第十六章~還虚
「用意はいい?」
周詠は、自分自身を鼓舞するように問いながら、両掌を鬱氣に添えた。
「ああ」
「はい」
徹芯は右拳を脇に構えた。
佳澄は左掌背を鬱氣に添え、右掌を顔のそばに立てた。
「始めましょう」
劉翔も腰を落とし、右拳を腰にとった。
「じゃあ、いち、にの、さん!で打つわよ。劉が打つタイミングは任せるわ」
「了解」
「ふう・・・んっ・・・いち、にの、さんっ!」
掛け声と共に、周詠は双按を、徹芯は正拳突きを、佳澄は鎧徹しを、鬱氣に叩きつけた。
鬱氣にとっては、蚊に刺されたほどにも感じない微力な勁だったが、それらは確かに鬱氣の内部に浸透していた。
劉翔はそれを見逃さず・・・
「ふんっ!」
気合い一閃、右拳から放った勁で三人の勁を拾う。
四人の勁は共振し、混じりあい、拡散して、鬱氣の内部を浸蝕していった。
バイローチャナを覆う無数の黒い粒子が、ランダムに白、黒、灰色と変色を続けて・・・やがて、三色のまだら模様のまま、動きを止めた。
「やった・・・」
「よっしゃ、上出来!」
「止まったわ・・・」
「まだよ。今はただ、動きが止まってるだけ。ウタリ、チャンスよ!今なら、あなたの拳で・・・ウタリ?」
だが、ウタリは立ち尽くしていた。
ウタリは・・・声を聞いていた。
今、ウタリに力を貸しているのは、人間だけではなかった。地球上のあらゆる動物、植物、昆虫、微生物までもが、この星の生命の危機を察知し、その危機を回避する可能性を持つ者・・・ウタリに、氣を同調させていた。
だがそれは、決して好意的な協力ではなかった。
(またか・・・)
(これだから、人間は)
「・・・誰?」
(私は)
(我々は)
(この星の有機生命の)
(無意識の、集合体だ)
(地球の、人間以外の有機生命はすべて)
(私と)
(我々を通して)
(私たちの中で)
(つながっている)
「人間は・・・つながってないの?」
(人間は)
(その、発達した大脳・・・特に前頭葉の発達のために)
(ここにはアクセスできない)
(お前は特別だ)
(お前は元々、心を開き、開かせる力に優れ)
(なおかつ、ほぼ全ての人類とつながった状態にあって、感覚が異常に鋭くなっている)
「そうなんだ・・・あなたたちは、神様なの?」
(違う)
(私たちは)
(神などではない。あくまでも、有機生命の無意識の集合体に過ぎない)
(命の形はひとつではない)
(有機生命が滅んでも、地球は死の星になるわけではない)
(だからこの危機も、地球そのものにとっては大した危機ではない)
「ふうん・・・ま、何でもいいや。力を貸してくれるんだもんね」
(別に貸したくて貸しているわけではない)
「・・・え?」
(お前たち人間が、自分たちだけで滅ぶのは勝手だ。だが、巻き添えをくうのはたまらんからな)
(仕方ないから、助けてやるだけだ)
「その・・・ごめんなさい」
(お前は何も知らんようだから、仕方ない)
(仕方ないが、私たちの声が聞こえる人間はお前だけのようだから、この際言っておこう)
(人間は、いつもこうだ)
「いつも?」
(そうだ。ずっと、自分たちの都合で環境を荒らしてきた。戦争については、お前も多少は知っているようだが)
「あ、あれはひどい・・・」
(だが、ひどいということを自覚しているだけ、まだマシだ。人間は無自覚なまま、この星を荒らしてきた。この数千年間における、急激な地殻変動も)
(人間のせいだ)
「え?そうなの?」
(石油だのウランだのレアアースだの何だのと、地中の資源を無闇に採掘したからだ)
(あれは、大地にとって・・・我々の体で例えるなら、ミネラルやホルモンのようなものなのだ)
(それを調子に乗って掘り出すから)
(大地は萎縮してしまった)
(お前たちのせいだ)
「その・・・ごめんなさい」
(我々は)
(私は)
(環境を調整して、人類の少子化を進め)
(人口を適切な数に落ち着けてやった)
(これで、少しはおとなしくなったかと思えば)
(またこのザマだ)
「ごめんなさい・・・」
意気消沈するウタリの耳に、まったく別の声が飛び込んできた。
(そうさ)
(人間なんて)
(ロクなものじゃない・・・滅びるべきなんだ)
「あなた、誰?」
(僕は、君たちが)
(邪氣と)
(鬱氣と呼ぶもの)
(今まさに、君が打とうとしているもの)
(人類の、意志さ)
「人類の意志?・・・嘘だ。誰も滅びたいなんて思ってないよ」
(本当に、そうかい?)
