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ソラヨミシ  作者: こでまり
4.激雷
29/63

5

 葉月は弾かれたように顔を上げた。

 それは、私が?それとも楊柳が?いずれにせよ、死神は何かに気づいてる。やっぱり、どう考えたって、自分ごときが、この国の悪事をさばき続けてきた百戦錬磨の刑部長官を騙せるはずがなかったんだ。何をどう答えればいい?どう答えたら楊柳を守る事ができる?


「おっしゃっている意味がわかりません」


 声が震えた。視線が急速に彷徨った。それに何かを感じたのか、湖聖仁は長い睫毛をゆっくりと持ち上げた。


「わからない?あなたはわかっているはずです。嘘をついて苦しくなるのは、あなた自身ですよ」


 怜悧な瞳が葉月を捕えた。捕獲者の余裕からか、男は凍るような瞳のままどこまでも魅惑的に笑った。


「素直に吐きなさい」


 顔から一気に血の気が引いた。

 ――もう駄目だ。冷えた脳裏でそう思った。


 男が近づく。逃げなくちゃいけないのに、足が地面に張り付いたように動かない。じっとこちらを見つめる冷たい瞳から目を逸らすことができない。気づいた時には、男の指先は葉月の頬に触れていた。青ざめた頬には刺激が強すぎるほどの熱い指先に、咄嗟に目を閉じる。


 初めから無理だったんだ。死神を欺くなんて。もういい。もう無理だ。もう話してしまおうすべてを――

 葉月は息を吸い込みゆっくりと口を開いた。


「実は――」

「彼は殺人者なんですね」


 えっ?

 葉月は吐いた息を再び止めた。


 サ・ツ・ジ・ン・シャ?

 ダレガ?

 

 言葉が脳の中枢に辿り着いた瞬間、葉月は頬に伸びた男の手を思いっきり払っていた。


「違います!楊柳は殺人者なんかじゃありません」


 怒りで頭の神経がぶちぶちと切れた。黒縁眼鏡の奥から男の顔をこれでもかというくらい思い切り睨みつける。それでも、目の前の秀麗な顔はピクリとも動かなかった。

 ああ、こいつに自分の言葉が通じるわけなかったんだ。もういい。もうこれ以上の会話なんてしたくない。

 冷たい瞳から視線をはずすと、葉月は逃げるように走り去った。


 玉のような汗が零れ落ちた。息が上がって苦しい。それでも葉月はひたすら駆けた。逃げ切れる自信なんてなかったけど、あのどこまでも冷たく、感情の欠落した瞳に見据えられたくなかった。見下したような笑いで返されたくなかった。


 大通りを抜けて、胡同フートンを曲がったところで、葉月はようやく足を止めた。ここまで来れば大丈夫だろう。暗闇に紛れるように、柳の木に背を預けて息を整える。そっと衣の袖から手巾ハンカチを出した。


『遅くなったけど、誕生日の礼物プレゼント

 楊柳のはにかんだ笑顔がよみがえる。次の瞬間、堪えていた涙が堰を切ったように溢れだした。


「楊柳は……、殺人者なんかじゃない。犯罪者なんかじゃない」


 濡れた声でつぶやいて、手巾ハンカチをにぎりしめる。


 彼は、ただ――、私に手巾ハンカチをあげたかっただけだ。




※※※ ※※※ ※※※




 雨が降っていた。滝のような雨だった。遠くから雷の音が聞こえて、楊柳は雨宿りしようと高い木を探した。一本の杉の木を見つけた時には、雷はもう目の前に迫っていた。短装の袖で頭を覆ってその木の下に向かって駆けた。


 しかし、木の下には先客がいた。官吏服を着た身なりのいい男だった。大地を斬り裂く黒雨の中、楊柳の足はピタリと止まった。辺りを見渡したが、雨宿りできそうな木はその一本しかない。しかたなくもう一度駆けだそうとしたその時、辺り一帯を眩い光りが覆い、同時に地を劈く爆音が鳴り響いた。楊柳は咄嗟に目をつぶり、数秒して瞳を開けた。そして、目の前に広がる光景に衝撃を受けた。雨宿りしていたはずの官吏服の男が、地面に倒れていたからだ。


 恐る恐る男に近づく。そっと男に顔を近づけたが、すでに息はなかった。どうしよう。誰かに連絡しようか。そう思った時、男の腰袋からこぼれおちた銀貨が目に入った。ふいに、黒縁眼鏡を押し上げてにこりと笑う葉月の顔が浮かんだ。これだけあったら、礼物プレゼントが買える。ごくりと唾を飲んであたりを見渡す。人のいないことを確認した楊柳は銀貨をがばりと掴んだ。


