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第九章~探求

 「そうね・・・また、私の読みが甘かったわ。ごめんなさい、劉。それからウタリも・・・ずいぶん無理をさせちゃったわね」

 「ううん。無理はしてない。ただ・・・何かよくわからない。遊びだと思ってたのに・・・」

 「いや、その通りだよ。僕も基本的には遊びのつもりで・・・」

 「そんなことないっ!」

 劉翔は頭をかきながら、何か言いたそうな顔をしたが、適当な言葉が見つからなかったらしく、ウタリに背を向けて周詠のほうに歩き出した。

 「・・・ごめん」ウタリがポツリと呟く。

 「え?」

 振り向いた劉翔の目に映ったウタリは、ひどく照れ臭そうだったが、その奥にくすぶる怒りの炎は、まだまだ消えそうになかった。

 「その・・・劉翔が、私を傷つけようとかしてたわけじゃないって、それはわかってるから・・・」

 「そりゃどうも」

 劉翔は、白い歯を見せてニッと笑った。

 その笑顔を見て、ウタリはひどく悲しくなった。

 周詠が、劉翔の肩をポン、とひとつ叩いて、ウタリのほうへ歩き始めた。

 「さあ・・・スペシャルマッチは、これで終了。みんな、とりあえず医務室へ行って、メディカルチェックを受けてね。必要があれば、病院へ直行してください。まあ、今回はその必要はないと思うけど」

 「周老師。僕はどうしましょうか?」

 「そうね・・・何でもいいわ。適当に時間を潰して・・・午後になったら、ミーティングルームに来てくれない?他に用事があるなら、もう帰ってもらっても構わないけど」

 「いや、今日は一日空けといたから・・・じゃ、また後で」


 各々が、ややホッとしたような面持ちでトレーニングルームから退出し、周詠とウタリだけが残った。

 劉翔の姿が見えなくなった時、ウタリはその場にドスンと腰を下ろすと、眉間に皺を寄せたままで胡坐をかいた。

 周詠がその隣に、膝を抱えて座る。

 「周詠さん」

 「なに?」

 「ここで一体、何してるの?」

 廊下から、カールの声が聞こえた。

 「劉翔、やっぱりヨーロッパに来ないか?」

 周詠は、それを聞いて思わず微笑を浮かべた。・・・が、ウタリが難しい顔をしたままなのに気付いて、慌てて笑みを引っ込めた。

 「・・・進化のヒントを探してるのよ」

 「その役に、立つの?ついさっきまで、ここでやっていたことが?」

 「役に立つこともあるし、立たないこともあるわ。やってみないとわからないわね」

 「本当に?」

 「本当よ」


 「・・・わかんない。私、本当は進化ってのがどういうことなのかも、よくわかってない・・・でも、みんなが生きて、生き続けていくために必要なことなんだろうなって、そんな感じで」

 「うん」

 「徹芯と遊んだ時も、佳澄と遊んだ時も、楽しかった。カールはちょっと硬かったけど」

 「・・・そう?」

 「うん。・・・でも、楽しかった。みんなで生きて、生きていきたいって、そういう力があった」

 「うん」

 「でも・・・劉翔は違った。あの人の力は・・・戦いのための戦いの力だ。滅びの力だよ」

 「何が見えたの?」

 「想い。劉翔の動きには・・・あの、ただ歩くだけの動きに・・・たくさんの、想いが詰まってた。大勢の人たちが、長い時間をかけて、込めた想い。大きさや形は色々だったけど、伝わってくるものは、ほとんど同じ。誰かを傷つけたい。誰かを殺したい。目の前に立つ者を、叩き伏せたい。他に相手はいないか。敵が欲しい。・・・まだ殺し足りない。・・・まだ負けてない。まだ殺せる・・・そんな想いが、たくさん、たくさん詰まってた」


