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ソラヨミシ  作者: こでまり
2.祈雨
13/63

 ――黄梅雨――

 それは梅の実が黄色く熟すころに降る雨。


 しかし、今年に限っては……


 男物の短装の袖をまくりあげて、葉月は天壇(てんだんの門口脇にある梅の木から、黄色く色づいた梅を一つもいだ。見上げた先に広がるのは雲ひとつない青空。泰京はすでに一月ひとつき、雀の涙ほどの雨すら降らない状態が続いていた。

 綺麗に色づいた梅を手に、その場にしゃがみ込む。


「はあ、こんなに晴れ続きだと傘が全く売れない」


 葉月は眩しい陽光を浴びてキラキラと光る傘を手にとって、照りつける太陽から自らを守るように大きく開いた。


「この際、日傘ってことで売っちゃう?」


 八大はちだい胡同フートンの妓女あたりが買ってくれないだろうか。

 葉月は傘をくるくると回しながら八大胡同で傘売りをする自分を想像してみた。傘は飛ぶように売れ、照りつける太陽からその身を守るように、艶やかな妓女の頭上にくるくると傘が舞う。五色の牡丹に十色の蝶、鳳凰のような豪華な柄だって売れるかもしれない。


「これって、まさかの大発見?」


 にんまり顔で空想をかけ巡らせていた葉月は、そこではたと気がついた。妓女達がこんな真昼間に活動するはずがない。

 急に現実に戻った葉月の頭上で、カラカラと傘が虚しい音を立てた。


 春分祭から二月ふたつきが過ぎた。葉月は相も変わらず天壇前で傘売りをしている。そして相も変わらず全く売れない日々を過ごし、相も変わらず死神刑部長官宅で監視付きの居候をしていた。もらった銀貨はすべて使ってしまい今は無一文。朝晩は死神宅で食べていたが、昼飯にはありつけない日が続いていた。


「今日も昼ごはんは抜きか」


 空腹を耐えて身をかがめた葉月の視界に男物の靴が映った。どうせ毎日来る野次馬客のひとりだろう。葉月は顔も上げずに「いらっしゃいませ」と気のない返事をした。


「昼ごはん抜きって、この前の銀貨はどうしちゃったの?」


 銀貨という言葉にわずかに眉を上げる。だが、すぐに以前銀貨をジャラジャラさせてここに座っていた事を思い出した。


「あれは銀ちゃんを作るのに全部使っちゃいました」

「銀ちゃん?」

「ええ。晴れになるか雨になるかを予測する道具です」

「へー、どこにあるの?」

「持ち運びは大変なので家に置いてます」

「ふーん。で、明日の天気は?」


 「晴れです」と葉月はぶっきらぼうに言った。

 毎日来るのはこういう野次馬客だけ。暇つぶしに冷やかすだけ冷やかしていなくなるのだ。最近は毎日晴れの予報しか出さないから『お前のせいで雨が降らねえ』だの『インチキ占い師』だの言われる始末。どうせこの客もそういう輩だろう。


「それよりも、傘買わないんだったらどっか行ってくれませんかね。営業妨害で訴えますよ」


 空腹のせいか口調に棘が混じったが、野次馬客の罵声を思えばかわいいもんだ。葉月は顔も上げずに手にした傘を並べ直した。しかし、目の前の客は一向に立ち去る気配がない。もう一度語気強く言ってやろうと息を吸い込んだその時、葉月の耳に先ほどの声とは違う上品な鳶国官語が届いた。


「訴えてもいいですよ。負けるのはもちろんあなたですけれど」


 えっと……軽いデジャブ気分なんですけど……って、そういえばさっきの軽い感じの問いかけ、さらっと流したけど聞き覚えありまくりだ。まさか……

 葉月は黒縁眼鏡の奥からそっと視線を上げた。そこにいたのは――


「お久しぶりですね」

「元気だった?」


 緋色の衣を身につけた礼部長官 呉桂成ごけいせいと、藍色の衣をさらりと気流す呪術祠祭じゅじゅつしさい課課長 高光啓こうこうけいだった。


「お……おひさしぶりです」


 そして、さようなら。二度とお目にかかりたくはございません。これ以上の厄介事はごめんです。

 葉月は小さく頭を下げて、そそくさと売り物の傘をまとめだした。


「傘の売れ行きはいかがですか?」

「全然です」

「では、もっと割のいい仕事をしませんか?」

「いや、それは――」


 ――死んでもごめんです。と言いそうになったのを寸での所で飲み込んで、竹籠の中に傘を詰め込んだ。


「私は傘売りが好きなのでけっこうです」


 死神刑部長官に目を付けられて、日々監視されているだけでも寿命が縮んでいるというのに、これ以上の面倒事を抱え込んだら、葉月の心臓は崩壊必須。この一年で鍛えられたとはいえ元来ノミの心臓なのだ。


