4
翌日、無事春分祭の日程が決まった。浮かれまくりの呪術祠祭課課長、高光啓はルンルン言って全く仕事をする気配がない。さっきからどこかの婦女子にもらった手紙を見て「告白するならもっと情熱的な方がいいね」だの「結局何が言いたいんだ?」だのひとり突っ込みを入れている。
葉月はその様子を机の奥からこっそり見ていた。
これっていわゆるラブレターってやつ?もらってる人初めて見たけど、もっと嬉しそうにするもんかと思ってた。いや、この人がもらい慣れ過ぎておかしくなってるんだ。こんな奴にラブレターなんぞ渡す女の顔が見たい。
そんなことを考えながら机の上を整理していると、
「ホント、どうして俺なんかにくれるんだろうねー」
その場で固まった葉月に向かって光啓は眩しすぎる笑顔を向けた。
「君ってたまに思ったことが、そのまま口に出てるよね。ホント面白い」
「えぇーーーー!しゃべってました?かなりひどいことを……」
「大丈夫だよー、怒ってないから。あっ、そうそう、ちょっと手が空いてるならこの書類、刑部長官に渡してきてくれない?」
光啓はキラキラ笑顔を一ミリも崩すことなく、書類の入った木箱を葉月に差し出した。それに対して「……へ?」と声を上げたのは葉月ではなく……隣に座る之藻で、彼は信じられないものでも見るような顔で「課長、それはいくらなんでも鬼っすよ」と言った。
「そう?」
「だって、いきなり“虎の住処”に放り込むなんて。あそこの長官は男色家で入りたての若い官吏を食いまくるって、もっぱらの噂っすよ」
「じゃあ、之藻が行く?」
「え、課長が行けばいいじゃないっすか」
「俺だって食われたくないよー」
「うわっ、課長サイテ―」
いやいや、あんたら二人ともサイテ―だ。
仕事を擦り付けあうなんて本当に超難関試験を突破した国家官吏なんだろうか。もしかして裏口入学とか賄賂とかやったのではと穿った見方をしてしまう。いずれにせよ左遷最有力候補なのは間違いない。
「えっと、それなら私が行きますよ」
葉月はさして重くもない腰を上げた。
男色家だか年若い官吏を食い物にするだか知らないが、それなら葉月はその基準を全くと言っていいほど満たしていなかった。
ノープロブレム。葉月は安心させるようににっこりと笑った。と同時に、光啓の手から木箱ががたりと落ちた。
「ちょっと意地悪しちゃおうって思ったんだけど、確かにこんな子猫少年を虎の住処に放り込むのは鬼すぎる。俺、ちょっと行ってくるわ」
珍しくまじめな顔でそう言った光啓に、今度は葉月の方があんぐりと口を開ける番だった。
「今なんて言いました?」
「えっ?俺が行くって……」
「その前です。今、子猫少年って言いました?」
「言ったけど……って、もしかして子猫って表現に傷ついちゃった?」
葉月は両手を合わせてごめんのポーズをする光啓の頭をぶん殴りたくなった。
問題はそこじゃない!私は――
「女です!!」
「はっ?」
「だから、少年じゃなくて、れっきとした女です!」
鳩が豆鉄砲くらったような顔というのはきっとこういう顔だ。あまりにも驚き過ぎて現実に戻れなくなっている光啓に追い打ちをかけるように続ける。
「しかも、今年で二十四歳になります」
そう言った瞬間、隣から天にも届きそうな絶叫が響き渡った。
「マジかぁーーー!?俺より年上とか嘘だろ。っつうか、課長とそんなに変わんないじゃん。俺てっきり子供だとばかり……」
「確かに……って、驚くのはそこじゃないだろ」
「ああ、女。っつうか、おんなぁーーー!?」
隣を見ると、之藻の体は半分以上椅子から転げ落ちていた。
リアクション芸人もびっくりの反応ありがとうございます。
実際、ここまで誤解されていれば、変に納得されるよりむしろ潔くていい。
「ということで、私が行ってきます」
葉月は未だ納得していない男達から奪うように木箱を掴み上げ、呪術祠祭課のドアを勢いよく開けた。
※※※ ※※※ ※※※
「男色家だか何だか知らないけど、どっからでもかかってきやがれ!」
そんな独り言を言いながら葉月は西官衙街へと歩いていった。
内城の官衙は中央広場を挟んで西と東にある。東側には礼部など学問や経済に関する官衙が、西側には刑部など法や刑に関する官衙が集まっている。ちなみに刑部というのは刑事裁判全般を行う、現代日本でいう法務省のような所だ。
しばらく歩いて目的地にたどり着いた葉月は思いもよらない光景にびくりと身体を跳ねあがらせた。
「ここって……」
そこは飛行機から落ちた葉月が、この世界に辿り着いた場所――つまりは処刑場だった。
目の前に石造りの重厚な建物があり、その背後の丘に未だ夢に出てくるあの十字架がそびえ立つ。
「ここが刑部か……長官って、まさか――」
嫌な勘ほどよく当たる。刑部長官室にいたのはこの国に来て初めて会った、あの超然的な美貌を持つ死神男だった。
烏紗帽の中に収められた漆黒の髪も、冷たさを含む切れ長の眼も、貴族的な優雅な居ずまいも、映画俳優かと見まがう秀麗な美貌も一年前のままで、思わず葉月の口からは、
「シニガミサン……」
と心の声が漏れていた。
緋色の衣を身にまとった男は美しいカーブを描く眉を寄せて「シニガミサン?」とつぶやいた。そこで葉月ははたと気がついた。意識しないまま日本語をしゃべっていたらしい。
やばい。これはやばい。せっかく中国語もマスターしてこの国になじんだというのに、再び処刑台に直行など死んでも御免だ。
葉月は慌てて両膝を床につけて、深くそれこそ一生起き上がれなくなるのではないかというくらい深く頭を垂れた。
「失礼いたしました。礼部の呪術祠祭課の者ですが、書類を届けに参りました」
「こちらの机に置いてください」
無機質ながら低く通る声は確かに一年前に聞いたあの声だった。当時は鳶国語がわからなかったから初めてこの男が意味ある言葉を話すのを聞いたことになる。
きれいな鳶国官語。丁寧なしゃべり方をする人なんだ。
俺様口調を想像していた葉月はそんなことに驚きつつ、顔を俯けたままそそくさと黒檀の机に書類を置いた。目が合ったのは一瞬だったから、一年前の自分だと気がついていないかもしれない。だったら逃げるが勝ちだ。
何事もなかったかのように体を反転させ「では、失礼します」と一歩踏み出す。その瞬間、机の向こうから伸びた白皙の手にすっと腕を掴まれた。
「あなた、名前は?」
名前?私の名前は一年前に教えましたけど……って、この展開はもしかしてばれてない!?
