#11 A reed before the wind lives on, while mighty oaks do fall
「おやイヴァン君、一人かい」
「!」
僕が適当に料理を摘んでいると、そんな声が掛かった。振り向くと、立っていたのは宮廷騎士の一人、ディナダン・ルノワールだった。僕より一つ年上で、そこそこ仲良くして貰っている。
「こんばんは。……ダンさんこそ、お一人ですか?」
「うーん、まぁ、相変わらずコートは私を避けているようだしね。さっきトリス嬢がイゾルデ殿と一緒にいたのを見かけたが、あぁいうのを見ると少々羨ましく思うよ」
「アハハ……」
今宵は普段共にいる事の出来ない兄弟姉妹や親子が共にいれる貴重な機会である。……まぁ、トリスの所はともかく、どこもかしこも親族間の関係がよろしい訳でもないけれど。さっきペレディルは姉のディンドランさんと一緒にいたし、ランスローは母のニヴィアンさんと一瞬にいた。……まぁ、彼らの所は仲良しという訳では無いのだけどね?どちらかと言えば、女癖の悪い二人が何かしでかさないか、見張っている、というような具合だ。
ダンさんの言うコートとは、ラコート・ルノワールの事で、ダンさんの弟、そして宮廷騎士の一人だ。まだ16歳で最年少だが、その剣の腕は中々のもので。……僕はあまり彼と話した事がない。
「どう思う?イヴァン君。弟は私の事が嫌いなのだろうか」
「さぁ……僕には兄弟がいないのでよく分かりませんけど、多分嫌ってる訳じゃ無いと思います」
「そうかい?」
「えぇ」
何せラコートはダンさんと同じコートを着ているし。それも同じサイズのね。長い裾をベルトで上げて、袖は何重にも捲っている。それでもちゃんと動けるんだから、すごいものだ。……今でも僕より背は高いんだけど、そろそろ成長期だろうからきっとダンさんみたく180cmを超えるに違いない……。っていうか、本当僕って背が低いよな。
「……そうか……嫌われてる訳じゃ無いならいいんだ。コートも難しい年頃だからね。……天才剣士だなんて言われて、プレッシャーも掛かっている事だろうし」
「そうですね……」
「イヴァン君も大変だろう、まぁ私達は特に気にしたもんじゃないが、こんな場では」
「いえ、確かに少し気は張りますがまだこれと言って絡まれてもいないので」
「そうか。まぁ、その服装もよく似合っているし、大丈夫かな」
「ありがとうございます」
「私ももう少しちゃんとしなければね。ほとんどいつも通りの格好で出てきてしまったが」
「全然大丈夫ですよ」
「そうかな」
「えぇ」
ダンさんは赤紫に黄色いラインの入ったコートに、黄緑のセーター、その下にいつものチェインメイルの代わりにワイシャツを着て、ネクタイをしていた。彼が元々持つ気品も相まって、ちゃんとして見える。
「ところで、君ならアルファイリア殿がどこにいるか知っていると思ったのだけど」
「あぁ、アルファイリア様ならあちらに」
と、僕が手で示すとその先で緋色の髪が見えた。どうやら貴族の人達に囲まれているらしい。
「おや、あんな所に。すぐに見つけるなんて凄いね」
「いえ……ずっと位置を確認していただけです」
「どうやって?」
「目で追っていただけですよ」
「今私と話している間、目を離していたじゃないか」
「……それは……」
あれ?何でだろう。まぁいいや。
「それはともかく、アルファイリア様に何か用があるのでしょう」
「ん、いや少しお話がしたかったのだが、手一杯の様だしまたの機会にとするよ。……コートの事は見かけていないかい」
「見てないですね……」
まだ宮廷騎士の何人かも見かけてないし。モルゴス兄弟とか、先生達とか。多分どこかにはいるんだろうけど。
「あ、そうだダンさん、今日魔術師殿を見掛けませんでしたか?」
「魔術師殿?さぁ、彼の姿は長らく見てないね……」
「……そうですか」
あぁそうだった、魔術師殿はそういう存在だった。会えてる人の方が少ないんだ。
「またあれかい、魔術師殿は」
「えぇ、王女達を避けてどこかへ……」
「全く、何を怖がる事があるのだろうね……皆んな王女を恐れている様だが、どうしてそんなに怯えているんだ」
「……昼間のあの王の様子を見ても分かりませんか」
「?……仲睦まじい御姉弟に見えたが」
「…………」
