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ソラヨミシ  作者: こでまり
7.月食
49/63

5

 いったいなに言いに行くのよ!?


 葉月は振り向きそうになって、慌てて顔を戻した。

 そうだ、気づかれたくなかったんだ。

 胡同の脇で、気配を消すように身を縮める。程なくして、背後から楊柳の声がした。


「長官、おひさしぶりっす」

「ああ、楊柳」


 低く通るその声に、体がぴくりと反応した。


「仕事を紹介していただいてありがとうございました。おかげで、順調にやってます」

「そうか。それはよかった」

「今日は宣戦布告に来ました。どうせ無理だとは思ってたけど、まあ、俺のけじめみたいなもんで。でも、長官にそのつもりがないなら、俺は堂々と宣戦布告します」

 

 楊柳が一拍置いて、口を開いた。


「葉月は俺がもらう」


 えっ……、ちょっと待って、楊柳、なに言い出してんの!?


「楊柳、ちょっと待ちなさい!」


 気づけば、葉月は全速力で走っていた。


「なんだよ、葉月」


 楊柳が振り返ったのと同時に、紺色の長衣を身にまとった男の視線が葉月に移った。切れ長の瞳が驚きで見開かれる。


「ハヅ……」

「あら、葉月さん。こんにちは」


 男の言葉をさえぎって、愛玲あいれいが華のように微笑んだ。


 ああ、見ちゃった。今、自分に気づいた死神の手が愛玲さんの腰からさっと離れたのを。そして、引き留めるように愛玲さんの手が死神の腕に絡みついたのを。はぁ、こんなことに気づいちゃう自分が嫌だ。


「どうもこんにちは。楊柳、帰るよ」

「なんでだよ。俺はこいつに一言言ってやらねえと気がすまねえ」

「それは、後でいいじゃん。とりあえず、今は取り込み中なんだから帰ろうよ」


 必死で楊柳の手を引いたが、思ったより楊柳の力は強かった。頑として、動く気配がない。


「おい、長官。あんた葉月のこと好きなんじゃねえのかよ」

「ちょっ、楊柳、本当になに言い出してんの」


 今の発言、愛玲さんに誤解されるって。私、死神とはじめから何にもないって。未来永劫なんにもないって。好きとか嫌いとかそういう対象じゃないって。


「なんとか言えよ」

「えっと、すみません。この子、思い込みが激しくて――」

「言い訳もなんにもできねえってことかよ。そりゃそうだよな、こんな状況で。あんたには葉月はもったいねえよ」

「楊柳、もういいでしょ」

「あんたにはそこのケバケバした化粧くさい女がお似合いだ」

「楊柳!あんたいい加減にしなさいよ!」


 一喝すると、楊柳の肩がびくりと跳ね上がった。振り返って葉月を見つめる瞳には、明らかにショックの色が浮かんでいる。


「帰ろう」


 静かにそう言って、楊柳の手を引いた。目の前にいる二人を見ないように、一礼して来た道を戻る。胡同を吹き抜ける秋風が、頬に上った熱を急速に冷ました。シュンとうなだれる楊柳の手を優しく握る。


「ごめん葉月、俺……」

「うん。わかってるから」


 わかってる。楊柳は青ざめた私の顔を見て、あんなこと言ってくれたんだ。何も言えない私の代わりに、少しも気持ちを表に出せない私の代わりに――


「本当はうれしかったから」


 励ますようにそう言ったが、俯いた楊柳の顔が持ち上がることはなかった。


 昔は自分も今の楊柳みたいに感情を素直に出していた。笑いたいときは笑って、怒りたいときは怒って、泣きたいときは泣いて。他人の目なんか気にせず、自分の思うように動いていた。いつから、それができなくなったんだろう。


「俺、早く大人になりてえ」


 楊柳がぽつりとつぶやいた。


「大人なんてそれほどいいもんじゃないよ。私は子供に戻りたい」


 本当に……戻りたい。体の中をどろりと流れるこの感情の意味も、針が刺さったように痛む胸の意味も、何も知らないあの頃に戻りたい。



※※※ ※※※ ※※※



 その後も葉月は、それまで通り呪術祠祭じゅじゅつしさい課へ週三日のパートへ行った。光啓こうけいの改暦に対する奏上は今のところ大きな問題には発展していなかった。でも、すれ違う官吏たちの視線が以前よりも多くなった気がする。