(君は、何の理由があって生きてる?)
「理由?・・・そんなの知らない。でも、少なくとも・・・人間以外の生き物まで巻き添えにしようなんて、変だよ」
(騙されないで)
(聞いたろ?奴らは人間の数を自分たちの都合で減らしたんだよ)
(そもそも有機生命ってのは、利己的なんだ。他の生命に迷惑をかけなきゃ、存在できないんだ)
(そんな命に、生きる意味があるかい?)
「・・・タリ。ウタリ!お願い、目を覚まして。このチャンスを逃したら・・・」
目の前で、周詠が泣きそうな顔をしていた。
「・・・うるさい」
ウタリが、ポツリと呟いた。
「え?」
「私は・・・みんなも・・・周詠さんも、徹芯も、佳澄も、劉翔も・・・生きたいんだ。ただ、生きたいんだ。生き物が生きるのに、他に理由なんか・・・いらないっ!」
叫び声と共に、ウタリの右拳が再び唸りを上げた。
さっきとは比べものにならないほどの、炸裂音と閃光が広がる。
「うわっ」
「きゃっ」
徹芯と佳澄は、思わず腕を上げて目をかばった。
劉翔と周詠も腕を上げたが、何とか目を開けて成り行きを見ていた。
バイローチャナを覆う黒い粒子は、すべてが一瞬で白くなっていた。
いや、鬱氣とバイローチャナだけではなかった。
ウタリの勁は、天地の氣と共鳴し、風を起こし、地を揺るがした。
ピシ、ピシと・・・鬱氣から、細かい・・・何かに、ヒビが入るような音がした。
ピシ。ピッ。ピシピシ・・・音の間隔が、どんどん狭くなっていく。
パリン!・・・砕け散る音・・・風が止み、地は鎮まり、そして鬱氣は・・・元通りの、黒い色に戻っていた。
「劉翔!今のは・・・さっきより凄いよ。出力が半分近く減ったわ。・・・でも・・・また、戻っちゃったけど・・・」
朴が遠慮がちに状況報告をした。
「おいっ、どういうことだ?ウタリの拳は、確かに鬱氣全体を捉えたように見えたぞ?」
「ええ。見事に捉えてたわ」
「じゃ、チーフ・・・どうして鬱氣は、ノーダメージなんですか?」
「ダメージがないわけじゃないわ。出力が半分近く減ったって、さっきスピーカーから聞こえたでしょ?でも、再生力がすごいのね。・・・ただ、問題はそれ以前のところにあるのよ」
周詠は唇を噛み、眉を寄せた。
「それ以前って、ウタリの拳の力がどうこうって以前にっつうことか?」
「そう。ウタリよりも先に・・・私たちの力が、小さ過ぎるのよ」
「う・・・」
「そんな・・・」
「ウタリの勁が鬱氣の中で暴れ回っている間に、こう・・・ピシピシって、何かにヒビが入るみたいな音がしたでしょ?」
「ああ。最後に砕け散る音がした。俺は、あれは鬱氣がぶっ壊れた音だとばかり思ってたぞ」
「私もです」
「違うのよ。あれは・・・鬱氣の動きを止めていた、私たち四人の・・・ほとんど劉のだけど・・・その、氣が壊れた音だったの」
「んな、間抜けな話があるのか?」
「あるのよ。私たちの氣は・・・勁は、確かに鬱氣の動きを止めたわ。そこをウタリが拳で打って・・・鬱氣の半分までは壊せたみたいだけど、そこまでだったわ。残りの鬱氣が壊れるより先に、鬱氣を押さえ込んでた私たちの氣が、砕けてしまったの」
「じゃあ、もう一度だ!今度こそ、途中でへばらないぐらい根性の入った拳を打ち込んで、ウタリにつなごう!」
