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第十五章~共振

 その日の周詠は、妙に爽やか過ぎる目覚めを迎えた。

 街の外で目覚めたような気分だった。

 太極拳を演じてみると、普段との差は歴然としていた。

 深く呼吸をするだけで、丹田が回転して全身を震わせる。その震えを、響きを、手先に足先に乗せて、掌打や蹴りを放つ。・・・ゆっくりした動きだというのに、空気がビリビリと振動した。

 (体が、氣を欲しがっている。・・・街の中でこんな感覚になるのは・・・初めてかもしれない)

 早朝の新鮮な氣が周詠と同調し、その技に乗って高らかに響き、寄せては返す波のように部屋中を巡った。

 稽古を終えると、ウタリがベッドの上に座り、きょとんとした目で周詠を見ていた。


 「・・・起こしちゃった?」

 「うん。・・・でも、気分いいよ。何だか、体がユラユラ~って揺すられてるみたいな感じがして、あれって思ったら目が覚めて。そしたら周詠さんが稽古してて。一緒にやろうかなって思ったけど、ついそのまま見とれちゃった」

 少し夢見心地な声だった。

 「そう・・・今日はちょっと、テンションを上げ過ぎたわね。あ~あ、汗びっしょりだわ。・・・街の朝の氣が、こんなに爽やかだなんて、記憶にないもの。ウタリを起こさないように、氣を跳ね回らせないように・・・なんて、勿体ないかなって」

 周詠は右手で顔をあおぎながら笑った。

 「あ、そうだよね。私も目が覚めた時、自分がどこにいるのか、ちょっとわからなくなっちゃって・・・ここ、街だったよねって。そうだ、氣が・・・嫌な感じがしないんだ。街の外と変わんないよ」

 「そうね。邪氣が・・・鬱氣が無いのね」

 「鬱氣?」

 「昨日ね。あなたの力を見た後で、劉と街の邪氣について色々話したの。その時、『街に蔓延してる人間由来の邪氣』とか、長ったらしくて面倒だから、鬱氣って名前をつけたの」

 「へえ」

 「でも・・・こう爽やか過ぎると、かえって不安ね。あんなに大量の鬱氣が、一晩で消えちゃうなんて、ちょっと考えられないわ」

 「でも、現に感じないよ?」

 「そうね。だから・・・どこかに集まってるんじゃないかしら。だとしたら、そのぶん力も強くなってるだろうし・・・まあ、ここでグズグズ考えてもしょうがないわね。とりあえず食事にして、BALに行きましょう」

 「うん」


 食事を済ませたウタリと周詠は、いつものように走ってBALに向かった。

 やはり鬱氣は感じられない。

 「体が軽いわね・・・目を閉じたら、本当に街の外を走ってるみたい。あ、道が舗装されてたわね。でも本当に、視界までクリアーだわ」

 「でも街の中って、建物が多いから、遠くまで見渡すのは難しいね」

 「あら、そう?私はそうでもないわ。視力の差ね」

 少々浮かれた気分で走りながら、BALに到着したウタリと周詠は、すぐにトレーニングルームへ向かった。

 佳澄と徹芯の様子が知りたかった。

 二人とも、普段どおりに稽古をしていた・・・いや、普段の動きではなかった。

 明らかに動きのキレが増していた。

 それでも、さすがに徹芯は年の功なのか、地に足がついていた・・・が、佳澄は・・・氣に踊らされているような動きをしていた。

 より速く。より高く。より強く。

 バージョンアップされた自身の動きに呑まれていた。

 徹芯の稽古がひと区切りついたのを見て、周詠が声をかける。


 「調子はどう?」

 「ああ、元通りだ。メディカルポッドに二時間も漬けこまれたからな」

 徹芯は周詠に蹴られた顎をさすりながら、ニヤリと笑った。

 「そっちじゃなくて、氣の話よ。邪氣。いくらあなたが鈍感でも、街の中には特殊な邪氣が溜まってるって、わかってたでしょ?」

 「周詠さんと劉翔はね、鬱氣って呼んでるんだって」

 「ほお、ナイスネーミングだな。で・・・うん。顎のほうは冗談半分、本気半分だ。とにかく治ったよ。本題は邪氣だな?・・・そっち関係は、お前のほうが詳しいと思うがな。確かに今朝から、不自然なぐらい邪氣を感じねえな。おかげで体の基本スペックが上がったみたいな気がするよ。本来はこれが普通なんだろうけどな」