いや、いやいやいや。鈍いにも程があるだろう、あれは誰がどう見たって……。
「アルフィア様もアレッタ様も、お優しい方だ。恐れるなど無礼にも程がある」
「はぁ……」
うん……まぁ、悪い人ではないのだけどね。王女は。でも何と言うか……そう、本能的に恐れてしまう。
「さて。イヴァン君、暇なら私と一緒にいないかい。一人で寂しかったんだ」
「え?えぇ。構いませんよ」
「良かった、それじゃあ……」
と、ダンさんが笑ったその時、不意に僕の背中に誰かがぶつかった。
「きゃっ!」
「⁈……トリス?」
振り向いて支えると、トリスは慌てた顔で言った。
「ご、ごめんなさいイヴァン君」
そして彼女は後ろに向かって「お姉様ったら」と小声で呟いた。
「……イゾルデさんと一緒にいたのでは?」
「えっ、いや、うん、そうなんだけどっ」
?……何をそんなに慌てているのだろう。
「ぶつかった事なら気にしなくても」
「あ、あぁうんごめんなさい、ありがとう」
何だろう、動揺が凄い。僕が戸惑っていると、後ろでダンさんが「ほーう」と笑いを含んだ声で言った。
「な、何ですか」
「ふむふむそうか、そういう事か。ならば私はお邪魔だね」
「え」
「いや私の事は気にしなくて結構、ヴェイン殿でも探しておくよ。彼もきっと弟に放り出されているに違いないから」
では良い夜を、とそれだけ言ってそそくさとダンさんは人混みの中に消えてしまった。……何なんだ、どういう事だ。
「……あ、あの、イヴァン君……」
「はい」
「…………ちょっと外出ない?」
「……はい?」
僕は彼女に連れられるがままに、人混みを掻き分け広間を出た。
† † †
空はすっかり曇っている。月のある場所だけぼんやりと光っていた。
「あー、外出て来ると気持ちいいわね!」
と、トリスは僕に背中を向けて伸びをする。向けてるのは初めから。僕が後ろからついて行ってるだけだ。
「あんなに人がいたら息が詰まっちゃう」
そして彼女は花壇の通路の中、くるりとこちらを向いた。すると伸ばしていた背を少し縮めて、言う。
「……あの……えーとゴメンね急に」
「いえ。……僕も外にいた方が気が楽ですので」
「え、そ、そう⁈」
「……はい」
何か様子が変だな。意外だったのかな。
「トリス達は僕を普通に受け入れてくれてますが、まだ貴族達の中にはそうでない人達もいたりして」
「……あぁ、そういう……」
「?」
「いえ、何でもないわ」
と、彼女は一つ咳払いした。そして、少し俯いた。
「そう……そっか……」
「トリス?」
「……庶民だとか貴族だとか、どうでもいいのに」
「!」
「皆んな同じ人間だもの、壁があるなんておかしい」
ふう、と彼女は一つため息を吐く。僕はなんと答えていいか分からない。
「……アルファイリア様も……きっとそう思っていらっしゃるわ。きっとだからイヴァン君を選んだのよ」
「……そうでしょうか」
「そうよ」
トリスは大きく息を吸って、深呼吸した。その後ぶつかったどこか真剣な目に、僕は思わず息が止まった。
「あのね!私………!世の中を変えたいの!……だっ、だから……えっと」
仄かな月明かりの下、彼女の頰が少しばかり紅潮しているのが見えた。
「イヴァン君も……!手伝ってくれる……⁈」
僕は、あまり考えぬまま、こう答えた。
「……僕に出来ることならば」
「!」
彼女は驚いたように目を見開き、そして笑うと僕の方へと歩いて来た。
「イヴァン君敬語!やめてって言ってるじゃない」
「あっ」
僕はハッとして口を押さえた。トリスはくすりと笑うと、僕の横を通り過ぎながらどこか楽しそうに言った。
「まずはそこからね」
軽い足取りで、城内へと戻って行くトリス。僕はその背中をしばらくぼうっと眺めていた。
…………“世の中を変える”、か。……僕に出来ること……。
† † †
「……という事があったのですが」
その日の深夜。僕は先生とグワルフさんに誘われてトランプゲームをしつつ晩酌をしていた。先生の部屋でこの三人以外は誰もいないので、気楽にいられる。服装もラフなものに着替えている。
僕がトリスとの事を話すと、何故だか先生とグワルフさんは口をあんぐり開けている。
「……どうしました?」
「…………バッカそりゃお前……」
「察してやれよそこは……」
「?」
え、何?どういう事?