 「では、ごきげんよう」とにこやかに一礼して、葉月は勢いよく竹籠を持ち上げた。蛇に睨まれた蛙状態なのは百も承知だが、今はとにかくこの場を去るのが先だ。目も合わせず男達に背を向けた瞬間、葉月の肩は後ろに大きくひかれた。


「学習能力ないんですか。私にはあなたの仕事を根こそぎ奪うなんてわけないんですよ」


 どこかで聞いたセリフですが、夢じゃないですよね……

 恐る恐る振り返った先には、貼り付けたような柔和な微笑みがあった。


 ああ、日々穏やかに暮らしたいというささやかな願いは、またしても聞き入れられないようです。




※※※ ※※※ ※※※




 夏が近づくこの季節、泰京たいけいの夕暮れ時はにぎやかだ。まだ明るい空の下、子供たちのはしゃぎ声が響き渡る。葉月は竹籠を抱えて、泰京中を網の目のように張り巡らされた胡同フートンの一つを曲がった。人ひとりが通れるくらいの路地の先に豪華な朱色の大門が姿を現す。息をつめてその門前まで来ると、葉月は中央を飾る金色の門首を控え目に叩いた。


「おかえりなさいませ」


 しばらくして中から無表情の侍女が現れた。無言のまま一礼だけして門をくぐる。足早に院子なかにわを横切り自分のへやに入ったところで、ようやく葉月は詰めていた息を吐きだした。


――おかえりなさいませ――


 侍女は毎日同じ言葉で葉月を迎えた。しかし、葉月にはここが自分の帰る場所だなどという感情はこれっぽっちも沸かなかった。表面的には慇懃な態度を取っていても、あの侍女だって内心自分の事を快く思っていないにちがいない。そう思うと、余計に居心地が悪かった。


「どうせここを出る術なんてないんだから、考えてもしかたがないんだけどさ」


 そうひとりごちて、帳の横に竹籠を置く。代わりに高さ一メートルほどもある細長い硝子ガラス管を手に取った。次いで、卓の上から杯子コップと鉛色の液体の入った瓶を手にして院子なかにわに戻る。


「さあ、銀ちゃん、今日の調子はどうかな」


 歌うように呟いて瓶の蓋を開ける。中には鉛色の液体が重そうに揺れていた。

 皮手袋を履いた葉月は鉛色の液体を細長い硝子ガラス管に流し込んだ。試験管のように一方が閉じた硝子ガラス管にゆっくりと液体が入る。いっぱいになったところで、葉月は静かに硝子ガラス管を持ち上げた。管を満たす液体に西日が反射してきらきらと不規則な輝きを放つ。しばらくそれを眺めていた葉月は小さく呼吸を整え、次いで迷いのない動きで硝子ガラス管を逆さにすると、指ごと杯子コップの中に突き立てた。


「さて、丁か半か!――じゃなかった、晴れか雨か」


 賭博の壺振り姐さんのように威勢のいい声を上げて指を離す。それまで硝子ガラス管いっぱいに入っていた鉛が、杯子コップに浮かぶ鉛に溶けるようにゆっくりと流れだした。そうして硝子管の中の液体は下から二尺半――約七十六センチ――の所でピタリと止まった。


「高さは二尺半。昨日とほぼ変わりなし。明日の天気も晴れか」


 この不思議な道具こそが葉月が“銀ちゃん”と呼んでいる物だ。鉛色の液体の正体は水銀。硝子ガラス管の水銀の高さで空気の圧力を測っている。つまりこれは簡易の水銀気圧計というわけだ。

 原理は簡単。水銀柱の高さが高くなれば、気圧が高い=高気圧で明日は晴れ。水銀柱の高さが低くなれば、気圧が低い=低気圧で明日は雨となる。

 銀貨を全て使い果たした原因がこれだった。


 夕日を浴びて暗く輝く水銀を見つめながら、葉月は神とも鬼ともいえぬ超然とした美貌のこの家の主の顔を思い出して、鼻の頭に皺を寄せた。


「まさか、水銀があんな使い方されるなんて知らなかったんだからしょうがないじゃん」




※※※ ※※※ ※※※




「水銀がほしいんですけど、どうやったら手に入るか知ってますか?」


 一月ひとつき半前の食事時、葉月は目の前に座る秀麗な顔の男にそう尋ねた。


「何ですって?」


 箸を持つ男にしては綺麗な指がピクリと止まり、流麗な鳶国官語が今はその特徴を完全に消して、葉月の耳に突き刺さった。


「えっ?だから、水銀がほしいって……」


 そう言った瞬間、切れ長の瞳を縁取る長い睫毛がゆっくりと持ち上がった。露わになった漆黒の瞳から放たれるのは、真冬の冷気のごとく冷たい視線。


 えっ、まさかのお怒り?