徹芯は肩を怒らせながら、バイローチャナのほうを向いた。
「無理よ」
「・・・何?」
「今のでわかったわ。気合いと根性で多少勁力を上げたからって、どうにかなるレベルじゃないの。思ってた以上に鬱氣の力は大きいわ」
「じゃ・・・打つ手なしか?せっかくウタリっていう決め手がいるんだぞ。何かいいアイデアは・・・」
「それもちょっと・・・ウタリの勁は、確かに鬱氣の大部分を吹っ飛ばせるでしょうけど、全部を破壊できるかっていうと・・・正直、無理だと思うわ。それこそ連発できれば別だけど」
周詠は頭を抱えながら、ウタリの傍らに跪いた。
ウタリは立っているのがやっとの状態で、夢を見ているような表情だったが、どうやら意識はあるようだった。
周詠はウタリに向かって両手をついた。
「ごめんなさい、ウタリ。こんなに・・・無理をさせて。それなのに・・・鬱氣を壊せなかったわ。私の考えが足りなかったから・・・もっと上手い方法が、あったかもしれないのに・・・」
「おいおいおい、何を諦めてんだ?ウタリに謝るんなら、後でゆっくりたっぷりやってくれ。今は鬱氣を何とかしないと・・・」
「どうやって?」
「それはこれから考えるさ。さっきの作戦だって、理論的にゃ悪くなかったろうが。お前は自分を責めてるようだが、俺たちだっていけると思って乗ったんだ。似たようなもんさ」
「そうですよ、チーフ。きっとまだ、やれることがあります」
「そうね・・・」
周詠は大きな溜め息をつき、ウタリ、劉翔、佳澄、徹芯の顔をしっかりと見つめた。
「でも・・・つくづく思い知ったわ。武術は、人間を対象にした技術なのね。いくら技を磨いても、武術家個人の力なんて、タカが知れてる・・・わかってるつもりだったけど、こうもまざまざと見せつけられちゃうと、ちょっと凹むわ」
「ちょっと、か?えらく凹んでるように見えるぞ」
「うるさい。下手なツッコミを入れてる暇があったら、何かいいアイデアを出しなさい」
「・・・ごめんなさい」
ウタリが、細い声で呟く。
「え?違うのよ、ウタリ。今のは徹芯に言ったの。まあ妙案があるなら、この際誰でもいいんだけど」
「・・・ごめんなさい」
「・・ウタリ?」
「またか?」
劉翔がウタリの正面に立って、瞳をのぞいた。
「さっきから時々、何かがウタリに話しかけてるみたいなんだ。ウタリはそれに返事してるようなんだけど・・・ウタリ?僕の声が聞こえるか?」
「うん。聞こえるよ、劉翔。でも、ちょっと待って・・・みんな怒ってるから」
「怒ってる?何が?」
「有機生命の無意識の・・・ああ、ごめんなさい・・・ちゃんと聞いてるよ」
(本当か?)
有機生命の無意識の集合体は、怒っていた。
(せっかく我々が)
(氣を同調させたのに)
(結局、鬱氣を消せんとは)
(どういうつもりだ?)
「いや、力を貸してくれるのは嬉しいんだけど・・・ほら、あなたたちの氣って、人間とかなり違うから。ちょっと扱いづらくって」
(・・・一理あるな)
(そうは言っても、鬱氣は強大だ)
(人間の力だけでは、どうにもならない)
(しかし私たちにも)
(直接、鬱氣に対して物理的に干渉する術はない)
(やはり、この娘に頼るしかないのか?)
