#17 Uneasy lies the head that wears a crown
……眩しい。ポカポカしている。ここはどこだ、僕は死んだのだろうか。でも、僕はきっと天国にはいけないはずで。
目を開けた。光が飛び込んで来た。光に慣れると、景色が見えた。……普通に見慣れた部屋の中だ。僕の部屋。
「……帰って来たのか」
そう呟いた。……どうやって?リーネンスはどうなった。王は、アルファイリア様は……。
体を起こすと、ずきりと傷が痛んだ。そして、次に足に何かが乗っているのに気付いた。
一瞬ギョッとした。……鴉……何で。
……鴉?
「……魔術師殿?」
[目が覚めて良かった]
「何故そのお姿に……というか何故ここに」
[君の看病ついでに寝ていた。布団の上が気持ち良くてね]
鴉は三本の足で立ち上がると、それなりに伸びをした。そして三本の足でテケテケと歩く。……おっと、ちょっと気持ち悪いな。
[君今失礼なこと考えたな]
「いえそんな……」
鴉は翼を少し使って床に降り、体が光ったかと思うとそれはムクムクと膨らんで、長身のいつもの魔術師殿の姿になった。
「無事で何より。あ、まぁしばらくは安静だね」
「……手当は……魔術師殿が」
「止血くらいはしたけどさ。完治は出来ない。俺はそういうの専門じゃないからね」
「アルファイリア様は」
「もう働いてるよ。今日は議長殿と一緒だ」
「……今何時ですか」
「10時24分、4月の14日。心配しなくてもそんなに寝てた訳じゃない」
「…………皆さん、無事ですか」
「まぁね。ルノワール兄弟とコルネウス兄妹も怪我してるけど、皆んなピンピンしてる」
「そうですか……」
僕はホッとする。そっか、皆無事か。
「ありがとうございます」
「ん?」
「えっと……看病。あと……僕を守った障壁って」
「あぁ、俺だよ」
「やっぱり……」
今閃いた。あれは、ウィスファルムへの遠征前に魔術師殿に掛けられた“加護”の効果だったんだ。
「……あれ、また掛けておいて貰えませんか」
「あー無理無理、まだ前の呪印が残ってるから綺麗に乗らないんだ」
「呪印?」
「右肩」
言われて、寝巻きの右肩を脱いだ。見れば、何か黒い痕が薄っすらある。
「……何ですかこれ」
「ずっとあったんだけど気付かなかった?……まぁ俺には掛かってるかどうかっていうのは姿を見れば何となく分かるんだけど、普通の人には分からないから。そういう目印」
「…………へえ」
何で気付かなかったんだろ。何の形?……十字かな。同じ長さの楔が四つ、十字に並べられたような形に見える。
「それが消えたらまた掛けてあげよう。別の種類のもあるよ」
「それも一種類ずつですか」
「そうだね。同時には掛けられない」
ふーん……そうなのか。また色々試してもらおう。
僕はベッドから降りた。……さて、ちょっと皆んなの様子を見に行こうか。
† † †
「……問題発生です王よ」
「嫌な予感だな」
「えぇ」
会議室。円卓には俺とユーサーのみ。俺はユーサーの正面へ座っていた。
「今朝ファージル家から手紙が届きまして」
「ん」
「ガノン様が継承権を破棄されました」
「…………無理にでもやらせろ」
「出来ません」
……クソッ、大体予想はしてたけどな!
