3
二度あることは三度ある。とはいうけれど、三度もやりたくないことは世の中にいっぱいある。まずは、異世界トリップ。ついでにいえば異世界ホームレスももう懲り懲りだ。山で遭難するのも、突風に煽られて高所から落ちるのも……よく考えたら、この世界に来てから、碌なことないな。そして、これも、三度はやりたくないもののひとつ……だった。
ガッシャーーーーーン。
地下牢の鉄柵が開く音とともに、葉月は牢屋に入れられた。
「お前、アホだろ。アホすぎるだろ。何のために俺がこっそり助言したと思ってんだよ」
項垂れる葉月の向かい側の牢で、之藻が鉄柵越しに捲し立てた。
「本当に自分でもどうしてあんなことを言ったのか……って、之藻さんこそ、私が言った後に、自分もそう思いますとか手をあげて、完全にアホの仲間ですよね」
「なんだと。俺は、咄嗟にやべえと思ってだな……。ってか、俺らの計画を滅茶苦茶にしたくせに、アホの仲間とか言うな」
「計画ってなんですか!」
どうやら、やっぱり台本ありの舞台だったらしい。
「あの場は誰かが罪をかぶらなきゃ収まらなかった。だから、光啓さんに一旦かぶってもらって、後で呉長官のとりなしで、無罪放免にしてもらう予定だったんだ。それが、お前の一言で、話がややこしくなっただろ」
怒り心頭の之藻の隣で、光啓が眉を寄せて笑った。
「之藻、もういいだろ。葉月があの場に来るなんて予想してなかったんだから。逆に、葉月にはかわいそうなことしたよ、ごめんね。でも、俺はちょっと嬉しいよ。こうやって葉月の襦裙姿をずっと眺められるんだから」
「光啓さん、その思考マジヤバイっすよ。まあ、たしかに、襦裙着て髪結ったら案外かわい……」
言葉を続けようとして之藻は視線を泳がせた。
「やめとこう。俺は次の日食の予想でもしてます」
鉄柵から離れた之藻は、衣の合わせ目から軽石を取りだして、床に何やら数字を書きだした。この地下牢には葉月達三人しか入っていない。ちなみに、之藻と光啓は同じ牢、葉月はその向かい側の牢に入れられた。一応、女性とみなされたんだろう。
「そういえば、私今日初めて宰相を見ました。高課長に不良官吏とか言ってましたね」
石壁に背を預けた光啓がくすくすと笑った。
「うまいこと言ったよね。俺、ちょっと笑いそうになった」
「高課長、言われた本人なのに怒りとかないんですか?」
「あー、別に。現宰相は保守派の筆頭で、前王時代からの重鎮だからね。俺みたいな新しもの好きは嫌なんだろうね。ちなみに、かなりの野心家だから、葉月も気をつけて」
気をつけてって、何をどう気をつければいいか、さっぱりわからない。
「わかりました。よくわかりませんが、気をつけます」
「釈放されたら、俺の家に一緒に住めばいいよ。そうしたら四六時中守ってあげられるし」
四六時中守ってあげる……って、これはイケメンの常套句だ。平常心平常心。それよりも、もしそんな事したら高課長ファンの女官さん達になにされるかわからない。野心に燃える男より、嫉妬に狂った女のほうがずっと怖いのだ。
「お気持ちだけ受け取っておきます」
とりあえずそう言って、葉月は光啓と同じように壁に背をつけた。牢屋には既に集中しきった之藻が床に打ち付ける軽石の音だけが響く。
よく考えてみたら、これで牢屋は三度目か。三度も入ればけっこう慣れる……わけないって。でも、前二回よりけっこう冷静かも。やっぱひとりじゃないからかな。
葉月は冷たい石壁に後頭部をつけて、先ほどのやり取りを思い返していた。
高課長の進言、迫力あったなぁ。周りの官吏達は完全に気圧されてたもん。あの勢いにのまれていなかったのって、たぶん皇帝とドジョウ髭の宰相と……ああ、死神もあの勢いに飲まれていなかったひとりだった。だって、何食わぬ顔で、謀反に値するとか言ってたもんな。きっと死神は宰相と同じ保守派ってことになるんだろう。呉長官は中立を保っているふうだけど、裏で高課長と組んでるって事は改革派みたいな感じ?きっとそうだ。呉長官と死神は犬猿の仲らしいからな。
その時ふと、以前、呉桂成と湖聖仁が対峙した時の様子が蘇った。
『聖仁、もういいんじゃないのか』
そう言った呉桂成の声は、どこか苦しそうだった。
たしか、あの時、犬猿の仲以上のなにかが二人にはあるって思ったんだっけ。まさか、実は今でも仲良しさんとか?……なわけないか。だったら、どういう関係だ?もういいって何のことだろ……うーん、頭痛くなってきた。私、政治とか腹の探り合いとか苦手だったんだ。
葉月はため息とともに無機質な天井を仰いだ。
「動いているのは、この大地……」
どうしてあんなこと言っちゃったんだろ。口が滑ったとしか思えない。……いや、違う。本当はわかってる。死神と目があった瞬間、頭がのぼせたように真っ白になって、考えていたことと全く違うことを言ってしまったんだ。昨日から自分の気持ちをコントロールできない。本当にどうしたんだろ。
