第十一章~食事
ウタリが項に打ちおろした右拳一発で、牛は絶命していた。
周詠と劉翔が、同時に駆け寄る。
「ウタリ、体の具合は?大丈夫?」
「驚いたな・・・僕にはとても、こんな真似はできない・・・」
「何言ってるのよ。この牛はある意味、全員で仕留めたものなのよ。そうでしょ?ウタリ」
「そうだよ」
「そういうことも含めて、です。僕は・・・人の心のまとまりを、そのまま力にするなんて・・・考えたこともなかった」
「あなたは子供の頃から、何でも自分で・・・一人でできたものね」
「・・・で、この牛は完全に死んでるのか?」
カールが牛の体を揺らした。・・・というより、もたれかかっていた。
「ええ。ほら、頚椎が折れてる・・・というより、砕けてます。更にその勢いで、頭が地面に叩きつけられて・・・これで脳が潰れたでしょうね」
「おいおいおい、検死なんてしてないで、さっさと食おうぜ!バーベキューだ、バーベキュー!」
トーマスは四つん這いになって、息も絶え絶えだった。
エレーナは仰向けになって「お腹空いた・・・」と呻き続けている。
「そうね。とにかく食事にしましょ。ナイフはっ・・・と、レアのほうがいい人は、適当に切って食べてね。焼いたほうがいい人は、串があるから・・・塩とスパイスはこっちね。徹芯、早く火を起こして」
「はいはい」
「なあ、やっぱりあれが、本来の周詠なんだろうな?」
カールが徹芯の耳元で囁く。
「ああ。そうだ」
「・・・お前も大変だな」
「そりゃどういう意味だ?」
「おいおい、とぼけるなよ」
カールは意味ありげに笑いながら、徹芯の肩を叩いた。
「・・・お前こそ、そういうキャラだったかよ」
そして、ワイルドなランチが始まった。
生肉にかぶりつく者。
肉の塊を豪快に焼く者。
その両方を堪能する者。
しばらくの間、誰もが会話を忘れて、空腹を満たすことに専念していた。
「それにしても、ウタリの動きはすげーな・・・ネイティブには、こんなことができる奴がたくさんいるのか?」
トーマスが肉を頬張りながら訊いた。
「いいえ。私が知る限りでは、こんなことができるのは、ウタリだけよ。なんでも、夢の中でポンガって人に教わったとか・・・」
「何だそりゃ?」
「ふふ。ウタリ、夢のこと、説明してくれる?」
「うん。あれはね、一年とちょっとぐらい前だったかな・・・」
夢の中で、ポンガの狩りを見たこと。
ポンガと握手をしたこと。
その頃はウタリの部族全員が腹ペコで、ポンガから受け取った力がさっそく役に立ったこと。
(あれ?何か忘れてるような?)
ひととおりの説明を終えてから、ウタリは言い損ねたことがあるような気がして・・・思い出した。
「あの時、一緒に走ってた彼は、今日はいないのかい?」というポンガの言葉だ。
(でもまあ・・・これは、私の力とは直接関係無さそうだし、まあいいか)
ウタリはそう考えた。
それから周詠が、ウタリは読字障碍であること、また、ウタリに手本を見せたポンガはどうやらクロマニョン人らしいといった補足をした。
「興味深い話だな・・・しかし、俺たちは『氣』というものに馴染みが薄いんでな。何か不思議なことが起こったということだけはわかるが、もうちょっとこう、具体的な技術論みたいなものはないのか?」
カールがもどかしそうに訊いた。
「そうね・・・牛を追い始めた時に、私たちの体から、光の束みたいなものがウタリに向かって飛んでいったのは、見えた?」
「いや」
「なんか、フワフワって感じはしたけどな」
「空腹過ぎて、めまいがしたのかと思ってたわ」
「それじゃあ、説明をしてもピンと来ないかもしれないけど・・・構わないかしら?」
「ああ。参考になることなら、とにかく聞いておきたい」
「じゃ、劉。ウタリの力について、あなたが観て、感じたことを説明してくれる?この中で、さっき起こったことを一番よく理解してるのは、たぶんあなたよ」
「それはどうかなあ。一番わかってるのは、ウタリ本人だと思うけど・・・まあいいか。ちょっと野暮な理屈に走った説明になりそうだけど、我慢してください」
劉翔は、右手に持っていた肉の欠片を一気に口に押し込むと、力強く咀嚼しながら説明の手順を考え始めた。