 なんだか居心地悪い気持ちで呪術祠祭課の扉を開けると、珍しく起きていた之藻しそうが光啓と大きな表を前に顔をつき合わせていた。


「この理論でいくと、日食と月食は対になって起こります。つまり、月食が起こった場合、その前後の新月のときに日食も起こる。でも、それがここから見られるかどうかは別問題です」

「じゃあ、次の新月のときに日食が起こる可能性があるってことだね」

「そういうことになりますね。で、俺の推算だと次の新月の日、日食は見られます」


 真剣に議論を交し合う二人は、葉月が来たことに全く気づいていない。


「わかった。とりあえず、一緒に呉長官のところへ行こう」


 真面目な顔で立ち上がった光啓は、背後にたたずむ葉月を見て、ぎょっと驚いた。どれだけ集中してたんだ!と突っ込みたいところではあったが、確かに後十日かそこらで日食が起こるとなれば話は別だ。そして、それは珍しいことではないと葉月は知っていた。日月食は同時期に起こりやすいのだ。


「忙しくなりそうですね」


 その一言ですべてが通じた。光啓は烏紗帽をかぶりながら横目でこちらを見た。


「葉月はこの件について何も知らない。いいね」


 少しだけ仲間外れにされたような気がして、黒縁眼鏡の奥からじっと見つめると、光啓が困ったように笑った。


「もう危険なことに葉月を巻き込みたくないんだ」


 それは、先日の牢屋に入れられた件を指しているんだろう。もともと厄介事には首を突っ込みたくなかったのは自分だ。それなのに、最近、彼らに仲間意識を感じてしまっていた。

 

「わかりました。私は何も知りません」


 自分のスタンスは、元々こうだったじゃないか。

 確認するようにひとつ頷いて、葉月は部屋を出て行く二人を見送った。


 その後、光啓と之藻の日食予想は瞬く間に官衙中に広がった。なぜなら、それは欽天監きんてんかんの発表している日食予想と大きく違っていたからだ。いつの間にか欽天監VS呪術祠祭課という構図が出来上がり、それは内城の、保守派と改革派を巻き込んだ騒動に発展しつつあった。


「之藻さん、どうしてたかだか日食予想に、保守派とか改革派とかが出てくるんですか?」

「んあっ?」


 長椅子に寝転びながら大欠伸をしていた之藻が、視線だけで葉月のほうを見た。


「なんつうかなー。簡単に言うとやつらも起爆剤がほしかったんだ。もともと保守派と改革派は水面下で対立していた。そこに光啓さんが暦法の見直しを言いだしたもんだから、保守派のやつらは、これは改革派を叩き潰すいい機会だと思って出てきたっつうことだ」


 之藻の説明に、葉月はふうんと頷いた。


「この国ってけっこう改革派が多いと思ってました」

「まあな。現皇帝が改革派の筆頭でもある呉長官を取り立ててるからな」

「あっ、やっぱり呉長官って改革派なんですね。保守派はやっぱりあのドジョウひげの宰相ですか」

「ああ。全然似合ってないのに、本人はご自慢らしいぞ」


 自らの顎ひげをこれ見よがしになでつける之藻を見て、葉月は一瞬思ってしまった。

 之藻さんご自慢のそのひげも、ドジョウ髭と五十歩百歩ですよ、と。 

 

「あの宰相は保守派の筆頭だ。なにかっていうと呉長官に食ってかかる。文治帝が呉長官を贔屓にしてんのが気に食わないんだろ」


 なるほど、そういうことか。なんだか、少しだけこの国の事情がわかった。ってことはだよ。私なんて呪術祠祭課にパートに来てて、しかも呉長官の家に居候してるから、思いっきり改革派ってことになるの!?……改革って、なんですか状態なのに?


「政治ってよくわかんないですねー。私はやっぱり空を見てるほうがいいです」

「全くそう思うね。とりあえず、俺は昼寝する」


 そう言って、之藻は横を向いて体を丸めた。

 あっ、ついでに刑部長官はどっち派かも聞きたかったんだけど……。一、二、三、グーって、お前は、のび太か!