 「・・・すごいわね」

 「え?」

 「ただ歩くだけで、そこまで武の本質を体現できる劉も、ただ歩いてるのを見るだけで、そこまで武の本質を見抜けるウタリも、やっぱり天才だなって。・・・私は劉の動きを見ても、そこまで深く、細かいところまでは見えないわ。あの子が・・・武の技と一緒に、業まで背負わされたことだけはわかるけど」

 「ごまかさないでよ」

 「ん?そんなつもりはないけど」

 「劉翔の動きを見て、わかった・・・佳澄も、徹芯も、・・・カールもトーマスもエレーナも・・・みんな、根っこでは劉翔の動きと繋がってる」

 「そりゃ、対人の格闘技術だものね」

 「特に周詠さん」

 「あら?」

 「掴まれた腕を打って、カールを固めちゃった技。・・・あれで、カールの体は抜け殻みたいになってた。もし、その後の、両手で打つ技を・・・本気で打ってたら、カールは・・・」

 「本気だったわ」

 「え?」

 「ウタリの言いたいことは、わかるわ。確かに私は、素手で・・・人を殺そうと思えば、殺せる。普通の人よりも、ずっと速やかに。・・・普通の人には殺せないような、大きくて強い人でも・・・殺せる。私の家が代々受け継いできたのは、そういう技なの。そんな技を、虚の状態の・・・ああ、抜け殻ってのは、上手い表現ね。そんな状態のカールに打ち込んだら、死んでたでしょうね。でも結果はあの通りよ。あれが私の本気なの」


 「どうゆうこと?」

 「私は、殺そうと想えば殺せる。・・・でも、殺そうなんて想えないもの。想わないんじゃなくて、想えないの。想いを込められない技は、つまり、使えないってこと。違う?」

 「・・・違わない」

 「でもね・・・武の本質が、より効率的に人を殺すための技術だってことは確かだわ」

 「でしょ?そんな技術、残していいの?」

 「その技の本来の目的のままに使うのは、まずいかな。でも・・・武術ってね、合理的な身体操作の技術の集大成なの。そりゃ、不合理な動きをしてたら殺されちゃうもの。当然よね。それはつまり、人間の可能性の追求でもあるの。その中には、人間の進化・・・つまり、新しい可能性を探るヒントが、隠されているかもしれない。ここでは、それを探しているの」

 「・・・納得いかない」

 「そう。・・・そうでしょうね。こんなパンフレットに書いてるような説明、私だって納得してないもの」

 「・・・え?」

 それでいいのか?という疑念を込めて、ウタリは周詠を睨んだ。

 

 「正直に言っちゃうとね。人類の進化なんて、どうでもいいのよ。ケンタさんが・・・ウタリのお父さんが言った通りよ。私は、私自身の好奇心のために仕事してるの。私はね、本来の武の本質とは別の部分で、武術が好きなの。この仕事は、武術の姿を色々な角度から見られるもの。たくさんの発見があるわ・・・でね、そういう仕事を、共通の価値観を持つ仲間と進めていくのが、楽しいの。徹芯や、佳澄なんかとね」

 「・・・って・・・周詠さん、チーフでしょ?偉いんでしょ?」

 「中間管理職だから、そんなに偉くはないわよ」

 「ちゅーかん・・・?よくわかんないけど、ここで働いてるのに、ここでやってることはどうでもいいって、おかしくないの?」

 「ここ・・・BALとか、ECPの不利益になるようなことはしてないから、構わないわよ。ていうか、むしろ優秀な職員よ?スタッフとして、徹芯や佳澄を採用したり、ウタリを招待したり。やってること自体は、ECPのコンセプトにバッチリ合ってるでしょ」

 「こんせぷとって、またよくわかんないけど・・・」

 「えっとね・・・つまり、私にとってECPは、必要な組織なのよ。だから、組織が私を必要な人材だと判断する程度の仕事はするわ。でもね、将来的にBALの所長を目指そうとか、そういうことは考えてないの。私は今のポジションが好きなのよ。上のほうの役職に就いたら、ECPの根幹に関わる仕事をしなくちゃならないでしょ?そんなの無理だもの。だって私は、進化するとかしないとか、そういうことに大した意味があるとは思ってないから」