 そんなにまずい事を言っただろか。極悪人もバッサリ切り殺しそうなこの視線には、この一月ひとつきで慣れてきたつもりだったが、これは本気で怖い。体中に震えが走って、葉月は思わず自分の体を抱きしめた。この際だから目も耳もふさいでしまいたい。そんな得体のしれない恐怖にかられた葉月は、次に男が探るように聞いてきた言葉に瞬時には反応することができなかった。


「暗殺に使うつもりですか?誰かに飲ませて殺そうという魂胆ですか?」


 ……へっ?たしかに、水銀は毒性があるけど……って、それじゃあ、私が水銀を使って暗殺を企てているってこと!?

 葉月は千切れるのではないかというくらいの勢いで首を振った。


「違います!誰かを殺そうだなんてこれっぽっちも考えていません」


 暗殺者扱いされて、処刑台行きなんてことになったらたまったもんじゃない。


「ちなみに、この国を侵略とかも考えていませんからね」


 念押しも忘れない。

 葉月の弁明を黙って聞いていた湖聖仁こせいじんはその長い睫毛をゆっくり伏せた。瞳だけで射殺しそうな強烈な視線が陰ったことに、葉月はほっと胸をなでおろす。

 改めて見ると同じ人間とは思えない美しく整った顔だ。思わず見惚れてしまうのは葉月ばかりではないだろう。でも中身は顔色一つ変えず人を斬る極悪死神刑部長官だというのだから、天は二物を与えたのか否か。


「まさか自殺でもするつもりですか?」

「……そんなこと考えてません」


 「それでは――」と湖聖仁は長い睫毛を再び持ち上げ、切れ長の瞳をゆっくりと眇めた。


「不老不死の薬を作るんですか?」


 ……。


「……は?」


 不老不死?それって永遠に若さを保ったまま死なないっていう、古今東西の権力者がみなほしいと願ってやまないけど、未だにそんなこと出来ないっていうあれですか?

 何かの冗談かと思って切れ長の瞳を見つめたが、その瞳は少しも笑っていなかった。


「それはどういうことでしょう……」


 毒毛を抜かれきょとんとした顔でそう問いかければ、湖聖仁は盛大な嘆息とともにこめかみを指でぐりぐりと揉みこんだ。それがこの男がいらついた時の癖だというのは最近になって気がついた。つまり今は相当不機嫌らしい。


「水銀の元である辰砂しんしゃは不老不死の薬“仙丹せんたん”の原料として昔から珍重されてきたんです。もちろん今ではそれが毒であるとはっきりわかっていますが、民間では未だに信じている輩も多いんですよ。その様子だとそれすら知らなかったみたいですね」


 そんな事知っているわけがない。葉月は半開きの口のまま、壊れた人形のようにコクリと頷いた。


「あなたが煉丹術れんたんじゅつを駆使する道士にでもなるのかと思いましてね。ちなみに、過去に道士がその怪しい術で宮廷を牛耳ったことがありましたがご存知ですか?」

「いいえ、道士という存在すら知りませんでした」

「ええ、私が一掃しましたから」

「……はいぃぃ?」

「道士に傾倒していた当時の貴妃は仙丹せんたんを愛飲してくれたおかげで勝手にあの世へ行ったんですが、病原の道士はどうにもなりませんでしたので。現王に代替わりした際、私が――」


 湖聖仁は笑った。ぞっとするほど暗く冷たい瞳で。


「――全員の首を刎ねました」


 その拍子、葉月の箸から人参が跳ね飛んだ。 


 相変わらずさらっととんでもない事いいますね。日本っていうぬるま湯育ちの私には刺激が強すぎます。

 背筋を冷たい緊張が流れおちたが、それでも葉月は努めて冷静なふりをして、何でもないことのようにもう一度人参に箸をつけた。


「そうですか。それはお疲れさまでした」


 部屋に気づまりな沈黙が落ちた。


 えっと、何か話を……って、全く思いつかない。だって、どうやって人殺しの話を広げろっていうんだ。私はただ水銀がほしいって言っただけなのに。


 内心汗をだらだらかきながら黙々と菜を口に運んだ。いつもはさすがお貴族様の家の料理人は腕が違うと舌鼓を打ちまくる数々の菜も全く味がしない。そうして、全てを食べ終わるという頃、短い嘆息とともに湖聖仁が口を開いた。


辰砂しんしゃは高いです。それを製錬所で水銀に加工するとさらに値が張る。この前もらった給金なんてすぐに消えますよ」

「……かまいません」

 

 食後の茶をごくりと飲んで、男は席を立った。


「わかりました。知り合いを紹介しましょう」


 緋色の衣の裾をはためかせて部屋から出て行く男の姿を、葉月は言葉もなく見送った。相変わらず何気ない動作すら目を見張る男だ。何度も繰り返すが、その美しい顔の下に、一切の情もなく斬首する冷酷な死神の一面があるなど、誰が思うだろうか。


 結局、男は本来の使用目的を一切聞いてこなかった。その部分への興味はとうになくなったらしい。 


 ――そして数日後、湖聖仁に漢方医を紹介された葉月は、彼の伝で水銀を手に入れた。


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