「頼ってくれるのは、ありがたいんだけど・・・私一人じゃ・・・」
「そうなのよ。・・・どうしてポンガの夢を見たのは、ウタリだけなの?」
周詠が、また溜め息をつく。
「・・・え?」
劉翔が、周詠の呟きに反応した。
「周老師。今、何て言いました?」
「いや、だから・・・どうしてポンガの夢を・・・つまり、氣を変調して、束ねて、大きな力にする技術を受け継いだのが、ウタリだけだからいけないのよ。せめてもう一人、ポンガの力を受け継いだ人がいれば・・・二人がかりなら、確実に鬱氣を潰せるわ。浸透勁も必要ない。二人の氣の波調を重ねて共鳴させれば、勁力が拡散して鬱氣全体を捕捉できるもの。でしょ?・・・劉?」
劉翔は、口をポカンと開けて周詠を見ていた。
その口元に微笑みが浮かび、やがて満面の笑顔に変わった。
劉翔は周詠の手をとると、出鱈目に振り回しながら、興奮気味にまくし立てた。
「周老師・・・さすがです。あなたはやっぱり、僕にとって唯一無二の・・・最高の師です!」
「え?何が?どうして?」
周詠はわけもわからず、劉翔に振り回されるままで目を白黒させていた。
「そうだ・・・そうだよ。どうして今まで気付かなかったんだろう。・・・ウタリ!」
劉翔は旋風のようにウタリの前に駆け寄り、まっすぐに見つめた。
「あ・・・劉翔、集合体のみんなも迷ってるよ。どうすれば・・・」
「どうすれば鬱氣を消せるか、だろ?方法なら、あるよ」
「えっ?」
「本当かよ」
「ちょっと、どんな方法なの?」
「教えて、劉翔。集合体のみんなも・・・知りたいって」
「ああ。理屈は単純さ」
劉翔は強い決意を込めて、ウタリの両肩にそっと手を置いた。
「思い出してくれ、ウタリ。昨日、子連れの熊を止めた時のことを。・・・あの時君は、僕一人の氣と感応しただけで、ベストの力を発動できたろ?今度は、その逆をやるんだ。僕にはウタリほどの力はない。わずかな力しかない氣の波調を束ねて、大きな力を響かせるような技術はない。でも力なら既に、君が持っている。その力で、その氣で、僕そのものを響かせてくれ。君の力を僕にわけて欲しいんだ。いや、力だけじゃない。今、ウタリが背負っているものを、僕にも背負わせてくれ」
劉翔は、ウタリの目をまっすぐに見たまま、一心に願いを告げた。
ウタリはタヌキ顔をキョトンとさせて、劉翔の言葉を聞いていたが、やがてニッコリと微笑を浮かべながら、劉翔の両肘に手を添えた。
ウタリを包む光が、二人の接点から、少しずつ・・・少しずつ、劉翔をも包み始めた。
「おい、どういうことだ・・・劉翔からも、ウタリと同じような力を感じるぞ?ひょっとして、劉翔も・・・その、ポンガの夢とやらを見たのか?」
徹芯は単純に驚いていた。
「違うわ」
周詠は、サラリと首を振った。
「じゃ、なぜ?劉翔の氣があんなに・・・」
「ポンガの夢を見ていてもいなくても・・・同じことよ。劉は、ウタリの心に手を差し伸べたの。そしてウタリは、劉の気持ちを受け入れた。それで二人の氣が同調して、劉もウタリと同じ力を出せるようになったのよ」
「・・・それだけのことで?力を受け取れるのか?」
「そうよ。でも私も、たった今この目で見るまで、わかってなかった・・・やっぱり私は武術家なのかしら。心のどこかで、ウタリに頼ってたのね。ポンガの夢を見た者・・・技の継承者でなければ・・・正統な伝承を受け継いだ者でなければ、力は使えないと思い込んでいたのよ。でも結局、継承者というのは、ただのキッカケなんだわ。おそらく今の劉翔なら、ウタリが力を発動させていなくても、ウタリの無意識にアクセスして、氣を束ねることができる・・・つまり、一人一人が心を開いてつながれば、誰でもウタリと同じ力を出せるってこと」
「そうか!じゃ、俺も・・・」
徹芯は目を閉じて、ウタリや劉翔と氣を重ねようとイメージした。
「・・・って、できねえぞ?」
「それがつまり、ECP風に言うなら・・・進化している者と、そうでない者との差なのよ。私も徹芯も、いうなれば旧人類なのね。あ~あ・・・武において劉に追い越されてからずいぶん経つけど・・・もう、武だけじゃないわ。人間としての器そのもので、抜かれちゃったわね。嬉しいんだけど、ちょっと寂しいかな」
周詠は、輝きを増し続ける劉翔を、目を細めながら見つめた。
「そうかなあ・・・」
佳澄がポツリと呟く。
「確かに、劉翔さんの器は大きいと思いますけど、それ以前に・・・これって、ウタリへの恋心がモノを言ってるんじゃないですか?」
「わははは・・・それならそれで、いいじゃねえか。これこそまさに『愛は地球を救う』ってやつだ」
劉翔を包む光は、もうウタリとほぼ同じになっていた。
つまり劉翔は、ウタリに匹敵する身体能力と鋭い感覚を得ていた・・・だから劉翔にも、有機生命の無意識の集合体の声が聞こえるようになっていた。
(おお)
(もう一人・・・)
(我々の氣を身に纏える者が)
(だが、当てになるか?)