僕が「とんと分からない」という顔をしていると、グワルフさんが僕に人差し指を向けて小さめの声で怒鳴った。深夜だからである。
「お前なあ!女の子と二人きりになったらそりゃ」
「やめとけワル、そういうのが分かるようになるのも成長だ」
と、先生がグワルフさんの手札からカードを一枚抜いて、さっきから減らない自分の手札を苦々しい顔で見ながら言った。
「年寄り臭い事言うなよお前、コイツと2つしか変わんねェだろ⁈」
「無理に押し付けてやんなって事だよ、特にイヴァンみてェな純粋な奴は折れちまう」
やれやれと、先生は首を振る。……一体何の話をしてるんだ、と思いながら僕は先生の手札からカードを引いた。一つ揃った。残り四枚。うち一枚はババである。
「……はぁ〜若いって良いよなぁ」
「お前が年寄り臭い事言ってんじゃねェか」
グワルフさんの呟きに、そう先生がツッコむ。グワルフさんは大きなため息を吐きつつ、僕の手札からカードを一枚引く。ババは未だ僕の手の中に。……引いてくれないかなぁ。
「まぁそんな気にもなるよな、つーかイヴァンが28にしては幼く見えるだけじゃねェの⁈」
「…………僕、童顔ですか?」
「おうよそうだよ童顔だよ、アラサーにゃ見えねェよ」
「言ってやんなよ、タダでさえチビだってのに」
「おいルー、お前酔ってるだろ、本音が漏れてるぞ」
……まぁチビなんてよく言われるし慣れてるけど……。うーん、やっぱりもうちょっと身長は欲しかったな。あと童顔なのも……いや、これは若く見られるというのではアリなのか?
と、回っているうちに気付けば先生の手札が一枚である。僕は渋々引き、揃ったカードを捨てた。残り二枚。グワルフさんはあと一枚。一騎討ち。
「うわーババお前か」
「一度も引いてくれませんでしたね」
「お前最初からずっと持ってたのか」
「そうですよ……」
先生がニヤニヤしながらグラスの中の酒を口に含んだ。カラコロと氷が音を立てる。ひょいと僕の手からグワルフさんがババを引いた。
「おー!わー!お前〜」
「僕は何もしてませんよ」
「ここに来て引くとか最悪だろ!」
と、せっせと彼は背後でカードを混ぜ、並べて僕の前へ差し出した。表情が硬い。僕はスッと手を伸ばす。
左右のカードに手を伸ばすと、彼の表情がピクピクと動く。「こっちだ」と思った僕は、右のカードを引いた。
「あー!」
「上がりです」
「クッソお……やられた……」
「顔分かりやすいよなお前」
「うぅ……ルー……」
グワルフさんが項垂れる前で僕は散らばったカードを掻き集める。もう一度やるつもりで、カードの束を繰った。手際は良い方である。
「……お前さぁ、こういうのは読めてあぁいうのは読めねェんだな……」
「?……何の事です?」
「何でもねェですよ」
あーあ、とグワルフさんが胡座をかいて仰け反り、ゆらゆらとした。……何なんだろう。
「そういやイヴァン、お前俺達のことどう思ってるんだよ」
不意に先生がそう訊いて来た。僕は首を傾げ、答える。
「どうって、先生は先生ですよ」
「そうじゃなくて……こんなだが俺達だって一応貴族の内なんだぜ」
「それは……知ってますが」
「それなりに権力と財力を持った家の出だ」
「……はい」
「コラ意地悪すんなよルー……」
「知ってるか?コルネウスってのはこの国で五本の指に入るくらいの貴族だ」
「そうなんですか」
「そうなんだよ」
「まぁどう頑張ってもシベリウスにゃあ勝てねェけどな」
と、グワルフさんが横からそう口を出し、先生がその頭を小突いた。