 そこへ佳澄が汗を拭きながら近づいてきた。

 「おはようございます、チーフ・・・何だか、自分の動きがコントロールできません。いけないと思っても、つい無駄な力が入っちゃって」

 「仕方ないわよ。私も今朝はそんな感じだったから。徹芯も佳澄も、朝、起きた時からこんな感じなの?」

 「ああ」

 「はい」

 「ふうん・・・じゃあ、相当広い範囲の邪氣が消えてるってことよね。一体何が・・・」


 その時。

 トレーニングルームのスピーカーから、警報が鳴り響いた。

 いや、トレーニングルームだけではない。BALの舎屋全体・・・それに、周囲の建物や、街頭のスピーカー。それらすべてが作動していた。

 数秒後、警報と重なるように、アナウンスが淡々と状況を告げた。

 「本日未明、バイローチャナ一号機から五号機までのすべてが、原因不明の出力上昇を起こし、現在も続いています。住民のみなさんは、冷静に、かつなるべく速やかに、地下のシェルターに避難してください。繰り返します。本日未明・・・」


 そして今度は、周詠の携帯端末が鳴った。

 劉翔からだった。

 「周老師・・・そっちでも、警報が鳴ってますか?」

 「鳴ってるわよ。一体何が・・・ああ、バイローチャナの出力が上昇してるらしいわね。原因不明って言ってるけど、本当に何もわからないの?」

 周詠は話しながら、携帯端末をマットの上に置き、その前に膝をついて座った。

 ウタリと佳澄、徹芯も、その周囲に腰をおろす。

 携帯端末の上方の空間に、劉翔の上半身の立体映像が浮かんで、口を開いた。

 「公的には原因は不明です。でも、僕には全部わかります。それから・・・出力上昇なんて控え目な表現してるけど、実際にはもう、暴走です」

 「おだやかじゃないわね。じゃあとにかく、わかってることから説明してくれる?」

 「はい。今朝、普段どおりにバイローチャナ三号機に出勤したんですが・・・」

 劉翔は、建屋全体を覆っていた鬱氣を見てから、その鬱氣と同調して一時的に出力の上昇を抑えたこと、しかしその直後、再びバイローチャナの出力が上昇し始めたところまでを、手早く説明した。


 「それで劉翔には、なぜ鬱氣が復活したかもわかるのか?」

 徹芯が身を乗り出す。

 「はい。鬱氣は最初から、僕の意識と同調することを狙ってたんです。鬱氣は膨大な量の氣の集合体だから、確かに大きな力を持ってはいるけど、構造がひどく不安定なので、せっかくの力を活かしきれなかったんです。何しろ、近い波調を持つ氣が、ちょっと引っかかり合って繋がってるだけなので」

 「だから鬱氣としては、ウタリのように、ある程度リズムの揃った氣を集めて、ひとつに束ねる技術を持った者が必要だったわけね」

 周詠が徹芯を押しのけながら訊いた。

 「そうです。それで僕が選ばれた・・・ウタリ程ではなくても、氣を変調してまとめ上げる力を持ち、なおかつ核融合炉のすぐそばにいる人間、ということで。僕は鬱氣を消すつもりで同調したけど、その時に意識の一部を持っていかれてしまって。鬱氣にとっては、それで充分だったんだ。奴らは僕の意識をベースにして、自分たちを統一・再構成し、安定した構造を手に入れたんです。その存在感といったら・・・すべての人間が、モニター越しにその姿を見られるほどです」

 「なるほどね・・・じゃあ今の鬱氣は、劉の意と氣の分身みたいなものなのね?だからあなたには、鬱氣のことがよくわかる・・・」

 「はい。今の僕には、鬱氣の目的も、そのために何をしてきたのかも、そして今まさに何をしようとしているのかも、わかります」

 「まるで鬱氣が一種の生き物みたいな言い方ね。少なくともあなたの意識を乗っ取るまでは、単なる氣の寄せ集めだったはずでしょ?」

 「その辺は、周老師が昨日言ってたとおりですよ。人間が氣を制御しているのか、氣が人間を操っているのか・・・答えは出ません。人間は氣について、まだまだ何も知らないんだ」


 「おい、それよりもバイローチャナの暴走はどうなるんだ。爆発しそうなのか?・・・いや、その鬱氣ってのは、爆発させるつもりなのか?」

 「はい。あと一時間もすれば、五機のバイローチャナ全部が吹っ飛びます」

 「嫌なじらし方をするじゃねえか。間を取って苦しめようってのか?」

 「いえ。これは鬱氣にとっては誤算だったようです。何しろ乗っ取ったのが僕の意識だから。すんなりと爆発に同意しないんですよ。そうでなければとっくに爆発してます」

 「でも、どうして出力が上がり続けてるの?水素の供給も磁力線も止めれば、核融合は起きないはずでしょう?」

 佳澄も身を乗り出した。

 「ああ、それは・・・炉内では、すごいことになってるんです。水素の供給も磁力線も、もちろんとっくに止めてるのに、反応が進んでる・・・それは、鬱氣がヘリウムを分解して、水素に戻して、それを自分の力で圧縮して核融合を起こしてるからなんだ」