 「そう・・・なの?じゃ、ECPって、意味ないの?」

 「ないことはないわよ。私の趣味に合わないだけ」

 「趣味の問題?」

 「趣味っていうのがまずいのなら、思想とでも言おうかな?・・・私はね、やっぱり東洋人なのよ。西洋の思想は、どうも肌に合わないわ。ただ、街は・・・機能とか設計理念とか、西洋の科学や思想を基本にして造られてるから、付き合えるところは付き合ってるけど」

 

 「東洋と西洋って、そんなに違うの?」

 「違うわよ。そうね・・・命や人間って、一体どこから来て、どこへ行くと思う?」

 「・・・わかんない。答えがわかんないっていうより、質問の意味がわかんない。いや・・・何か、ずれた質問のような気がする」

 「そう思うんなら、ウタリも東洋人ね。・・・命はどこから来て、どこへ行くのか。西洋の文化とか、文明や科学は、その答えを求めて文字通り進歩しているといっていいわ。でも東洋の考え方だと、全ての命は始めからここにあって、これからもずっとここにあるの。どこへも行ったりしないわ。人の目から見たら、形はどんどん変わっちゃうけど」

 「じゃあ・・・西洋では生まれるのは訪れることで、死ぬのは去ってしまうことだけど、東洋だと形が変わるだけ?」

 「そう、そういうこと。もっとも東洋人でも、東洋思想を西洋的に解釈する向きも多いんだけど。『因果』なんか、いい例ね。Aという原因があって、Bという結果がある。西洋の科学は、そのAとBの因果関係を証明することで発展してきたわ。でもね、東洋思想における因果っていうのは、一種の洒落なのよ」

 「シャレ?」

 「そう。Aという原因と、Bという結果の間には、無限の因と果があるの。Aの前にも、Bの後にもね。AとBだけを取り出して、その因果関係をいくら証明しても、それじゃ・・・生活を便利にする力は得られても、真理に近づくことはできないわ」


 「じゃあ・・・命がずっとここにあって、ただ形が変わるだけなら、誰かが死んでも悲しくないってこと?でも私、お祖母ちゃんが死んだ時、すごく悲しかったよ?それっておかしいの?」

 「そんなことないわよ。感情は、命の変化の一部なの。心の底から湧いてくる感情は、じっくりと味わうべきだわ。喜びも、悲しみも。時には怒りも、憎しみも。感じることをおろそかにしていると、大きな感情が押し寄せてきた時に、簡単に溺れてしまうわ。そう、感情に溺れたり、呑まれたりしない限りは、何でも素直に感じればいいのよ。この辺はね・・・東洋の思想でも、『怒り』はいけないって考え方があるんだけど、私はこれには反対ね。怒りの感情がないと、スーパーサイヤ人にもなれないし」

 「すーぱー・・・さいやじん?」

 「古典漫画の名キャラクターよ。ウタリも一度、読んでみるといいわ」

 「読む、の?無理だよ。私は文字が・・・」

 「大丈夫よ。漫画にも色々あってね、スーパーサイヤ人が活躍するところは、文字が読めなくても、絵を眺めるだけで充分に楽しめるわ。そもそも漫画はね・・・」

 ここでウタリは、周詠の人差し指がフラフラと揺れ始めたのに気付いた。

 同時に徹芯の言葉を思い出し、慌ててその先を制した。

 「あ、その、すーぱーナントカってのはともかく、つまり、周詠さんにとって進化っていうのは、命の変化のごく一部で、だからそれだけを取り上げてどうこうってのは、面白くないってこと?」

