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ソラヨミシ  作者: こでまり
1.春分
12/63

10

 パチパチと瞬きをして目を開ける。ぐるりと辺りを見回したが、その部屋には見覚えがなかった。


「あれ?ここは……?」


 ぼんやりした視界のまま横を見ると、寝台脇に黒縁眼鏡があった。手を伸ばして取ろうとしたその時、部屋の扉がギイと開いた。


葉月ようげつ、起きた?どっか痛い所ある?」


 呑気な声に慌てて眼鏡をかける。レンズの先にいたのはキラキラと眩しい笑顔のイケメン男だった。


「……高課長」


 どうやら自分はまだこの世界にいるらしい。わずかに失望して、それでもそんな素振りなど見せずに、葉月は体をぺたぺたと触った。


「大丈夫みたいです」

「じゃあ、これ薬湯だから飲んで」


 葉月は茶碗を受け取ってごくりと飲み込んだ。喉を苦みが通り抜け、思わず顔をしかめる。一息ついた所で葉月は周囲に視線を這わせた。


「あの、ここは?」

「内城の太医院たいいいん。やっぱり風邪だったね。熱で丸一日寝込んでたんだよ」

「そうですか。助けていただいてありがとうございます。それで、春分祭は?」

「無事終わったから、安心して」

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」


 深々と下げた葉月のに向かって、高啓が笑いかけた。


「謝る必要ないよ。葉月ようげつのおかげで最悪の惨事は免れたんだから。文治帝も葉月ようげつの勇敢な行動を称賛してたよ。特別に試験免除で官吏にしてもいいとか言ってたけどどうする?」


 どうやら、文治帝は自分を男だと勘違いしているらしい。


「魅力的な話ですけど、物理的に無理です」


 薬湯の入っていた椀を寝台脇に置いた。どうせ笑われるんだろうと思ってゆっくりと顔を上げたが、意外にもいつもの爽やかな笑顔は消えていた。


「空読み師として特例で呪術祠祭課に来てほしいって言ったら?」


 特例で呪術祠祭課に……そんなことも可能なのか。

 少し考えた葉月だったが、すぐに首を横に振った。うつむきながらそれでもはっきりと言う。


「私は傘売りですから」


 そっか……。というため息交じりの声が静かな部屋に沈黙を落とした。


 これ以上この世界に深くかかわってしまってはいけない。そのいい例が今回の事だ。自分はもともとこの世界にはいない人間。だから、この国に自分を残してはいけない。例えば、歴史を変えてしまったり、ないとは思うけれども子供を作ったり……。


「じゃあさ、嫁に来ない?」


 そうそう、嫁とか……。


「って、嫁?誰の?」


 葉月は顔を上げた。少し垂れたその瞳は真っ直ぐと葉月に向けられていた。目がばちりとあって一瞬息が止まる。

 なにか言わなくちゃ。

 慌てて言葉を探していると、高啓が面白そうに笑った。


「本気にした?」

「へっ?」

「冗談だよ」

「はっ?」

葉月ようげつ、面白すぎ」


 冗談?面白すぎ?それって……


「からかったんですかー!!」


 いや、まさかとは思った。そんなことあるわけないとはわかっていた。でも人生初めてのプロポーズだったのだ。


「もう、出て行ってください!」


 顔が真っ赤になるのを抑えられない。頭上から笑い声が聞こえたが頭を上げられない。葉月が両手で頬を覆っていると、布団の上に白い包みが置かれた。

 