 「・・・そんなこと、できるの?」

 「ああ。驚いたよ。まるで知恵の輪でも外すみたいに、ほとんどエネルギーを使わずにヘリウムを水素にしている・・・僕は感じるんだ。その水素が、また圧縮されて、エネルギーを生み出すのも・・・そのエネルギーを、鬱氣がギリギリまで溜めて、一気に解放しようとしているのも」


 「何のために?鬱氣は、どうしてそんなことをしてるの?」」

 佳澄は声を震わせながらマットを叩いた。

 「人類を滅亡させるためさ。鬱氣は・・・その字のごとく、人類そのものの鬱病なんだ。今まさに人類という種は、自殺しようとしてるんだ。鬱氣はずっと、その方法を探して・・・そして、核融合炉を見つけた。これを利用すれば、人類を滅ぼせる・・・今までに何度かあった、核融合炉の原因不明の出力上昇は、鬱氣がやっていたんです。でも不安定な存在のままじゃ、とても人類を滅ぼすほどの力は出せない・・・だから奴らは賭けにでた。世界中の鬱氣が、ここ、バイローチャナ三号機に集まり、持てる力を振り絞って、炉を暴走させたんだ。自分たちの存在を確かにする能力を持つ者と、同調するために・・・僕は、その誘いに乗せられたんだ」

 「ふん・・・だが、お前がやらなきゃ、三号機は爆発してたんだろ?」

 「ええ。でも言い換えれば、三号機の爆発だけで済んだんです」

 「あ・・・そういや、五機全部が暴走してるんだったな」

 「五機じゃありません。鬱氣の目的は、人類の滅亡なんだ。バイローチャナだけじゃない。アポロンも、ホルスも、テスカトリポカも・・・世界中の核融合炉が暴走してます。みんな、このバイローチャナ三号機と共振してるんだ」


 「え?今、何て言った?世界中の核融合炉が暴走してる・・・って聞こえたぞ」

 徹芯が叫んだ。

 「その通りです。警報ではアナウンスされてませんけど、ネットを見たら、もうその情報ばかりですよ」

 「なぜだ?元々の鬱氣には、そんな力はないんだろ?核融合炉一機につき、お前みたいなのが一人ずついたってのか?」

 「いえ。つまり・・・僕は昨日、ウタリの力を見て、下手なりに氣の変調や操作ができるようになりました。そして、街に戻った・・・そこで鬱氣に目をつけられたんです。ウタリが除外されたのは、バイローチャナとの接点がないのと、氣の操作が上手過ぎて、意識を乗っ取れないか、下手をすると消されかねないからです。それで僕を誘い出すために・・・炉を暴走させるために、世界中の鬱氣が、ここに・・・バイローチャナ三号機に集合したんです」

 「ああ・・・どうりで、今朝は街中がスッキリしてたはずだわ。鬱氣はみんなそっちに行ってたのね」

 周詠が頷く。

 「あ、そうだったんですか・・・僕は昨夜から鬱氣に憑かれっぱなしだったんで、ずっと体が重くて。あ、いや、それより・・・ほとんどの鬱氣がここに集まったんだけど、ごく僅かな量の鬱氣が世界各地に散らばって、核融合炉に侵入したんです。で、バイローチャナ三号機の本格的な暴走を感知して、その氣の波調を受けて共振することで、同じように炉を暴走させてるんです。記録に残ってますよ。バイローチャナ三号機の暴走から数秒後に、バイローチャナ一、二、四、五号機が暴走を始めて、数分後には世界中の核融合炉が暴走してます。タイムラグから計算しても、発信源はバイローチャナ三号機だ」

 「なるほどね。劉の考えが読めてきたわ・・・ウタリの拳を当てにしてるのね」

 「・・・はい」

 劉翔が口惜しそうに俯く。

 「ちょっと待てよ。相手は狼や熊どころじゃない。核融合炉だぞ?殴ってどうにかなるのか?」

 「可能性はあるわ。今や世界中の人間が、死にたくないって・・・核融合炉の暴走を止めたい、って思ってるはずよ。その氣を束ねてウタリの拳で打てば、溜め込んだエネルギーごと鬱氣を消せるかもしれない。大元のバイローチャナ三号機さえ鎮まれば、他の核融合炉は共振してるだけだから、順次停止するわ」