 これは犯罪だ。そう思った瞬間、胸がドキドキと激しく鳴った。もしばれたら牢屋行きだ。証拠は隠さなきゃならない。でも、何が証拠になるかわからない。楊柳は土砂降りの雨を眺めた。ああ、そうだ雨。この雨ならすべてを消してくれる。楊柳は男を木から離れた空き地に引きずった。そうして、土砂降りの雨に紛れるようにその場を立ち去った。




※※※ ※※※ ※※※



 

 焼けつくような暑さが和らいだその日、楊柳の裁判が行われた。


 尋問が行われた石造りの部屋に、まず官吏に引き連れられた楊柳が入り、次いで恰幅のいい白髭の裁判長と涼しげな美貌の刑部長官が入った。


 裁判は粛々と進んだ。検死した医師が死因を述べた。大きな外傷はなく、皮膚にやけどの跡があったことから、おそらく落雷による心停止だろうということだった。

 医師の話に葉月はそっと安堵の息を吐いて、中央の席に座る刑部長官をこっそり見た。弓形の美しい眉に、すっと伸びた鼻梁、長い睫毛によって隠れた切れ長の瞳はいつもの冷たさを消し、遠目からだといつまでも見ていたくなるような美貌だ。でも――

 葉月は昨夜の事を思い出して、眉間にしわを寄せた。


 あの、凍るような微笑は今思い出しても震えがくる。完全に人の体温が感じられない、それこそ、死神の微笑みだった。人を侵略者扱いするような男に気持ちが動かされることなんて、絶対にないと思ってた。でも、あのどこまでも美しく、どこまでも恐ろしい微笑みを見た瞬間、自分の常識も理性もあっけなく崩れるのを感じた。あのままだったら、きっと――首を絞められながらでも――全てを話していた。


『楊柳は殺人者なんですね』

 あの一言がなかったら――


「空読み師、田葉月。官吏殺害事件の容疑者、楊柳の証言について、気象面から何か不審な点はあるか」


 裁判を取り仕切る刑部の官吏の声に、葉月は我に返った。いつの間にか、湖聖仁が射るような眼差しを向けていた。

 ああ、自分の番だ。背中が強張る、膝ががくがくする。今すぐにでも、高速ダッシュで逃げ出したい。でも、自分の証言で楊柳の今後が決まるんだ。しっかりしなくちゃ。

 葉月は黒縁眼鏡を押し上げて、静かに立ち上がった。不安そうな顔の楊柳を一瞥してから、中央で怜悧な瞳を向ける刑部長官をまっすぐに見る。


「いいえ。気象状況に嘘偽りはありません。容疑者はこの事件に関与していないと思います」


 きっぱり言い切ったその声に、湖聖仁は冷たい瞳を静かに閉じた。




※※※ ※※※ ※※※




「やったー、晴れて釈放だーーー!」


 葉月は刑部衙門から出てきた楊柳を笑顔で迎えた。短装から覗く日に焼けた腕が青空に思いっきり伸ばされる。

 

「釈放祝いに、お姉さんがなんかおごってあげましょうか?」


 腰に手を当ててそう言うと、楊柳は困り顔で肩をすくめた。


「わりい、これから行く所あるんだ」

「えっ?これから?」

「刑部長官に仕事を紹介してもらって、その人にこれから会わなきゃなんねえんだ」


 刑部長官という言葉に、思わず眉を寄せる。


「その仕事、本当に大丈夫?どんな仕事なの?」

「使用人だ、住み込みの。でも、長官の話だとその家の主人は高位の武官らしいから、住み込みで働きながら武術を磨けるだろうって」

「そう言って、こき使われるだけこき使われるんじゃない?ほら、よく言うじゃない。おいしい話には裏があるって」


 そのおいしい話のせいで、厄介事を何度も背負ったのは自分なのだが……


「それでもいい。きっとこんな話、俺には一生廻って来ねえ。こき使われたってボロ雑巾のように扱われたって耐えて見せらぁ。だからよ、飯はこの次で。給金もらったらおごってやっからよ」


 楊柳は得意そうに顎をついと上げた。子供が精一杯背伸びしているような姿に、葉月は思わず噴き出した。


「そっか、がんばんなよ。辛い事があったらいつでも相談にのるから」

「ありがと。いっけねえ。のんびりしてられねえ」


 楊柳は肩をすくめ、二三歩駆けだした。そのまま勢いよく走って行くかと思ったが、予想に反して楊柳の足は数メートル先でピタリと止まった。


「なあ、葉月」

「うん?」

「本当はわかってたんだろ。俺のやった事」


 葉月は息を飲んだ。こちらに背を向けたままで、楊柳の表情はわからなかったが、声はわずかに震えていた。胸元に入れた手巾ハンカチを、服の上からギュッと握る。


 ――ウン、ワカッテタ。キミガヤッタコトモ、ドウシテ、ソンナコトシタノカモ。


 心の中のつぶやきを隠すように、葉月は黒縁眼鏡を押し上げた。


「えっ?何が?やった事って何?」


 振り返った少年の顔が、くしゃりと歪んだ。


「なんだよ、あんたも長官も……」


 言われた言葉の意味がわからなくて、大きく瞬きすると、楊柳が歪めた顔のまま近づいてきた。 


「なあ、葉月、おめえあいつの事、好きなのか?」

「あいつって?」

「刑部長官だよ」

「はあぁぁぁぁ?」

 