「シベリウスの名は聞いた事がありますが……僕あまり貴族社会には詳しくなくて」
「まぁ完全に把握してる奴なんかそうそういない。当事者やそれに近い者じゃあなきゃ」
「俺も正直そこまで詳しくねェんだよな」
と、グワルフさんが言う。……グワルフさんは先生に近い人じゃないのか。
「この国で特に力を持ってる貴族は、シベリウス、議長の所のアズライグ、うちのコルネウスと毒見のレミエル。後ルフェンシークっていうトコだ」
「……ベルナールさんも」
「そう。まぁ、王家に関わりがある無いは正直あまり関係ない。シベリウスなんか王城関係者なんざ一人もいねェが貿易商で金がある。人脈もある。うちは俺とベディが騎士に選ばれちゃいるが、そこはほぼ実力の話だし」
「自信ありますなルーカン殿」
「持つべき自信は持っておくべきだぜ。俺には弟子もいる」
と、先生は笑って僕を見た。
「まぁそれはそれ、んでコルネウスが何なのかってえと」
「職人なんだよな」
「……そう。オルゴール職人」
グワルフさんに先に言われて不満そうな先生。
「職人?貴族なのに?」
「まぁ成り上がりの貴族っていうか……昔はただの職人だったらしいが、うちのオルゴールを気に入った昔の王が、コルネウスに爵位を与えたって話だ」
「……そうなんですか」
「それが今や五本の指だぜ、貴族社会なんて簡単に動く。いつシベリウスが落ちるかなんて分かったもんじゃねェ」
「どうかねえ、シベリウスの根は深いぞ?」
「……“大風に葦は生き延び、樫の大木が倒れる”のさ」
「“大風”が吹けばな」
と、グワルフさんがやれやれという様子で呟いた。
「お前も似た様なモンだな」
「えっ?」
唐突な先生の言葉に、僕は驚いた。
「……どういう意味ですか」
「お前は“葦”だから大風が吹いたって倒れやしねェのさ」
「…………?」
僕がハテナを浮かべていると、先生は突然大声で笑った。深夜なのに。皆んな寝てるのに。という僕達の非難の目を気にせず、先生は言う。
「さ、もう一戦だ、配れイヴァン」
「はい……」
配りながら、僕は考える。
先生達の事をどう思っているか……。確かに、貴族であるという意識は無くはない。だが僕が敬愛しているのは、“剣の師”としての先生だと思う。“騎士”として、“戦士”として……そこには、家柄など関係ない。
……そう言えばグワルフさんの家はどうなんだろう。
二人共……僕や他の騎士の前ではあまり貴族らしくないんだよな。昔の僕の傭兵仲間を思い出す。……いや、彼らとはそりゃ色々と違うのだけど……。
……壁なんてあるのかな。少なくとも僕は……彼らと同じ騎士である。王の隣に仕える騎士である。それは、紛れも無い事実で。
「……先生もグワルフさんも僕も、同じ人間です」
「!」
僕はトリスの言葉を思い出して、そう言った。
先生とグワルフさんは一瞬きょとんとし、顔を見合わせるとほとんど同時に僕の方を向いて、ニッカリと笑った。
「なるほど、良い答えだな」
「貴族だろうが庶民だろうが、刺されりゃ死ぬってな」
「縁起でもねェ事言うんじゃねェよ」
と、先生がグワルフさんの脇を肘で小突いた。ふと、それに昔の仲間の姿が重なった。……そうだ、何も変わらない。
「次は負けませんよ」
僕は自分の分のカードを手に、そう言って笑った。
「お、俺に勝てるのか?」
「ルーは勝負事強えんだよなぁ」
僕達は揃っているカードを捨て始める。
……その後……あれ、少し記憶が無い。
#11 END
*新規登場人物*
ディナダン・ルノワール
宮廷騎士の一人。使用武器は両手剣。29歳。水の守護者。