 「くっ・・・仕方ない。じゃあ、ウタリは俺がバイクで連れていく。お前は佳澄と一緒にシェルターに避難しろ・・・おい?」


 周詠は目を閉じて、何かを考えていた。その考えはすぐにまとまったらしい。

 「いえ・・・私も徹芯も、佳澄も。みんな、ウタリと一緒に劉の所に行くのよ。劉、そこってバイローチャナ三号機よね?」

 「え?ええ、そうです・・・けど、ウタリさえ来てくれれば・・・」

 「念のためよ。なるべく急いでそっちに行くわ」

 「ちょっと待て、周詠。もうそんなに時間はないぞ?言っちゃなんだが、俺やお前や佳澄が向こうへ行っても、大した役には立たん。それよりも・・・」

 「シェルターなら、行っても無駄ですよ」

 「・・・え?」

 「鬱氣がどのぐらいの威力の爆発を起こそうとしているのか、僕にはわかります。世界各地の六つの『街』は・・・爆発で、六個の巨大なクレーターになります。地下に逃げても意味はありません」

 「くそっ・・・じゃあ周詠、佳澄を連れて、まず、お前ん家へ行け。そっから飛行機で、なるべく遠くへ逃げろ」

 「無理よ」

 周詠が静かに首を振る。

 「それだけの規模の爆発なら・・・急激な気圧の変化に、地震、津波。吹き上げられた土砂で太陽も隠されるわね。地殻変動の再開、それに自転周期・・・と、下手をすると公転周期にも影響が出るわ。人類どころじゃない。地球は、太陽系のほかの惑星と同じく、生物の住めない星になるの」

 「マジかよ・・・ああくそっ」

 頭を抱えた徹芯は、しかし数秒後には跳ね起きて叫んだ。

 「ええいっ、しゃあないっ!こうなったら、バイローチャナでもどこへでも行ってやろうじゃねえか!この人数なら、タクシーが早いか?」

 「そう思って、さっきから呼ぼうとしてるんだけど・・・駄目だわ。街の外に逃げようとしてる人たちの車で、すごい渋滞になってる」

 「だったら・・・バイクだ。お前のバイクをここへ呼べ。俺とお前のバイクで、佳澄とウタリを後ろに乗せて・・・」

 「それもいいけど、もっといい方法があるわ」

 周詠は携帯端末を操作して、実家の回線につないだ。

 劉翔の映像の隣に、執事の董の映像が浮かぶ。


 「これはお嬢様。ちょうどよろしゅうございました。今、BALにいらっしゃいますね?こちらのシェルターの準備が整いましたから、お迎えにあがります。車は渋滞がひどうございますので、小型機で参りますから、お荷物だけ持って、屋上でお待ち下さい。よろしければそちらの方々も・・・」

 「さすがに気が効くわね。私も董に小型機で迎えに来てもらおうと思ってたの。でも、行き先はシェルターじゃないのよ」

 「おや、それではどちらへ?」

 「バイローチャナ三号機。この騒動の元凶よ。行ってくれる?」

 「それはそれは・・・」

 普段は感情を表に出さない董が、一瞬心配そうに眉を寄せた。

 だがすぐに、いつもの静かな笑顔に・・・いや、いつもよりも感情に満ちた笑顔を浮かべた。

 「かしこまりました。すぐにお迎えにあがります」

 「お願いね。・・・劉、待ってて。すぐ行くから。佳澄、徹芯、すぐに着替えて屋上に来て。ウタリ、私たちは先に屋上へ行くわよ」

 「わかった」


 董の操縦する小型機が到着するのと、着替えの済んだ佳澄と徹芯が屋上に駆け上がってくるのが、ほぼ同時だった。

 すぐに離陸して、バイローチャナ三号機へ向かう。

 「ありがとう、董。向こうで私たちを降ろしたら、あなたはすぐに戻ってシェルターに入ってちょうだい」

 「そうは参りません」

 「・・・ちょっと、どうして?」

 「この状況下で、お嬢様がシェルターに入ることよりも優先されるということは、恐らくバイローチャナの暴走を止める算段がおありなのでしょう」

 「・・・まあ、一応ね」

 「周家の一員として、ふさわしいお仕事です。私も周家にお仕えする者として、微力ながらそのお手伝いができることを、光栄に思います。しかし・・・そのお仕事が、上手く運ぶという保証はないのでしょう?」