「なんですか、これ?」

「給金」

「……いいんですか?」

「もちろん。春分祭は無事終わったからね。ーーじゃあね」


 去り際に、頭をくしゃりと撫でられた。


「この感触、子猫を撫でてるみたいで気にいってたよ」


 頭から体温が離れたと同時に、藍色の衣が視界から消えた。


「行っちゃったか……」


 胸に湧いた寂しさを苦笑いで誤魔化して、葉月は目の前の白い包みをそっと開いた。隙間から零れるように銀貨がボロボロと落ちる。


「うそ、こんなに?」


 感傷的になっていたのなど一瞬で忘れて、葉月の瞳はキラキラと輝いた。白飯たらふく魚付き、いやいやこれは肉もいけちゃうって。

 銀貨を両手で持ち上げてジャラジャラと鳴らす。


「この音、たまんない。大判小判がザックザク。まるで花咲か爺さんの気持ちだよ」


 そんな風にして葉月は何度も銀貨の音を堪能した。



※※※ ※※※ ※※※



 熱が完全に下がった葉月は内城を出た。ジャラジャラと心地いい音を鳴らす銭袋ににんまりして街をぶらつく。


 このままトンズラしたいけど、さすがにあの男の所に行かなきゃダメだよな。


脳裏に冷然と見下ろす湖聖仁の顔が浮かんだ。

あの男なら葉月が死に物狂いで隠れても、絶対に見つけるだろう。そのまま処刑台に直行など絶対にごめんだ。


「でも、その前にまず飯。白飯に魚に肉も食べてやる!」


 重さで破れそうな銭袋を両手で握りしめて、葉月は泰京一の繁華街泰京大街にくりだした。欲望のままに食べまくり、街をぶらつき男物の短装を買ってその場で着替えた。そうして、辺りがすっかり暗くなる頃ようやく帰路についた。


葉月ようげつ様、お帰りなさいませ。旦那様がへやでお待ちです」


 屋敷に着くなり、生真面目な顔をした侍女に乱れのない礼で迎えられた。


「ただいまってここ私の家じゃないし。しかも、お待ちされなくていいんだけど」


 ぶつぶつ言いながら案内されたへやの前で名前を告げる。


すぐに「どうぞ」と低いながらもよく通る声が聞こえた。

この声は案外耳に心地いい。そんなことを思いながら、葉月は一礼して帳を開けた。


 そのとき、湖聖仁こせいじんは机に向って何か書き物をしていた。いつもの緋色の官吏服ではなく濃紺の長衣を着ている。漆黒の髪は背中で一本に縛っただけでゆるく下していた。

 筆を硯に置いた聖仁がゆっくりと振り返った。と同時に、整った眉が訝しげに歪む。


「なぜ、男物の短装を着ているんですか?」

「こちらの方が楽なので」


 その答えに納得したのかしていないのか、聖仁は男のくせに長い睫毛を伏せ、指先をこめかみに当ててぐりぐりと押した。かなり不機嫌らしい。


 何気ないしぐさまで怖いなんて、さすが極悪死神刑部長官。


 相変わらず心の中で毒づく葉月に、聖仁は淡々とした声で「体調はどうですか?」と言った。


「おかげさまで、すっかり元気になって、泰京大街で白飯たらふく食べてきました」


 男の長いまつげが揺れ、薄い唇の端が綺麗に持ちあがる。

その悪魔のような微笑みに全身が総毛立った。


 恐ろしい。恐ろしすぎる。


 どうやら笑っているらしいが全く楽しそうに見えない。笑顔が恐ろしいなど呉礼部長官以来。しかし、こちらは魑魅魍魎、類型異形の類だ。

葉月は身震いしながら、それよりもーー、と思った。

道中考えたことを言わなくては。 

「えっと、実は、今回の仕事の報酬をいただきまして、これをシニ……、湖長官にお渡ししたいと……」

 

 そう言って葉月が差し出した銭袋に、聖仁はピクリと片方の眉を上げた。


「どういうことですか?」

「こちらでお世話になった生活費兼、釈放費みたいなものです」

「釈放費?」


 目の前の柳眉がゆがみ、漆黒の瞳が眇められる。その瞬間、部屋の温度が十度以上下がった。 

 

うわっ、マジで怖い。背後にブリザード見えたし。


 この絶対零度の瞳を真正面から見て話すなど、到底無理なことだった。葉月はとっさにうつむいた。


「この国を征服するつもりはさらさらないんで、これで許して――」


 ――もらえませんか。という葉月の言葉はいつの間にか目の前に近づいていた濃紺の衣に遮られた。


「何寝ぼけたことを言っているんですか。こんなはした金で許してもらおうなど甘すぎですよ」


 は……はした金!?