 「・・・そうよ」

 「わかるような、わからないような・・・」

 「ううん。こういうことはね、理解するんじゃなくて、実感するものなのよ。それにウタリは、もうちゃんと実感してるわ。ピンと来ないのなら、自覚が足りないだけよ」

 「じゃあそのうち、自覚できるようになるかな?」

 「そのうちじゃなくて、今すぐできるわ」

 「え?」


 「私ね、『そのうちわかるようになります』とか、『いずれできるようになります』って言い方、嫌いなの。今できないことが、この先できるようになる保証なんてないもの」

 「へえ。・・・私のお祖父ちゃんは、よく『そのうちウタリにもわかる時が来る』って言うよ」

 「あ、そうなの?・・・ごめん」

 「ふふ・・・いいです。私もお祖父ちゃんのそーゆーとこ、好きじゃないから」

 「そうよねえ」

 「で、どうすれば・・・『変化し続ける命』を実感できるの?」

 「じゃあ、私の後ろに立って」

 周詠はスッと立ち上がると、ウタリに背を向けた。

 「うん。・・・それから?」

 「私の真似をして、動いてみて。呼吸は静かに、細く・・・長く・・・でも、止めないように・・・」


 わずかに腰を落として立っていた周詠が、軽く背伸びをするように体を起こした・・・かと思うと、もう沈み始め・・・それがいつの間にか、体を捻る動きになっていた。

 体の捻りに合わせて、右手が、左手が、柔らかく円を描く。

 円が重なり合って、球となる。

 その球は、体の軸のうねりと重なり、さらに大きな球体となる。

 球体が回転し、回転軸が水平方向にまっすぐに伸び・・・軸に沿って、掌が打ち出された。

 そしてまた、下腹部から球が発生し・・・その球を抱え、撫で、潰すようにして・・・弾けた。

 いつの間にか、周囲から巨大な螺旋が体を包むように迫り・・・体のうねりと同調して、消えた?ようでいて、掌に収まっていた。

 点から伸びた線が、線が回って円が、円が伸びて円柱になり、線が錐揉みして螺旋を描き、弾けて、揺らめく点となった。

 ひとつひとつの形は、全ての動きと溶け合い、二人の動きがひとつの形を、たくさんの形が二人の動きを浮き彫りにした。

 ウタリは、ずっと・・・もうずっと長い時間、こうしているような気がした。

 同時に、周詠と動き始めたのは、ついさっきのようにも感じていた。

 (動き始める前から、この動きが始まっていた。動き終わっても、この動きはずっと続く。止まっても、続く。ずっと昔から、繋いできた動き・・・)

 やがて、胸の前で交差させた腕を静かに下ろし、周詠の・・・太極拳の演武が終わった。


 「どう?気付いた?」

 「気付いたっていうか・・・感じた。今の動きって・・・」

 「太極拳よ。私の特技」

 「あ、これが・・・佳澄がぜひ見とけって言ってた」

 「へえ」

 「佳澄は・・・何て言ってたかな。自由・・・そう、周詠さんの動きは自由だって。自分は心眼流で周詠さんと同じ境地に達するんだって言ってた」

 「あはは・・・佳澄も、ユニークな娘よね。私なんか目標にしなくても、とっくに開眼してるのに。自覚してないんだから」

 「開眼?」

 「佳澄ももう、生命の変化や流れをちゃんと感じてるのよ。だから、ここのスタッフとして迎えたの。徹芯もそうよ。私は一緒に仕事をする仲間を、強い弱いで選んでるわけじゃないの。まあ、あの二人は結果的に強いけど」

 「はあ・・・太極拳って、こんな・・・効果があるんだ」

 「別に太極拳に限った話じゃないわ。合理的に戦う体系を持つ武術には、みんな似たような効果があるのよ。それこそ心眼流にも、空手にも。太極拳はゆっくり動く練習が主体だから、そういう効果が出やすいってのはあるかもしれないけど」


 「でも・・・不思議だなあ。劉翔の動きだって、太極拳なんでしょ?どうしてこんなに違うの?」

 「根本は同じよ。・・・むしろ、劉のほうが本来の太極拳というべきね」

 「え、そうなの?」

 「ええ。・・・さっきも言ったけど、武の本質は、効率的に人を殺すことなの。それを突き詰めることは、つまり自らの動きを、極限まで合理化していく作業なのね。そうして最後に残った、動きのエッセンスは・・・宇宙の法則と一致してるの。だから先人の中には、武を練り続けることで、タオと合一化することを最終的な目標にする人が、たくさんいたわ。でもね、武術にとって、これはあくまでも『オマケ』なの」

