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第二章~目撃

 それは、周詠が街を出てから三日目のことだった。

 いつも通りに夜明け前にテントで目を覚まし、小川で顔を洗い、水を飲んでから、日課の稽古を始めた。

 

 足を肩幅に広げて立ち、膝を柔らかく緩めて、腰をわずかに落とし、背筋を伸ばし、腕は大木を抱えるような形にして、両掌は珠を持つように構える。

 そのままの姿勢で深呼吸を繰り返しながら、氣を廻らせる。


 やがて、東の空が白み始めると、朝の新鮮な氣が沁みこんでくる。

 新鮮な氣を体に納めるには、まずしっかりと吐くことだ。夜間、特に睡眠中は、生理活動が低下しているので氣が澱みやすい。

 その澱んだ濁氣を捨てて、新しい氣を納める余地を作るのだ。

 ただし、新鮮な氣だからといって、無理に取り込もうとすると、かえって氣が滞ってしまう。

 吐いた分だけ納める。納めたら吐く。その繰り返しだ。

 氣は溜め込むものではない。滑らかに循環させることが大事なのだ。


 やがて体の隅々まで氣が廻り、筋肉も、内臓も、腱も、神経も、骨も、全てが柔らかく緩み始める。

 周詠の体が、雪解け水のように静かに流れ始めた。

 その流れの方向を、意念で導く。

 掌を下ろし、指先から滴る氣を大地とつなげる。

 波が寄せて返すように、また掌が舞い上がる。

 体幹が捻られて、それについていく両腕が円を描く。


 いつの間にか体幹は腕に導かれるように向きを切り返し、歩が進み、両掌が重なり、静かに前方へ差し出される。

 その掌の進みはひどく静かだったが、有無を言わせぬ力強さがあった。

 その強さと鋭さが解きほぐされ、掌が円を描き、胸の前で何かを抱きかかえるように向かい合った。

 小さな円と大きな円が、手で、足で描かれ、組み合わされて、大小とりどりの球を作った。

 その球を撫でるように、浮かべるように、地に沈めるように。

 掌は優雅に舞い、そして時折、拳脚が翻った。


 ・・・それは、太極拳だった。

 周詠はタンクトップとスパッツだけの姿だったが、緩やかな動きでも、全身が汗ばんでいた。

 套路を数回繰り返し、二時間ほどの稽古を終えると、小川でタオルを固く絞って体を拭き、アオザイとトレーニングパンツに着替えた。 


 デイバッグから、昨日集めた木の実や果物、種子などを取り出して、朝食を摂った。

 野営を始めた頃は、街から持ち出した食料で済ませていたが、現地で調達した食料のほうが、体がよりリフレッシュされると気付いてからは、街から食料を持ち出さなくなった。

 それに、食べ物を探すこと自体が、感覚を研ぎ澄ますための訓練になっていた。

 食事を終えた周詠は、テントをたたんでデイバッグを担ぐと、街への方角を確認した。

 周詠は、街で太極拳を生業としていたから、より自然な氣を蓄え、技を磨くために・・・というのを表向きの理由にして、月に四~五日は、こうして街の外で野営をしていた。

 だが、野営の理由はそれだけではなかった。


 彼女は街に蔓延する邪氣が苦手だった。

 邪氣という表現がピンと来ないなら、閉塞感といい換えてもよい。

 霊的な世界に馴染みがあるなら、瘴氣というほうがわかりやすいかもしれない。

 断っておくが、周詠は人間嫌いではない。

 むしろ人間が好きで、街での生活も楽しんでいる。


 だがそれでも、苦手なものは苦手だった。

 初めてそれを自覚したのは、小学生の頃の野外学習で、三日ほど街の外へ出た時だ。

 小学校低学年の行事だったから、街から数キロ離れただけなのだが、急に心が軽くなったのだ。

 級友たちとキャンプをするのだから、開放的な気分になるのも当然だが、それにしても気分爽快だった。


 その心のあり様は、体にも影響していた。

 急に身体能力が上がったのだ。

 周詠の家は、代々太極拳の技を受け継ぐ家系で、周詠の老師は父親だった。

 普段は甘いくらい優しい父だったが、稽古中は厳しかった。・・・そんな父が、目を丸くするほど、技のキレが増していた。

 ただ、はっきりとその効果が持続したのは一週間ほどだった。

 街での生活を続けるうちに、次第に体が重くなり、気がつくと体の動きも元に戻っていた。


 もっとも、慣れてしまえば別に不愉快ではなかった。

 (まあ、普通に戻っちゃったな)という感覚だった。

 だがその後も、機会があって街の外に出るたびに、身も心も軽くなるという経験を繰り返した周詠は、さすがに(これは何かある)と考えるようになった。

 (太極拳のような、氣を練ることを重視する武術をやっているから、環境の変化に敏感になるのかもしれない)と思い、父親に相談もした。

 

