無い。
剣が薄く影を纏う。それを、高々と振り上げ、大口を開けた狼竜に、ただ剣を振り下ろした。
† † †
王宮、空中庭園。鉢や地植えされた草木の葉から、不思議な光が降っている。何とも幻想的な空間だ。
僕は簡素なワイシャツと黒ズボン姿で、その奥へと進む。右肩がズキズキと痛んだ。
「…………アルファイリア様、ここにおられましたか」
庭園の奥に、大きな白い鳥籠の様な檻があった。その中に、我が主君はいた。狩りの時とは違って、黒シャツに白ズボンという私服だ。…………僕とは正反対の配色だ。
彼は僕に気付くと、手招いた。
「イヴァン!お前もこっちに来い」
「駄目だよイリア、彼は僕を怖がってるんだ」
と、アルファイリア様の前にいる少年が言った。少年とは言っても随分異形で、耳は鹿の様に長く、太い腕や足には爪が生えている。それらに生えた体毛と、長い髪は純白と呼べる白だった。
「そんな事ないさ、アテリス。イヴァンもきっと仲良くなれる」
「………僕は仲良くしたいんだけどね」
そんな勝手な会話をしている彼らに、僕は檻越しに近付く。
「…………僕は竜とは仲良く出来ません」
「僕は人界の竜じゃないよ、一緒にしないで欲しいな」
アテリス・セレス。彼は600年以上も前からこの王宮にいるという。神の住まう天界から送られて来た聖竜族、この国の守護竜だと言うが、本当なのかどうか分からない。ただ、人界に住む竜とは違って言葉を解し、不完全ながらも人の姿を得ることができるのだから、また別物なのだという事は分かる。
「一緒にしてる訳じゃ無いさ、あいつはさっき緑竜族を一撃で仕留め切れなかったのをお前に八つ当たりしているだけだ」
「………勝手な事を言わないで下さい」
「まぁ、二撃目でちゃんと仕留めたけどな」
と、アルファイリア様が肩を竦める。
「アルファイリア様、あの騎士の処遇は……」
僕はふと、気になってそう訊いた。すると、彼は可笑しそうに笑う。
「何だ、お前を殺そうとした奴のことだぞ?」
「………ただの興味です」
今回の様な事は一度や二度ではない。今に始まった事ではないのだ。僕を妬む者は数多い。だが仕方ない。そういう世界なのだ。
王の下には、様々な人間がいる。この王宮に仕える者たち。それを代表するのが、十二人の宮廷騎士。皆、実力のある騎士で、一人の例外もなく貴族の出だ。そんな彼らは、王宮に仕える全ての騎士の憧れの的である。そしてその下級の騎士達もまた、ほとんどが貴族の出なのだ。
だが、その宮廷騎士の上を行くのが、王の護衛官。ただ一人の騎士。…………それが、どういう訳かこの僕だ。
僕は貴族ではない。普通の庶民の元傭兵。………だが色々とあって、アルファイリア様に目をつけられ、この様なところにいる。そりゃ当然、この座を狙っている貴族の騎士達には妬まれる。
でも僕は傲った覚えはない。実力だって、努力して手に入れたものだ。それでアルファイリア様に認められているのならば、例え同じ立場でも僕なら何も言うまい。
「あいつは自宅謹慎。…………まぁ騎士の一人や二人数日居なくとも構わん」
「そうですか」
「………何だ、自分で斬ってやりたかったって顔だな」
「…………………いえ別に」
正直図星と言えば図星だったので、思わず目を逸らす。すると、アルファイリア様がこちらへやって来る。
「良いかイヴァン、お前の剣は俺の為に振るえ。代わりに俺はお前の為に剣を振るってやる」
「…………アルファイリア様………」
「……あと、お前ならば俺の事を俗称で呼んでも構わんぞ。お前は弟のようなものだからな」
「い、いえ!そんな!恐れ多い………」
「何を畏る事がある、俺とお前の仲だろう」
「イリア、彼には何を言っても無駄だよ」
そう、彼の向こうからアテリスがそう言う。
「ずっと言ってても、彼は僕と仲良くしようともしないし」
と、そう言って苦笑する。彼は半ば諦めているようにも見える。………他人事のように言ってしまったが、僕の事だ。
人の姿をしているとは言え、竜は竜。化け物には代わりない。…………そんな彼と逃げ場のない空間で、しかも丸腰で関わっているアルファイリア様の気が知れない。
王は実に奔放な方である。何を考えているのか本当に分からない。それに、僕などいなくとも良いのではないかというくらい、十分に強いのだ。偶に稽古をつけて貰うが、かなり手を抜かれている。それでも勝てない。遊ばれている。
「…………あーアテリス、俺は疲れた、もふらせろ」
「はいはい、お好きなように」
と、王は子供のようにアテリスの毛深い手に顔を埋めた。そうしているのを見ると、気持ちが良さそうだ。
………だが、その先に生えている爪を見るとゾッとする。あれで頭をやられれば、ひとたまりもないだろう。
…………王は本当にいるのだろうか。
アルファイリア様を見ていると、時折そんな事を思う。
まだ僕が普通の庶民だった頃、国王とは国の象徴であり、頂点であり、我ら普通の人間の手など届かぬ、遥か天空に住んでいるような存在だった。それほどに尊く、偉大で、我らとは全く異なる種の人間なのだと、そう思い込んでいたのだ。
だがしかしどうだ、王は我らと何も変わらぬ普通の人間だ。いつも目にしていたあの威厳ある姿は、あのゴテゴテとした衣と共に纏った仮初めの姿であった。本物の王は目の前にいる。無邪気で、部下思いで、竜の友人と遊んでいる。
世間の思う国王など、ただ国民が作り上げた虚像なのだ。
アルファイリア様の隣に居るようになって、僕はそう思うようになった。
だが確かに尊敬はしている。それでも過剰な期待はしない。王も人間、例え神のように崇められていても万能ではない。
「……どうした?イヴァン」
「…………いえ」
「おや、さてはお前もアテリスに触りたいんだろう」
「竜化すれば二人共覆えるよ」
「それはなおさらゴメンです」
僕は頭を下げ、そして檻に背を向けて座る。
「………何をしてるんだイヴァン」
「僕は貴方の護衛官ですから。他に用も無いのでここにいます」
僕がそう言うと、フッ、とアルファイリア様が笑った様な気がした。
「…………そうか」
僕はイヴァン・グリフレット。歳は28。アルファイリア様の、唯一の騎士だ。
#1 END
*新規登場人物*
アルファイリア・テフィリス・セシル
セシリア王国23代国王。35歳。秩序と光の守護者。
イヴァン・グリフレット
アルファイリアの護衛官。28歳。庶民出の元傭兵。主人公。影の守護者。
アテリス・セレス
セシリア王国の守護竜。聖竜族。666歳。王宮の空中庭園に住んでいる。竜型と竜人型になれる。