 自分にとっては豪遊してもしきれないくらいの大金だ。それをはした金と言われるなんて。

 怒りで顔を上げようとした瞬間、男性のものとは思えない白くきれいな手が視界に入った。すらりと伸びた人差し指が葉月の顎を持ち上げる。見上げるくらい高いところに、視線だけで相手を射殺しそうな漆黒の瞳があった。


「あなたが何と言おうと監視は続けさせてもらいます」


 何か言葉を発する前に白い手はすっと葉月から離れた。そうして混乱を極めて何を言っていいのか皆目見当もつかない葉月をよそに、聖仁は再び椅子に座った。


「あの、私はただの傘売りなんです。この国を征服するつもりも、誰かを暗殺するつもりもさらさらありません!」

「昼間傘を売ろうが何をしようがあなたの勝手ですけど、この家にいなさい」 


 ピシャリと言われ、葉月の胸にふつふつと怒りがわいた。

どうしてこの男には、いつも自分の話が通じないのだ。

 まるでとぐろを巻く蛇のように、体中を駆け巡った怒りが脳天に達した瞬間、葉月は銭袋を思いっきり床にたたきつけた。

ガチャランという金属音と共に袋から銀貨がはじけ飛ぶ。


「私の言葉ちゃんと聞こえてます?相手の話はきちんと聞くって子供の頃習いませんでしたか?」


 突如響いた金属音に、聖仁がゆっくりと振り返った。その顔は能面のようにピクリとも動かない。


「聞こえていますよ」

「じゃあ――」

「私が言いたいのはあなたの帰る家はここだということです」


 えっ……?

 言われた言葉の意味がわからなかった。頭が真っ白で言う言葉が浮かばない。

そうして、呆然としたまま微動だにしない葉月に、聖仁はゆっくりと言葉を切って言った。


「この家に帰ってきなさい」

「私の帰る場所はこの世界にはありません」

「じゃあ、私が作りました。ここがあなたの帰る場所です」


 どうしてーー。


 異世界に来て一年。食べるのにも困るほど大変だった。一人は辛くて苦しくて寂しかった。本当はいつだって誰かに頼りたかった。帰る場所がほしかった。それなのに、どうして葉月が誰かに言ってほしくてたまらなかった一言を、よりによってこの男が言うのだろう。


「その言葉あなたにだけは言われたくありませんでした。処刑場に連れて行かれたときだって、市井に投げ出されたときだって手を差し伸べてくれなかったじゃないですか。あの時、本当はすごくすごく怖かった。言葉も何もわからなくて不安だった。明るい家庭の光を見ながら空腹に耐えきれなくて残飯をあさった、そんな私の気持ちがわかりますか?軽々しく帰ってこいだなんて言わないでください!」


 葉月は相手がこの国を牛耳る長官だということも構わず怒鳴り散らしていた。レンズ越しに見える景色がゆがんだが歯を食いしばって眼鏡を押し上げる。

 こんなところで泣いてたまるか!