 「そういうことも、あるかもしれない。実は俺も、街の外へ出ると心身が軽くなるような気がするんだ。だが、お前ほどはっきりと・・・そう、技のキレにまで影響することはないな。まあそれは、お前と違って俺が凡人だからということもあるだろうがな」父はそう言って笑った。

 当時十二歳だった周詠にとって、父はまだまだ偉大な老師であり、とても凡人とは思えなかったので、(じゃあ私が街から出ると心が軽くなるのは、太極拳とはそれほど関係ないのかな)とも考えた。


 だが、周詠は確かに天才だった。

 物心のつく前から修行を始めていたとはいえ、十八歳で家伝の太極拳の全伝を会得してしまったのだ。

 周詠の家に伝わっていたのは、楊式太極拳の大架式と小架式の套路と、単推手と四正推手、それに棍法だった。

 その全てにおいて師である父を圧倒した彼女は、自分の特別な才能を認めざるを得なかった。

 だが、父への敬意が薄れることはなかった。

 武術の技量が人間性とイコールではないことを、彼女はちゃんと理解していたからだ。

 ただ、武術が生活そのものになるほどの境地に達した周詠は、街に蔓延する邪氣を、より敏感に察知するようになっていた。


 その後、大学を卒業した周詠は、太極拳の腕を活かして就職した。

 仕事に就いてからは、こうして定期的に街の外で数日を過ごすようになった。

 技の向上のために・・・というのは、周囲を納得させるのに便利な方便だったが、実際には邪氣からの退避行動というのが、その主な理由だった。

 周詠が、そんな本音を知人にポツポツと洩らすと、半数以上が「気持ちはわかる」と答えた。

 学生の頃は、周詠の言うことを理解してくれるのは、せいぜい三割程度だった。

 だが、大人になるにしたがって、そういうことに敏感になるのか、あるいは邪氣が増えているのか?共感する者は年を追うごとに増えていった。


 二十九歳になった現在、もう周詠は邪氣のことを人前では口にしなくなっていた。

 答えを聞くのが恐くなっていた。

 みんな、邪氣のことを、感じていながら感じていないフリをしているだけなのでは?そんな疑いが、頭をよぎるようになっていた。 

 

 方角を確認した周詠は、街を目指して走り始めた。

 彼女は、走れない武術家は武術家ではない、と考えていた。

 だが同時に、無闇にバタバタと足を動かすことが、走ることではないとも考えていた。

 (重要なのは、むしろ体幹だ)と。

 体幹の動きに、十分な柔らかさとキレがあれば、足の動きは勝手についてくる。

 だから極端な話、両脚がなくても「走る」という動きは可能だ。

 そして、その柔らかさとキレこそが、武の技のキレにつながる。


 だから周詠は、走ることを重視していた。

 行住坐臥を走るという意識で貫き、走るように歩き、走るように立った。

 日常生活の中に、どれだけ自然に稽古を織り込めるかで、武術家の技量が決まるからだ。

 太極拳は・・・特に楊式太極拳の套路は、ゆっくりとした動きだけで構成されているので、動きのキレやバネといったことは軽視されやすい。

 氣で攻防するのだから、そんなものは必要ないという者もいる。

 (それは、文明人の誤解だわ。昔日の武術家にとっては、走れるというのは当たり前のことだったはず・・・走れる、バネがある、動きにキレがあるという前提で、太極拳の套路は編まれている)周詠はそう考えていた。


 街の外で過ごす数日間は、心ゆくまで走った。

 睡眠と、日課の稽古と、食料を採集する時以外は、ほとんど走っていた。

 いつも、海まで走っていた。

 野営する日数の中日に、海に着くようにコースを設定した。

 海に着いたら、砂浜や岩場に座ったり、だらだら歩いたり、ボーッと水平線を眺めたりして数時間を過ごした。


 海にはいつも、周詠しかいなかった。

 海は現在、人間を直接脅かしてはいない。

 だが、一度海から離れた暮らしが身についてしまった人類は、安全な街から出ようとはしなかった。

 周詠はよく、裸足で波打ち際に立ち、足を海水に浸しながら、ひどく大雑把な境界線の上に立っているような感覚を楽しんだ。


 今回の野営は四日間の予定だった。

 二日目の午前中に、目的地の砂浜に着き、昼食と昼寝の後に、来た道を返して街へ走り始めた。

 予定よりも速いペースだった。

 (この分だと、今日中に街に着いちゃうわね)

