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ソラヨミシ  作者: こでまり
4.激雷
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2

「まさか、尋問ってここでやるの!?」


 翌日、呉桂成ごけいせいに地図だけもらって官衙街に入った葉月は、たどり着いた先、大きくそびえ立つ十字型の梁を前に、頭を抱え込んだ。


 そっか、裁判だから刑部の管轄なのか。なんで気づかなかったんだ、私。こんなことになるんだったら、頭痛とか腹痛とか、この際仮病の鉄板、女の子の日とかなんでも理由をつけて、断ればよかった。って、もしかして、今からでも遅くない?


「実は、急にお腹が痛くなって――」


 中空に向かって、つぶやいてみる。脳裏に呉桂成のどこまでも柔和で、それでいて絶対に有無を言わさない微笑みが浮かんだ。


「いや、やめとこう。どうせ、あの完璧な微笑みで、――まさか、仮病だったら、あなたの仕事を根こそぎ奪いますよ――、とか言って脅されるんだ」


 葉月はため息をついて、刑部衙門けいぶがもんに足を踏み入れた。


 刑部の官吏に案内され、尋問を行う一室に通された。人のいないがらんとした部屋の一番隅に座る。石造りの建物は涼を運ぶには効果的だったが、硬く無機質な壁は物理的な涼しさ以上の冷たさを運んできた。


 こんな所、一刻も早く立ち去りたい。


 ぶるりと震えて両腕を抱きしめる。その時、開けっぱなしの入り口にかつりという靴音が響いた。

 視線だけ入り口を向くと、色のない部屋に鮮やかな緋色が眩しく映った。烏紗帽から覗く漆黒の髪、映画俳優かと見紛う秀麗な美貌、そして、相手の心をえぐる切れ長の瞳。それは葉月が今一番会いたくない人物だった。


「シニガミ……」


 切れ長の瞳と視線がぶつかり、とっさにうつむく。


 思わず、日本語でつぶやいちゃった。それにしても、一ヶ月……半ぶり?もっと久しぶりな気がする。まあ、相変わらず冷気はハンパないな。っていうか、空気重すぎて圧死しそうだ。


 気分を紛らわせようと、前方に座った冷たい背中を眺める。


 筋骨隆々ってわけじゃないけど、けっこう広い背中してるんだな。鍛えてたっけ…………って、なに、まじまじと見てるんだ。あれはきっと、見るものを震え上がらせる、威圧という名の鎧でも着ているんだ。触らぬ神、じゃなくて、触らぬ死神にたたりなし。むやみに近づくなかれ。


 沈黙が落ちる部屋に、男が書類をめくる音だけが響いた。

 

 ああ、沈黙が重い。そういえば、最後に会話したのって、死神の家を出ていくちょっと前、あの大泣きした時だっけ。それから、会う機会もなく、そのまま呉家に行ったから、実はきちんと挨拶ってしてないんだよな。もしかして、無視してるのって、失礼?ここは、こっちから挨拶するのが礼儀?


 葉月は小さなため息とともに重い腰を上げ、緋色の衣に近づいた。

 

「……お久しぶりです」


 体一つ分後ろから小さく声をかける。


「あなたの方から挨拶してくるなんて、珍しいこともあるんですね。明日は槍でも降ってくるんですか?」


 ……相変わらず皮肉たっぷりですね。社交辞令を並べられるのも虫唾が走るけど、嫌味を言われるのも気分がいいもんじゃない。でも――

 葉月は腹の奥に力を込めた。


「直接挨拶もしないでいなくなって、申し訳ありませんでした」

「いえ、私も忙しくて帰れなかったので、気にすることはありません。呉家の居心地はいいですか?」

「おかげさまで――」


 明るく開放的なお屋敷で、美人で気さくな夫人と、笑顔の絶えない使用人達と楽しく和気藹々と暮らしています。とは言わないでおこう。嫌みの倍返しをされそうだ。


「なんとか元気にやってます」


 うん。当たらず障らず、大人な回答。


 ……。


 ……。

 

 って、会話終了かよ。まあいいや。とりあえず、挨拶はした。これで十分だ。頑張ったぞ、自分!