 「それはまあ・・・」

 「ですから・・・宮城様、お願いがあります」

 「え?俺?」

 「はい。・・・もう駄目だと思ったら、お嬢様と皆様を連れて、この小型機へお戻りください。私はいつでも飛べるように用意して、お待ちしております。拝見しますと、この中で、あなたが一番冷静な判断力をお持ちのようですから」

 「・・・ああ、引き受けた」

 「ちょっと、徹芯。駄目かどうかの判断は、私がするわよ」

 董は溜め息をつくと、また淡々と続けた。

 「お嬢様はこの調子ですから・・・必要とあらば、少々引っ叩いていただいても構いません。ですが・・・その代わり、何とぞ、御無事に・・・」

 声が詰まった。

 「わかったよ。まあ、引っ叩くなんて恐ろしいマネはできねえが、佳澄とウタリに手伝ってもらえば何とかなるさ」

 徹芯は立ち上がると、窓の外を見たままで、董の肩をポン、と叩いた。

 「・・・よろしくお願いします」

 「ああ。・・・お、さすがに速いな。もうバイローチャナが見えるぞ」

 「はい。・・・宮城様」

 「うん?」

 「お座りになって、シートベルトを締めていただけますか」

 「・・・あ、悪い悪い」

 「冷静な判断力が、聞いて呆れるわね」

 「やかましい。ちょっとうっかりしただけだ」


 董はバイローチャナが格納されている建屋のすぐ脇に、小型機を着陸させた。

 ウタリ、周詠、佳澄、徹芯の四人は、すぐに建屋に駆け込んだ。

 足音に気付いた劉翔が、四人のほうを向く。

 その奥に・・・粒子状の闇に包まれた、バイローチャナがあった。

 「うわっ・・・こりゃ凄いな。俺は氣を見る才能がないから、ちゃんと見えたのは初めてだ。周詠、お前はいつも、氣がこんなふうに見えてるのか?」

 「冗談でしょ。私だって初めてよ・・・こんなに存在感のある氣なんて、ある意味リアリティがないわ」

 「劉翔?あなたが待ってたのって、その人たち?」

 スピーカーから、朴の声が響いた。

 「ちょっと、劉。まだ人が残ってるの?」

 「ええ。早く避難するように言ったんだけど・・・」

 「もしもーし!オホン・・・スピーカー越しで、失礼します。私は、管理部長のバグワン・ロイです。劉翔が、バイローチャナを止める力がある人を呼んだというので、お待ちしていました。情けない話ですが、私たちには打つ手がありませんので、何でも存分にやってください」

 「ありがとうございます・・・でも、今からでもシェルターに避難されたほうが・・・」

 周詠がカメラのほうを見ながら叫んだ。

 「いや・・・私どもは、劉翔の性格をよく知ってるつもりですから。劉翔が逃げずにそこにいるということは、バイローチャナの暴走を止める自信があるか、でなければ・・・逃げても無駄、ということでしょう?」

 周詠とウタリと佳澄に同時に睨まれて、劉翔は舌を出しながら肩をすくめた。

 「図星ですな。ま、そういうわけで、こっちのスタッフは全員残っとるんです」

 「バイローチャナの内部の様子とか、他のバイローチャナや、他所の街の核融合炉がどんな状況かとか、そういう情報はこっちでチェックしてるからね!」


 「ありがとうございます・・・こうなったら、ゴチャゴチャ言ってる場合じゃないわね。劉、バイローチャナはあとどれぐらいもちそう?」

 「十五分か、二十分か・・・そんなものです」

 「OK 。・・・じゃあウタリ、お願い。あのバイローチャナに絡みついてる鬱氣を、殴り飛ばして欲しいの」

 「えーっ、できるかなあ・・・」

 「とにかく、やってみてちょうだい。目を閉じて、耳をすますみたいな感じで・・・声を聞くの。生きたい、死にたくない、核融合炉の暴走を止めて欲しい・・・そんな声が、あちこちから聞こえるはずよ」

 「わかった。やってみる」

 ウタリは自然体で立ち、目を閉じて気持ちを静めた。

 心の波が、ひとつ、またひとつ消えて、滑らかになっていく。

 そして・・・意識の扉を開けると、水面にポツリ、ポツリと雨の滴が落ちるように、魂に波紋が広がった。

 (生きたい)

 (助けて)

 (死にたくない)

 (シェルターは?)