「理由」
「『兄の様に殺されるのは嫌だ』……との」
「阿呆か」
「同感ですが」
ユーサーは目を閉じる。……コイツも怒ってんな。
「どうにもなりません」
「……他に宛ては」
「あるにはあります」
「 ……ミールズ?」
「はい」
ギリアムは二人兄弟……弟のガノンが駄目となれば、次に飛び火するのは従兄弟、つまり分家である。
「既にアルフレッド・ミールズ様には書状の方を」
「仕事が早いな」
「一刻も城を空けている隙はありませんので」
……ファージルの兄弟の事は知っているが、ミールズの方はよく知らないな。肝の座った奴だといいんだが。
「…………ジルギスの護りをもっと強くしなきゃあな……」
「えぇ。それと、復興の事ですが」
「それはお前に任せる」
「……承知しました」
はぁ。麦畑も焼け野原、今年の春の収穫祭は無理だろうか……。いや、全ての畑が焼けた訳でもない。豊穣神と農耕神の加護か。獲れ高が低くとも、収穫祭をやらない訳にはいかないな。
「あともう一つ」
ユーサーが、手にした書類の束を机で揃えて言った。
「近々死んだ兵達の葬儀を行います。王も出席なさいますよう」
「……あぁ」
送魂祭。夜に行われる祭りだ。楽しいものではないが、美しいものである。暗がりの中に浮かび上がる炎と舞う火の粉。それはまるで、魂が天に登って行くように見える。
遺体は土葬だ。もうそれは既に昨日のうちに住んでいる。共同墓地だが、その名は石碑に刻まれている。もういくつもの……大きな石碑が立っている。ずっとずっと、国が在ったその日から今日までの────……。
ユーサーが席を立つ。コツコツと円卓の周りを回って、俺の後ろの出口から出て行った。
「──……」
何か呟こうとしたが、俺の口からは何も出なかった。
† † †
「先生」
「お、イヴァンか、開いてるぞ」
ドアの向こうからそう答えがあったので、僕はそれを開いた。ベッドの上には包帯で右手を吊った先生の姿が。頭にも巻かれている。その傍らにはいつも通りグワルフさんがいる。
「……思ったよりやられたんですね」
「お前だってお揃いだろ、頭」
と、先生は笑って自分のこめかみを左手の人差し指でつついた。……まぁ、僕だって頭と腹に巻かれてますけど。
「ご無事でなによりです」
「お前もな」
僕らがそんな会話をしていると、グワルフさんが言う。
「どうだった?敵は」
「……ええと」
僕は思い出し、考える。……どう……そう、一言で言えば。
「とても……恐ろしいものでした」
「……そうか」
確実に、こちらの命を取ろうとしてくる。そういうものだ。いつもの訓練の様なものではない。本当の殺し合い。どちらかが死ぬまで終わらない……本来は、そのはずだった。
「敵側の宮廷騎士にも……死者は無かったんですね」
「あぁ」
「どう……何があったんですか」
どうして戦いが終わったのか、どうやって戻ってきたのか、それが僕には分からない。どうして僕が生きているのか、あの時確かに、「死んだ」と思ったのに。
「アグラヴェインが敵の魔術師を発見して。攻撃してたら逃げたそうだ。傷は少し与えたそうだが」
先生がそう答える。……ヴェインさん……が。
「俺はなぁ、もうちょっとでやれたんだがなぁ」
「もうちょっとでやられそうだったんだろ」
「ちっげーし」
グワルフさんがニヤニヤとしながら言うので、先生は唇を尖らせて言う。……やっぱりこの冗談にはついて行けない。
「ベディさんは」
「ベディ?あぁ、別に……元気そうだったけどな」
「お前……もうちょっと妹の心配くらいしてやれよ」
「口が達者なら元気も元気、俺もアイツボロボロだっつーに『兄様!』つって飛び付いて来やがるし……その後続く説教の長い事長い事、キングが止めなきゃいつまで続いてたか」
『兄様』、という部分で少し声を高くしていたのが何だか面白くて、僕は笑みをこぼした。
「なーんだよ」