正確なリズムを刻みながら上下する顎の動きは、計算機を連想させた。
十数秒後、肉を飲みこんだ劉翔は、もう意見をまとめていた。
「ええと・・・さっき、周老師が言ってた『光の束がウタリに向かって飛んでいった』っていう、あの時に、僕たちの氣がウタリを中心にして繋がったんです。それ以前の、走り始めてから一時間ほど過ぎたあたりから、もうそういう現象は起こり始めていたんだけど・・・やはり実際に牛を目の前にしたことで、急に結びつきが強くなったと」
「・・・そりゃつまり、ウタリの力は俺たち全員の力ってことかい?」徹芯が頬杖をついた。
「結論から言うと、そうです。ただし僕たちはウタリに、自分の氣をそのまま渡したわけじゃない。・・・僕たちの氣は、ウタリを中心にして繋がったけれど、それはウタリにエネルギーを集中させるため、ではないんです」
「じゃあ、どうしてウタリはあんなに速く、強く動けるの?」エレーナが眉をひそめる。
「そうそう。それに、ただ繋がっただけにしちゃ・・・牛を倒した後、えらく疲れがきたぜ?」トーマスが、顎を上げながら肩をすくめた。
「ええ。つまり、僕たちはウタリに氣そのものを渡したんじゃなくて、氣の形・・・『波調』を伝えただけなんです。その際に、多少は氣自体も持っていかれるから、カールやトーマス、エレーナのように、氣を扱うことに慣れていない人は、ちょっと多めに氣を取られたりして、それで疲れがひどかったのかもしれません」
「波調・・・か。それは、指紋や遺伝子のように、個別のパターンがあるのか?」カールが身を乗り出す。
「そう!ここからが、ちょっと重要ですよ・・・つまり、氣の波調というのは、一人一人違うんです。そして人間には、人間特有の氣の波調があって、それが人間としての筋力を決定・・・限定している、といってもいいかな。ところがウタリは、自分の氣に他人の氣の波調を重ねることで、全く別の氣を創ることができるんです。ただし・・・誰の氣でも重ねられるわけじゃない。ある条件が必要なんです」
「その条件って・・・もしかして、空腹感?」エレーナの目が光った。
「惜しいな。間違っちゃいないけど・・・空腹感は、あくまでも条件の一例に過ぎないんだ。肝心なことは、ウタリとその周りの人間が、何か共通の願いを持っているということ。それも、相当に真剣で切実な、心からの願いでないと駄目なんだ」
「試合や稽古で、ウタリの力が出なかったはずだわ・・・野次馬根性程度の願いじゃ、駄目なのね」
「それもあるけど、交流戦で僕たちが見たいと思ったのは、あくまでも『ウタリの力』だから・・・そうではなくて、僕たち自身に『これをしたい』って気持ちがないと、氣は繋がらないんだ」
「ああ・・・そうか。牛を見て、捕まえたい、食べたい、って気持ちが、俺たちとウタリの心を繋いだんだ」徹芯が膝を叩いた。
「そう。例えば、ピアノをイメージしてみて・・・ひとりの人間が、ひとつの鍵盤みたいなものだとしましょう。鍵盤がひとつだけでは、演奏はできないでしょう?でも、大勢の人間が集って、たくさんの鍵盤が・・・色々な音階が集れば、美しい音楽を奏でることができる」
「はは・・・個人ってのは、そんなに非力なのか?」トーマスが笑いながら手を振る。
「今のは、ちょっと極端な例えです。同じ音楽でも、オーケストラで例えましょうか?一人一人が別の楽器を持っていて、それぞれが美しい曲を演奏する力があります。でも、指揮者の下で音を合わせれば、より重厚で、繊細で、力強い音楽を響かせられる」
「つまり、ウタリは指揮者みたいなもの?」佳澄が指揮棒を振るように指先を揺らした。
「そうです。そして、共通の願いを持つということが、同じステージに立つ条件なんです」
「しかし・・・オーケストラの例でいうなら、ソロでも充分に感動的な演奏をするやつだっているぜ?」オーケストラの例、といいながら、トーマスはエレキギターをかき鳴らす真似をした。
「ええ。だから・・・ひょっとしたら、他人と氣や意識を共有するまでもなく、自分自身の氣を編みなおして、超人的な力を発揮するような人も、どこかにいるかもしれません。古から伝わる武術の達人とか、仙人とか、ペルセウスとかヘラクレスのような神話に出てくるような人物には、それができたのかも」