 (炉を止めて・・・)

 小さい声。大きな声。

 叫び声。囁く声。

 すぐ近くから。遠くからも。

 数え切れないほどの声が、氣の波に乗ってウタリの心を震わせる。

 ウタリの意識はその波間を漂い、受け入れ、同調する。

 静かに息を吐いて・・・吸って・・・吐いて・・・緩慢な呼吸のリズムで、自我を維持しつつ、受け入れた波を・・・おびただしい数の波を・・・ひとつにまとめる。

 波はお互いにぶつかり、溶け合い、混じりあって調べとなり、高らかに響き渡った。


 「お・・・」

 「うわ・・・」

 徹芯と佳澄が、思わず声を洩らした。

 「よしっ・・・」

 「凄いな・・・」

 周詠は拳を握り締め、劉翔は見とれていた。

 ウタリの体が、白く光り輝いていた。

 今までウタリがまとめ上げた氣の波は、多くても二十数人分だ。だが今回はケタが違う。

 一億人近い人数の氣の波がウタリを包み、ざわめき、そのエネルギーは統一された鬱氣と同じく、誰もが目視できるほどの光を放っていた。

 「何だか・・・狩りの時と比べると、ウタリとの一体感は少ないですね」

 「今回のほうが、人数が桁違いに多いからな。一人一人との同調率は低めなんだろう」

 ウタリがゆっくりと目を開く。

 「・・・ウタリ?」

 周詠が、不安そうにウタリの顔を見た。

 ウタリの目は、焦点が定まっていなかった。


 ウタリは、光の海を漂っていた。

 浮かんでいるのか、沈んでいるのか。その両方のような気もする。

 上も下もわからない。周りを見渡しても、まぶしくてよく見えない。

 ただ、大勢の人に囲まれているようだ。

 耳をすますと、囁く声が聞こえた。

 (助けて)

 (死にたくない)

 (何とかしなきゃ)

 (子供だけでも・・・!)

 (お願い!)

 ・・・なぜ?

 (誰?どうして私に?私に何をして欲しいの?)

 ウタリは・・・その問いを握り締めたまま、どこに投げていいのかわからずにいた。

 (・・・タリ)

 (え?)

 (ウタリ)

 (呼んでるの?私を?ウタリ・・・私の、名前?)


 「ウタリ、大丈夫?」

 目の前に、周詠の顔があった。

 (周詠さん?・・・そうだ、私が、ウタリだ)

 「ウタリ、体は動かせるかい?」

 ウタリは、声のしたほうに顔を向けた。首を回すだけの動きが、ひどくもどかしかった。

 劉翔の心配そうな顔が、視界に入った。

 「僕が鬱氣と同調した時と似てるな。同調した氣が巨大過ぎて、一時的に自我を失ってるんだ。・・・いや、今ウタリが同調しているのは、全部生きた人間の想いだから、心身が受ける負担は、僕の時とは比べものにならないな」

 「おい、そんな状態のままで、ウタリは大丈夫なのか?」

 (あの声・・・そうだ、徹芯だ)

 「ウタリ?もういいから、氣を手放して。これじゃバイローチャナを止めるどころじゃないわ。ウタリがどうにかなっちゃうわよ」

 (あ、佳澄だ・・・そんな、泣きそうな顔しないで・・・え?目の前にあるのは、劉翔の顔・・・佳澄は、私の耳元で叫んでる・・・なのに、どうして佳澄の顔が見えるの?)

 「大丈夫だよ、志葉さん。ウタリの眼神はしっかりしてる。すぐに意識を取り戻すはずだ・・・もっとも、この状態が長く続くのは、確かにまずいな」

 「そうだね。何だか、体が・・・心も・・・自分のものじゃないみたい・・・あ、声が出た」

 「ウタリ?」

 「気がついたか」

 ウタリは、また首をぐるりと回して周囲を見た。今度はスムーズに動く。

 不安を束ねたような視線が四つ、ウタリの顔をかすめた。


 「ただいまっ・・・へへ、何か本当に戻ってきたって感じ」

 「縁起でもねえな」

 「とにかく、早く済ませちゃいましょう」

 周詠はウタリを横目で見ながら、バイローチャナに向かって歩き出した。

 ウタリもそれに続く。

 (あ、ちょっと足が重い・・・あれ、今度は軽っ・・・過ぎる。バランスが取りづらいなあ)

 ギクシャクとした歩みは、しかし一歩ごとに滑らかになり、バイローチャナの前に立つ頃には、ほぼ普通の動きになっていた。

 「じゃあウタリ、よく聞いてね。吹っ飛ばして欲しいのは、あくまでも鬱氣・・・この、バイローチャナを覆ってる黒い粒子だけなの。だから、拳はバイローチャナに直接当てなくていいわ。ていうか、当てちゃ駄目よ。今のあなたの拳なら、バイローチャナに穴を開けかねないから」

 「わかった。じゃあ・・・打ってみるね」


 ウタリは右拳を握り締めて、鬱氣を凝視した。

 大きく息を吐いて・・・吸って・・・氣を高める。

 バチバチッ・・・と、ウタリの周囲で細かな稲妻が弾けた。

 (早く)

 (何とかしなきゃ)

 (やっちゃえ!)