「いえ、仲良さそうだなぁと」
「良いもんかよ、面倒臭いだけだ」
大きなため息を吐いた先生。そして僕に言う。
「キングの方も見てきてやんな。多分落ち込んでる」
「……はい」
アルファイリア様。……魔術師殿は「議長殿と一緒にいる」と言っていたけど、今も会議室だろうか。それとも。
† † †
空中庭園。階段を登ってすぐに、僕はその姿を見つけた。
「アルファイリア様」
「……イヴァン」
鳥籠の中、竜型になった守護竜殿の背中で寝転がっていた。普段の様に黒シャツとアイボリーのズボンを着ていた。
「…………よく抵抗もなく」
「アテリスとあいつは違う」
「……ですね」
僕は檻越しにアルファイリア様を見上げる。彼は降りて来る気は無さそうである。
「……なぁイヴァン」
「はい?」
「俺は酷い奴だと思うか」
感情のこもっていない声。僕はすぐには答えられなかった。守護竜殿も困った様に喉を鳴らしただけで答えない。
「俺は……昨日の事を“良かった”と思わなきゃならない」
「……一つの領地を護れたのですから、“良かった”というのでよろしいのでは」
そんなはずない。僕は心の中では反対の事を思っていた。だけど。
「お前は言ったな。『国より僕が大切ですか』と」
「!」
「……俺には、どっちも選べない」
王の姿は、守護殿の首に隠れて見えなくなる。僕は敢えてその姿を追おうとはしなかった。
「……どっちも大切で、どっちも護るしかない。何も失いたくはない。……何にも……何一つ」
「…………僕はあなたを護る者です。あなたに護られる者ではありません」
「俺だって護る者だ」
顔の見えない王は、強くそう言い放った。だが、威厳とかそういうものが篭ったものでなく、子供の駄々の様に聞こえた。
「……でも、あまりにも大き過ぎる」
「…………」
大きな守護竜殿の陰に、圧し潰されそうな王がいる。それはただの“人”だ。僕達と同じ“人”だ。
もし……もし、今この瞬間に彼の頭に手を添えて、「大丈夫」だと言ってやれたなら。だが檻越しの僕は、竜の背の上の王に手を伸ばす事は出来ない。
「僕は、国を護るあなたを護ります」
「……」
「一人で負わなくても良いのです。僕も共にその重さを背負います」
守護竜殿の首の陰から、王が顔を出した。僕はその視線を捕まえて、言う。
「その為に僕はあなたの側にいる。あなたが必要とするからここにいます。僕は何処へも、逃げも隠れもしません。あなたが槍の雨の中に立つなら、僕だって共に立ちます」
「…………串刺しになるだけなら構わない」
するり、と王は守護竜殿から降りて来て、僕のすぐ前に立った。
「その後は?」
「晒し者にされたって、指を指されて笑われたって、どんな罵声を浴びせられても、僕だけは絶対にあなたを責めない。僕も共にあなたと同じ場所に立ちましょう」
「…………なるほど」
王はふらりと視線を左上に投げると、脱力気味に座り込んだ。その姿が、とても弱々しく小さく見えた。
「お前は強いな、イヴァン」
「……いいえ」
「いや強いさ。その覚悟に、俺は伴えていない」
顔を上げた王は、少しばかり微笑んでいた。
「……俺は言ったな。戻ったらお前を選んだ理由を話すと」
「!」
「教えてやる」
すっ、と王は立ち上がる。僕はその顔を見上げた。見下ろす彼は、王の顔をしていた。
「お前は逃げない」
「え?」
「目の前に何があっても、その先に何があろうとも、決して逃げない。敵が何でも、絶対に逃げない。……だから俺は選んだ。盾が逃げては困るからな」
「…………だから選んだって……」
「知っているぞ、俺は。過去、お前にあった事」
「!……その事」
「でなきゃあただの傭兵を護衛官に仕立てるものか」
な、何で知ってる……他の誰にも話した事は無いのに。
「どこで聞いたんですか……」
「俺がこっそり街を出歩いてた時……噂を聞いたんだ」