 一つ頷いて、踵を返す。その時、背後からざわざわと音がした。音のするほうを見ると、数人の官吏服の男と、彼らに囲まれるようにボロボロの服をきた少年が姿を見せた。それは葉月がよく見知った顔で――


「――楊柳ようりゅう!!」


 葉月は思わず叫んでいた。

 襤褸衣を来た少年が顔を上げ、瞳を大きく見開く。


「……葉月」

「あんた、まさか――」

「官吏殺害事件の容疑者と知り合いですか?」


 割り込んできた低音に耳を疑う。視線を横にずらせば、体をひねってこちらを向いた刑部長官 湖聖仁こせいじんが切れ長の瞳を眇めた。


 うそ。まさか、楊柳が人殺しをするわけがない。あの子は、言葉や態度はふてぶてしいけど心根は優しくて、プレゼントが買えないことに悲しんで、誕生日の歌に喜ぶような子だ。


「どういうこと?」

「それをこれから聞くところです。場合によってはあなたからも話を聞かないといけないかもしれませんね。とにかくこちらに座ってください」


 冷たい言葉で席を促され、葉月は半ば放心状態で湖聖仁の隣に座った。




※※※ ※※※ ※※※




「名前は楊柳ようりゅう。年は十三歳くらい、詳しくは不明。両親は不在。仕事は市街地のごみ拾い。君は国子館の方広微を殺害した容疑で逮捕されたが――」


 法を扱う刑部の官吏らしく、きつい風貌の男が楊柳に近づいて、静かにそれでも十分に威圧的な声で「君がやったのかい?」と尋ねた。

 尋問は百戦錬磨の官吏に怖気づいているのだろう。楊柳の顔は蒼白だ。


「お……俺はそんなことしてねえ。その男のことだってあの日初めて見たんだ、名前だって知らねえ」

「では、あの時の状況を詳しく説明してもらおう」


 尋問中の官吏が楊柳に一歩近づいた。少年の一語一句、一挙一動も見逃さない鋭い視線が向けられる。


「あの日俺は――」


 うつむいた楊柳はポツリポツリと語り出した。


 雨が降っていた、滝のような雨だった。遠くから雷の音が聞こえて、俺は雨宿りしようと高い木を探した。一本の杉の木を見つけた時には、雷はもう目の前に迫っていた。衣の袖で頭を覆ってその木の下に隠れた。間一髪だ、そう思って視線を移した先、土砂降りの雨の中を官吏服の男が走ってきた。そして、次の瞬間、辺り一帯をまばゆい光が覆い、官吏服の男に青白い稲光が落ちた。


 そこまで話して、楊柳は大きく息を吐いた。


「俺はただ、それを見ただけだ」




※※※ ※※※ ※※※




 楊柳への尋問が終わった後、葉月は刑部長官室に呼ばれた。重厚な黒壇の机にそれとは対照的な鮮やかな緋色の衣を載せて、湖聖仁は切れ長の瞳を向けた。


「次はあなたです。あの少年とはどういう関係ですか?」

「ただの知り合いです」

「それでは何もわかりません。どこで出会って、どういう交流を持っているのか、詳しく教えていただきましょう」


 相手の真意を見抜こうとする瞳からも、流麗すぎていっそ堅苦しく感じる鳶国官語からも逃げたくなった。


「彼と出会ったのはつい二週間ほど前です。喉が渇いて道で倒れた楊柳を私が助けたのがきっかけで、天壇前で傘売りをしていると、よく遊びに来るようになりました。たまに昼ご飯を半分に分けてあげることもありました。でも、それだけの関係です」


 湖聖仁がこめかみをぐりぐりと揉みだした。相当苛立っているらしい。


「それは厄介ですね」

「厄介ですか?そうは思いませんけど」

「いいえ――、まあそれは置いておきましょう。では、先ほどの彼の話を聞いて、どう思いましたか?」

「別に、どうも……」

「――どうも?」


 切れ長の瞳が、その眼差しだけで相手を殺せるのではないかと思うほど、鋭く光った。

 

「彼の証言を聞いて何も感じませんでしたか?空読み師の、田葉月でんようげつさん?」


 ひっ……ひえーーー。今、ロックオンされた。これが噂の狙った獲物は確実に仕留めるってやつですか!?完全殺る気モードの目してるんですけど。どす黒い笑みが余計怖いんですけど。ちょっ、ちょっと、体の震え止まらないんですけどーーー。

 葉月は小刻みに震える指で黒縁眼鏡を押し上げた。


「えっ……ええ。ただ、ああ、そうかと思っただけです」

「では、彼は無実だと?」

「彼は……人を殺めるような人間ではありません」


 死神は絶対に気づいてる。自分がこの状況を回避しようとしていることに。思考戦なんて、全くの専門外だ。それでも――、すべてを見通されていたとしても、楊柳を守らなくちゃ。


 黒縁眼鏡の奥から相手を見る。視線が左右に揺れたのはきっと恐怖からだ。

 探るような瞳が一瞬鋭く光ったことに身を強張らせた瞬間、男はその瞳を瞼の奥に隠した。


 「わかりました。裁判の時には事件当時の気象状況についてあなたにも意見を伺います。新たにわかったことがあれば、その時話してください」


 鋭い瞳から解放されたことにほっと息を吐いて、葉月は重苦しいその部屋を後にした。

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