「そういうのって、劉にもできそう?」
「やってみないとわかりません。でも、ウタリほどの力を出すのは・・・少なくとも今は、とても無理です。いい目標ができました・・・でも・・・」
劉翔が首をひねった。
「でも?」
周詠が、劉翔の首のひねり・・・困惑の表出に、いち早く反応した。
「でも・・・ウタリのような力を使うなら・・・他人と氣を合わせるにしろ、自分だけでやるにせよ・・・もっと、大きな心を持つ必要があるかもしれない。僕は・・・武術はあくまでも制敵技術であって、それで完結するべきだと思ってたけど・・・いや、今でもそう思ってるけど・・・そこに囚われる必要はないような気がしてきたなあ」
「そう思うのなら、あなたに同行してもらった甲斐があるってものだわ」
周詠は満足そうに微笑んだ。
「ふむ・・・すると、その・・・通常の人間とは違う『氣』をまとうことで、ウタリの身体能力はどのぐらい上昇するんだ?」カールの思考はどこまでも分析的だ。
「さあ・・・条件次第でしょうね。さっき牛を倒した時についてなら、パンチ力は想像もつきませんが、走る速さは、ざっと見て時速五百キロちょいは出てました」
「ご、五百キロ?無茶な?リニアモーターカーじゃあるまいし、そんなスピードで足を動かしても、地面との摩擦がはたらかないから、前進しないぞ?」
「ええ。だから大地の氣と同調して、摩擦がなくても足と地面がフィットするようにしてるんです」
「アメイジングな・・・」
「いってみれば、氣のパワード・スーツを装着してるようなものかな。ねえウタリ。今日は、部族の人たちと狩りをする時と比べて、どう?同じぐらいの力が出たかい?」
「ううん。いつもの半分ぐらい」
「半分?あれで半分?」トーマスが叫んだ。
「へえ・・・じゃ、本調子なら時速千キロぐらい出せるんだ。ほとんど音速じゃないか」
劉翔が楽しそうに笑った。
「おい、そういやチーターは時速百キロちょっとで走れたよな」
徹芯が、周詠を肘でつついた。
「・・・それが?」
「お前、ウタリの速さを『チーターの十倍』とか言ってたろ?大体合ってんじゃねえか」
「あ・・・ふふ、そうね」
「しかしよ・・・そんなにすごい力が出せるんなら、わざわざ鬼ごっこなんかしなくても、牛を見つけた場所で仕留めようと思えば、できたんじゃねえか?」
トーマスは右フックを打つ仕草をしながら、不満の混じった笑顔を浮かべた。
「ただ倒すだけなら、できるよ。やったことはないけど」
「何でだい?」
「だって、そんなことしたら周りの牛たちが、びっくりして逃げ出すでしょ」
「別にいいじゃねえか。食うのは一頭で充分だろ」
「私たちはいいよ。でも、牛たちにとっては迷惑じゃない?水や草がたくさんあって、見晴らしも良くて、そういう場所だから、あの群れはあそこでゆっくりしてたんだよ。なのに、私たちの食事のためだけに、群れ全体をあそこから追い出すのは、ちょっとね」
「ああ・・・そうか」
「それに、逃げてくれればまだいいんだけど、逆に襲ってきたら面倒だよ?特に今日は力が途切れやすいし。撃退したらしたで、牛たちを無駄に傷つけることになるし」
「ハハ・・・参ったね。やっぱり俺は、街の住人なのかな」
トーマスが空を仰ぎ、カールがゆっくりと頷く。
「そうかもしれんな。ネイティブ同士なら、こういった基本的な考え方から統一されているから、氣のアンサンブルもよりスムーズにできるんだろう」
「それってつまり、団結やチームワークこそが、人間の真の力を引き出すっていう・・・ウタリの力は、その象徴なんでしょうか?」
佳澄がポツリと呟いた。
「うーん、どうかしら。その団結力というのが、個を犠牲にするものだとしたら、私はむしろ逆だと思うわ」
周詠は慎重に言葉を続けた。
「団結といっても、・・・例えば、強引なリーダーに『団結しろ!』と命令されて無理に団結しても、それじゃ氣は結びつかないでしょ。まずは、ひとりひとりが自分は何をしたいのかをはっきりさせないと・・・成熟した個人の、強い希望や願いが集って、結果として、より大勢の希望したことが力になるのよ。だから、まずは個人から、だと思うわ」