噂……嫌な噂だ。噂じゃない。ほとんどが事実だ。僕が忘れたい、だが忘れられない……刻み付けられた記憶。
「…………どんな風に」
「……五人で盗賊退治の仕事へ行って、たった一人だけ帰って来た奴がいると」
「……」
「聞くところによれば、後でそのアジトを見に行くと四人は無残にも殺されていたそうじゃないか。生き残った奴は、そいつらを見捨てて逃げて来た。……まぁ酷い話だったが」
僕は血の気が引くのを感じた。脳裏にあの光景が過る。散る仲間の血と、僕に「逃げろ」と叫ぶ背中。飛ぶ様に過ぎて行く森の景色と、やけに大きな僕の呼吸と足音と。
「ただ、それで興味が湧いて俺はすぐにお前に会いに行った訳だ」
「…………」
僕は思い出す。あの日……僕は一人で街の酒場で呑んでいた。色の無い世界に突如現れたのは、その世界を切り裂く様な輝きを持った彼だった。
覚えている。あの時の王の顔も。僕がただ虚ろげな顔を向けた事も。
「まぁ俺もあの時は単なる悪戯な好奇心だったんだけどな。どんな奴なのかって。……どんなクズかと思ってたら、寂しそうな目をした奴がいただけだった」
「……僕はクズですよ」
「それは違う」
「仲間を、友を助けずに見捨てた卑怯者です」
「でもお前はそれを後悔してる」
「!」
「……だからお前はもう逃げない」
僕はもう、逃げられない。何からも。
「僕は一言もあなたにそんな事は言いませんでした」
「目で十分、もうお前はそういう覚悟をしてるんだと──分かった。だから、俺はすぐに決めた」
『俺と来い』──彼はその時そう言った。そう言って、彼がこの国の王だと気付かない僕を引き連れて行った。僕はその時それ程、放心していた。王族の証たる緋色の髪も気には留めなかった。まさか王が私服で一人で、街を闊歩しているなどと夢にも思わなかったのだ。
僕がハッと気付いたのは、城門に着いてからだった。『お前を俺の護衛官に任命する』と、僕の名を聞いた後にそう告げられた。
その時すらも、僕は逃げる事が出来なかった。一生、その時の事を後悔する様な気がして。
「僕は……期待に添えられているのでしょうか」
「あぁ。十分だ」
「僕なんかよりもずっと適材はいたでしょうに」
「お前みたいな奴の方がいいんだ」
王は笑い、鉄格子の隙間から僕の頭に手を置いた。
「可愛げがある方が俺も楽しい」
「可愛げ……」
「何だか弟みたいでさ」
「お……」
「俺って末っ子だろ、ちょっと憧れてたんだよなー」
……いつもより態度が少し砕けているような。少し嬉しそうだ。
「お前兄弟はいないんだっけか」
「……はい」
「そうか」
実は満更でもない……のかもしれない。でもまさか王とそんな……ていうか。
「べ、ベルナールさんは違うんですか!」
「あいつ愛想無いし、でかいし」
「はぁ……」
それはそうかもしれないけれど。ずっと一緒にいたんじゃそれこそ兄弟みたいなものじゃないのか……。
「まぁそれは冗談として」
冗談なんですか。やっとアルファイリア様は僕の頭から手を離す。……ちょっと我に帰るとめちゃくちゃ恥ずかしいなこれ。
「ともかく、俺がお前を選んだ理由はそういう事だ」
「ほとんど勘ですよね」
「人を見る目はあるつもりだぞ」
「そうですか」
僕は一つため息を吐いた。まさか……アルファイリア様が僕の事をそこまで知っていたなんて。噂されてたのは知っていたけど。一応傭兵ギルドにいたから……ていうか“こっそり街を出歩いてた”って言ってたな。いいのかそれ。
まぁいいや。だからこそ今僕はここにいて、少なくとも元よりは救われているのだろうから。
「……僕が卑怯者でないのなら、あなたも酷い王ではありません」
「────そうか」
少し、ホッとした様にアルファイリア様は笑った。
“護る”というのは一方通行に非ず。互いに護り護られて──……そうだ、“人”というのは元々そういうものだった。
#17 END