 「えー・・・」

 「だから劉は、武術の・・・タオに通じる階段っていう部分を、あえて無視してるの。あの子にとって、太極拳はあくまでも戦闘技術なのね。ある意味、すごく純粋だわ」

 「あの・・・タオって何?」

 「ああ・・・うーん・・・とりあえず、生命の流れや変化の源だと思ってくれる?そこから出発して、あとはウタリなりに感じてくれれば、それがウタリの『タオ』になるから」

 「うん、わかった。・・・じゃあ、そのタオってのを無視してると、劉翔みたいになるの?」

 「究極的にはそうね。でも、武術を純粋に戦闘技術として練り上げたからって、誰もが劉みたいになれるわけじゃないわ。・・・あの子は天才なの」

 「そういえば、劉翔って周詠さんの弟子だったんだよね?どんな弟子だったの?そうだ、弟子だったから『あの子』って言ってるの?」


 「ふふ・・・劉を『あの子』って呼んじゃうのはね、あの子は・・・弟みたいなものだから。まああの子にとっては、私は姉っていうか、母親みたいな感覚もあるかもしれないわね」

 「えー?でも、そんなに年は離れてないでしょ?」

 「そうね。私が今二十九で、劉が二十歳だから、さすがに親子はないわね」

 「じゃあ、劉翔の親ってどんな人?」

 「面白い人たちよ。・・・もっとも私も、二~三回会っただけなんだけど。劉の両親はね、もうほとんど街の外で、ネイティブと暮らしてるの」

 「え?そうなんだ。どこの部族だろう」

 「さあ・・・あっちこっちの部族を渡り歩いてるらしいから。劉の両親はね、『街の人間も、ネイティブも、両極端だ』って考えてるのよ。街の人間はテクノロジーに依存し過ぎで、ネイティブは文明を否定し過ぎだって。街の生活とネイティブの生活が上手く混じり合った先にこそ、人類の未来がある・・・らしいわ。だからあの人たちは、街の人間とネイティブを繋ぐ架け橋になろうとしてるの。そのためにネイティブと暮らして、それを文章や動画にまとめて、街で発表しているの」

 「じゃあ、親が街の外に出てる間、劉翔はどうしてたの?」

 「劉が生まれてから十年ぐらいは、街の外にも一緒に連れて行って、家族ぐるみでネイティブと交流してたって。でも、劉の両親は『これじゃまずい』って考えたそうなの」

 「どうして?」

 「このままじゃ、ネイティブになりきってしまう・・・って。それじゃ、街とネイティブを繋ぐっていう仕事ができなくなるでしょ?だから劉の両親は、劉を私の家に預けたの。つまり、自分たちを街に繋ぎとめるための錨になってもらおうってことね。劉の両親と私の両親は、昔から付き合いがあって、特に父親同士が親友だったらしいわ。それで・・・劉が十歳、私が十八歳の時に初めて会って、それから一緒に暮らしてたの」


 「じゃあ、その間に周詠さんは、劉翔に太極拳を教えたの?」

 「そう。私の稽古を見た劉が、『教えてくれ』って。その頃は私の技も、それなりに練り込まれてきてたし、父に訊いたら『お前の勉強にもなるから、教えてあげなさい』って言われて。でも実際に教え始めたら、私のほうが勉強になることばかりだったわ」

 「へえ?」

 「小さい頃からネイティブに混じって暮らすことが多かったから、心身共に鍛えられてたってのもあるんだろうけど・・・とにかく、教えたことがあっという間にできちゃうの。動きを見せて、覚えて、演じさせると・・・私より完成度の高い動きをするんだから。その動きを見て、私のほうが技を手直ししたことが、何度もあったわ。たった二年で、私が劉に教えられることは何もなくなっちゃった」