 (止まって、止まって、止まって・・・)

 ウタリの耳元で、無数の囁きが湧いた。

 「わかった・・・今、打つから」

 「え?」

 ウタリの呟きを聞き取り損ねた周詠が、首を伸ばす。

 「ううん、こっちの話。それより、もうちょっと離れて」

 「あ、ごめん・・・」

 ウタリ以外の全員が、その場から数歩退いた。

 「ふう・・・」吐気に声が重なった。

 「う・・・お・・・」

 ウタリが普段、拳を放つ時は、鋭く息を吐くだけで、発声はしない。

 だが今は、自然に声が洩れた。

 そうしなければ束ねきれないほど、今のウタリが纏っている力は強大だった。

 「おおおおおっ!」

 鬱氣に叩きつけるように鋭い気合いを発し・・・その刹那、右拳が唸りを上げた。

 その拳は、バイローチャナに当たってはいなかった・・・が、激しい炸裂音を響かせ、閃光が広がり、鬱氣を呑みこんでいった。

 ウタリを中心にして、鬱氣の黒い粒子が碁石を置き替えるように白く変色していく。


 「おおっ」

 「うわ・・・」

 徹芯と佳澄が声を上げた。

 周詠と劉翔は、見とれてはいたが無言で・・・その表情は、厳しかった。

 「劉翔!凄いじゃない!出力が・・・一気に三割近く減ったわよ!」

 朴のはしゃいだ声が、スピーカーから響く。

 「あ、でも・・・元に戻っ・・・ちゃう・・・」

 落胆に変わっていく朴の声に合わせるように、ウタリが・・・ストン、と尻餅をついた。

 「ウタリ?」

 慌てて周詠たちが駆け寄る。

 ウタリの目は、また焦点が定まっていなかった。

 「ウタリ!おい、俺の声が聞こえるか?」

 徹芯が、ウタリの両肩を掴み、顔をのぞきながら叫んだ。

 「聞こえてるよ、徹芯。そんなに大声出さなくっても、ちゃんと・・・」

 言葉が続くのにしたがって、ウタリの目の焦点が定まっていく。

 「ふう・・・凄い力だね。すご過ぎて、拳で打ち込んだら、一緒に私も全部・・・立つ力も、全部一緒に持ってかれちゃう」

 「ウタリだから、その程度で済んでるんだ・・・普通の人間なら、とっくに自我が崩壊してる」

 劉翔が首を振る。今にも「もう止めよう」と言い出しそうな表情だった。

 「落ち着いて、劉。普通の人間には、そもそもこんなこと、真似もできないわ。大丈夫、ウタリはウタリで氣はちゃんと安定してるから」そういう周詠自身が、自分で自分に言い聞かせるような口ぶりだった。


 「しかし・・・さっき聞こえてきた話じゃ、今の一撃でも、出力が三割がた減っただけだろ?また戻っちまったみてえだしな。連発できりゃ話は別だろうが、この様子じゃとても無理だろ」

 「でも・・・どうして三割程度しか減らないんですか?ウタリの力は、バイローチャナを包んでる黒い邪氣全部を震わせたように見えたのに」

 佳澄が首を傾げた。

 「ううん。・・・鬱氣が白く変色したのは、あくまでもウタリの力の余波に煽られただけよ。ウタリの力は・・・勁は、ウタリの性格そのものね。まっすぐ過ぎるの。だから鬱氣の中心に風穴を開けて、貫通して、そのまま向こうへ抜けていったのよ。劉にも見えたでしょ?」

 「うん。・・・これじゃ、ウタリに負担をかけるばかりだ。鬱氣を吹き飛ばそうと思ったら、勁を浸透させて、内側から爆発させる技術が要る・・・でも、ウタリにそんな技術はない」

 「ちょっと待て。・・・そういう技術なら、周詠や劉翔の専門だろ?特に劉翔、お前なら・・・今の鬱氣の波調は、お前の氣とかなり近いはずだ。だったらお前が打てば、鬱氣全体に勁を浸透させて、爆発させることもできるんじゃねえか?」