 だからといって、歩くつもりもなかった。

 (適当に寄り道でもしようか・・・)そんなことをボンヤリと考えていた。

 その時だった。

 

 地平線の向こうから、何かが走ってきた。

 それは・・・一頭の牛だった。

 近くに群れの気配は感じなかった。

 (単独で走る牛なんて、珍しいわね)・・・と思っていたら、そのはるか後方に、牛とは違う生き物の群れ・・・人間の一団を発見した。

 「ネイティブか。狩りの最中なのね。でも・・・牛?」


 周詠は、ネイティブの狩りが基本的に持久狩猟なのも、大した武器を持っていないことも知っていた。

 (彼らが牛を群れから一頭だけ追い立てるなんて・・・どうなんだろう。何かの理由で群れから離れた牛と、たまたま出くわしたのかな。でも、もしあの牛が、逃げるよりも戦うことを選んだら・・・)

 その心配が当たった。

 牛が急停止して、追跡集団のほうを向いたのだ。

 だが驚いたことに、狩人たちはスピードを落とそうとしていなかった。


 「えっ・・・?」

 周詠は思わず声を上げて、先頭の狩人を見て・・・目を疑った。

 どう見ても、まだ十代と思しき少女だったからだ。

 それは・・・ウタリだった。

 気がつくと、周詠は全力疾走をしていた。

 街の人間が、ネイティブの生活にお節介をやくのは感心しないが、場合によりけりだ。


 (早く、速く・・・あの子が、殺されてしまう・・・)

 だが、助けに入るには距離があり過ぎた。

 たっぷり三百メートルは残して、牛がウタリに突進を仕掛けた。

 (駄目だ、間に合わない・・・)

 周詠は、ウタリが牛に跳ね飛ばされる場面を創造して、背筋が冷たくなった。

 次の瞬間、本当に背筋が凍りついたような気がして、足が止まった。

 確かに牛に轢かれたかに見えたウタリの姿が、消えたのだ。


 目標を見失った牛も、それを見つめる周詠も、混乱していた。

 その混乱した視界に、突然ウタリが現れた。

 牛の首筋のそばに、ひっそりと立っていた。

 4,0という、街の人間としてはかなりの視力を持つ周詠だったが、ウタリの動きは見えなかった。

 走ること、動きのキレを重要視している彼女にとっては、二重のショックだった。

 いくら速く走れても、実際の戦いでは、ただ突っ込むだけでは通用しない。間合いを詰めるまでは、歩いたり、跳んだり、角度を変えたりと、色々な工夫をする。

 それが技や術というものなのだが・・・

 (あんな出鱈目な機動力があれば、そんなの要らないじゃない)


 そして、牛もウタリに気付いた・・・時には、ウタリの拳が炸裂していた。

 周詠の全身から、ヘナヘナと力が抜けて、膝が地についた。

 「牛が・・・死んだ。あんな・・・女の子の拳で・・・」

 近寄って確認するまでもなかった。ウタリの拳には、牛を絶命させるのに十分な力があった・・・太極拳の達人である周詠には、その力がはっきりと見て取れた。

 衝撃だった。

 (今まで、私がやってきた修行は何だったの?)自問しながら立ち上がり、フラフラと歩き出した。

 その歩みは次第に早足になっていた。まっすぐにウタリを見つめながら。

 

 ウタリは何かを探すように、キョロキョロと視線を動かしていた。

 その視線が周詠の視線とぶつかった。

 「あの・・・」周詠は口を開いてから、(翻訳機を持ってくればよかった。方言しか話さない部族だったらどうしよう?)と後悔したが、もうどうにもならない。

 「あの・・・こんにちは。私の言葉が・・・わかる人は、いますか?」

 「わかるよ。お姉さんて・・・私のお父さんみたいに、スラスラした話しかたをするんだね」ウタリが答えた。

 それは、ネイティブ特有の訛りがあったが、確かに公用語・・・アジア・ブロックの第一公用語の、中国語だった。

 周詠はホッとして、思わず微笑んでいた。

 「ありがとう。私は、シュウエイ・・・周詠といいます」

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