 聖仁は葉月をじっと見ながらゆっくりと口を開いた。


「あなたの気持ちはわかりませんけど、別に軽々しく言ったわけでもありません」

「じゃあ、どんな気持ちで言ったんですか!?」

「あなたが私を憎むことで生きていけるならいくらでも憎みなさい。憎みながらこの家に帰ってきなさい。――という気持ちです」


 この男は頭がおかしいのか。 どこの世に憎いやつの家に帰って来たい人間がいるというのだ。

 相変わらず男の言っていることは支離滅裂で、少しだって納得できない。渾々とわき出る泉のように男に対する罵詈雑言が次から次へと浮かんだ。それなのに言葉は一つも声にはならず、それどころか、なぜだか葉月の肩からわずかに力が抜けた。

 しかたがない。憎めというのなら――。


「では、心置きなく憎ませていただきます」


 眼鏡の奥から睨みつければ、聖仁は冷たい瞳を緩めてかすかに笑った。


「ご自由に」


その笑顔を見て、葉月は思わず後ずさった。


 う、うれしそうに笑いやがったよ。どういう神経しているんだ?もしかして見た目ドSで中身ドMとか?うわっ、面倒くさっ!こんな意味不明な男のことなどわかろうとしない方が賢明だ。さっさと立ち去ろう。


 勢いよく帳を開け、礼も言わずへやを出る。しかし、廊下を一歩踏みしめたところで足が止まった。

 言動は支離滅裂、行動は意味不明。この世界に来た自分を窮地に陥れて、いまだに自分の事を侵略者扱いしている優しさの欠片もない死神男。だけど――


「言い忘れてましたけど、春分祭の時は助けてくれてありがとうございました。それから、一年前処刑台から落ちた時も助けてくれてありがとうございました」


 全くもって不本意だが、自分は二度もこの男に助けられたのだ。

 背後からくすくすという笑い声とともに、低音の声が耳をくすぐった。


「どういたしまして」


 いったいどんな顔で言ってるんだか。

 葉月は振り返ることなく、部屋を後にした。




※※※ ※※※ ※※※




 結局、葉月は湖聖仁の家で監視付き居候を続けた。どうせ逃げたってあの男の事すぐに見つけ出すだろう。無駄な労力は使わないことにしたのだ。

 考えてみれば――全くの不本意だが――異世界人としての自分を知っているのはあの男だけだったりする。結局自分はどこかで元の世界との繋がりがほしかったのかもしれない。


 そうして、葉月は今日も泰京の南にある天壇の前で傘を広げた。短装の袖をまくりあげて気合を入れる。


「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。これから明日の天気を予想してみせましょう」


 天壇前の広場に響き渡った声に、将棋を指している男や昼寝をしている男たちが一人また一人と集まってきた。


「お前の予想は当たらないじゃないか」


 常連の男の言葉に葉月は黒縁眼鏡を押し上げてにやりと笑った。


「そんなことございません。明日の天気はあなたでも当てられます」

「へっ?俺でも?」

「ええ、明日は朝から晩まで雲一つない快晴。鳶国晴れとなるでしょう」

「そりゃあ確かに俺でもできる」

「でしょ。さあて、今日からあなたも空読み師になれます。どうぞこの傘を買って天気を予想してみてください」


 傘を一つ広げてくるりと回してみせれば、人垣がどっと沸きあがった。


「久しぶりに現れたかと思ったら、そういうオチかよ」

「こんな晴天で傘なんて売れるわけねえだろ」

「明日はもっと頭をひねってこい」


 一通り野次を言って、男たちは蜘蛛の子を散らすように消えていった。誰もいなくなったその場所にはカラカラと傘を回す葉月だけが残った。


「やっぱり売れないか」


 広げた傘を見上げて葉月はつぶやいた。それでも、以前のような悲壮感はない。なにせ今は手元に銀貨がたんまりとあるからだ。ちなみに、あの日、聖仁のへやで投げつけた銀貨は朝になるとそっくりそのまま葉月のへやに置いてあった。

 あの男が何を考えているかはわからないけど、いただけるものはありがたくいただこう。


「あのお金、何に使おうかな?」


 白飯たらふく食べてもあまりそうだし、傘を買い足しても売れそうにないし……


「そうだ、あれを買おう」


 葉月は眼鏡を押しあげて、にんまりと笑った。霞がかった空からは柔らかい日差しが降り注いでいた。



 ≪春分 完≫

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