 徹芯が興奮気味にまくし立てる。

 「ええ、それは僕も考えました。でも・・・」

 劉翔は唐突に鬱氣を睨みつけ、視線を突き刺すように眼神を発した。

 「ふんっ・・・!」

 鋭い気合いと共に、劉翔の右拳が鬱氣に打ち込まれる。

 ウタリと比べるとかなり小さいが、バチッという炸裂音がして、閃光が広がった。

 劉翔を中心にして、黒い粒子が変色していく・・・が、それは白ではなく、濃い灰色だった。


 「こんな感じです。・・・朴、さっきと比べて今のはどうだった?」

 「駄目。さっきと同じ。メーターがちょっと動いただけよ」

 「そうか・・・つまり宮城さんの言う通り、僕の氣の波調は鬱氣と近いから、打ち込んだ勁を全体に浸透させるのは、簡単なんです。でも、氣と氣の親和性が高過ぎて、爆発しないんだ」

 「くそっ・・・駄目か・・・」

 「そうでもないわよ。ここまでは想定内だわ。徹芯、佳澄、出番よ。こういう時のために、私たちも来たんだから」

 周詠が、励ますように声を張り上げた。

 「え?俺たち?マジか?そりゃ無理だろ。俺と周詠と佳澄って、三人同時にぶっ叩いても、この邪氣を吹っ飛ばせそうな気なんてまったくしねえぞ」

 「当たり前でしょ。そんなことできるわけないじゃない。私たちはね、ただの添え物よ。刺身のツマね」

 「言ってくれるじゃねえか。けどな、ツマがきっちり盛り付けられてるかどうかで、造りの完成度ってのはガラリと変わるんだぜ」

 「あら、適切な表現ね。そうよ。私たちの力は小さいけど、そこは使いようなの。説明するわね・・・まず、私と徹芯と佳澄が、鬱氣に打撃を入れるの。で、続けて劉が勁を打ち込む。私たち三人の勁は微力だから、ほとんど同時に打つぐらいかしら。ここが肝心なのよ。劉にはね、私たちの勁を拾って、共振するように打って欲しいの。タイミングがずれて私たちの勁が消えちゃったら、意味がないのよ」

 「あ・・・そうか。周老師たちの氣が混じれば、僕の氣と鬱氣との親和性は下がるんだ」

 「いいぞいいぞ。それなら鬱氣をぶっ飛ばせるかもしれねえな」

 「ううん、それは無理ね」

 「へっ?・・・じゃ、意味ねえだろ」


 「いや、そんなことはありません。鬱氣を破壊することはできなくても、動きを止めることはできそうだ」

 「そういうこと。私と徹芯と佳澄の勁はね、いわば不純物なの。ウイルスと言ったほうがいいかしら?鬱氣というプログラムに投入して、フリーズさせるのよ。ウタリの勁が鬱氣を貫通しちゃうのは、鬱氣の流動性が高いからよ。だからフリーズさせれば・・・掴みどころのない気体じゃなくて、ひと塊にしてしまえば、いくら大きくてもウタリの拳で粉砕できるはずよ」

 「いいぞいいぞいいぞっ・・・!それでいこう!」

 徹芯が小躍りしながら、バイローチャナの前に立った。

 「ちっ・・・しかし、そもそも当破ってのは、人体を打つって前提の技なんだがな。こんなもんに上手く徹せるかな・・・」

 「何言ってるの。あなたに技術的な器用さなんて、期待してないわよ。そこは気合いと根性で何とかしなさい」

 「ふふ・・・期待はしてないけど、信頼はしてるんですね」

 佳澄が微笑みながら呟いた。

 「え?何か言った?」

 「いえ・・・独り言です(私もいつか・・・宮城さんと同じぐらい、チーフに信頼されたい。そのためにも・・・目の前の仕事を、やり遂げなくちゃ)」

 バイローチャナの・・・鬱氣の前に立った佳澄は、その奥に潜む巨大な力に圧倒された。気を抜くと、迫り来るプレッシャーに圧し戻されそうだった。

 「バイローチャナは、鎮まってくれるでしょうか・・・人間は、神に試されているのかしら」

 佳澄は、誰に語るともなく呟いた。

 「いや、バイローチャナって名前は、あくまでもシャレだ。これは人間の問題さ。崖っぷちで、飛ぶか戻るか迷ってんだよ」

 徹芯は、鬱氣のプレッシャーを握り潰すように拳を固めた。

 「そういうことね・・・じゃあ、さっさと済ませて崖から離れましょう」

 周詠は体を揺らしながら、プレッシャーの波間を泳ぐように歩を進めた。

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