※※※ ※※※ ※※※



 太陽が西に傾いた頃、葉月は之藻を起こして、自らは帰路に就いた。


「それにしても、之藻さんの寝つきのよさにはビックリだよな。自分もけっこう寝つきはいいほうだと思ってたけど、あれには負ける」


 そんなことを言いながら菊の香りが漂う胡同を歩く。最後の角を曲がって、ようやく呉家に着くというところで、菊の清涼な香りに混じってほのかに甘い花の香りがした。


 あれ、この香り――


 そう思った瞬間、肩のあたりに鈍器で殴られたような強い衝撃を感じた。


「痛っ!」


 葉月の体は崩れ落ちた。咄嗟に地面に両手をついたと同時に、顔から眼鏡が転げ落ちる。


 ちょっと、誰、突き飛ばしたのは!


 顔をひねって後ろを向く。ぼんやりした視界ににやりと笑う長身の男が立っていた。


「おひさしぶりですね」


 えっ、誰?

 目を細めて焦点を合わせる。細身の体と糸のような細い目に既視感を感じた。


「……宋健そうけんさん?」

「うれしいですね。覚えてくれていたんですか」


 それは、眉山での妖怪騒ぎの犯人だった、元礼部官吏、宋健だった。にやりと笑うその手に短刀がきらりと光る。


 お久しぶりです、懐かしいですねー。ってどう見ても、快楽殺人者にしか見えないんですけど。ってか、私もしかして殺される!?


 一瞬で支配した考えを悟られないように、葉月は引き攣る頬を持ち上げた。


「びっくりしました。泰京にいたんですか?」

「まあ、いろいろありましてね。それよりも、君、先日、刑部長官の家に行ってましたね。どういう関係なんですか?」


 刑部長官の家……って、楊柳ようりゅうと行った時の事か?

 自分を見下ろす糸のように細い瞳に狂気の色が浮かんでいて、葉月の声は自然と震えた。


「……別に何も」

「あの方の事が好きなんですか?」


 あの方って、死神の事?そんなわけない。


 首を振ろうとしたら、金木犀の香りが鼻孔をついた。脳裏に男の隣に艶然と立つ愛玲あいれいの姿が浮かんで、知らずと顔が歪んだ。


 なんで、また思い出しちゃったんだろう……。


 顔を歪めたまま答えない葉月に、宋健は苛立ちを露わに舌打ちした。短刀が大きく振りあげられる。血走った目が葉月を捕えた。


 うそっ、マジで殺される!?

 誰か、助けて。……誰か、誰か!!!


 ギュッと瞳を閉じる。脳裏に緋色の衣が鮮やかに翻った。


 なっ、なんでこんな時に死神のこと思い出してんのよ!あいつがこんな所に来るわけないじゃん。あの人は愛玲さんと……


 そう思った瞬間、激しい胸の動悸がピタリと止まった。


 ……そっか。考えてみたら、こんな時、いつだって助けてくれたのはあの男だったんだ。処刑台から落ちた時だって、祭壇から投げ出されたときだって、女官達に牢に閉じ込められたときだって、山で遭難しかけたときだって、助けに来てくれたのはあの人だった。――でも、もう助けに来てくれない。

 

 胸が雑巾を絞ったようにギュッと締め付けられた。

 

 今ようやくわかった。ずっともやもやしていたこの思い。その名前は――


 「す……き」


 って、今そんな事、悠長に考えてる場合じゃないって!殺されるかもしれないんだ。自分の身は自分で守らんと!


 葉月はぱっと瞳を見開いて、宋健を睨み上げた。


 護身術なんてしらない。こんな時どうすればいいかわからない。でも、じっと殺されるのを待つなんていやだ。よくテレビでやってたじゃないか。襲われそうになった時は、男性の××××を――


 宋健がなにかを口走ったが、その意味を冷静に考える余裕なんてなかった。葉月は視点を一か所に定めると、勢いよく足を振りあげた。


 まぐれでもいいから当たってくれ!!!


 足先に何か柔らかい物がヒットして、男がうめき声を上げた。

 

 ……やった?


 薄目を開ける。こちらに倒れこみながら刃物の切れ先を振りおろす男の姿が視界に入った。咄嗟に体を庇って横を向く。しかし、男に圧し掛かられた状態では動ける範囲が限られていた。次の瞬間、右腕に激痛が走った。


 やられたっ!


 肉が引きちぎられる強烈な痛みに体を戦慄かせ、葉月の意識はそこでぷつりと途切れた。


 ……THE END

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