その時、腹の虫がぐうと鳴った。
「はぁ……。とりあえず、あの饅頭はもったいなかったな……」
※※※ ※※※ ※※※
夜になっても、之藻の軽石の音は途切れなかった。高窓から差し込む月明かりを頼りに計算を続けているらしい。
之藻さんって、デリカシーはゼロだけど、計算スピードだけはものすごく速いんだよな。そんな之藻さんがずっと計算を続けるなんて、日食の予想って大変なんだな。っていうか、之藻さんが食の予想をしてたなんて全然知らなかった。よく計算はしてるなとは思ってたけど……うん、やっぱりアホ女だな、私。
そんな事を考えながら葉月は外套の襟もとを合わせた。夜になると徐々に冷え込みは強まる。それでも、買ったばかりの外套のおかげで、思ったほどの寒さは感じなかった。
「高課長、起きてますか?」
小さな声で尋ねると、向こうから「起きてるよ」という思ったよりも明るい声がした。
「高課長が買ってくれた外套のおかげで、寒くないです。ありがとうございました」
「そんなお礼なんていらないよ。こんな事に葉月を巻き込んで申し訳なく思ってるってのに」
「いえ、あれは自業自得なんで……」
静寂の中に、軽石の軽快なリズムだけが響く。「ねえ、葉月」と光啓が口を開いた。
「今回の事はすまなかった。でも、あの時、葉月が俺の意見に同意してくれて、正直うれしかった」
横目で反対側の牢を見れば、薄闇の中で、光啓が瞳を和ませて小さく笑っていた。
「あっ、あの、別にあれは、言おうと思って言ったんじゃなくて、なぜか口から出ちゃったっていうか……」
「それでも、うれしかったよ」
さっきまでの明るい声とは違う、静かなその声は彼の本心を伝えてくれていた。
ああ、高課長の想いがストレートに伝わってくる。温かくて強い想い。でも、自分はこの気持ちを真正面から受け取れない。だって、あの時自分が考えていたのは、高課長の事じゃなかった。あの時、心を締めていたのは、別の男の事だったんだから。
「……いえ」
それしか言えなかった。
高課長は優しい。いつも自分の気持ちを汲み取って、無理のないように支えてくれる。きっと高課長みたいな人と付き合ったら――付属のファンは別問題として――幸せになれるんだと思う。頼っていいよ。守ってあげる。その言葉を素直に受け取れば、もしかしたら自分はこの世界で楽しく幸せに暮らせるのかもしれない。頭ではわかってる。わかってるんだけど……
「はあ……」
葉月は高窓から覗く、あまたの星を仰ぎ見た。
遠い、遠いよ。日本も、それから……
※※※ ※※※ ※※※
翌日、葉月達は呉桂成の手で釈放された。わずか一日という拘束期間。どう考えても早すぎだ。どうやら、呉桂成が裏で宰相達を丸めこんだらしい。さすが微笑み腹黒長官だ。いったいどんな手を使ったんだろう。
「とりあえず、短くすんで良かったな。もうちょっとあそこで計算しててもよかったくらいだ」
「たしかに、俺ももうちょっと葉月の襦裙姿を見ていてもよかったよ」
「だから、光啓さん、その思考ヤバイですって。まあ、とりあえず飯だな、飯。葉月、お前も一緒に食うだろ。昨日饅頭落とした瞬間に、皇帝の前だっつうのに、大事な饅頭がーーーとか、叫んでたもんな。あれはマジでうけた。アホの真骨頂を見た気分だったぜ」
……アホの真骨頂って。いや、でも全く言い返すことができない。
どこに食いに行く?饅頭だと何個食べても腹の足しにならなそうだしなぁ。そんな事を言いながら、西官衙街を歩いていると、前から宰相の張震と刑部長官の湖聖仁が歩いてきた。
咄嗟に道を開けて頭を下げる。小太りの張震は葉月達の前を通り過ぎるとき、一瞬だけ足を止めた。
「お前達、釈放されたからって、いい気になるんじゃないぞ」
うわっ、嫌悪感丸出し!しかも、足元に唾吐いたし。信じられん!
カチンときたが、とりあえず目上の人間だ。葉月は不快感をおくびにも出さず、慇懃に頭を下げ続けた。
宰相の靴音が消えてしばらくして、光啓が目配せした。
「とりあえず、食堂で……」
その言葉に葉月は無言の同意を示して、静かに体を起こした。宰相達と反対方向に歩きだした光啓と之藻の後を追う。
そういえば、あの男も一緒だった……
なぜだか後ろが気になって振り返ると、同じように振り返った湖聖仁と視線がぶつかった。無表情でこちらを向く冷たい美貌から、相手の感情を読み取ることはできない。それなのに、なぜか葉月の顔は熱を持ったように熱くなった。
触れられたわけでもない、声をかけられたわけでもない。ただ、偶然目があっただけ。それだけなのに――、体の中を駆けあがっていくこの熱は、いったいなんだろう。
葉月は自分の気持ちに蓋をするように、今だじっとこちらを見る男から目をそらして、先を行く光啓たちの背中を追った。