 何の冗談で、私が死神の事を好きになんなきゃいけないんだ!?


「ないない、絶対にない。あんな極悪死神長官、怖すぎて、好きとか思うわけないって。昨日だって、震えあがるような怖さで……って、突然どうしたのよ、楊柳」

「今んとこ、一番の敵はあいつだからよ」

「何の敵?」


 楊柳はそれに答えることなく、人さし指をくいくいと曲げて葉月を呼んだ。その指に誘われるように少し身をかがめる。


「葉月、目えつぶれ」

「えっ?どうしたの?」

「いいから、さっさとつぶれ」


 どうしていきなり目をつぶれとか言い出したんだ?新たな礼物プレゼントとか出てきたらどうしよう。だったら、やんわりと断らなくちゃ。

 そんな事を考えながら目を閉じた葉月の額に、柔らかいものが押し付けられた。

 

「葉月があと五年経っても行き遅れのままだったら、俺が結婚してやるよ」


 …………。


 はいぃぃ?

 今なんと言いました?行き遅れのままとか、結婚してやるとか……って、その前に今おでこにあたったものってもしかして!?いや、待て、楊柳がそんな事するはずが……

 ぱちりと目を開けると、楊柳は何事もなかったかのように道の先を見ていた。


「楊柳、大人をからかうのはやめてよね」

「別にからかってねえよ」

「……まあいいや。とりあえず、ひとつだけ訂正させてもらっていい?」

「なんだ?」

「私、まだ二十四。全然行き遅れじゃない」

「つうか、もうすぐ二十五だろ。世間では十分行き遅れ。普通子供の一人や二人いる年だって」

 

 確かにこの世界ではそうかもしれないけど、私の世界では女性の適齢期は三十に引き上げられて……って、そんなことよりも、


「楊柳、あんた今何したのよ!」


 葉月がようやく混乱から抜け出した時には、楊柳はすでに駆けだしていた。


「ちょっと、楊柳待ってよ――」

「またな、葉月」


 ちょっと恥ずかしそうに笑った楊柳は、そのまま道の先に消えていった。


「もう、なんなのよ、楊柳。でも、元気そうに笑ってたから、まあ、いっか」


 視線を空に向けると、夏の陽光が眩しく降り注いでいた。


「一件落着。めでたしめでたし。……だったら、よかったんだけどなぁ」



※※※ ※※※ ※※※



「葉月様、どうなさったのですか」


 朱色の門の向こうから現れた侍女が、無表情のままそう尋ねた。


「えっと、忘れ物を取りに」

「もしかして――」


 そう言って、一旦屋敷内に戻った可欣が持ってきたのは、葉月の腰袋だった。


「ああ、それです」

院子なかにわに落ちていました」

「昨日、落としたんだと思います。ありがとございました。じゃあ……」


 辞去のあいさつをしようとして、葉月は言葉を噤んだ。

 本当の用事は別にあるんだけど……なんて切り出そうかな。


 そんな葉月の思いを察したのか、可欣が「あの……」と口を開いた。


「もしよろしければ、夕飯を食べて行きませんか」


 えっ?と思って顔を上げると、可欣は少し気まずそうに「実は作りすぎてしまって」とつぶやいた。楊柳があまりに食べるものだから、最近は量を多めに作っていたらしい。

 もしかして、彼女も楊柳と過ごす時間が楽しかったのかな。そんな事を思いながら、葉月は願ってもない誘いに「いいですよ」と首肯した。


 院子なかにわにある琺瑯の椅子に腰かけて時間を潰していると、程なくして緋色の衣を着たその家の主が現れた。疲れた仕草で烏紗帽をはずした湖聖仁は、葉月に気がつくなり切れ長の瞳をつっと眇めた。慌てて理由を話すと、男は無表情のまま「そうですか」とだけ言って自室に消えた。

 ああ、今日も不機嫌だ。っていうか、もう私なんかと夕飯なんて食べたくないって顔した。私だって、昨日の今日で、あんたとなんか顔を合わせたくないって。でも、最後にどうしても言わなくちゃいけないことがある。


 自分の罪を――

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