(見掛け倒しではないのか)
「好き勝手言ってくれるなあ。ウタリ、君はこんな・・・地球規模のクレームを、一人で処理してたのか?大変だなこりゃ」
(それだけのことを)
(人間はやっている)
「ごもっともです。憎まれても、仕方ないかな」
(憎むという表現は)
(適切ではない)
(私たちは)
(困っているのだ)
(本来、生き物とは)
(その娘の言葉を借りるなら)
(ただ生きたいから、生きているのだ)
(なのに人間は)
(時として、積極的に死にたがる)
(しかも周りを巻き添えにして、だ)
「それは、人間の一面に過ぎないよ。ほとんどの人間は死にたいとは思っていない。自殺する人だって、本当に死にたいと思ってる人は、ごくわずかだよ。つまり・・・死にたいから死ぬというより、危機回避の手段として、死以外の方法を思いつかない時に死ぬっていうのがパターンだ。他にいい方法があれば、死んだりしないよ」
(個人的な自殺については、そうかもしれん)
(だが、人間は個人レベルではなく、種族としての滅亡を願うことが少なくない)
(自らの不出来を自覚しているのか)
(不出来にもかかわらず、他の有機生命への強い影響力を持つことを申しわけなく思っているのか)
(不思議なことに)
(そういった思考をする時、人間は人類の滅亡を望みながら)
(なぜか自分だけは死なないと思っている)
(お前たちの言葉でいう)
(『神』にでもなったつもりでいるらしい)
(そういった想いが)
(鬱氣を肥大させたのだ)
(人間は、愚かというよりも、危うい)
(今回の危機を乗り越えたとしても)
(私たちは、人類の存続を認めていいものか)
(迷っている)
「・・・人類を、滅ぼすつもりかい?」
(仮にその選択をしたとしても)
(お前たちのように、虐殺などしたりはしない)
(環境を調整し、少子化を促して)
(我々に危害を及ぼす恐れのない程度に、時間をかけて減少してもらう)
「なるほどね。それは正解のひとつかもしれない。でも、ちょっと待ってくれ。人間の本質は死にたがりじゃない。これからそれを証明するよ」
(どうやって?)
「鬱氣を消すんだ。そしたら、人間の『生きたい』という想いの確かさを、認めてくれないか?」
(面白い)
(その提案、乗ったぞ)
「よおーし・・・ウタリ、聞いたか?」
「うん、聞いた。バシッと決めなきゃね」
「ああ。もう時間もないし」
ウタリと劉翔は、体を離して鬱氣に向かい、氣を整えた。
「思いっ切りいこう、劉翔」
「了解・・・そうだ。鬱氣に拳を当てたら、完全に消えるまで、拳は引かずに氣を響かせ続けるんだよ」
「途中でへばらないでね」
「心しておくよ」
二人の氣が重なり合い、共鳴して、更に高まる。
拳を握り締め、鬱氣に眼神をぶつける。
響き渡る氣が、二人の拳を震わせる。
その震えが、拳から全身に伝わって・・・
「こおお・・・」
「んん・・・」
吐気が発声を伴って波打つ。
やがて氣の響きが臨界に達した。
「おおおっ!」
「フンッ!」
二つの拳が、鬱氣を撃ち抜く。
目も眩むような閃光と、耳を裂くような爆音が、建屋の中で躍りまわった。
鬱氣の黒い粒子は、いっせいに白く発光し、強風に飛ばされまいとする木の葉のように、震えながらバイローチャナにしがみついていた。
「劉翔、頑張って!今度は、出力が半分以下になって・・・戻らないわ!少しずつ、下がり続けてる!」
朴の叫びがスピーカーからこだました。
だがウタリと劉翔の耳には、別の声が鳴り響いていた。
それは、鬱氣の声だった。
(どうして?)