葉月は内心小躍りしながら神妙に答えた。
「名乗るほどの者ではございません。用がなければ、失礼いたします」
そのまま二三歩出口の方に足を進めたが、つかまれた腕は逆に大きく引かれ、葉月は黒光りする机に勢いよく腰をぶつけた。
「――いだっ!」
脳天を貫く痛みに背中を大きくそらせば、真上にこの世のものとは思えない秀麗な顔が現れた。
えっと……神々しい美しさですね。
というよりも、かなり怖い。もしかしてこれは男色長官に迫られる新人官吏というやつだろうか。
「あの、私はこんなんですけど、女です。そっち系は無理ですから」
そっち系ってどっち系だよとひとり突っ込みを入れながら答えると、神の化身のような顔がどす黒い笑みに変わった。
「そんな事知っています。あなた礼部にいるんですか。よくそんな所に紛れこみましたね。外からが無理なら中からこの国を乗っ取ろうという魂胆ですか?」
「……はいぃ?」
驚き過ぎた葉月の膝から力が抜け、刑部長官様の立派な机の上に背中から倒れ込んだ。ポカンと口を開ける。それに対して、秀麗な顔をゆがめた刑部長官は心底嫌そうに鼻を鳴らした。
「頭も悪そうだし、色仕掛けもできそうにないし、賄賂なんて払えそうにないですけど、どんな裏技を使って礼部に紛れ込んだんですか?」
色仕掛け?賄賂?裏技?
そこでようやく葉月は自分がこの国に害をなす特A級の侵略者扱いをされているのだと理解した。きっと初めて処刑場に連れて行かれた時もそういう扱いだったのだろう。とにかく二度目の処刑台行きだけは避けたい。
葉月は黒縁眼鏡を押し上げて、神か悪魔かと見紛う整った顔をまっすぐに見上げた。
「賄賂も色仕掛けもしていません。ただ、次の春分祭の天気を予報してほしいと呉礼部長官直々に依頼されただけです。ああ、元の国ではそういう仕事をしていたので。ちなみに、この国を乗っ取ろうとか全然思っていませんから。第一、この国乗っ取ろうとしている人間が食うのにも困って、この一年でこんなにガリガリに痩せると思います?私だって白飯たらふく食いたいんです!」
……最後は完全なる願望だ。
葉月が肩で大きく息をしてまくしたてると、死神――もう敬称をつけるのはやめる――は切れ長の瞳を眇めて探るように見下ろしてきた。
「あなたはどこから来たんですか?」
「この世界とは違う世界から来ました。でも、どうして来たかは私もわかりません。飛行機っていう空飛ぶ物体から落ちて、気づいたらあの処刑台に引っ掛かっていました」
「空飛ぶ物体?」
葉月は自分自身の失言に頭を抱えたくなった。この一昔前の中国のような世界で、空飛ぶ物体など大真面目な顔で言う馬鹿がいるわけがない。完全に怪しい人物だ。
しかし、相手のほうは、そこへの興味はすぐに消えたらしい。
「鳶国語が随分上達したようですけど?」
中国語の本で勉強しましたなどと答えたら、ますます怪しい人物だと思われるだろう。葉月はとっさに当たり障りのない台詞を考えた。
「生きるために必死で勉強しました」
かなり端折ったが、一応嘘はついていない。とりあえず、もう死の恐怖は懲り懲りだ。それから極悪人もバッサリ処刑しそうなこの顔に見据えられるのも懲り懲りだ。
「とにかく怪しい人物じゃありません。一年前は多大なるご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。現在はこのように慎ましく真面目に生きております。呉礼部長官からは重要な仕事まで任せられていますので、処刑にはしないでください」
相手の怒りを煽らないように限りなく低姿勢でそう言うと、死神の顔が視界から消え、掴まれていた手も離された。
「わかりました。処刑にはしません」
葉月の体から一気に力が抜けた。へなへなと腰が砕け落ち、放心状態で「助かった」とつぶやく。
しかし、間をおかず「ただ――」と付け加えられた言葉に、葉月は頭上に雷を落とされたような衝撃を受けた。
「これからは私の家で監視させてもらいます」
…………。
監視ってなんですかー!!!