 「うわあ・・・」

 「あとの三年は、実質的には私が劉から教わってたの。推手でも散手でも、劉には敵わなかった。それでも何とかして一矢報いたかったから、色々工夫したわ。私は間合いの調整が得意だったから、その練度を上げて劉を崩そうと思ったの。私の今のファイトスタイルは、劉との稽古で磨かれたものなのよ。おかげで今では、ほとんどの試合は触れ合う前に勝負が決められるようになったわ。相変わらず劉には通用しないし、今日のカールとの試合みたいなこともあるけど」


 「へえ・・・そんなに強いのに、劉翔は武術の仕事をしてないよね?えっと、ばいろーちゃなの管理スタッフ、だっけ?」

 「ええ。あの子は頭もいいのよ。学校に通い出したのは、私の家で暮らすようになってからだから、もう十歳になってたんだけど。それまではご両親が勉強を教えてたらしいわ。で、いざ学校に通い始めたら、勉強に遅れるどころか、どんどん進んで飛び級で、十九歳で大学を卒業しちゃって、今は物理学の博士号まで持ってるのよ。将来はエネルギーの開発関係の研究者になるつもりみたいだけど、現場の仕事も経験しておきたいって。普通の人が大学に通うような年齢の間は、そういう現場仕事をするつもりみたいね。つまり職業としては、武術よりもそっちのほうに魅力を感じている・・・もしくは」

 「もしくは?」

 「私が武術を仕事にしているから、それに対する反抗心かも」

 「何それ?だって劉翔って、周詠さんに認められたいって、それでここのスタッフになりたいって思ってるんでしょ?」

 「そこがねえ・・・あの子の唯一、子供っぽいところね。いや・・・私と劉の関係の、ちょっと親子っぽい一面のせい、かもね。ほら、劉って勉強でもスポーツでも、何でもできちゃうから。私って、明らかに劉より実力で劣るじゃない?」

 「んっ・・・まあ・・・」

 「あはは。でね、そんな私が合格点を出さないってのが、納得いかないのよ。いくら師弟としての敬意は払っていても、それはそれ、これはこれね。つまりあの子は、ここのスタッフになりたいっていうよりも、私に認めてもらいたいの」


 「劉翔は、どうして周詠さんに認めてもらえないか・・・自分が太極拳を、ただ戦いのために磨くだけで、オマケの部分を気にしてないから認めてもらえないってこと、知ってるのかな?」

 「劉のことだから、わかってると思うわ。その上であの子は、『オマケ』を無視したままで私に認めてもらおうとしてるの。でないと、本当の意味で自分が認めてもらったとはいえないと思ってるみたいね」

 「劉翔か周詠さんか、どっちかが折れちゃえばいいのに・・・」

 「そうはいかないわよ。私が武術の『オマケ』を重視するのは、そのほうがECPのコンセプトに合うからっていうのもあるし。劉がオマケを無視するのは、技術は本来の目的のために磨いてこそ意味があるって思ってるからだわ。お互いに譲れないのよ。ただ・・・」

 「ただ?」

 「劉も、このままじゃ駄目だって、思ってるのかもしれないわ。あの子だって、武術が好きなのよ。仕事にしてもおかしくないくらいね。でもそうしないのは、ただ戦うための技術というだけでは、職業とするには足りないって感じ始めてるみたい」


 「ねえ、周詠さん」

 「なに?」

 「ひとつでいいから。・・・太極拳の技を、教えてくれない?」

 「いいの?結局は、人を傷つけるための技よ」

 「違うよ。私が覚えたいのは、戦う技じゃなくて、オマケのほう。だから、周詠さんから習いたいんだ」

 ウタリは跳ねるように立ち上がり、笑顔で手を伸ばした。

 「わかったわ。・・・そう言ってくれると、嬉しい」

 周詠も笑顔でウタリの手を取った。

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