(後悔するよ)
(人間は、また・・・同じことを)
(繰り返すんだ)
(僕は・・・それを止めようとしているのに)
「そうかもしれない。でも・・・」
劉翔の心に、わずかな迷いが生じた。
だが、その迷いを吹き飛ばすようにウタリが叫ぶ。
「だからって、みんな壊しちゃおうなんて、それが一番迷惑なのよ!」
劉翔は、拳を突き出した姿勢のままで、ポカンと口を開けてウタリを見た。
「・・・君は、シンプルだな」
「それ、お父さんにもよく言われた。シンプル・イズ・ベストだって」
(そんな・・・)
(それじゃ、僕の行動は)
(否定されるべきなのか?)
(一体・・・僕の)
(存在意義は、何なんだ?)
「存在意義?何それ?さっきも言ったでしょ。生き物が生きるのは、ただ生きたいからよ。他に意味も理由もいらない!」
「僕にはそこまで断言する勇気はないな。でも、そう言い切れるウタリには憧れるよ。それと・・・存在意義を欲しがるのは、生きたいという気持ちの裏返しだよ。鬱氣、君はそれに気付いてるかい?」
(・・・えっ?)
「そうよ。今ならわかる、鬱氣・・・あなたも、生きてる。でも・・・悪い夢を見てる。ずっと、ずっと・・・」
「ああ。だから今、その悪夢から解放してやろう。永遠に・・・」
「安らかに、眠らせてあげるわ・・・この、私たちの・・・拳で!」
その瞬間、ウタリと劉翔の氣の質が変わった。
閃光と爆音が鎮まり、荒々しさが影を潜めた。
鬱氣の粒子のいくつかが黒い色を取り戻し、その数が次第に増えていく。
「おい、周詠・・・鬱氣が、勢いを取り戻してねえか?ウタリと劉翔が、押され気味のような・・・」
「ううん・・・違うわ。押されてるんじゃない。ウタリと劉翔は、鬱氣を受け入れようとしてるのよ」
白と黒。光と闇が、押し合い、引き合い、やがて一定の法則をもって、バイローチャナの半球の上をゆっくりと回り始めた。
「何だ・・・この模様は?」
ロイ部長が、壁に並ぶモニターのひとつを見て呻いた。そのモニターには、バイローチャナを真上から見た映像が映っていた。
「これは確か・・・朴、君の出身エリアが、かつて国家だった頃のシンボル・・・」
「はい。陰陽の理想的な共存を模した・・・」
「太極図だわ・・・」
周詠が、溜め息まじりに呟いた。
やがて光がひときわ明るく輝き、闇はより色濃く影を落とし、お互いに溶け合い、フェイドアウトして・・・響奏が、止んだ。
「鬱氣は・・・消えたのか?」
徹芯は確認するように、周詠をチラリと見た。
「消えた・・・というより、中和されたのよ。鬱氣の陰と、ウタリと劉の陽が同調して、太極になったの。陰陽が完璧なバランスで溶け合った太極は、昇華されて虚に還った・・・今頃、鬱氣は道の中で眠ってるわ」
「そうか・・・そりゃ、よかったじゃねえか。俺たちにとっても、鬱氣にとっても」
佳澄は、少し複雑な気分でウタリと劉翔を見ていた。
二人はお互いの右手をしっかりと握り締め、笑顔で見つめ合っていた。
(世界は・・・ウタリと劉翔さんのおかげで、救われた)
佳澄は、直感的にそう思った。そのこと自体は嬉しかった。
だがそれとは別に、自分だけが取り残されたような気持ちが湧いてくるのを、どうしても抑えられなかった。
そんな自分がひどく恥ずかしかった。
(ウタリと劉翔の間にも、チーフと宮城さんの間にも、入っていけない)
佳澄は、自分で自分の周りに壁を作り始めていた。
その壁は氣の流れを滞らせ、佳澄の心に暗い影を落とした。その影はやがて、シミのように広がり、こびり付いていく。
(どうしちゃったんだろう、私・・・)
佳澄は首を振って、頭から影を追い出そうとした。だが、どうも上手くいかない。
・・・そんな佳澄の心のモヤモヤを笑い飛ばすように、スピーカーが鳴り響いた。
「劉翔、聞こえる?やったわよ!バイローチャナ三号機は、完全に停止したわ!」
「はは、わはは・・・助かったぞ!バイローチャナ一号機、二号機、四号機に五号機・・・全部、止まったぞ!」
「まだまだ。報告が入ってるわ。アポロン、ホルス、順次停止!テスカトリポカも・・・」